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1-6 一枚目のスチル絵


「前近代的だな」


 仮婿の説明が終わると、きっぱりした声で冬志さんは言った。

 本当にその通りで身体が縮んでしまう。俺はしょんぼりうなだれた。


「す……すみません……俺もそう思います……」

「つまり、俺の家に話が来た時点では、お前は知らなかった、ということか」

「はい……」

「……じゃあ何故、そのあと受けた?」

「……跡継ぎですから、家は守りたいんです。俺は一人っ子なので継がないわけにはいきませんし、仮婿を取る以外、あととりになる方法はないので……」


 冬志さんの返事は聞こえなかった。視界のなかで、長い脚が荒っぽく動く。高い位置で脚を組んで、大きな溜息。


 ……怒ってる……んだよな。

 だめだだめだ、気圧されないこと!


 俺は下腹に力をこめて、声を励ました。


「それで、あの、どうしても……婚約者が必要だというのなら……」

「いうのなら?」

「……冬志さんがいちばんいいんじゃないかと思ったんです……!」


 まるで意表を突かれたみたいな、違和感のある沈黙が挟まった。

 俺の視界のなかで、冬志さんの腕組みがゆるむ。なんだか動揺してる気配で、それきり動かない。しばらく待ったけど、我慢できなくなって、俺はそうっと目を上げた。


 テーブル越し、冬志さんの鋭い瞳が、まっすぐに俺に向けられていた。

 一瞬、俺たちは見つめ合っていた。

 真っ正面から射抜かれたみたいで、身動きなくない。

 

 同時に、新しい記憶が落ちてきた。

 一枚の絵のかたちで。


 春の日差しが降り注ぐサンルームで向かい合う、俺と冬志さんの絵だ。正確に言うと「俺」の側の人物は描き込まれていなくて、「俺」の視点で見えた光景になっている。

 それが《はなこい》のスチル絵だって、俺にはわかった。


 スチル絵。


 初めて思い出した言葉なのに、何となく意味はわかる。乙女ゲームのあちこちに出てくる、クライマックスシーンや盛りあがる場面を描いた綺麗な一枚絵のことだ。アルバムに写真を集めるみたいにスチル絵を集めていけば、いつでもその絵を見返してストーリーを確認できるようになる。 


 本来、この場面にいるのは俺じゃなくて、ヒロインである 《かおる》のはずだった。

 スチル絵はヒロイン視点で描かれたものだ。ヒロインと冬志さんが対決し、絶対に冬志さんと結婚するつもりはない、と伝えるシーン。展開としては逆なので、当然会話の内容も違う。

 ヒロインは俺みたいに、「なぜ結婚する気になったのか」と問い詰められることはなく、「なぜ断わったのか」と詰問される。


 ――心から愛し、尊敬する方と結ばれたいからですわ。


 毅然と答えるヒロイン。冬志さんは鼻で笑う。


 ――尊敬、な。俺は尊敬できないと?


 そして、言葉を続ける。

 台詞はテキストだけだったけど、今この瞬間、俺にもまざまざと聞こえた気がした。目の前で冬志さんから告げられたように。

 俺は身動きできずに、冬志さんの言葉に耳を傾けた――


 


 ――急に女の子たちの笑い声がはじけて、金縛りがとけた。


 冬志さんは我に返ったようにまたたきした。俺もハッとした。ショックで青ざめてる気がした。俺はそれを誤魔化すみたいに、反射的にぎくっと頭を下げた。

 ま……待って、何だかいま俺、ロボットのような変な動きだったんじゃ……?

 思ったら、恥ずかしいのと動揺とで、そのまま顔を上げられなくなった。


 冬志さん、そうだったんだ……。


 スチル絵のシーンで、冬志さんはヒロインに告げる。


 ――この学園で、俺は幼いころから成金と呼ばれ、蔑まれてきた。無能のくせに、家柄を鼻にかけるおまえら華族を、俺はずっと軽蔑してきた。おまえらを踏みつけるために、どれだけ俺が努力してきたことか。お前は俺に金で買われ、利用されるんだ。


 まあ、確かに悪役そのものの台詞なんだけど……。

 でも、ゲームの中で冬志さんが語ったことが本当なら、冬志さんが修陵院の学生たちを嫌っても無理はないと思う。

 冷たい顔の裏に、冬志さんはそんな苦しみを隠してたんだ。


 それでもゲームのヒロインは、冬志さんとは友達じゃなかったんだからまだマシだ。だって、設定上、ヒロインは冬志さんとは知りあいじゃなかった。学園の有名人として見知ってただけだ。冬志さんの気持ちをわからなくても無理はない。

 俺はヒロインとは違う。

 十年以上、一緒にいたのにまるで気付かなかった。

 

