第16話 選択の代償
朝の空気は、静かすぎるほど澄んでいた。
雲ひとつない空。
学園はいつも通りに動き、生徒たちはそれぞれの時間へ散っていく。
今日が、特別な日だと知っている者は少ない。
勇者は、準備を整えていた。
装備を点検し、魔力の流れを確かめ、
深く息を吸って、吐く。
迷いはない。
迷いを消す、と決めたからだ。
遠くから、その背中を見ている視線があった。
王道ヒロイン――
いや、もうただの役割ではない。
彼女は、足を止めたまま、声をかけられずにいた。
昨日の言葉が、胸の奥に残っている。
「気をつけて」
それだけで、すべてを委ねてしまった気がした。
違う。
本当は、言うべきことがあった。
だが、もう遅い。
訓練開始を告げる合図が鳴る。
勇者は前に出た。
難易度の高い演習。
魔力の乱流下での制圧。
危険はある。
だが、彼は避けなかった。
踏み込む。
以前より、一歩深く。
魔力を高め、剣を振る。
動きに迷いはない。
称賛の声が上がる。
「さすがだ」
「やっぱり勇者だな」
その声が、彼を押す。
次の瞬間、空気が変わった。
魔力の流れが、不自然に歪む。
想定よりも速い反応。
結界が、軋んだ。
「……?」
勇者は、違和感を察知する。
おかしい。
だが、引けない。
今、止まれば判断が遅れる。
一拍。
その一瞬が、すべてを分けた。
魔力が暴発する。
光が弾け、衝撃が走る。
結界が悲鳴を上げ、生徒たちが吹き飛ばされる。
「下がれ!」
叫び声。
悲鳴。
混乱。
勇者は立て直そうとする。
だが、魔力は制御を拒んだ。
――止まらない。
それを、彼女は見ていた。
その場に縫い止められたように、動けない。
止めるべきだった。
昨日も、もっと前も。
言えなかった言葉が、
形になって暴れている。
教師たちが動く。
結界を補強し、被害を抑える。
聖女が呼ばれる。
癒しの光が広がる。
だが、今回はそれだけでは足りない。
歪みが深すぎる。
その裏側で、
誰にも見えない場所で、別の魔力が動いていた。
主人公は影の中にいる。
結界の構造を読み、
流れを強制的に組み替える。
圧を逃がす。
破裂点をずらす。
完全な解決ではない。
最悪を避けるための、最低限の処置。
世界が、軋みながら耐える。
数秒後、
暴走はようやく収束した。
静寂。
負傷者は出た。
命に別状はない。
だが、無事ではない者もいる。
勇者は、膝をついていた。
自分の手を見る。
震えている。
――俺が、選んだ。
踏み込んだのは自分だ。
迷いを消すために、
誰かを巻き込んだ。
足音が、近づく。
顔を上げるより先に、
口が動いていた。
「……エリシア」
考えるよりも早かった。
そこにいると分かった瞬間、
名前が、自然に零れ落ちた。
「無事か」
彼女は、答えられなかった。
喉が詰まり、
視界が滲む。
無事かどうかを問われる資格が、
自分にあるのか分からなかった。
主人公は、影の中で静かに息を吐く。
間に合った。
だが、ぎりぎりだ。
もう、同じやり方は通じない。
事態は収束した。
だが、終わってはいない。
選ばれなかった言葉の代償は、
確かに残った。
言葉は、
選ばれなかった瞬間から、
現実になる。
そしてその現実は――
もう、取り消せない。




