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第5話 南の国 編 ~少し未来~(完結)

 (五)


 武蔵野線から205系の電車たちが引退してから、さらに月日が流れました。

 その武蔵野線では、中央・総武緩行線からやってきた電車たちが、それが当たり前のような顔をして活躍しています。武蔵野線を毎日のように利用している方々も、かつて205系という電車たちが活躍していたことなんて、ましてそれがどんな電車だったかなんて、もう忘れてしまったかもしれません。


 (またあの電車に乗りたい)


 私は、ずっと思っていました。と言いましても、飛行機に乗って何時間もかかるような外国へなんて、そうホイホイと出かけることもできません。

 ですが、つい最近、鉄道ファン向けの雑誌に、南の国へ渡った205系たちが、その南の国でももうすぐ引退になる、という記事を目にしました。

 その記事に触れたとたん、私は、湧きあがる感情を抑えることができなくなってしまいました。毎日毎日、朝昼晩、そして眠っている間も、そのことばかりが頭に浮かんでしまいます。そしてどうしようもなくなって、とうとう、南の国へ行ってくることにしました。もちろん、かつて武蔵野線で活躍していた電車たちに、また何年かぶりに乗るために、南の国まで出かけて行くのです。



 □□□



 私は、見知らぬ外人が運転するタクシーに乗っています。

 外は雨です。この国には、雨季があるようです。日が長い季節ではありますが、あたりは薄暗いです。一応、空港から首都の街への幹線道路のようですが、すれ違う車はあまりありません。

 薄暗い景色の中を、降りしきる雨に叩かれながら、私たちのタクシーは疾走しています。


 乗り慣れない飛行機で何時間もかかり、南の国の国際空港に到着しました。それから、まだ一時間ほどしか経っていません。

 予定では、空港からA駅までバスを利用するはずでした。ところが、英語もろくにできませんし、この国の言葉なんて全くですし、空港の中を右往左往しているうちに、17時発のバスに乗り遅れてしまいました。

 A駅は、この国の首都のターミナルで、この国の鉄道の中心的な存在です。と言いましても、この国の鉄道網はまだまだ貧弱で、私たちの感覚からすると、利用者は決して多いとは言えないようです。

 私は、A駅を18時に発車する電車に乗りたいと思っています。というのも、A駅18時発 B駅行き の電車は、かつて武蔵野線で活躍していた205系で運行されているらしいのです。B駅へ行きたいだけなら、その後もまだ電車はあります。ですが、それらの電車は他の車両で運行されているらしく、それでは意味がありません。

 明日もまだ時間はありますが、205系が使用されている路線は他にもあり、明日は明日でそちらの路線に乗車するつもりでいます。A駅18時発 B駅行き の電車には、何としても今日のうちに乗っておきたいのです。

 空港でバスに乗り遅れてしまい、仕方なくタクシーを利用しなければならなくなってしまいました。しかし、異国でタクシーを利用するなんて、私にはとてもハードルが高い行為です。

 運転手に行先を告げると、「A駅に行きたい」、ということは理解してもらえたのですが、「A駅からB駅行きの電車に乗りたい」、ということはなかなか理解してもらえません。運転手が言うには、「B駅へ行きたいなら、そもそもB駅まで俺のタクシーに乗っていけばいいじゃないか」ということらしいです。

 お互いに、片言の英語と身振り手振りで、


 「いやいや、A駅からB駅行きの電車に乗りたい」

 「イヤイヤ、ソレナラB駅マデ、オレノタクシーニ、ノッテイケバイイジャナイカ」

 「いやいや、だから電車に乗って行きたい」

 「イヤイヤ、ダカラオレノタクシーニノッテイケ」


 そんな問答を繰り返しているうちに、時間ばかりが過ぎてしまいます。

 私は、持ってきた鉄道ファン向けの雑誌を鞄から取り出し、この国で活躍する205系の写真を指さしながら、


 「アイ、ウォンチュー、ゲット、オン、ディス、トレイン」

 (私は、この電車に乗りたいのです)


 と、片言の英語でなんとか運転手に伝えました。

 運転手は怪訝そうな顔をしていましたが、それでもやっと空港を出発することができました。出発前にA駅までの料金を提示されましたが、その交渉をする気もおきません。私なんていいカモでしょうから、きっとぼったくられているに違いありません。


 外はずっと雨です。かなり強く降っています。フロントガラスのワイパーがフル回転していますが、それでも前方の景色はすぐに滲んでしまいます。

 私は焦っています。空港を出発するのに手間取ってしまいました。その分、運転手には急ぐよう伝えたつもりですが、どうしても18時発の電車に乗りたい、ということが伝わっているか自信はありません。