(……あのときの冬志さんの言葉は、そういうことだったのかな)


 ずっと不思議だった三年前のできごとが浮かんでくる。

 前世のシナリオの台詞とはまるで違うけど。


 あのとき、俺は感冒――前世の言葉で言うとインフルエンザ――で寝込んだ後だった。一週間ぶりに会った冬志さんは、冷ややかな瞳で言った。


「おまえは友達なんかじゃない」


 それだけ。何の説明もなかった。

 以来、冬志さんは俺を無視するようになったんだ。

 俺は中一だった。どうして冬志さんに嫌われてしまったのかわからなくて、何度も会話を辿り直し、思い出を振り返り、俺の言葉や対応を確認して、答えが出ないままに問い続けてきた。

 でも。


 ――そういうことだったのかもしれない。


 この学園は、冬志さんにとって居心地の良い場所じゃなかったのかもしれない。

 なのに俺は友達の気持ちを想像さえできずにいた。知らず知らずに冬志さんを傷つけて、だから冬志さんは怒ったのかもしれない……。


 足下の革靴を見つめて、鼻がツンとするのをこらえていると、ぎし、と音を立てて、冬志さんがガーデンチェアーにもたれた。

 仕切り直すように咳払いして、怜悧な声に問われる。


「……それで、俺が一番いいというのは、なぜだ?」

「……あ、ええと、……」


 うろたえてる場合じゃないよな……。

 しっかりしろ、俺。

 俺は息をついて、膝の上で手を握り合わせた。メモした内容を頭の中でかき集める。

 

「あの……俺としては……できれば好きじゃない人とは結婚したくないんです」

「ああ」

「でも、春花家の跡取りとしての義務も果たしたい。だったら仮婿をとらないわけにはいきません。どうすればいいかわからなくて……、それで考えたんです。

 冬志さんなら、……あの、すみません、でもとにかく冬志さんなら、俺に恋愛感情を持っておられるわけじゃないから、ご相談させていただけるんじゃないかって。だから、まずは一度お受けして、冬志さんの事情もうかがったうえで、じっくりお互いにとっていちばんいい方法を選べたらいいんじゃないかと、思いまして……。

 そうなると、冬志さんと俺みたいに、お互いに恋愛感情を持ってないってはっきりわかってるのは、逆にすごく利点じゃないかって思ったんです……」


 すらすら説明できてる。設定を考えといてよかった……。


 実は、利点はもう一つある。

 いま冬志さんに話すわけにはいかないけど、シナリオの通りだったら冬志さんは俺の誕生日パーティで糾弾され、婚約も破棄されて、ひどい目に合わなきゃいけない。うまくいけばそのイベントも回避できるんだから、八方丸く収まるんじゃないだろうか。


 いや、丸く収めるんだ。

 今までよりはっきりと、それは俺の中で目標になった。

 冬志さんからは嫌われてても、糾弾イベントは起こさせない。もう冬志さんに傷ついてほしくない。俺は冬志さんを糾弾イベントから守るんだ……!


 また沈黙が落ちた。 


(どうしたのかな……?)


 俺はそっとうかがってみた。さっき目が合ってしまった反省があるので、顔は心持ち上げるだけにして、上目遣いでうかがうだけにしておいた。

 今度の冬志さんは、何かに殴られたように唖然としていた。

 やがて冬志さんは、深々と溜息をついて、テーブルに肘をつき、顔を片手で覆った。


「……なるほど」

「は、はい」

「……互いに恋愛感情がない、な……」


 声は脱力しきっている。

 ど……どうしたんだろう、冬志さん。


(……俺の言い分が身勝手すぎて、呆れてる……?)


「……す、す、すみません。嫌なお気持ちにさせてしまって……」


 声が弱くなってしまう。

 

「冬志さんがお嫌なら、ほかの方法を考えます。ご迷惑をおかけしました……。幸い、まだ内諾の段階ですから、外に漏れたわけでもありません。おうちには、我が家から改めてお詫びとお断りを申し上げますから、この件はなかったことに……」

