表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/80

2-2 二枚目のスチル

 ふわりとした笑顔が、俺をのぞきこんでいる。

 やわらかく春の光にふちどられたその人を、俺はぼんやりと見上げていた。

 くすっと笑い声がして、優しい指が俺の髪から花片をとってくれた。



 背が高くて、色白。

 髪の色も日本人にしては明るく、茶色に近い。顔立ちは整ってるけど、垂れ目気味のくっきりと二重な目が、柔和で清潔な印象だ。甘い印象のハンサム、っていうのは、この人のためにある言葉だと思う。


 その人は、ふふふっと笑い声をこぼして、俺の隣に腰を下ろした。声も、木管の楽器みたいに耳に心地よく当たる。拍子にブランコが揺れた。


「花びらに包まれて眠っているから、眠り姫かとおもったよ」

「え……」


 こんな……台詞を笑顔で言える人が……この世にいるなんて……?

 俺は吹き出すようににっこりした。


「瑞希兄さん……」

「起こしちゃったね」

「いえ……すみません、気が付かなくて」


 俺は首を横に振り、瑞希兄さんが座りやすいように、腰をずらして座り直した。


 春花瑞希。


 俺の二つ年上の従兄弟だ。

 正確には、母さんの母さんの弟さんの息子の息子で「又従兄弟」に当たる。

 もっとざっくり言うと、俺の母方の大叔父さんの孫――なんだけど、途中もろもろ省略して、人に紹介するときは「イトコ」と言っている。

 修陵院高等科の三年生で、なんと学生会長でもある。成績優秀で、運動神経も抜群。思いやりがあって誰にでも優しくて、人望もあつい。

 本当に王子様みたいだ。

 だからか、あだ名は「春の王子」。

 瑞希兄さんは、修陵院の寄宿舎生でもある。

 休日にはちょくちょく家に来て、ピアノを弾いたり、父さんの蔵書を読んだりしている。それだけじゃなくて、宿題のわからないところを教えてくれたり、ちょっとした買い物につきあってくれたり……。

 俺にとって、本当の兄さんみたいな人だ。


 瑞希兄さんはにっこりした。


「今日も書庫で勉強させてもらおうと思って来たんだけど。玄関チャイムを鳴らそうとしてたら、ブランコが見えてね。もしかして、かおちゃんかと思って。直接回ってきたんだ」

「そうでしたか……」

「……なんだかおめかししてるけど、出かけるの?」


 瑞希兄さんは聡い。おめかしってほどじゃないけど、今日の俺は、水色のシャツにアイボリーのベストで、ちょっとしゃっきりしたいでたちをしている。

 俺は申し訳なく肩を落した。 


「ごめんなさい。実はこれから、阿東のおじさん……阿東男爵ご夫妻がお見えになるんです」

「阿東男爵が? ……じゃあお邪魔だったかな……」

「いえそんな、邪魔だなんて。ただ、時間がどれくらいかかるかわからなくて……ごめんなさい」


 瑞希兄さんの表情は変らなかった。何か思案するように、黙って俺を見つめている。

 そうやっていると、兄さんの瞳は、明るい琥珀に緑が混じって見える。大叔父さんはフランスの女性と結婚なさったそうだから、その血のせいなんだろうか。

 ……きれいだなあ。

 ふと、瑞希兄さんは優しい王子様スマイルを浮かべた。


「ねえ、かおちゃん。じゃあ今日は帰るけど、お客様が見えるまでここで僕とおしゃべりしててくれるかい?」

「あ、はいっ」

「とは言え、まだ眠そうだなあ」


 瑞希兄さんはクスッと笑って、軽く地面についた脚を前後に動かして、ブランコの揺れを大きくした。

 いきなりだったからバランスが崩れた。あわててロープを握る。


「わあ」

「びっくりした? ごめんね。でも、目が覚めた?」

「そ……そうかも」

「ブランコって楽しいよね」


 ぶうん、とブランコが唸りを上げた。風が勢いよく顔に当たり、芝生と木立と空が混ざる。まだ体勢を立て直してなかったから、「ひえええ」と情けない声を上げてロープにしがみついてしまう。


