第15話 選ばれなかった言葉
学園の日常は、表面上、何も変わっていなかった。
授業は進み、
訓練は行われ、
生徒たちはいつも通りに笑っている。
けれど、二人のあいだだけは、
確実に何かが噛み合わなくなっていた。
以前なら、隣を歩くのが当たり前だった。
言葉がなくても、同じ速度で歩けた。
今は、沈黙が長い。
無理に埋めようとすれば、
余計にぎこちなくなる。
「……最近、忙しそうだな」
勇者がそう言うと、
彼女は一瞬だけ視線を逸らした。
「ううん。そんなことないよ」
嘘ではない。
だが、本当でもない。
彼女は、彼を見ている。
以前よりも、ずっと。
剣を振る姿。
魔力を高める瞬間。
わずかな迷い。
それを見るたび、胸が締め付けられる。
――私のせいだ。
そう思うたびに、
次の言葉が遠ざかる。
守りたい。
縛りたくない。
その二つは、
あまりにも近くにある。
彼女は分かっていた。
何かを言うべきだと。
曖昧なままではいけないと。
けれど、言葉にした瞬間、
今の関係が壊れることも、分かっていた。
壊れなければ、続いてしまう。
続けば、もっと深く縛ってしまう。
選べない。
沈黙は、逃げではない。
そう、自分に言い聞かせていた。
勇者は、彼女の変化を感じ取っていた。
近くにいるのに、
どこか遠い。
心配されているのは分かる。
だが、それが重くなり始めていることも。
――俺が、弱くなったんだ。
そう考える方が、楽だった。
守られる存在になったから、
不安にさせている。
なら、やることは一つだ。
強くなる。
迷わない。
彼女に、何も言わせない存在になる。
数日後、危険を伴う訓練の話が持ち上がった。
難易度が高く、
失敗すれば大きな怪我につながる。
以前なら、勇者は迷わず手を挙げていた。
今回も、同じだった。
「俺がやる」
教室がざわつく。
彼女は、その声を聞いた瞬間、
胸が強く脈打つのを感じた。
止めたい。
今すぐ、立ち上がって、
それは無茶だと言いたい。
だが、視線が合う。
勇者は、少しだけ笑っていた。
大丈夫だ、と。
信じている、と。
その表情が、彼女の言葉を奪った。
ここで止めたら、
彼はまた、自分を責める。
守っているつもりで、
さらに追い詰める。
口を開く。
喉が、ひどく乾く。
「……」
言葉は、出てこなかった。
代わりに、選んだのは――
誰にでも言える言葉だった。
「……気をつけて」
それだけ。
勇者は、はっきりと頷いた。
「ありがとう」
その笑顔に、疑いはない。
彼は、その言葉を
信頼だと受け取った。
背中を押されたのだと。
彼女は、その背中を見送る。
胸の奥で、
何かが音を立てて崩れた。
言えなかった。
止められなかった。
選ばなかった言葉が、
確かな重さを持ってのしかかる。
遠くから、その光景を見ていた男がいた。
公爵子息。
彼は、何も言わない。
介入もしない。
ただ、理解していた。
今、越えたのだと。
戻れない地点を。
言葉は、選ばれなかった瞬間に、
取り返しのつかない意味を持つ。
そして、その代償は――
必ず、形になって現れる。