 少しずつ、道が混むようになってきました。どうやら、首都の街が近づいてきたようです。そして、しまいには、数m前に進むのもやっとの状態になってしまいました。A駅までもう少しのところまで来ているはずなのですが、時間ばかり過ぎていきます。

 私たちのタクシーは、大きな河を渡っています。少し遠くに、鉄橋が見えています。持ってきたガイドブックの地図のページを参照すると、A駅まであと数100mほどのようです。

 しかし・・、時間切れです。ここで、18時をまわってしまいました。

 その時です。降り続く雨に濡れながら、電車がゆっくりと鉄橋を渡っていくではないですか。


 「ああ、アイ、ウォンチュー、ゲット、オン、ザット、トレイン!」

 (ああ、あれは、乗りたかったA駅18時発の電車に違いない!)


 私には、鉄橋を渡り遠ざかっていく電車を、ただ茫然と見送ることしかできません。


 5分後、私たちのタクシーはA駅に到着しました。

 運転手と別れA駅の構内に入ると、ドーム型の天井がやけに高く感じられました。切符売り場と思しき窓口には、見知らぬ顔をした人たちが列を作っています。そして、改札口の先には、頭端式のホームが並んでいます。きっと、18時発のB駅行きの電車も、これらの中のいずれかのホームから発車していったのでしょう。


 列車のいないホームを見つめます。


 「あの~、アイ、ウォンチュー、ゲット、オン、ディス、トレイン?」

 (あの~、今日、この後、この電車で運行される列車はありませんか?)


 鉄道ファン向けの雑誌の写真を指差しながら、通りがかった駅員と思しき人に勇気を出して訊いてみました。私が知らないだけで、18時発以降にも205系で運行される列車がないだろうか、と思ったのです。

 ですが、駅員さんは、「ハァ? ナニイッテンダ、コイツ?」、といった表情で、大きく両手を広げるばかりです。教えてほしいことも、それを知りたい理由も、私の言葉では通じなかったようです。


 私は嫌になってしまいました。

 要領の悪さ、段取りの悪さ、語学力のなさ、コミュニケーション能力のなさ・・

 何をしに、わざわざここまでやってきたのでしょうか?

 情けない・・


 ◇◇◇


 私たちのタクシーは、天から叩きつける雨粒を吹き飛ばしながら、線路に沿った田舎道をぶっ飛ばしています。


 今から少し前・・、私は、乗りたかった18時発の電車に乗り遅れてしまいました。

 A駅の構内で途方に暮れていると、その入口の近くで、つい先ほど空港からここまで運んでくれたタクシーの運転手が、タバコを吸っているのが目に入りました。

 運転手も私に気がついたようです。私と目が合うと、ニヤリと笑いました。


 (ノリタイ電車ニハノレタノカイ?)


 とでも言いたそうです。

 私は、この運転手にかけてみることにしました。少なくとも、今、このA駅で、いやこの国で、私の思いを一番理解しているのは・・、というか、頼れる人なんて、この運転手以外にはいないのです。

 私は運転手に歩み寄り、そしてガイドブックの地図のページを開き、A駅からB駅の方向へ延びる線路をなぞりながら、こう言いました。


 「いいか、よく聞いてくれ。今から、君のタクシーでB駅の方向へ向かう。ただし、できるだけ線路に沿った道を行くんだ。そして、ついさっき18時にこの駅を発車した電車に追いつき、追い抜いてくれ。いいか、何としても追い抜くんだ。そうしたら、その次の駅で俺を降ろしてくれ! いいか、わかったか!」


 運転手は、私の言葉をポカーンとしながら聞いていました。


 「アイ、ウォンチュー、ゲット、オン、ディス、トレイン!」

 (俺は、この電車に乗りたいんだ!)


 私たちのタクシーは、その運転手と、電車に乗るためにわざわざ外国からやってきた上得意の客を乗せ、天から叩きつける雨粒を吹き飛ばしながら、線路に沿った田舎道をぶっ飛ばしています。

 運転手は、なぜか陽気です。鼻歌交じりで、タクシーを操っています。その様子が、私には面白くありません。


 「行けっー!行け行けっー!」


 と叱咤すると、運転手はニヤリと笑います。そして、タクシーのエンジンが唸り声をあげます。

 単線の線路と寄り添うように、一本道が続いています。信号なんてありません。


 30分もぶっ飛ばし続けたでしょうか。フロントガラスに小さな赤い点が2つ、滲むようになりました。ワイパーが雨水をかいた瞬間、その姿が少しはっきりしますが、すぐに滲んでぼやけてしまいます。