「み、み、み、瑞希にいさ、」

「かおちゃん、楽しい?」

「は、は、はい、でも急で目が……ごめんなさい」

「ふふ、ごめんごめん」


 風がゆるんで、ゆっくりとブランコがとまった。俺はほっとして顔を上げた。瑞希兄さんの嬉しそうな笑顔が俺をのぞいていた。


「ごめんね、かおちゃん。ついかわいかったから」 

「もう。兄さんまでやめてください。もう俺、高等部生ですよ」


 学校の廊下で、女子学生からささやきあっていた評判を思い出して、頬を膨らませると、瑞希兄さんは、ふと表情を改めた。


「……かわいいって、誰かに言われたの?」

「え? ああ……」


 俺はつい暗い顔になった。


「……誰かというか……」

「……厳原くんに?」


 瑞希兄さんは間髪入れずに聞き返した。

 頭が一瞬ついていかなかった。


「……え?」

「近頃、厳原くんとよくいるみたいだね」


 瑞希兄さんは、ブランコの肘掛けに頬杖をつく。


「朝、一緒に登校してるよね? 帰りも見かけるし、それにサンルームがよく見えるよ」

「み……見えてたんですか……?」


 そうか。お弁当を食べてるサンルームは中庭だから、修陵院の高等部校舎なら、どこからでも目に入るんだ。

 瑞希兄さんも気が付いてるとはおもわなかった。


「不思議に思ってたんだ。遠目だけど、かおちゃんはそんなに楽しそうにも見えないよ。……気になってね」

「そ……そうですか? ご心配かけてごめんなさい……」


 さぐるように目を向けられて、俺はどきまぎ謝った。

 瑞希兄さんは優しい。心配りしてくれてる。

 それにしても、俺、そんなにわかりやすいかな……。冬志さんにも申し訳ないし、気をつけなくっちゃいけないな。


「ねえ、なにがあったの? 厳原くんとは、友達じゃなかったよね? 何かつきまとわれてる……とか?」

「い、いえ、違うんです」


 急いで首を横に振る。


「それに、冬志さんとは、初等部のあいだは友達だったんです」

「そうだったの? ……初耳だな」

「そ、そうですね、お話しする機会もなくて……すみません」

「ちょっと意外だな……。ね、かばわなくてもいいんだよ」


 心配そうに顔をのぞかれて、つい苦笑してしまった。

 そうだよね。かっこよくて文武兼備の冬志さんと、地味な俺じゃ、つりあわないし。学年も違う。普通なら知り合うこともなかったんじゃないだろうか。

 だからかな。

 俺は、初めて冬志さんと会ったときのこと、すごくよく憶えてる。そう言えばあのときも、ハナミズキが咲いてる時期だった。


 本当に小さなことだった。

 傘だった。


 俺は小学校に上がったばかりで、学校になじんでいるとはとても言えなかった。

 それまで、身体が弱くて幼稚園にも通ってなくて、知っている子もいなかった。とにかく同い年の子がたくさんいるって環境が初めてだったし、もともとぼんやりした性格だったから、わんぱくな子や、押しの強い子、おしゃべりな子と会うと、圧倒されてしまうんだ。

 もうできあがっている人間関係に入る度胸もなかった。

 頑張って隣の子と話せても、周りの子たちが二人、三人と加わって、会話がキャッチボールみたいにあっちへ飛んだりこっちへ投げられたりし始めると、うまくボールを追いかけられなくなって、みんなが楽しそうにやりとりしてる横でぼんやりしてしまう。

 そんなときに急に話しかけられたら、緊張して声が震えて、ちゃんと話せなかったり。

 そしたらすごく恥ずかしくて、真っ赤になってしまう。自分が真っ赤になってしまうこと自体がまた恥ずかしい。

 次第に、人のなかにいることそのものが面はゆくなって、そうっと離れたところにいるようになった。


 その日も、俺は一人で帰ろうとしていた。傘立てをのぞいて、憶えのある場所に俺の傘がないことに気付いた。昇降口の外は雨がびしょびしょ降っていて、春も終わりに近いとは言え、濡れれば寒そうだった。

 にぎやかな声に目を向けると、やんちゃな上級生の一団がいた。中の一人がさしている青い傘が俺のだったから、俺は立ちすくんでしまった。

 似てる傘かな、と思ったけど、でも柄の下で、母さんが付けてくれた小さな名札が揺れていた。


 ――ぼくの傘。


 思わず上げそうになった声は、のどでとまった。その子たちは五年生で、一年生の俺から見ると大人くらいに大きく見えた。傘を間違えたのかなあ、と、そのときの俺は思った。だったら言わなくっちゃ。

 でも身体が大きくい彼の、太い笑い声を聞くだけで――いまなら言えるけど、国民的某アニメに出てくる、歌が下手なガキ大将に似ていた――、話しかける勇気が湧いてこなかった。

 濡れて帰るしかない。気の弱い俺は、瞬時にあきらめようとした。

 だけど、俺の横から歩み出した人がいた。しゃっきり背筋が伸びた男の子で、俺より二つか三つ、年上に見えた。実際は一歳違いだったけど、物怖じしない態度でそういうふうに見えたんだ。

