名前のない森
第二王子“倫”と澪が湯場に戻ると、
鹿がちょうど温泉から出てくるところだった。
鹿はぷるぷるっと体を振るうと、第二王子“倫”の方に寄ってきた。
そして、鹿はくるりと回転し、
ポンッと一瞬で“流水楓鹿”の守紋符に変わり、
第二王子“倫”の手のひらに収まった。
そして、それを胸のポケットへしまった。
「さぁ腕を診せて」
亮が第二王子“倫”の腕に触れた。
「打ち身だけで済んだようだな。この薬を飲んでおくとよいだろう」
亮は、懐から紙包に入った薬を渡した。
「ありがとうございます」
これ以上何も言わなくても
亮という人は分かってくれているように思えた。
「聞いたよ。名前のない森へ行くんだね」
「はい」
「悠、君の金蘭簿には巻物があったね」
振り向いて話しかけた亮の声に
温泉の傍に立っていた悠と環が
亮と第二王子“倫”の傍に駆けて行った。
「その巻物で名前のない森へ行けるから、広げてごらん」
悠はポケットの金蘭簿から巻物を取り出すと地面に広げた。
一度、この巻物を使ったので、行き方は分かった。
「じゃぁ、亮さん、澪さん、行ってきます。倫さん、環、行こう」
そういうと、巻物へ足を置くと、するりと巻物の中へ体が沈んでいった。
環が続いて巻物の中へ入っていった。
第二王子“倫”は、澪の顔を一目見て
亮の方を向くと一礼して
そして、巻物の中へ入っていった。
巻物はくるくるっと閉じられると、すっと姿が消えた。
悠、環、第二王子“倫”が巻物から出てくると、
巻物はくるくるっと閉じられた。
悠はそれを掴むと、ポケットの金蘭簿へしまった。
周りの景色を見ると、どこか見覚えがある感じだった。
「僕、この景色、見覚えがある気がします」
悠の言葉に
「ぼくも」と環も続けて言った。
第二王子“倫”も辺りを見まわしながら言った。
「ここはまるで……ソラクアに来た時のようだ」
青い空に流れる白い雲、木々や川がある風景。
「この森の中に入ると、あの水車があるのか?」
第二王子“倫”は、見覚えのある風景を確かめるように歩いて行った。
悠と環も後に続いた。
森の中に入っていくと見覚えのあるような小さな村があった。
木でできた家が数件ぽつり、ぽつりと建っていた。
そして、水車があった。
「あの時の水車?」
悠が駆け寄っていった。
ソラクアで見た水車と同じだったが、
建て替えられたように木材が新しくなっているようだった。
「あの時、ソラクアで行った場所は、名前のない森だったということでしょうか」
三人が思っていたことを環が言葉にした。
「どうやら、そのようだ。今はあの時よりも随分、時間が経っているが……」
第二王子“倫”が言った。
「じゃぁ、あの小屋には陽向の子孫がいるのな?」
悠が水車に一番近い建物へ近づいて行った。
扉の前に立つとトントンとノックした。
中から、ゆっくりとした足音が近づいてきた。
ガチャリと扉が開いた。
そこにはまるで昔話に出てくるような
白髪と白い髭の仙人のようなおじいさんがいた。
おじいさんは悠の姿を見ると、顔いっぱいの笑顔になった。
「おぉ、我が孫ではないか」
おじいさんは、三人を建物の中に招き入れた。
第二王子“倫”は、一礼してから中に入った。
中の様子は、ソラクアの時よりも新しく暮らしやすくなっているようだった。
木製のテーブルと椅子に座り、温かいお茶を出してくれた。
「お父さん、お母さんは元気か?」
「はい」
どこか父親の面影がある顔を見ながら答えた。
「私は、悠の祖父になる。そして、この源家の当主でもある」
悠の祖父は、三人に語りかけた。
「我が一族の話をしよう」
悠の祖父は静かに話し始めた。
「源家は古からここ“名前のない森”で守紋の植物を守ってきている。
源家は、水を司っている。
水の木を育てる力で守っているんだよ。
悠のひいひいおじいさん、私にはおじいさんにあたる人が
突如、森の中に研究所を作ったんだ。
なぜかはもう今では分からないが
約240年前に“離間事変”を起こしてしまったのは知っているね。
そして、君たち三人が分断された世界を一つに再生してくれた。
今日、君たちが来ることは東湖の亮当主から聞いているよ」
東湖でも、名前のない店でもいつも情報は伝わっていた。
きっと守紋で連絡しあっているんだろうと思っていた。
「北山の亀のこと、知っていますか?」
悠が尋ねた。
「北山の亀は、まだ誰も見たことがないそうだ」
悠の祖父は、カタッと音を立てゆっくりと席を立った。
「四瑞、聖王、麒麟児……。古から伝わる話だが、実際に出現したという話は聞いたことがない」
窓の外を見ながら続けた。
「しかし、龍、鳳凰、麒麟の守紋が3つ揃っていると聞く。それもまた、聞いたことがない」
――『四瑞の出現は平和な世へ導く聖王の現れる前触れ』といわれる。ともなると、世が大きく乱れる前兆でもあろうな。
悠の祖父は、気持ちが塞いだ。
「当主のお気持ちは分かる気がします。さほど乱れていない今の世を考えると、必然的に起こりえることを危惧されているのではないでしょうか」
第二王子“倫”の勘の良さに、悠の祖父は感心した。
「悠くんと環くんは確かに聡明で、麒麟児のように思えます。私が聖王かどうかは分かりませんが、『四瑞の出現が聖王の前触れ』と言われるならば、確かめてみたいと思っているのです」
――うむ。ここでどう考えようと、外部要因で起こることは変えられまい。
悠の祖父は、一呼吸置いて振り返った。
「倫王子、渡したいものがあります」