 しかし、それで充分です。私は確信しました。


 「ああ、あれだ!あの電車だ!運転手さん、あの電車だ!」


 2つの赤い点は、紛れもなく、私が追いかけている電車の、そのテールライト(尾灯)なのです。

 少しずつ、2つの赤い点が近づいてきました。どうやら、少しスピードを落としたようです。駅に停車するのかもしれません。そうなれば、しめたものです。

 赤い点がぐんぐんと近づいてきます。どうやら本当に停車したようです。と言っても、駅舎どころか、プラットホームさえろくにないような場所です。あたりは、田園の中にわずかばかり人家と思しき建物があるだけです。


 「よしっ!停車している間に追いつけるぞ!」


 期待は一気に高まりました。しかし、その瞬間、私の電車はまた動き出してしまいました。乗り降りする人なんて全くいないようなところです。考えてみれば、長く停車するはずはありません。

 それでも、今のわずかな時間の間に、かなり距離を詰めることができました。この調子なら、次の駅までの間に追いつけるに違いありません。

 そして、完全に電車の姿をとらえました。明らかに、タクシーの方がスピードが速いです。


 「いいぞ、いいぞ!もうちょい、もうちょい!もうちょい!!」


 その時、前方に鉄橋が現れました。私の電車が、その鉄橋に進入していきます。

 しかし、タクシーは、急にブレーキがかかりました。あろうことか、目の前のその鉄橋は鉄道専用の鉄橋だったのです。

 決して大きくはない川が、私の行く手を阻んでいます。私がその川を渡るには、橋があるところまで迂回しなければなりません。

 タクシーはここまでやってきた道から直角に折れ、土手の上の道を走り始めました。

 私は後ろを振り返りました。そしてまた、後ろを振り返りました。そして、そしてまた後ろを振り返りました。我ながら、未練がましく、未練がましく、そしてまた、未練がましく、何度振り返ってみても、私の電車とその線路は遠ざかっていくばかりです。

 チクショー!


 ◇◇◇


 タクシーは、よくわからない道をぶっとばしています。

 背の高い木々が道の両側に生い茂り、まるでトンネルの中を行くようです。私たちの行く手を照らすのは、タクシーのヘッドライトが発するか細い灯りしかありません。

 迂回して川を渡ったあと、私は、自分がどこにいるのか分からなくなってしまいました。

 運転手は、相変わらず、鼻歌交じりでタクシーを操っています。どうしてそんなに陽気なのか!何がそんなに楽しいのか!あんたバカなのか!

 もちろん、運転手にあたったところで仕方がないことはわかっています。だから、声には出しません。


 少しずつ、上り坂になってきました。進めば進むほど、勾配がきつくなっていきます。

 タクシーのエンジンが唸り声を上げます。しかし、その大きさがスピードに反映されません。

 私たちが進む道は、右へカーブしたと思うと次は左へ、左へカーブしたと思うと次は右へと、蛇行を繰り返すようになりました。私の体も右へ左へと、大きく揺れてしまいます。

 次第に気分が悪くなってきました。悪くなる一方です。吐き気がします。我慢できません。助けてくれ!

 景色がなくなりました。いつの間にか、本当にトンネルに突入していました。長いトンネルが続きます。どこまで続くのか、まったく出口が見えません。


 どのくらい進んだでしょうか?

 次第に、少し・・、少しずつではありますが、勾配が緩やかになるのを感じることができるようになってきました。そして、緩やかな下りの勾配が続くようになりました。

 タクシーのエンジンの音が、軽やかになっていきます。私も、やっと気分が楽になってきました。

 やがて、本格的に下り坂が続くようになり、遠くの方に小さな明かりが見えてきました。


 トンネルを抜けると、目の前に大きな平原が拡がりました。

 雨の平原の中に、赤い点が2つ滲んでいます。あれは、紛れもなく私の電車です。私たちの少し先を、私の電車が雨に打たれながら進んでいます。進行方向右手から、私たちの道に寄り添うように線路が現れたのです。

 私は知りませんでした。電車と私は、同じ方向へ向かっていたのです。結局、電車と、私と、どちらが近道をして、どちらが遠まわりをしたのでしょうか。


 「運転手さん、あんたすげえな!」


 運転手はニヤリと笑い、そしてタクシーが加速していきます。

 まさに電車と並走し、そして追い抜いていきます。

 そうだ! きっといい写真が撮れるに違いない!

