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2-1 春が始まる


「春花ぁ!」


 元気な声に、教科書を片付ける手を止めた。

 教室のまんなかあたりから、ぴょこぴょこ手を振って駆けよってきたのは四方田くんだった。

 青いフレームの眼鏡の奥で、お日様みたいな笑顔がニコニコ輝いている。


「なあなあ、春花も来ねえ? 俺、今日は部活がないから、みんなとアレ見に行こうって言ってるんだけど」

「『アレ』?」

「もうすぐガーデンパーティだろ? アイリス館の前にポールが出てるんだって」


 四方田くんは学級委員だ。いつもぼんやりしてクラスの動きに乗り遅れ気味な俺にも、なにかと声をかけてくれる。

 四方田くんの弾んだ声に、何だか俺もつられてわくわくしてきた。

 そっか。

 今年は、初ガーデンパーティなんだ。


 毎年、遠くから憧れていた優雅な光景が頭に浮かんで、俺も思わず笑顔になった。

 ちょっとのぞくくらいなら、時間あるよね。


「行こうかな……」

「行こう行こう!」


 ぱあっと嬉しそうに両手をあげた四方田くんにうなずきかけたとき、ふと、不吉な単語が耳に届いた。俺は振り向いた。


 ……今、イズハラって、言ったような?


 廊下側に座っている女の子たちが、軒並み窓を開けて向こう側をのぞいている。

 何かはしゃいでささやきあってるのが、クラスメートたちの頭を越えて届いた。


「……きゃっ、こちらにいらっしゃるわ」

「いつお見かけしても素敵ねえ……」

「憶えてますわ、あの方。二年の首席でらっしゃる方よね」

「そうですわ、入学式でご挨拶くださった……」

「こんなところで、どうなさったのかしら?」

「そうですわよね、厳原先輩が一年の階にいらっしゃるなんて珍しいわ」

 

 頭が真っ白になった。

 冬志さんの話してる? 

 冬志さんがこっちに来てるって言ってる?

 どうして? いつもは昇降口で待ち合わせてるのに。


「あら、お聞きになってらっしゃらないの? 厳原さまと言えば……」


 意味ありげに言葉を切って、ちらりと女子が振り返った。俺と目が合うと、パッと赤くなって肩をすくめ、うつむく。

 なんとなく、その動きに察するところがあって、俺も顔が熱くなるのを感じ、慌ててうつむいて、鞄にふたをした。


「ご……ごめん四方田くん……! 俺、今日は約束があったんだった」

「春花?」


 四方田くんに頭を下げながら、小走りに机を離れる――けど、もう遅かった。


 ドア口に、すらっとした長身が立った。

 もともと冬志さんは背が高いけど、中等部から上がってきてまだ一ヶ月の俺たちのなかでは、頭ひとつは飛び抜けて見える。

 その鋭い視線が教室をさっと見回し、俺の上でとまった。

 何を言うでもない。ただ、ちらりとうなずいてきびすを返した冬志さんを、俺は慌てて追いかけた。

 扉をくぐったところで、俺は立ちすくんだ。


 見渡す限り、人がいる……!


 廊下に沿った全部の教室の窓に、女子生徒の顔が鈴なりになっていた。

 ならんだ顔は、好奇心でキラキラ輝いてた。通り過ぎるときにはそっと引っ込むけど、あとからきゃあきゃあと抑えた声が追いかけてくる。

 古い校舎の廊下は、白い漆喰の壁と、磨き抜かれた腰板と木の床で囲まれていて、クラシックな雰囲気だ。高い天井に声が反響するのをかきわけてる気分で、俺は冬志さんの背中に従った。


「ご存じ? 厳原さま、毎日あちらの三組の春花様と登下校なさってるのよ」

「春花様って、あの後ろにいらっしゃる方?」

「そうですわ、小柄でおかわいらしい雰囲気のかたですわ」

「どんなご関係でらっしゃるのかしら……」

「気になりますわよね、厳原様が下級生にかまってらっしゃるなんて、初めて見ましたわ」


 あの……聞こえてます……よー……。 


(ど、ど、どう見られてるんだろう……)


