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【アップ】2025年8月17日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(不思議のパルプンテ)

https://www.youtube.com/@user-vh3fk4nl7i/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782



【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪




2025年8月17日 礼拝説教 聖書箇所 


千人隊長はパウロのところに来て言った。「あなたはローマ帝国の市民なのか。わたしに言いなさい。」パウロは、「そうです」と言った。

使徒言行録22章27節


わたしたちの神、主に並ぶものがあろうか。主は御座を高く置き なお、低く下って天と地を御覧になる。

詩編113編5,6節


はじめに

本当の自由とは何か。使徒パウロが身分を明らかにした時、証しされた真実とは。

「千人隊長はパウロのところに来て言った。」とは、エルサレムの神殿の境内で、煽動され群衆の騒動の中で逮捕し、二本の鎖で縛ったパウロから弁明の機会を求められ、それを許可した時のこと。千人隊長は、弁明の途中で、パウロの話を聞いた人々が声を張り上げ、「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしてはおけない」と、わめき立てて上着を投げつけ、砂埃を空中にまき散らすほどだったのを見た時。千人隊長は、パウロを兵営に入れるように命じ、人々がどうしてこれほどパウロに対してわめきたてるのかを知るため、鞭で打ちたたいて調べるように命じた時、パウロは、そばに立っていた百人隊長に「ローマ帝国の市民権を持つ者を、裁判にもかけずに鞭で打ってもよいのですか」と問いかけた。この報告を聞いた時、千人隊長がパウロのところに来て、改めて「あなたはローマ帝国の市民なのか。わたしに言いなさい。」と確かめると、パウロは、「そうです」と明言した。わたしたちは、ここに、事実を確認する大切さを覚える。それは時に、当人の権利を守り、保障することを含む。

「千人隊長が、『わたしは、多額の金を出してこの市民権を得たのだ』と答えると」、パウロは、「わたしは生まれながらそうだ」と明言した。パウロが、ユダヤ人でありながら、ローマ市民という特権を与えられた理由は、父が、ローマに対して大きな貢献をした等が考えられる。解放された奴隷にも与えられたが、パウロ自身は、絶えず、キリスト・イエスの僕(奴隷)として自身の召命と従順を証しした。この時、パウロは、自身に与えられた法的な権利を明らかにすることによって自分に不当な危害が及ぶのを防いだ。「そこで、パウロを取り調べようとしていた者たちは、直ちに手を引き、千人隊長もパウロがローマ(帝国)の市民であること、そして、彼をしばってしまったことを知って、恐れた」。刑に服していない者を縛ることが違法であり、凶悪な罪であった。その重さを認めて、恐れた。「慣習化している不誠実、悪意のない嘘、柔らかな冒涜の言葉、時々起こす短気、取引上の少しばかりの不正直や不正、食事の前に神に感謝をささげることを忘れることなどの罪は、単なる些細なことで、大したことではないと見られることが多い。多くの人々は自分は、文字どおりの殺人罪や窃盗罪のように重大な、又、公然たる罪を犯したことはないので、本当の罪人でないと考えている。又、自分は隣人たちの平均をこえて、特別に邪悪な罪を犯してはいないというだけで、良いキリスト信者であると考えている人たちもいる。自分は確かに少なからぬ欠点や弱点は持っているが、真の罪が持っていないと主張する人々もいる。何が罪で何が正しいかについてのこの世の標準は、神の標準とは全く違っていることを、私たちはしっかりと認識しなければならないのである」(ヨハネス・G・ヴォス著 ウェストミンスター大教理講解(中)問150)。

「翌日、千人隊長は、なぜパウロがユダヤ人から訴えられているのか、確かなことを知りたいと思い、彼の鎖を外した。」そして、千人隊長は、「祭司長たちと最高法院全体の召集を命じ、パウロを連れ出して彼らの前に立たせた」。パウロに対する殺意が何から出たものなのか。それを確かめる術は、同じ宗教的指導者たちの手にゆだねることを良しとした。官憲の知恵ではあったが、この先も、騒動の中、パウロの弁明は続く。しかし、主が、共におられる。

おわりに

「わたしたちの本国(国籍)は天にある」(フィリピ3章20節)とパウロは自分の属する永遠の御国を証しした。本当の自由は、ただ、主のもとにある。本当の感謝と、喜びも。



(Mynote)


二〇二五年八月一七日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

(子供メッセージ)