 私は、慌ててカメラを取り出しました。しかし、やむことのない雨がタクシーの窓を叩き、私の邪魔をします。そんなことで戸惑っている間に、完全に追い抜いてしまいました。私の電車が、今度は後方へと遠ざかっていきます。

 私は窓を開け、身を乗り出しました。しかし、電車との距離は拡がっていくばかりです。

 私は叫びました。


 「運転手さーん!すこーし、スピード落としていいですよ!」


 しかし、運転手はニヤリと笑い、タクシーはさらに加速していくではないですか!


 「運転手さん!スピード落としてえ!!」


 数分後、タクシーは小さな駅舎の前で停車しました。もちろん、こんな小さな駅の名前なんて知りません。

 名残り惜しいのか、運転手は私に何か言いたそうですが、かまっている暇はありません。叩きつけるように料金を払い、一言「サンキュー」とだけ伝えると、私はタクシーを飛び出し、駅舎の中に転げこみました。

 切符を買わなければなりませんが、窓口にも改札口にも駅員さんらしき人影は見当たりません。

 私の電車は、もうホームに進入してきています。切符なんて、あとでどうにでもなるでしょう。私はそのままホームへ駆け上がり、私の電車に飛び乗りました。

 しかし、発車する気配がありません。わずかな乗客たちは、私と入れ替わるように、みんな降りて行ってしまいました。とても静かです。

 すると、車掌さんがすっとんでやってきました。私に向かって何か喚いています。


 「えっ?」


 私は知りませんでした。そこは、その駅は・・、終点のB駅だったのです。知らず知らずのうちに、タクシーでB駅までやってきてしまったのです。


 ◇◇◇


 私は、電車に乗っています。私が乗りたかった電車です。


 今から少し前・・、私はタクシーで電車を追いかけ、結局、終点のB駅までやってきてしまいました。

 私は、予定を変更することにしました。B駅から折り返しの電車に乗車し、A駅まで戻ることにしたのです。

 B駅では、折り返しを待つ間、前の車両から後ろの車両まで、何度も行ったりきたりしました。


 『モハ204 ×××』

 『マナーモードに設定の上、通話はご遠慮ください。』

 『ひらくドアにきをつけて!』

 『非常用ドアコック あぶないですから、非常の場合のほかは~』


 いろいろなところに、かつて武蔵野線で活躍していた時の面影がそのまま残っています。

 車体を外側から眺めると、行先を表示する方向幕には、なぜか、


 『東京』


 と表示されています。なんだか、この電車に乗って帰ることができそうです。

 私は、何枚も何枚も夢中で写真を撮りました。


 私の電車は走り続けています。

 いつの間にか日は落ち、あたりは真っ暗です。人家が乏しいからでしょう、窓の外には街の灯りはほとんどなく、景色と言えるものなんてありません。

 私は、目をつぶりました。すると、電車の音が聞こえてきました。


 (ああ、何もかもが懐かしい)


 少しの間、私は揺れる電車に身を任せ、ただその音だけを聞いていました。


 (あれっ? 何か違う)


 私は気が付きました。昔、武蔵野線で乗った時とは、何かリズムのようなものが違うのです。

 何が違うのか、私はさらに電車の音に耳を傾けました。そのリズムを感じようとしました。

 すると、いくつかのことが分かってきました。

 レールは継ぎ目が多く、いわゆるロングレールはほとんどありません。

 バラストの状態はあまり良くないようです。バラストとは、線路に敷き詰められている砂利のことで、クッションの役割も果たしています。そのメンテナンスをいかにするかによって、乗り心地にも影響があります。

 曲線ではカントの量が少ないようです。曲線では、外側のレールを内側のレールよりも高い位置になるようにします。その高低差をカントと言いますが、そのカントのおかげで、曲線を安定して通過できるようになります。また、その量によって、乗り心地だけではなく、その曲線をどのくらいの速度で通過できるかも決まってきます。

 それらは、良いか悪いか、ということではありません。この国には、あるいはこの路線には、この国なりのこの路線なりのリズムがあるのでしょう。私の電車は、そのリズムに合わせているだけのことなのです。この国へやってきてから、毎日のように、雨の日も風の日も、きっとそうしてきたのでしょう。


 振り返ってみると、今日はあれもこれも思ったようにいかないことばかりでした・・、そして、少し疲れました・・、でも、乗りたかった電車に乗れたので、それでいいです。

 いつの間にか、私はまどろんでしまいました。その間、何か夢を見たような気がします。


 またあの車掌さんが、私に向かって何か喚いています。


 「えっ?」


 車掌さんの声で我に返ると、駅のホームに停車していました。私がうとうとしていた間に、私の電車は終点のA駅に到着していたのです。私以外のわずかな乗客たちは、もうみんな降りてしまったようです。

