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第2話 後輩(武蔵野線オリジナルの205系) 編

 (二)


 がたんごとん。

 (こんにちは)

 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 (今日は武蔵野線にご乗車いただき、ありがとうございます)

 がたんごとーん、がたんごとーん。

 (この電車は、京葉線直通の東京行きです)

 ガタンゴトーン、ガタンゴトーン、ガタガタゴトーン、ガタガタゴトーン、・・・


 ボクは武蔵野線のメルヘンと言います。ボクも、先輩と同じ 205系 です。

 ですが、先輩のように山手線から転属してきたのではなく、ボクは車両メーカーで生まれるとすぐに武蔵野線に投入されました。それ以来、ずっと武蔵野線でがんばっています。


 先輩もボクも、車両の形式としては同じ 205系 なのですが、違うところもあります。

 まず、一番の違いは「顔」です。あっ、「顔」というのは、先頭車の前面の形状のことです。先輩は、205系の標準的な形状をしているのですが、ボクは後から出てきた分だけデザインが変わりました。先輩の方が前照灯がパッチリしていたり、前照灯と尾灯の配置に違いがあったりして、全体的な印象にもかなり差があります。写真がどこかにある((一)を参照)と思いますので、見比べていただければと思います。

 もともとは、京葉線に投入された 205系 が、ボクと同じ顔をしていました。ご存知の通り京葉線には沿線に夢の国があって、そこに遊びに行く方々がたくさんご利用になります。それでそのボクと同じ顔の 205系 が、親しみを込めて「メルヘン」と呼ばれるようになりました。その後、その「メルヘン」たちは、京葉線から引退してしまいましたが、その流れがあってボクもみなさんから「メルヘン」と呼ばれています。


 それから、もう一つ大きな違いとして、電動車の両数と制御方式をあげることができます。

 ボクの場合、8両編成のうち、両端の先頭車を除く6両が電動車になっています。つまり、6M2Tです。こういう時の「○M△T」というのは、○Mが電動車の両数を表し、△Tが非電動車の両数を表しています。つまり、6M2Tとは、8両のうち、6両が電動車で2両が非電動車という意味です。

 最近の電車にしては電動車の比率が高めですが、ボクの場合は最初から京葉線に乗り入れることを想定していましたので、地下の区間もある京葉線の急勾配を考慮して6M2Tになりました。

 その後、先輩が山手線からボクたちの武蔵野線に転属してくることになったのですが、山手線時代の先輩は6M5Tでしたので、単純に考えればそれを6M2Tに組み替えることは可能でした。しかし、当時、山手線から205系が転属していく路線は他にもあり、武蔵野線にばかり電動車を割り当てるわけにはいきませんでした。そのため、4M4Tにしても6M2Tのボクと同等の性能を発揮できるように、先輩の電動車に性能をアップするための改造が施されたのでした。

 もちろん、性能をアップしたと言っても、ご乗車いただいているみなさんがあまり意識をされることではないかもしれません。ですが、もしご興味がある方がいらっしゃいましたら、ぜひ先輩とボクの両方にご乗車いただき、走行音の違いを意識してみていただければと思います。

 先輩の電動車は、VVVFインバータという制御方式に改造されています。そのため、ホームから発車していくとき、つまり、停止している状態から動き出して加速していくとき、キーンというVVVFインバータ特有の高音が響きます。ボクの場合は、そんな音はしません。

 また、走行中の音も違います。先輩の方が、さすがに今時の電車らしく控えめで静かです。それに比べ、ボクの方は昔の電車に近い騒々しい音がします。まあ、それでも、ボクたちよりももっと先輩の車体が鋼体製のころの電車に比べれば、ボクの走行音も充分に控えめなんですけどね。


【参考】ボク(メルヘン)の編成

 1号車 クハ205

 2号車 モハ205

 3号車 モハ204

 4号車 モハ205

 5号車 モハ204

 6号車 モハ205

 7号車 モハ204

 8号車 クハ204


[注釈] ク … 運転台付(先頭車)