 かまわれてるってわけじゃないんだけど、他の人にはわからないよね。

 額とてのひらに汗がにじんできた。

 走って逃げたい……。

 顔を上げられない。耳たぶの先まで、内側から火照っている。


 かわいいって……ほめてくれようとしてるのかもしれないけど、俺も男だし……。

 微妙な気持ちになったけど、考えてみたら無理もなかった。

 

 冬志さんは、堂々としている。

 そんな冬志さんが一緒にいる先輩たちのグループも、文武両道って感じの人たちばっかりだ。背も高くて、押し出しも良い。それに較べたら俺なんて、身体も小さいし成績も中くらい、運動ができるわけでもない。今だって、全く意に介するようすもなく毅然とした冬志さんと、うつむいて肩を縮めてる俺とじゃ、見劣りは避けられない。

 それでも精一杯ほめようと努力してくれた結果なのかも……。


(ご厚意……ありがとうございます……)


 小さくなりながら、冬志さんの背中について階段にさしかかると、女子の林は終わった。

 俺はそっとためいきをついたのだった。


 俺たちが通っている私立修陵院学園は、ゆるやかな丘陵地帯に広がっている。

 国内きっての名門中の名門学校だ。

 幼稚園から学部が揃っているから、とにかく広い。石造りや赤煉瓦の建物群は、まるでヨーロッパの古い街並みがそっくり引っ越してきたみたいで、雰囲気がある。


 昇降口は、広々としたホールになっている。

 石造りのアーチ型のドアを出たポーチで待っていると、冬志さんが遅れて出て来た。

 俺の教室に近い階段を使ったから、冬志さんの靴箱までちょっと遠回りになったんだ。


「待たせたな」

「いえ」


 短い言葉にぺこんとすると、冬志さんの横顔はすっと俺から逸れて歩き出した。 


 エントランス前では、ツツジが咲き誇っている。

 アゲハチョウやむくむくしたお尻のハチが飛び交っている。

 四月の最初、高等部に進んだころは、丘をのぼる桜並木は、薄紅を帯びた白雲のようだった。今はすっかりみずみずしい若緑になり、華やかなツツジにとってかわっている。

 まだ午後の明るさだけど、影の長さにうっすらと夕暮れの気配が差し始めちる。俺たちは、何となく連れ立ってるような、連れ立ってないような、曖昧な距離を取って坂を下り始めた。


 目の前にひらめく革靴の底を眺めながら、俺はぼんやり考えていた。

 面倒なはずなのに、どうして俺の教室に寄ってくれたんだろう。何か用事があったんだろうか。聞いた方が良いかな? それとも、冬志さんが切り出すまで待っていた方が良いんだろうか。

 

(……それにしても、冬志さんって、人気者なんだなあ)


 意外だった。

 いや、「人気者」っていうのとはちょっと違うかな? 

 人気者って言うと、みんなから声をかけられてわいわい賑やかに……ってイメージだけど、冬志さんは、離れたところから見つめられてるって感じだ。うーんと……「憧れの的」って感じかな。

 ゲームとは印象がちがうかもしれない。ゲームの設定では、けっこう「嫌われ者!」って扱いになってた気がする。

 冬志さん自身、ゲームの中では「バカにされてきた」って語ってた。


(う~ん……でも、俺も自分でプレイしてたわけじゃないから、よくわかってないだけかもしれないし……)


そんなことを考えながら見上げても、真っ直ぐに伸びた冬志さんの背中はとりつく島もなかった。会話もない。 

 いつものことだ。周囲を歩いている下校の学生からは、笑い声なんかも聞こえてくるけど、俺たちはお通夜の帰りみたいなのだった。


(……三年間、話してなかったんだもんな……)


