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お前が千円返せば済む話なんだよ

作者: 山木 拓


 どうやら一万円札が使えないらしい。お札を財布から取り出してコインパーキングの精算機に入れ込もうとした時、千円札しか入らない幅で作られていることにそこでやっと気がついた。


「大山さん、小銭持ってます?」


 俺が精算機に体を向けていた僅かな時間で、この人はタバコを吸い始めていた。車の鍵は開けておいたのだが、紙タバコを吸いたいが故にこの暑い中でも車内には入ろうとしなかった。社用車は紙タバコの喫煙厳禁だったからだ。

「あー、今無いな」

 大山さんは財布の中身を確認せずに答えた。

「じゃあ千円札お持ちですか?」

 「どうだったっけ」と呟きながらも、タバコをふかし続けて自分の所持金を確認し始める素振りも無かった。

「そういえば大山さん、自分千円貸してましたよね」

 「あったっけそんな事?」どこか間の抜けた声で返事した。タバコは既に半分ほど灰になっていた。

「アレです、電車で移動した時Suicaにお金入って無かったからチャージ代の千円渡したじゃ無いですか」

 「あったなそういうの」カバンから携帯灰皿を取り出し、灰を落とした。

「その千円返してもらえたらちょうど良いんですけど」

 「うーん」大山さんは何故か悩んでいた。そして何かを思い出したかのような様子だった。


「あのさ、中森さんに千円貸してたからさ。それ受け取ってよ」


 俺はこういう形のお金のやり取りが本当に嫌いだった。絶対にややこしくなるし、精算のミスをしていくらか自分で負担してしまった事もあったし、そもそも何故貸していた側が面倒なやり取りをしなければならなくなるのか。できればそういう返却のされ方は避けたかった。あろうことか、大山さんは吸いかけのタバコを咥えたまま二本目を取り出していた。

 俺がお前に貸してたんだから、お前が俺に返しに来いよと拒絶したかったのだが、その考えはきっと感情論に過ぎないのだろう。だからこそ別の角度から、このやり方を避けるようにした。


「…でも中森さん今ここに居ないじゃ無いですか」

「あれ知らないの? PayPayとかって電子上で送金できるんだよ」

「…いや自分PayPay使ってないんで」

「ダウンロードすりゃ良いじゃん」

「…今ですか? 自分がですか?」

「そうそう。電話してさ、『PayPayで送金して』って伝えたら?」

 二本目のタバコに火をつけていた。


 俺はそもそもキャッシュレス決済を頻繁に使う人間では無かった。なのでこういうのには疎いし、現金を持ち歩いていない時に携帯電話の電源が無くなったりすればもう一文無しだ。そういうのも考えて一つの端末に全ての機能を集約させるのは避けていたのだ。でも今は、この意見は古いらしい。ポイントがつくとか支払いがスムーズとかでデメリットよりメリットが上回るのだとか。しかしいくらメリットを重ねようと、現金を持たないリスクが完全に消え去る訳ではないし、現金を持ち歩く事は余程の大金で無い限り大した問題ではない筈だ。大山さんに、これらの自分の持論をぶつけようとしたのだが、完全に話が逸れるのでやめた。それよりも、別の問題点が幾つかある事に気がついた。


「そもそもここから出庫したいからお金受け取りたいだけですし、電子マネーで受け取っても意味がないんじゃ」

 大山さんは精算機の前まで来て、画面の下の方を指で指した。

「ほら、ここ電子マネーで払えるのよ。時代は進化してるんだよ〜」

 その嫌味たらしい口ぶりに、俺は精一杯「そうですか、気付きませんでした」と苦笑いして他の感情を抑え込むしか無かった。ここで爆発したら負けた気分になるので、さらに問題点を投げかけて冷静な会話を続けられるよう努めた。

「例えば自分がいきなり中森さんに電話して、『大山さんに返す予定のお金を自分に渡してくれ』っていうのは変じゃないですかね。少なくとも大山さんから先に連絡しないと、と思うのですが」

 「そうかなぁ? うーん、どうだろ」ふざけているのか挑発しているのかそれとも天然なのか、何にせよこの人の返事一つ一つが嫌になってきた。道徳観とか倫理観が違いすぎて、会話する気も起きない。

 「とりあえず電話してみたら?」俺は色々と諦めてこの人の指示に従うようにした。幸い中森さんはすぐに電話に出てくれた。


「お疲れ様です、小川です。今大丈夫ですか?」

 「はい、大丈夫ですよ。会社で書類作ってるだけですし」忙しそうでも、暇そうでもどちらでもない様子だった。平和な平常運転の一日なのだろう。そう思うと、今から話すややこしいお金の動きの説明をする行為が心苦しくなった。しかし俺は突き進むしか無い。

「あの、今大山さんといるんですけど、中森さんって大山さんに千円借りてたんですよね。そのお金を自分に渡して欲しくて」

「え、あー、そうだったかな…。というかそもそも僕が借りてたお金を勝手に小川さんに渡して良いんですかね…。いくら社内の人たちとはいえお金の流れはキッチリしたいというか…」

「それは許可取ってます、大丈夫です」

 ほれみたことか、と大山に言いたかった。「でも、なんだっけ、何のお金だっけかな」中森さんが電話の先で悩んでいるのが聞こえた。そして中森さん自ら会話に戻ってきた。

「まあ分かりました、お二人が会社に帰ってきたら渡しますよ」

 会社に帰ってきたら渡す、そう考えるのが当然なのだが、俺はその当然が頭から抜け落ちていた。「いや実は今すぐ欲しくてですね…」俺はことのあらましをかくかくしかじか伝えた。何故今受け取りたいのか、何故自分が受け取るのか、どうやって受け取るのか。この一連の流れを説明するのが、何故か恥ずかしく思えた。そしてPayPayでの送金をしようとした時、大山さんが「一昨日昼飯の時に貸したやつって言っといて」と口を挟んできたのでそれを念の為に伝えた。すると中森さんが答えた。

「あれ、その千円その日の内に返しましたよ」

 電話先の中森さんは、「うん、確実に返してます」そう続けていた。

「千円確実に返してるそうです」

 それを大山さんに伝えた。「あれ、そうだっけ? あー、そうだそうだ。返してもらってるんだ」今までの一連の流れを無に帰する発言だった。ここまで来てやっと自身の財布を取り出して、中身を確認した。そして一枚取り出した。


「千円あったわ」

「お前○すぞ」


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― 新着の感想 ―
[良い点] のらりくらりと催促をかわしたり、本来自分がすべき手間を人にやらせたり… 大山の「本当にこういう人いそうだ」というキャラクター性がとてもリアルでした。 最後には主人公もつい本音が出てしまいま…
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