    モ … 電動車

    サ … 付随車

    ハ … 普通車


 先輩は、車両基地で一緒になったときなど、よく山手線時代の話をしてくれます。山手線でがんばっていたころのことが、懐かしいみたいです。その話を聞くと、ちょっとうらやましい気もしてしまいます。

 でも、ボクは山手線のことはよくわかりませんが、武蔵野線もまんざらではないような気もしています。

 例えば、始発駅の府中本町駅は、先輩に言わせれば長閑なのかもしれませんが、逆にのんびりしているので、たまに鳩さんがホームから乗り込んでくることもあります。でも、誰も騒いだりしません。鳩さんの方も慣れていて、大抵はドアが閉まる前に降りてしまいますし、万が一、そのまま発車してしまっても、一つ隣の北府中駅で悠々と下車していきます。

 府中本町から北上して埼玉県に入ると、街と田園が同居したような風景になります。山手線とは違って沿線に高層ビルはありませんので、特に冬の空気が澄んだ日には、遠くに富士山の姿を拝むことができます。もちろん、いつもその姿を見せてくれるわけではありませんし、ボクの方では晴れていても富士山の方では雲がかかっていることもあります。それだけに、雲一つなくて綺麗な富士山の姿を拝むことができた日は、ちょっと得をした気分になります。


 もしかすると、先輩からお聞きになったかもしれませんが、武蔵野線は、もともとは貨物列車の迂回路として計画されたという歴史があります。そのため、できるだけ既存の市街地を避けるようなルートになりました。『東所沢』とか『北朝霞』とか、微妙な感じの駅名が多いのはそのためでもあります。

 ですが、むしろそのことが、武蔵野線の沿線とボクたち武蔵野線が一緒に歩んできたことに繋がっているのかもしれません。

 例えば、南越谷駅では東武鉄道の新越谷駅と交差しているのですが、その新越谷駅には昔は各駅停車しか停車しませんでした。ですが、ボクたち武蔵野線と乗り換えるお客さんがどんどん増えて、ある年のダイヤ改正で準急や急行が停車するようになりました。

 それから、その南越谷の一つ隣には、越谷レイクタウンができました。ご存知でしょうか?レイクタウンのイオンって、ショッピングセンターの中でも最大級なんだそうです。そのイオンを中心に、新しい街がまるごと一つできてしまいました。

 それに、数年前にできた吉川美南駅からその一つ隣の新三郷駅にかけては、かつては大きな操車場だったところです。その操車場を整備しなおして、マンションや一戸建て住宅をはじめ、商業施設もたくさんできました。ららぽーと、コストコ、イケア・・。みんな、昔は操車場だったところです。

 こうやって、月日の流れとともに、沿線の移り変わりを観察するのも、なかなか楽しいものです。


 あっ、もちろん、貨物列車も武蔵野線にはなくてはならない存在です。

 時間帯によってはよくすれ違いますし、そもそもボクたちが車両基地で寝ている深夜の時間帯でも貨物列車はがんばっています。

 その貨物列車を牽引する機関車にも、最近はボクたちよりも後輩の機関車が増えてきました。以前は、かつて花形のブルートレインを牽引して活躍されていた EF65さんや、EF66さんもよくお見かけしましたが、最近はEF210君や、EH200君、それにEH500君が増えましたね。

 それに、新座や越谷の貨物ターミナルで入れ替え用として活躍していたDE10さんも引退されて、ハイブリッドのHD300君に変わりました。


 挿絵(By みてみん)


 「EH500君とコンテナさんたち、こんにちは」


 貨物列車とはすれ違うばかりですし、新座や越谷の貨物ターミナルで見かけてもそちらにはボクたち通勤電車の方は停車しませんので、なかなかゆっくりお話する機会もありません。でも今になって思えば、ボクたちよりも先輩のEF65さんやEF66さんにも、もっといろいろなお話を聞いておけばよかったなと思います。きっと、ボクが知らないようないろんな面白いお話を聞かせてもらえたんじゃないかなあ。

 少しずつ自分よりも先輩がいなくなって、いつの間にか自分の方が先輩になっていくのも、なんだか寂しいものですね。


 ボクたち武蔵野線の終点は西船橋なのですが、ほとんどの列車はそのまま京葉線に乗り入れていきます。

 京葉線って、ボクは大好きな路線です。やはりなんといっても、ボクの「メルヘン」の由来になっている夢の国もありますし、家族連れの方々やグループでご利用になる方々もたくさんいらして、武蔵野線以上に賑やかで、かつ、華やいだ感じがします。

