第12話 触れてはいけない幸福
その日は、特別なことのない一日だった。
授業は滞りなく進み、
訓練場では剣と魔法が交わされ、
生徒たちはいつも通りの時間を過ごしている。
平和だ。
疑いようもなく。
勇者は、放課後の訓練を終えたあと、
自然な流れで彼女と並んで歩いていた。
「今日は、少しやりすぎじゃなかった?」
少女が、心配そうに言う。
「平気だよ。これくらいで倒れるほど、柔じゃない」
勇者は笑って返した。
その笑顔を、彼女は少しだけ困ったように見つめる。
無理をしているわけではない。
だが、限界まで踏み込むことを厭わない。
それが、彼の強さだった。
そして同時に、
彼女が隣にいる理由でもある。
「……じゃあ、帰りは少し遠回りしよう」
「どうして?」
「人が多いから。静かな道の方が、疲れも取れると思う」
勇者は深く考えず、頷いた。
それは、ごく自然な選択だった。
誰かが意図を仕込まなければ。
俺は、二人から少し離れた場所で、そのやり取りを見ていた。
ただ、情報を一つずらしただけだ。
普段なら問題にならない近道。
今日に限って、結界の補修が遅れているという噂。
誰かにとっては、どうでもいい話。
だが、彼女にとっては十分だった。
危険を避けたい。
勇者を、無駄な負担から遠ざけたい。
その気持ちは、正しい。
正しすぎる。
二人は、遠回りの道を選んだ。
それだけで、何かが壊れたわけではない。
誰も傷ついていない。
結果は、何も変わっていない。
だが――
選択の質が、変わった。
歩きながら、少女は何度か勇者を見上げた。
「ねえ」
「どうした?」
「……私、あなたの邪魔をしてないかな」
唐突な言葉だった。
勇者は足を止め、首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「あなたは、前に進む人でしょう。
それなのに、私は……止めてばかりな気がして」
勇者は、少し考えてから答えた。
「止めてくれる人がいるから、無茶ができるんだ」
迷いのない言葉。
「一人だったら、たぶん、もっと先まで踏み込んでる」
少女は、ほっとしたように微笑んだ。
けれど、その胸の奥に、
小さな引っかかりが残る。
自分は、支えているのか。
それとも、縛っているのか。
答えは出ない。
出るはずがない。
遠くから、その様子を見ていた俺は、静かに判断を下した。
――まだ、壊す段階じゃない。
だが、確実に分かったことがある。
この幸福は、脆い。
守ろうとするほど、
維持しようとするほど、
世界に無理をさせる。
聖女のときと同じだ。
ただし、今回はより広く、より深い。
感情という形で、歪みが拡散していく。
俺は、踵を返した。
次は、もう一歩踏み込む必要がある。
測るだけでは足りない。
選択そのものを、変えなければならない。
幸福は、触れただけで形を変える。
だからこそ――
壊す前に、どこまで耐えられるかを見極める。
それが、悪役の仕事だ。