 私も慌ててホームに飛び降りました。ほんの数時間前、改札口の向こう側から未練がましく見つめた、あのホームです。他に停車している列車はありません。灯りは薄暗く、誰もいないホームはとても寂しい感じがします。


 私は、もう一度、電車の姿を眺めました。

 その先頭車の前面は、かつて武蔵野線で活躍していたころとは異なり、赤と黄色のド派手な塗装が施されています。警戒色と言って、この国の電車はみんなこのような塗装がなされるのです。

 雑誌に掲載されている写真などで見慣れてはいましたが、さらに細部をよく観察すると、ところどころその塗装は剥げ落ち、痛々しいようにも思えます。もし、何も知らない人がこの様を見ることがあったら、厚い化粧が崩れたような、滑稽な姿に映るかもしれません。

 不思議なことに、行先を表示する方向幕は、


 『府中本町』


 になっています。さきほどB駅に停車していた時は、たしか『東京』になっていました。

 私はカメラを取り出し、最後にもう一枚、その姿を写真に収めました。



 □□□



 南の国まで電車に乗りに行ってから、また少し月日が流れました。


 今日は、鉄道ファン向けの雑誌の発売日でした。

 購入した雑誌を最初のページからめくっていくと、後ろの方のページにあの南の国の電車の話題が小さく載っているのが、目に留まりました。

 その記事によると、あの南の国で首都の街から郊外の街まで、新しい路線を建設することになったのだそうです。そして、その新しい路線のために初めて自国で電車を製造することになった、ということも記されています。

 と言っても、さすがに全てを最初から製造できるわけではありません。老朽化して引退する電車から、例えば、床下の電動機や台車など、使える部品は再利用するのだそうです。

 その新しい電車の完成イメージが、一緒に掲載されています。

 そこに描かれている電車は、私たちが日頃乗り慣れている最近の洗練された電車たちと比べると、多くの人にとって、どこか前世代的で、あまりかっこいいものではないかもしれません。

 でも、私はわかりました。その新しい電車は、何を参考にしたのか、誰を手本としたのか。

 私は、その電車が、南の国の新しい路線で活躍する姿を思い浮かべました。

 その電車の姿が、私には、とてもかっこよく思えて仕方がないのです。



 (完)



---



 この物語はフィクションです。



 《あとがき》


 この「武蔵野線のメルヘン」は、最初の1行目を書き始めてからだけでも、2年以上かかってしまいました。

 こういう話になることは、最初から決めていました。ですが、どうしても言葉にならず1行も進まない、という日ばかりでした。

 でも、その間、武蔵野線には何度も乗りました。数えてはいませんが、自分でもよく乗ったなというぐらい乗りました。もちろん、作中に出てくる京葉線の終夜運転の電車にも乗りました。

 他にも、山手線から転属した205系がいまだに活躍している鶴見線や南武支線、川越線・八高線、そして仙石線にも乗りました。

 また、京葉線や埼京線から205系が転属になった宇都宮線(東北本線)や日光線、あるいは、譲渡された富士急行にも乗りに行きました。

 さらには、ある港の埠頭まで出かけ臨港線の線路をたどってみたり、いくつかの空港へ出向きその雰囲気を味わってみたりもしました。

 なお、外国に関しては、私自身がどこかの国へ実際に行ってみたわけではありません。作中にでてくる南の国は、架空の国です。特定の国をモデルにしたものではありません。あくまでフィクションですので、ご容赦ください。

 フィクションという意味で言えば、(一)~(三)に関しては、過去の実際の出来事の流れに出来るだけ沿っているつもりです。(四)からは未来の話になっていくにつれ、だんだんフィクションの要素が強くなっていきます。そして、(五)は完全にフィクションになっています。私としては、あえてそういう作り方を意識してみたつもりです。


 時間はかかりましたが、今、なんとか最後まで書き終えることができ、私自身、この物語の中で言い残したことはありません。

 大げさなことを言うようですが、才能のない自分、能力のない自分、そしてセンスのない自分を、電車が導いてくれたような気がしています。


 最後までご覧いただき、ありがとういございました。


 挿絵(By みてみん)


 1月1日の午前6時すぎ

 終夜運転を終え、府中本町に到着した武蔵野線の205系

 引き上げ線で少しだけ休憩した後、6時35分発の東京行きになって折り返します。


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