第13話 小さな選択、大きな影響
学園の空気は、微妙に変わり始めていた。
誰もが気づくほどの異変ではない。
だが、注意深く見ていれば、確かに揺れている。
朝の魔力測定で、数値が安定しない生徒が増えた。
授業中、集中力を欠く者が目立つようになった。
訓練では、判断が一拍遅れる場面が散見される。
教師たちは、それを「疲れ」と呼んだ。
季節の変わり目。
行事の後。
よくあることだと。
誰も深刻には受け取らない。
――まだ、深刻ではないからだ。
勇者の周囲にも、変化はあった。
彼女は、以前よりも頻繁に声をかけるようになっていた。
「今日は、少し控えたほうがいいんじゃない?」
「無理してるように見えるよ」
その言葉は、責めるものではない。
心配から出た、柔らかな忠告だ。
勇者は、最初は笑って受け流していた。
「大丈夫だって。これくらい」
だが、同じ言葉が重なると、人は考える。
今日は控えようか。
次に回そうか。
今でなくてもいいか。
その判断は、賢明に見える。
周囲の生徒たちも、それに倣い始めた。
「勇者が言うなら」
「無理しない方がいいよな」
守る空気が、広がっていく。
誰も、弱くなろうとしているわけじゃない。
むしろ、互いを思いやっている。
だからこそ、質が悪い。
訓練場で、違和感ははっきりと現れた。
模擬戦。
以前なら、勇者は一歩踏み込んでいた場面。
剣が交差し、魔法が弾ける、その一瞬。
彼は、わずかに間合いを取った。
安全な選択。
怪我をしないための判断。
その結果、対応が遅れた。
「――っ!」
仲間の一人が、避けきれずに地面に倒れる。
大事には至らない。
結界も、すぐに修復された。
だが、その場にいた全員が感じていた。
以前なら、防げていた。
勇者自身も、気づいている。
剣を握る手に、ほんのわずかな迷い。
魔力を流すタイミングのズレ。
衰えではない。
油断でもない。
守られている、という感覚。
それが、彼の中に影を落としていた。
休憩中、彼女は心配そうに近づく。
「大丈夫? さっき、少し危なかった」
勇者は頷く。
「……ああ。次は気をつける」
その言葉に、彼女は安堵する。
だが、胸の奥に残るものがある。
自分の言葉が、彼を鈍らせているのではないか。
そんな考えが、ふとよぎる。
すぐに、打ち消す。
守ることが、悪いはずがない。
大切な人が傷つく方が、よほど辛い。
その結論は、正しい。
だが、正しい選択が積み重なると、
世界は別の形で歪み始める。
俺は、その様子を静かに見ていた。
数値は、想定よりも早く動いている。
感情の影響は、魔力よりも厄介だ。
守る意志が、連鎖し、
挑戦を遠ざけ、
停滞を生む。
これは、聖女の癒しと同じ構造だ。
ただ、より広く、より深く浸透する。
「……やはりな」
独り言は、誰にも届かない。
まだ、大きな被害は出ていない。
だが、このまま進めば、必ず来る。
次は、偶然では済まない。
遠くで、勇者と彼女が並んで歩いている。
互いを気遣い、支え合う、理想的な姿。
壊したいわけじゃない。
奪いたいわけでもない。
ただ、このままでは、
世界の方が先に壊れる。
俺は、次の段階を見据えた。
次は、行動ではない。
選択でもない。
――関係そのものを、揺らがせる。
小さな選択は、もう十分だ。
ここからは、
もっと大きな影響が必要になる。
それが、悪役の役目だからだ。