「い……いや待て!」

「え」


 急に冬志さんから喰い気味にさえぎられた。思わず呆然と見上げる。冬志さんは動揺したように身を乗り出して、


「いきなり破談か? 他の方法って……どうするつもりなんだおまえ。今の話だと、他の仮婿を探す気か」

「え? ええと、いえ、まだそこまで考えてるわけじゃ……」

「そもそも俺は婚約を辞退しろなんて一言も言ってないだろうが。どういうつもりなのか聞いただけだ」

「……え?」

「絶対におまえは断ると決めてかかっていたから、内諾が来て面食らったんだ。だからどういうつもりなのか確認した。事情に納得いけば、俺だって考えないでもない」

「……え……」


 冬志さんは眉根を寄せて、ずけずけと、


「……おまえは昔からトロいしぼんやりしているし、間が抜けてるし……」


 や……やっぱり怒ってる……。


「……だが」


 冬志さんの黒い瞳は、射貫くように俺を見つめていた。

 背筋が伸びる。

 この目が、冬志さんを語っている。嘘やおためごかしは通じない、そう悟らされるまなざし。

 鋼のように強いものが通っている。

 緑の葉を抜けて差し込んできた長い日差しが、冬志さんの背後の水面に幾筋もさしこんでいた。


「……だが、性格も頭も悪いわけじゃない。そのおまえが、政略結婚してまでと考えたのなら、よほど困ってるということだ。どうせもともと、俺は自由に結婚できる立場じゃない。厳原に役立つような相手と結婚しなくちゃいけないのはわかってた。……そういうことなら、……そう、そうだな……」


 冬志さんは俺の上に視線を戻した。


「薫。……おまえと婚約しよう」


 うっ。

 一瞬、心臓が小さく打った。

 こんなまっすぐに見つめて言われると、なんだか、本当にプロポーズされたような気がする。

 俺は動悸を見せないように、急いで頭を下げた。


「あ……ありがとうございます。よろしくお願いします」

「それに……もしかしたら、俺のかなえたい目的にもつながるかもしれないしな」

「冬志さんの目的……?」


 オウム返しに聞き返したけど、背けた横顔からは返事はなかった。

 俺に話すつもりはないのかもしれない。

 まあ確かに、俺のほうにも隠してることがあるんだし、他人に言いたくないことは誰にでもあるよね。俺はうなずいた。

 どんなことかはわからないけど、冬志さんにも利用できる何かがあるなら、俺も気が楽だ。ギブ・アンド・テイクというか。どんどん利用してほしい。


「俺にできることがあったら、お手伝いします……!」


 俺は力を込めて伝えた。



 冬志さんと話し合うという第一段階はクリアできた。これで、花婿候補たちと会わなきゃいけない理由は消えた。七月までの時間も作れたから、ゆっくり考えることもできる。

 身体から力が抜けた。俺はほろっと笑ってしまった。

 ……なんか、まだにらまれてるような気がするけど……。


「……できるだけ迷惑かけないようにしますので……」

「そうだな……さしあたって、考えるべきは……」


 冬志さんはあごに手を当てて、考え深そうに言う。


「え?」

「言ったからには、俺はきちんと自分の責任を果たす。第一そうしなければおまえの方も婚約した意味はないはずだ。具体的な方策を決めるぞ」

「えっ……あ……そう……でしょうか……?」


 確信ありげな断定に俺は混乱した。具体的って、なんだろう?


「外形的には行動を共にしていることが人目に触れるべきだ」

「外形的に……」

「そうだな……では、朝、お前の家まで迎えに行こう。一緒に登校して人目に触れさせる。となると、下校も一緒が良いだろうな。加えて……昼食はいつもここで摂ってるようだな」

「は、は、はい!?」


 どうして知ってるんだろう?

 ちらっと思ったけど、聞き返す間はなかった。


「昼食も二人で摂ろう。サンルームは人目に付きやすいからな……説得力が増すはずだ。それだけでは足りないか……そうだな……」

「待って、待ってください!」


 さしもの俺も動揺して腰を浮かせた。


「あの……そこまではしなくても……」


 いいはずだ。

 だって花婿候補が決まってしまえば母さんも文句は言わないし、母さんさえ文句を言わないなら花婿候補を探す必要がなくなって、物語が始まらないはずだ。


 それに、正直、冬志さんとふたりで過ごす時間が増えるのは――怖い。

 もともと怖かったけど、冬志さんの本音がわかった今は、ちょっと自分の気持ちが整頓できてない。


 冬志さんの傲然とした目が俺に向けられた。有無を言わさない、というか、言わせるつもりはない、という意志にあふれている。思わず俺は肩をすくめ、すとんと椅子に腰を落とした。


「これが俺にものを頼むということだ。俺はやると決めたらやり通す。おまえも俺と手を組んだ以上、きっちり婚約者としてふるまってもらう。中途半端は認めない」

「あの……えーと……はい……」


 気が付くと俺は押し込まれるようにうなずいていた。


 あれ……?


 キツネにつままれたような気持だ。そう言えば狩野さんはキツネだった。あれからずっと俺はキツネにつままれてるのかもしれない。

  

(ほ……本当にこれでよかったのかな……?)


 俺って……狩野さんに怒られたとおりなのかもしれない……。

 強く言われると断れないやつなのかも……。


 ぼんやりした不安が、黒雲のように広がってくるのを、俺は感じていた……。

 


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