35.3人の救出
「――入れ」
ブロウは短くそう言うと、薄汚れた扉を開け、家の中へと入っていった。
俺たちは、顔を見合わせ、小さく頷き合うと、彼の後に続いて家の中へと足を踏み入れた。
そこは、もはや廃墟と呼ぶべきかのような、みすぼらしい住居だった。
裕福とは程遠い生活を送ってきた俺でさえ、こんな場所に人が住んでいるのかと疑ってしまうほどだ。
ギシギシと音を立てる床板、剥がれかけた壁紙、そして、充満する埃っぽい空気。
窓ガラスは割れ、そこから差し込むわずかな光が、部屋の中の惨状を照らし出していた。
「そこら辺に座ってくれ」
ブロウは、そう言って古びたソファにどっかりと腰を下ろした。
バネが壊れているのか、「ギィー」と嫌な音を立てて大きく沈み込む。
俺は座ることなく、立ったままブロウと向き合った。
「どうやらこっちの事情は知ってるようだな。だったら、時間がないのもわかるだろ? エリスの場所を教えてくれ」
俺は焦る気持ちを抑えながら、ブロウに単刀直入に切り出した。
エリスは今、一体どこで何をしているのだろうか。
できることなら、すぐにでもその場所へ駆けつけたい。
俺の胸中にある焦燥感が、声色に出てしまっていたかもしれない。
「まあ、そう慌てなくても大丈夫だ」
ブロウは、俺の焦りを嘲笑うかのように、ゆっくりと語り始めた。
その口調は俺とは対称的に、やけに落ち着いていてた。
「そもそも、お前らはそのハーフエルフがなぜ攫われたかわかっているのか?」
ブロウの問いかけに、俺は思わず言葉を詰まらせた。
「いや……」
ハッキリとはわからない。
だが、マークの『そこにいる半端者と、獣人をよこせ。飼いたい奴らがいる』というあの時の言葉。
それを思い出させた。
「まあ、それくらいはタダで教えてやろう。教会……いや、教国が方針を転換したのは知ってるか?」
「ああ、それはギルドで聞いた。そのせいで獣人国に『聖戦』を宣言したんだろ?」
俺は、ソフィアから聞いた話を思い出し、答えた。
「そうだ。それじゃあ、教国にいた獣人種はどうなったか知ってるか?」
「ちょっと待って。教国にも獣人種がいたの?」
ブロウの言葉に、ピシカが驚いたように聞き返した。
俺も同じく、その事実に驚きを隠せずにいた。
「そりゃあ、もちろんいるに決まってる」
ブロウは、まるで当たり前のことのように答えた。
「これまでは『差別撤廃』を掲げてたわけだからな。それがこうなったということは……」
「……奴隷、か」
俺はブロウの言葉の続きを理解し、そう呟いた。
「そういうことだ」
ブロウは、俺の言葉に短く頷く。
「教国だけでなく、『人種至上主義』を掲げる国は他にもある。そういう国では、今後は他種族を奴隷にするつもりということだ」
「なら、早く助けに行かなきゃ! じゃないとエリスが……!」
ピシカは今にも飛び出しそうな勢いで、声を上げた。
「だから慌てるなと言ってるだろ」
ブロウは、そんなピシカの焦りを一蹴するように、ため息をついた。
「なぜだ?」
俺は、ブロウの落ち着き払った態度にに引っかかりを覚え、問いかけた。
「俺は情報屋だ。当然、捕まった商品がいつ・どんなルートで購入されるか知っている。まだ、猶予はある」
ブロウは淡々と言葉を続けた。
ただ、捕まったエリスを『商品』呼ばわりすることに、俺は違和感を覚えた。
「商品ってそんな言い方――」
ピシカが食ってかかろうとしたが、
「実際、そういうことだ。奴らにとっては、な」
ブロウはまるで何でもないことのように言い放ち、ピシカは押し黙ってしまった。
「それで、奴らの情報をいくらで売ってくれるんだ?」
俺は、話を本題に戻そうと、ブロウに尋ねた。
今は、感情的になる時ではない。
まずは、情報を手に入れることを優先しなければならない。
「――1000万アウルだ」
ブロウは、こともなげに法外な金額を提示してきた。
明らかに、吹っ掛けている。
「ちょ、アンタどういうこと!? こいつ、ボッタクリじゃん!」
ピシカは、ブロウの提示した金額に驚き、スットンに詰め寄る。
「い、いや、オレっちのときはそこまでじゃなかったし!」
スットンも、ブロウの金額に驚き、慌てて弁解した。