『スコットランド教会新カテキズム』

「使徒信条の八つ目の箇条は何を含んで居ますか。」

「聖霊なる神様に、私達が信頼する事です。」

多くの人々が洗礼者ヨハネの元に来て、洗礼を受けた。イエス様はそのヨハネに洗礼を受けた。その時ヨハネは「私こそあなたから洗礼を受けねばならないのに」と言ったが、イエス様は「今はそうさせてほしい」と言った。イエス様をこの世に遣わされた神様を愛し、喜ばれる生き方をする事が全ての人にとって大事になる。イエス様は全ての人がそう成る様に、今でも変わらず祈って居て下さる。

(公同礼拝)

『使徒行伝』(第二二章二七〜三〇節)

『詩篇』(第一一三篇一〜九節)

この『使徒行伝』の箇所は先週から引き続き、パウロが民衆に引き連れられ、縛られて、裁判に掛けもしないまま、パウロを鞭打つ場面から描かれる。

パウロは生まれながらのローマ市民だった。我々が自由を考える時、何が条件になり、又その自由とはどんな状態を言うのか?国によって、地域によって、人によって、その自由の定義は変わって来るのか?

パウロはこの自由の点で、縛られ、鞭打たれ、民前に引き出され、自由ではなかった。パウロをその様にした民衆はその時、千卒長を含め、パウロがローマ人だと知らなかった。

そこでパウロは自ら「私は生まれながらの(ローマ)市民です」と答えた。これを聞いた千卒長を始め、それまでパウロを縛り、鞭打って居た民衆は皆、恐れ慄き、パウロから手を引き身を引いた。この時にパウロは少なくとも、縛られ、鞭打たれる状態からは解放されて自由になった。

人は周りの人達に流されて順応する。力強い者が決まり事を作れば、やがてそれを遵守する。その強い者が倒れず、他者をずっと圧倒する者であると周りの人達が認識すれば、その習慣は益々堅固なものになる。

「ローマ市民だからその人を自由にする」とはいかなるものか?これは正しい事か?神様とイエス様の評価により、どうすれば自由になれ、祝福されるか?この点を先ず求め、神様と(罪人である)自分との関係性を常に知り、その上で人を裁く・評価する(束縛する・解放する)事を決めねばならない。

当時、ローマの市民権とは特別なものだった。特権を以て居た。ここで、人の主権と神様の主権と、どちらに従うか?が重要になり、決めねば成らない事になる。人の支配下に在ろうとする前に、全ての人が神様の支配下に在ろうとせねば成らない。「この地上では悪が栄える時」という言葉がある。だからその点で余計にハードルに打ち当たる事となり、信仰が試される事になり、全ての人にとって悔い改めの機会になる。

信仰に於いて自立すると言うのは、人の習慣から自立して、神様の側に立つと言う事。その時に自分を守るものを何に見るか?神様の側に見るか、人の側に見るか、その点の識別が必要になる。人は生まれながらの罪人である。即ち人の側の習慣・主権・正義とは、神様に依らずすれは、悪の側に立つ事になる。この視点を養う事。

人間の習慣から離れる事が自由になる事?神様の側に立つ事が自由になる事?この場合の自由とは、信仰に依る罪からの救い、その救いを自由と考える上、罪による束縛からの解放となる。

この世は、人の習慣・主権の連続に在る。人が取り決めた事が善悪になり、道徳の基準となり、些細な物事を判断する際の基準となり、それ等により自分や他者を裁く基準が決まる。戦争でも大量虐殺・多くの都市破壊を正義とし、聖戦は崇められ、それ等が得てしてまた人の欲望による取り決めに在る。聖書には「隣人を愛せよ」と在る。その隣人を殺める事・損なう事は、その愛する事から真逆の行為になるからだ。

大事は、これ等の信仰の点を全ての人が吟味する上、イエス様を通して教えた神様に喜ばれるよう従わねば成らないと言う事。即ちイエス様の教えを守る事である。

人は、各国に分かれたその国の国民ではなく、神様の前で天国に本籍を置く国民である。全ての人は神様から生まれた事を知る信じる上で、神様の子になる努力(神様に喜ばれる子になる努力)、正しくは、神様の子に立ち戻る努力・罪を悔い改める努力をせねば成らないのである。

パウロはローマ人だから自由を得たのでなく、キリストに縛られて居たから自由になれたのである。パウロ自身が「我々の国籍は天に在る」と明確に告白して居り、神様の元へ帰る事を教えて居る。キリストに属する処に自由が在る。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Caffe〜


榎本保郎牧師 ミニ説教1 「まず第一にしなければならないこと」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=q0lc_w0zV-I&t=11s


「塩が塩けをなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=U_zD0vN_XAE


[くりナビ] 名曲「異邦人」の歌姫から音楽宣教師へ / 久米小百合

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=gt9IYYIUdJs&t=1994s


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


星のカケラ

https://www.youtube.com/@不思議のパルプンテ/videos

(お暇な時にぜひどうぞ)

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬

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