 沈黙に耐えられなくて、子どものころの思い出話を持ち出そうかと思ったこともあるけど、冬志さんから「興味がない」と一刀両断されそうであきらめた。


 あ、いや、全然なにもないってわけでもなくて、


「婚約指輪は用意した方が良いか」

「春花家ではそういう習慣は聞きませんが……確認しておきます」


 とか、


「式はどうなるんだ」

「あ……聞いてません……聞いておきます」


 とかの、一瞬で終わる事務的なやりとりはあるけど。


(はあ……。きっと、俺と口をきくのもいやなんだろうなあ)


 俺ときたら、俺を嫌いな人なのに無理させて……。

 しょんぼりと思ったとき、ぼすんと何かにぶつかった。見上げると冬志さんだ。立ち止まって、睥睨するように俺を見ていた。俺は鼻をこすりながら、


「あ、す、すいま……?」

「昨日、阿東男爵が打ち合わせに来た。春花にはいつ行く?」


 冬志さんは突然きっぱりと言った。

 俺はちょっと意味を考えた。急に聞かれて頭がついていかなかった。その間に冬志さんが歩き出したので、慌てて隣に追いつく。

 石畳の道にコツコツ、音を立てて俺たちの革靴が並ぶ。


「あ……阿東のおじさん……はい。明日って聞いてます、うちにお見えになるのは」

「うちで話したのは、見合いの件だった」


 阿東男爵は、うちと厳原家の仲介をしてくれている。もともと両親が俺の縁談について阿東男爵に相談し、阿東男爵から打診された厳原家が、男爵を介してうちに応えてきた……という形式で、だから引き続き仲介をお願いするそうだった。一応こういう縁組みは、直接やりとりしないのが礼儀らしい。

 ずいぶん持って回っためんどくさいやり方のような気がするけど……でも、そういう仕組みなんだろうって納得してきたものの、冬志さんの言葉にはさすがに面食らった。

 はたはた瞬きする。


「お見合い……? もう縁談は決まってるのに、ですか?」

「ああ。かたちとして手順を踏むそうだ」

「そうなんですね……」

「どこか外で偶然会ったふりをして、両家が顔を合せる、という話だ。……ばかばかしいが」

「あっ……おじさんやおばさんとお会いするの、久しぶりです」


 小さい頃、冬志さんのおうちに遊びに行って、元気の良いおじさんと優しいおばさんに会ったことがある。二人の顔を思い出して、心臓がすくんだ。思わず俺は心臓を押さえた。


「はあ……これからいよいよ……本格的に、みなさんをだますことになるんですね……」


 ドキドキしてきた……。


「自分で言い出しておいて何だ」


 冬志さんが呆れた声を出す。


「だますわけじゃない。婚約自体は本当にするんだ、胸を張れ。全く、そんなに小心者のくせに、よくこんなことを考えついたな」

「あっ……ほんとにそうですよね……ごめんなさい」


 しょぼんとうなだれると、冬志さんは顔をそらしてごほんと咳払いした。


「……怒ったわけじゃない、いちいちそんな顔をするな」

「はい……」


 そう言われても……。

 どう考えても、巻き込んだのは俺のほうなのに無責任な発言をしてしまった……。

 怒られても無理もない。

 ああ、でも俺のこういう態度も冬志さんには腹が立つのかもしれない。


(八方塞がり……)