「お前にそんな額を請求しようと、払えるアテもなければ、見合った依頼もこなせないからな」
ブロウは、スットンに冷たく言い放つ。
「はぁ……」
俺は、大きくため息をついた。
「……それで、俺たちに何をさせるつもりだ? 金がないことも知ってたんだろ」
「ふっ、話が早くて助かる」
ブロウは、俺の言葉に満足したのか鼻で笑う。
「さっきも言ったように、『紅蓮の華』は奴隷として売るために人種以外を攫っている。そこにはお前たちの仲間以外にも多くいるはずだ。その中から、犬獣人の『ポッケ』、猫獣人の『ミィア』、小人の『クロエ』の3人を助け出して欲しい」
ブロウは、淡々と依頼内容を説明した。
「3人のうち、ポッケとミィアの2人は子どもだ。クロエも子どもに見えるが、ハーフリングなだけでいい歳の大人だ」
「なんでそんな子どもたちを助けるんだ? まさか、ブロウもそんなことしてんじゃ……」
スットンは、ブロウの真意を測りかねているようで、疑いの目を向けて尋ねた。
「俺が奴隷商? ハァ、まったくお前は……」
ブロウは、スットンの言葉に呆れたようにため息をついた。
「その3人には、それだけの価値があるというだけだ。問題は、やるのかやらないのか、それだけだ」
ブロウは、俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。
その目は、まるで俺の覚悟を試しているかのようだった。
俺は、ブロウのその瞳をジッと見返し、
「……わかった。その3人の救出も引き受けよう」
と、答えた。
「いい答えだ」
ブロウは、ニヤリと笑みを浮かべた。
それはまるで、最初からこうなることを予期していたかのようだった。
◆◇◆
「ここに入っていろ」
乱暴にそう告げられ、突き飛ばされるようにして押し込まれたのは、狭くじめじめとした牢屋だった。
鉄格子が冷たく光を反射し、窓のない空間には、どこからか響いてくる啜り泣きや苦悶のうめき声がさらに陰鬱な雰囲気を醸し出していた。
エリスは、牢屋の鉄格子を握りしめ、外の様子を窺った。
頑丈な鉄格子はびくともせず、エリスの力では到底壊せそうにない。
それに、魔法を使うための杖も、捕らえられた時に奪われてしまっていた。
「落ち着いて……大丈夫、きっと何とかなる」
エリスは、自分自身に言い聞かせるように、小さく呟いた。
――それに、きっとシェイドさんが助けに来てくれる。
そう信じて今は耐えるしかないと、エリスは胸の前で小さく両手を組んだ。
「――おねぇちゃん、だれ?」
その時、後ろから小さな声が聞こえた。
エリスが驚いて振り返ると、大きな瞳を潤ませた猫獣人の幼い少女が、不安そうにエリスを見つめていた。
エリスは少女を怖がらせないように、優しく微笑みかける。
「私は、エリスです。あなたのお名前は?」
「ミィア……」
猫獣人の子供――ミィアは、小さな声で答えた。
「ミィアちゃん、ここの人たちに捕まっちゃったんですか?」
エリスが尋ねると、ミィアは小さく頷く。
「うん……おにいちゃんも、先生も一緒……」
ミィアは、今にも泣き出しそうな顔で答えた。
「お兄ちゃんと先生はどこにいるかわかりますか?」
「わかんない……」
ミィアは、そう言うと、ポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。
その姿は、エリスの胸を締め付けた。
「大丈夫ですよ、ミィアちゃん。きっと助けが来てくれます」
エリスは、ミィアを優しく抱きしめ、慰めるように言った。
「ほんと……?」
「はい、本当です。私には心強い仲間がいます。真面目で強くて、あと……とってもかっこいい、そんな方がいます。その方なら、きっと私たちのことを助け出してくれるはずです」
エリスは、ミィアを安心させるように、優しく語りかけた。
自分の心がどれほど不安で押しつぶされそうなのか、悟られないように。
「おにいちゃんとせんせいもたすけてくれる?」
「はい、きっと助けてくれます!」
今は、ただ、彼を信じて待つしかない。
エリスは、ミィアを抱きしめる腕に、そっと力を込めるのだった。
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