 男の子は、清潔な横顔できっぱりと、傘の子に告げた。


「それは俺の友達の傘だ。返せ」


 五年生はムッとしたように彼を見返った。


「なんだよ」

「その名札」


 声は雨音に負けないくらい強かったけど、澄んでいた。冷たい響きは、もうそのころからあったように思う。


「読んでみろよ」

「おまえ、なんなんだよ」


 五年生は顔を赤くして何か言い返そうとした。男の子が殴られるのかと思って、俺は気が付いたら小走りに駆け寄って、口ごもりながら訴えていた。


「あの、あの、傘、間違えたんですよね?」

「はあ? 今度は何だよ」


 歌の下手なガキ大将に似た彼は顔をしかめたけど、グループの友人たちが大笑いし始めたので、気勢を削がれたようだった。


「そうだよ、間違えたんだ」


 言い捨てて、傘を投げるように男の子に渡す。そうして、友人の傘に入って、水たまりを跳ね上げながら雨の中に飛び出していった。傘は真っ直ぐに俺の手に戻された。


「傘を抜くところを、見ていたから」


 男の子は、目も合せずに事務的に説明した。


「言うべきことは言わないと、押し負けるよ。……だけど、間違えたんだろう、というフォローはよかった。ウソも方便だね」

「……えっ」


 俺はびっくりして男の子を見つめた。


「だって……わざと持ってく人は、いないでしょう?」

「え?」

「きっと、傘が似てたんですね」


 男の子は馬鹿を見るような目で俺を見た。そして、「そうかもしれないな」と無愛想に言った。言った後、少し笑った気がした。

 気のせいだったかもしれないけど。


 それが冬志さんだった。 

 

 しばらくして冬志さんとは、阿東男爵の家の園遊会で再会した。

 第一ボタンまできちんととめた冬志さんは、母さんの陰にいる俺を見て、「あ」と口を開けた。

 それから、我に返ったように挨拶してくれた。

 真面目に「こんにちは」と言った声が、とても澄んでいた。


 やがて家にも来るようになった。冬志さんの家は少し遠かったけど、冬志さんのおうちには自家用車が三台あって、運転手さんに言えば連れてきてくれるそうだった。

 冬志さんは並んでブランコに座って、ハナミズキを見上げて言った。


「ハナミズキは、あの白い花に見えるものは、実は花じゃないんだ。真ん中の黄色いもしゃもしゃしたところが本当の花だ。実や葉に毒があって、体質によっては、さわるとかぶれることがあるから、ここにいるときは気をつけたほうがいい」


 なんて物知りなんだろう、と尊敬したことを憶えている。……。


 ――話し終えて、俺は溜息をついた。


「……それがきっかけで、冬志さんとは友達になったんです。別につきまとわれてるとかじゃ……」

「……知らなかったな……」


 瑞希兄さんが眉をひそめる。なぜか不機嫌になってる気がした。


「僕が高等部に入って、この家にお邪魔するようになってからは、厳原くんの話は聞いたことがないね。どうして?」

「……それは……」


 以前は俺もわからなかった。でもいまは違う。

 俺はちょっと苦笑した。


「……冬志さんには、俺を嫌いになるだけの理由があったんです……」


 それがわかったのは、前世の記憶が戻ったからだ。冬志さんは階級社会に傷ついてて、俺はそんなことにも気が付いてあげられてなかった。きっとそのせいで、冬志さんに不愉快な思いをさせたんだ。優しい冬志さんに、あんなに冷たい顔をさせてしまうほど……。


「……かおちゃん……?」

「……あ、ごめんなさい……」


 鼻がツンとして、涙がにじんだ。みっともなくて、うつむいて鼻をすする。


「……ちょっと、寒いですね、木陰だから」


 久しぶりに、小さいころの夢を見たせいもあるかもしれない。

 あのころは悲しくて泣いたけど、涙が出るのは何年ぶりだろう。


「かおちゃん……」


 優しい指を髪に感じた。兄さんが指を伸ばして、俺の頭を撫でてくれる――俺が泣いてるの、瑞希兄さんにはバレてるのかもしれない。恥ずかしくて、俺は目尻を拭おうとして、その時――全身に、どしんと衝撃が落ちてきた。


 一枚絵の画像が頭に広がった。


 花盛りのハナミズキの下で、ブランコに座り、見つめ合う二人。

 ヒロイン目線なので、ヒロインの姿はなく、ほほえむ瑞希兄さんだけが花に彩られている……。

 センチメンタルは全部吹き飛んだ。身動きできない。頭を殴られたようだった。俺は呆然と瑞希兄さんを見上げていた。


 スチル絵だ。


 春花瑞希――この人は、《はなこい》の登場人物の一人だ。

 いや、それどころじゃない。

 

 花婿候補だ。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