 また冬志さんと距離が開く。

 振り向かないしゃんとした背中を見つめながら、ふと思いだした光景があった。





 ハコベ。

 オオバコ。

 オオイヌノフグリ、クローバー。ホトケノザ。キュウリグサ。

 若緑の上に、白、青、黄色、紫、小さな星の花が散る。


 俺は野草に足首まで埋めている。

 肌に触れる若い葉は、ひんやりと気持ちいい。

 しゃがんで、野いちごを探している。

 トゲに気をつけながら浅い黄緑の葉をめくると、ルビーのように輝く赤い実がころんとあった。


「野いちご……」


 そっと指先でつまんでねじり、フリルのような緑の額からもぎ取る。

 ぷつんと手応えがして、指のあいだに、かわいらしいつぶつぶが身を寄せ合った、きれいな野いちご。うれしくて、そっと持ち上げる。


「こっちにもあったよ、薫」


 振り返ると、しゃんと背が伸びた賢そうな男の子が、俺を見て笑っていた。冬志さんも粒のそろった野いちごをつまんでさしあげてみせ、


「あーんして」

「あーん?」


 おとなしく口を開くと、冬志さんは俺のくちびるの間に野いちごを差し入れた。舌の上に、日向のぽっくりとしたぬくもりがころんと乗った。歯の先でつぶしてみると、甘酸っぱい味が広がった。


「……おいしい」

「薫のもちょうだい」

「うん」


 はい、と野いちごを冬志さんの口に入れてあげる。冬志さんもにっこりした。

 俺たちの頭上は緑のうすい天蓋におおわれている。透かして緑の光が降ってくる。白い花が咲いていて、甘い香りにみたされている。


「あまい」

「そうだね」


 冬志さんは優しく笑った。あたらしいのをあげたくて繁みに手を突っ込んだら、チクチクと痛みが走った。


「薫?」

「トゲ……」

「……痛い?」


 冬志さんも俺の手をのぞき込む。声は耳元だった。指の腹に茶色いトゲがが突き立っていた。

 俺は髪を揺らして、ひとつうなずいた。

 冬志さんは俺の腕を取り、注意深く指先でつまんでトゲを抜いた。

 それから傷に口づけた。濡れて熱い舌が傷口を這う。その感触が全身にじんわりと拡がって、身体の奥がキュンとして締め付けられるような、不思議な感じがした。胸がざわざわしてじっとしてられなくて、俺はふるえる息を吐いた。手首に回った冬志さんの指が、痛いくらいで、それもかすかにわなないていたように思った。

 冬志さんの背中と手のぬくもりが、甘く心地よかった。


「薫」


 冬志さんの呼ぶ声。


「かおる――……」





 

「――かおちゃん。……かおちゃん?」


 ブランコがゆらりと揺れた。

 優しい声。

 俺はうっすらと目を開ける。


「かおちゃん」


 視界いっぱいの青空から、やわらかい声が降ってきた。声と一緒に、ぱらぱらと、かすかな音を立ててハナミズキの花びら。俺の髪に、肩に乗って、滑り落ちる。


 ブランコに乗ってたんだ、と思い出すのに、少し時間がかかった。


 庭のハナミズキの木の下にブランコがある。

 俺が小さいころ作ってもらった。身体が弱かった俺は、遊びに行く友達もいなかったから、休日にはよく家の本棚からちいさな古い旅行の本をとってきて、このブランコに揺られていた。

 いつか、色んなところに行きたいな。

 そんな夢を見ながら。


 今日も、阿東のおじさんが来るまでくつろいでいようと思ったんだ。

 白いペンキで塗られたブランコは、ベンチの形で幅がある。靴を脱いで、膝を折って足を引き上げ、背もたれにもたれて、身体から力を抜く。

 拍子に、ゆらり、とブランコが揺れる。見上げると、なめらかにハナミズキの白い花と若葉が往復する。あいだからちかちかっと太陽が差し入って、まぶしかった。

 目を閉じると、まぶたの裏が日に赤く透けて、ぬくもりがしみてくる。

 ゆらゆら、心地良い。 

 そう、そのうち俺は眠ってしまって――子どものころの夢を見てたんだ。冬志さんが優しかったころの夢。


「……冬志さん……?」


 つぶやいて、気が付いた。

 俺を起こしたのは冬志さんじゃない。

 冬志さんのわけがなかった。

 



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