11.小さな歯車
神聖エクレシア教国――エクレシア教を元に建国されたこの国は、各地にその教えを広めるために造られた教会の総本山である。
その教義は真の平和を願うもので、人々に安寧をもたらすことを理想としている。
教国にはそれを象徴する広大な聖堂があり、柔らかな日差しが差し込む庭園で、聖女アリシアはグレゴリー・ベネディクト枢機卿と談笑していた。
白いローブを纏ったアリシアの銀髪は、まるで天使の羽根のように輝き、その笑顔は周囲を明るく照らしている。
「ベネディクト枢機卿、近頃、各地で差別が酷くなっているとお聞きしております。エクレシア教徒として、何かできることはないでしょうか?」
アリシアの優しい声は、少しの憂いを帯びていた。
世界各地で人種間の差別が激化し、争いが絶えない状況を彼女は深く憂慮していた。
「聖女様のご心配はごもっともです。しかし、世界は複雑で、容易に解決できる問題ではありません。我々ができることは、神のご加護を祈ることと、人々に愛と寛容の心を説くことだけです」
「そうですか……私は、異種族との共存こそが真の平和への道だと思っています。教皇様も同じお気持ちです。エクレシア教が平和の象徴となり、全ての種族が共に生きる未来を築くために、私たちがいるのですから」
彼女の目には深い思索の影が宿るも、言葉には心からの願いが込められていた。
「アリシア様、私もその理想に共感します。共にそれを解決する道を模索いたしましょう。それこそが、我らに与えられた使命です」
「……そうですね。まずは、私もいろいろ考えてみたいと思います。」
「ええ、それがいいでしょう」
「お時間いただきありがとうございました、ベネディクト枢機卿。またお会いしましょう」
アリシアは軽く頭を下げ、グレゴリーに別れを告げた。
「こちらこそお話ができて光栄でした、アリシア様。では、私はこれで失礼いたします」
グレゴリーは穏やかな笑みを浮かべながら答えた。
その表情は、まるで慈愛に満ちているかのようだった。
しかし、アリシアが去った後、彼の表情は一変する。
それは、決して彼女に見せたことのないような冷たい目をしたものだった。
◆◇◆
グレゴリーはアリシアとの会話を終え、教皇ラファエル・カスティオーネの執務室へと向かった。
長い廊下を歩く間、彼の表情は徐々に冷たさを増していく。
ノックの後、中から優しい声が聞こえた。
「どうぞ」
グレゴリーが執務室に入ると、ラファエルは書類に目を通していた。
その顔には、深い皺が刻まれていたが、どこか温かみのある雰囲気を漂わせていた。
「グレゴリー枢機卿か、何か用かね?」
ラファエルは温かい笑顔で彼を迎え、グラスに注がれたワインに口をつけた。
「教皇聖下、聖女様がおっしゃっていた差別問題ですが……」
グレゴリーは、言葉を一旦区切り、ラファエルの様子を窺った。
ラファエルはワインを飲み干し、グラスを机に置いた。
「ああ、アリシアも心を痛めているようだったな。私も心を痛めている。我々は神の子である。皆平等であるはずなのだ。なぜ争い合う必要があるのか……」
ラファエルは静かに語り出した。
「聖下、しかし、世界は弱肉強食です。強いものが生き残り、弱いものは淘汰される。それが自然の摂理であり、神の定めた秩序です。我々人種こそが、この世界を導くべき選ばれた民なのです」
グレゴリーは、静かに、しかし力強く言葉を紡いだ。
ラファエルは、グレゴリーの言葉に驚きを隠せない。
「グレゴリー枢機卿、一体何を言っているのだ? 今のは聞き捨てならないぞ」
ラファエルは眉間に皺を寄せ、グレゴリーを睨みつけた。グレゴリーは、その反応を見て、冷酷な笑みを浮かべた。
「何を言っているか? 現実ですよ、聖下。下等な獣人やエルフ、ドワーフなどに生きる価値はありません。この世界は我々人種によって支配されるべきなのです」
ラファエルは、グレゴリーの言葉に言葉を失った。
まさか、彼がこのような思想の持ち主だったとは……。
ラファエルの額に、冷たい汗が滲む。
身体に異変を感じ始めたのだ。
「グレゴリー……一体、何を……したのだ……?」
ラファエルの声は震えていた。グレゴリーは、ラファエルの苦しむ姿を見て、高らかに笑った。
「あなたのような愚か者が教皇では、世界は変わりません。この世界に、偽善者は必要ないのですよ。下等種族と同じく、滅びるがいい」
ラファエルは、グレゴリーの言葉に、怒りと悲しみを露わにした。
しかし、毒は既に彼の全身に回っていた。
ラファエルは、意識が朦朧とする中で、最後の言葉を絞り出した。
「神よ……グレゴリーを……お赦しください……」
ラファエルは静かに息を引き、力なく椅子に倒れ込んだ。
グレゴリーは、その光景を冷めた目で眺め、嘲りの言葉を吐き捨てた。
「ふんっ、愚か者め。私がこの世界の神になるのだよ」
◆◇◆
教皇ラファエル・カスティオーネの突然の死から1ヶ月、グレゴリー・ベネディクトは新たな教皇として即位した。
彼はその過程で多くの対立候補を暗殺、脅迫し、懐柔することで頂点に立った。
そして、就任式でグレゴリーは高らかに宣言した。
「我々は、選ばれた民として、この世界を導く義務がある。今こそ、この世界からあらゆる汚れを祓い、真の楽園を築く時だ!」
信徒たちは息を呑み、次に続く言葉を待った。
「――この世界に蔓延る汚れを一掃し、人種の純潔を守るのだ!」
汚れを一層――それは、人種以外を滅ぼすと言っていると同じことだった。
彼の言葉に、一部の信徒たちは歓喜する者もいたが、困惑の色を浮かべる者も多くいた。
しかし、グレゴリーの威圧感に満ちた視線が彼らを恐れさせた。
「我々は、真の平和と繁栄を築くために、勇者召喚を行う。この世界の汚れを清めるため、我が教国に新たな勇者を迎え入れ、聖なる戦いを始めるのだ」
その言葉が放たれた瞬間、聖堂内は再び騒然となった。
勇者召喚は、過去に何度か試みられてきた古の儀式であり、その力は絶大であるとされている。
「これは我々の使命であり、義務である。異種族という穢れを排除し、真の世界を取り戻すための聖戦なのだ!」
教皇グレゴリー・ベネディクトのもと、エクレシア教国は新たな時代へと突入していった。
その未来が何をもたらすのか、誰も知る由もなかった。
しかし、グレゴリーの知らないところで、小さな変化が生まれていた。
シェイドとエリスの出会いは、世界の運命を大きく変える小さな歯車となり、少しずつ動き始めていたのだった。
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