 夢の国の最寄りの舞浜駅では、可愛らしいモノレールをよく見かけます。あのモノレールって、車体側面の窓がミッキーちゃんの顔の形をしているんですね。楽しそうだなあ。ボクも人間だったら乗ってみたいなあ、っていつも思います。

 それに京葉線では、海が間近に見えて、武蔵野線では味わうことができない光景を楽しむことができます。天気のよい日は、その海面が輝いて眩しいほどです。

 海が近い分、風が強い日は運休になってしまう日もありますが、それでも橋梁を中心に防風柵を設置したおかげで、以前に比べ運休になる回数が大幅に減りました。地味なことかもしれませんが、決して何にもしていないわけではないのです。


 ボクたち武蔵野線の電車は、京葉線の新習志野と海浜幕張の間にある車両基地に所属しています。よって、一日の仕事が終わると、その車両基地へ戻っていきます。京葉線の車両基地ですので、もちろん京葉線の電車たちと一緒になります。

 京葉線でも、以前はボクたちと同じ 205系 がたくさん活躍していて、みんなで一緒に和気あいあいとやっていました。

 ですが今から5年前、京葉線の 205系 は全て引退し、後輩の E233系 に変わりました。それ以来、京葉線の車両基地では、新しい E233系 が幅を利かせるようになり、ボクたちは肩身の狭い思いをするようになってしまいました。

 実は、府中本町側にも、東所沢に電車区があって、日中、休憩したり、夜間、停泊したりするのに使っています。ボクたちの正式な車両基地は、あくまで東側の京葉線の車両基地ですので、東所沢の電車区は仮の住まいみたいなものです。

 京葉線から205系が引退してしまうと、その東所沢の電車区に停泊する運用の方がボクたちの中で気楽にやれるようになり、例えば、日中、途中で先輩とすれ違ったりすると、


 挿絵(By みてみん)


 「先輩、お疲れ様です」

 「おうっ!お疲れ!今日はどっち?」

 「ボクはヒトの方です」(※1)

 「いいなあ、オレはケヨの方だよ」(※2)


 (※1) ヒト … 東所沢駅

 (※2) ケヨ … 京葉車両センター


 なんて、声をかけあうようになりました。


 それでも、当時はまだ、府中本町で接続する南武線でも、ボクたちと同じ 205系 が活躍していました。特に先輩は、府中本町でかつての仲間たちと顔を合わせ、お互いに近況を語り合ったりするのが楽しみだったようです。

 ですが、それも長くは続きませんでした。その後、南武線にも新型の E233系 が投入され、南武線の 205系 も引退してしまったのでした。


 それからのような気がします。先輩が変わったのは。

 それまでは、山手線から武蔵野線に転属してきてからも、もくもくと、むしろ率先してがんばっているように見えました。「さすが先輩!」と何度も思ったものでした。ですが、それ以来、先輩は何かというとグチをこぼすようになりました。


 どこかで、気持ちが切れちゃったのでしょうか・・。

 先輩には言えませんが、ボクには、それがとても寂しくて仕方がないのです。


 ガタンゴトーン、ガタンゴトーン、ガタガタゴトーン、ガタガタゴトーン、・・・



---


 (3)へ続きます。



 以下、年表です。(この章に関する部分のみ)


 1987年(昭和62年) (オレ)車両メーカーで落成。同時に山手線に配属。

 1991年(平成3年)  (ボク)車両メーカーで落成。同時に武蔵野線に配属。

 2002年(平成14年) (山手線)E231系500番台 運行開始

 2005年(平成17年) (山手線)205系 運行終了

              (オレ)山手線から武蔵野線に転属になる。

 2010年(平成22年) (京葉線)E233系 運行開始

 2011年(平成23年) (京葉線)205系 運行終了

 2014年(平成26年) (南武線)E233系 運行開始

 2015年(平成27年) (南武線)205系 運行終了



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