心揺さぶられる
――11年ぶりか。
志々度総隊長は、懐かしそうに昼の白い月を見上げた。
ヒンヤリとした乾いた風が一層強く頬に当たっていた。
最後にシガと話した砦の防御壁の上にいた。
隣にはあの日のようにシガと、
そして悠と環がいた。
「髪が伸びたな。あの時は肩くらいだった」
「タンは背が伸びたよ。頭ひとつ分は違うからね」
ふっと二人は笑いあった。
「はじまりの守紋を……見せてほしい」
シガが悠と環の方を見ながら唐突に尋ねた。
悠と環は、ポケットの金蘭簿を出すと、
それぞれに守紋符を出して手のひらに置いた。
「これが……そうか。ようやく見ることが叶った」
シガは目を輝かせながら聞いた。
「触ってもいいかな?」
「はい」
悠と環は、シガに守紋符を渡した。
シガは、そっと大切に守紋符を手に取ると
擦れた絵を一枚ずつじっくりと眺めた。
「美しい……紋様は……」
「流水と唐草です」
悠が答えた。
「あ……守紋に変えてみましょうか?」
シガが、悠と環にスッと守紋符を返した。
悠と環は、守紋符を手のひらに置いた。
すると、それはくるりと回転し、
ポンッと一瞬で守紋符から透明の水と緑色の蔓の姿が現れた。
二人は、手のひらに乗るほどの大きさで
水と蔓をくるくると回した。
「シンプルで余計なものがなくて、だからこそ美しく力強い」
シガは瞬きもせず見つめていた。
「ありがとう」
シガのその言葉で、悠と環は守紋符に変えポケットにしまった。
「『はじまりの守紋を持つものは消えた大陸を再生する』という言葉は聞いているね」
悠と環は、シガの方を見て頷いた。
「調べてはいるんだが、結局のところ、今でも何も手がかりは掴めていないんだ。すまない」
シガが頭を下げながら言った。
「父が、源当主に聞いてみるといいと言っていたので、名前のない森に行ってみようと思います」
悠が答えた。
「ところで、シガさんはなぜ、芸術なんですか?」
環の質問に、シガはゆっくり頭を上げた。
「ここ名前のない谷は、この大陸が生まれた時からあると言われている。そして、この谷に住む人たちは、古からの技術や文明を残し続けていた。それでも、残し続けるのは難しい。特に芸術や文化といわれるものは、古からの戦や争いで失われ続け、今ではほとんど残っていない」
シガは語り続けた。
「私はここで生まれ育った。幼い頃、先代が歌う声に心揺さぶられたのが発端なんだ」
「……心揺さぶられる」
何かを思い出すように悠が繰り返した。
「そう、心の奥底、まるで魂が揺さぶられるような感覚だった。それから、芸術の道を歩んでいる」
「歌う声は……人が……ですか?」
環が尋ねた。
「あぁ。今ではデジタルで歌も音楽も高精度で聴けるから、君たちはもう人が歌うところは聴いたことがないかもしれないね」
「シガさんは歌えるんですか?」
環が興味深そうに聞いた。
「……あぁ、ここでは歌うことがある」
「僕、聴いてみたいです」
環がシガの方をじっと見てお願いをした。
シガはタンの方を見ると、
タンは頷いて歌えよ、という顔をしていた。
「じゃぁ、少しだけ……」
シガは大きく深呼吸すると、高く空に向かって歌いだした。
館の中で、焔当主と話していた倫国王は
微かに聴こえてくる歌声に耳を澄ました。
「シガが歌っているのか。久しぶりだな」
焔当主がつぶやいた。
(これが、人の歌声というものか……これほどまでに心奥底に響くのか)
倫国王は、焔当主と共に目をつぶり、しばし耳を傾けた。
館の外で、久しぶりに再会し
話をしていたゼン、セト、トコ、ビゼの4人は
遠く聴こえてくる歌声に会話を止めた。
「懐かしいな……15歳の時に聴いたのが最後だったか」
セトが言葉にした。
(11年前のあの日、ここで聴いた曲と同じだ……)
砦の防御壁の上では、タンも黙って歌声を聴いていた。
環は初めて聞く人の歌声に鼓動が高鳴っていった。
(こんな凄いことを人ができるなんて……)
そして、ポケットの金蘭簿の中の守紋符が
呼応するかのように熱くなるのを感じていた。
悠は初めて聴く人の歌声に強く衝撃を受けていた。
心揺さぶられる感覚に
胸の奥底、下腹の奥底が同時に熱くなるのを感じた。
――心の奥底が震えていく
この感覚に覚えがあった。
そうだ。
ソラクアで、ユニアで選択をした時。
闇の淵で環の腕をつかんだ時。
あの時と同じ感覚だ。
美しく風になびくシガの黒髪と歌声に目を離せなかった。




