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1-5.メモは取っておいたほうがいいというライフハック



《花婿候補 五人くらい?

 ・優しい正統派王子様。

 ・ツンデレなツッパリ。

 ・ダンディな教師。

 ・甘えんぼ弟タイプの後輩。

 ・シャイでわんこな好青年。》


 

 今日のお弁当と、もう五十回くらいは眺めたメモ。

 それが今、俺の目の前にある。


 パキラの涼しい葉陰にある、白いガーデンテーブルの席だ。

 サンルームでの俺の定位置。ほどよく人目から隠れることができて、気に入っている。

 ガラスの壁越しに日当たりが良くて、うらうらと気持ちよかった。空気には花の香りがする。


 俺は毎日、このサンルームでお昼を食べていた。

 高等部の中庭にある、ガラス張りの温室のような建物で、利用は自由だった。

 青々とした観葉植物が陽光に照らされて、その間にガーデンテーブルや椅子が並んでいる。俺以外にも、ここでお昼を食べる学生はけっこういる。

 今日も、日だまりの中でちらほらと、男子学生のグループや、明るい笑い声を立てる女子学生がテーブルを囲んでいる。

 一人でいるのは俺くらいだ。

 別に、口をきく相手がいない、とかじゃないんだけど……。

 修陵院学園は、良家の子女が多いせいか、あまりいじめとか仲間外しとか、そういう話がない。良くも悪くも、みんなおっとりしてて、とげとげした空気がない。

 前世の記憶が戻る前は、学校ってこんなものだと思っていたけれど、今では修陵院はだいぶのんびりした居心地の良い場所だとわかっている。


 俺が一人になろうとするのは、誰かから弾かれているというより、全部自分のためというか……。

 強いて言うと集団が苦手で、つい避けてしまう。

 子どものころからの癖だ。


 でも今日は、そのおかげで、こうやってじっくりと考えることができる。


 俺はメモを片手に、指折り数えてみた。


(今日は金曜日だから……)


 あれから五日目ってことになる。長い一週間だった。


 その間に、なんとか憶えてることを絞り出して、メモ用紙に書き出してみたのが、これだ。花婿候補についての、いまの俺の精一杯の記憶。

 なんだけど……。


(やっぱり、この程度じゃ全然わかんないなあ……どこの何て人なのか……)


 ヒマがあれば眺めてるけど、もう限界みたいだ。カーテンの向こうにうっすらと影が浮かんで見えているのに、カーテンが動かせない。もどかしい。そんな感じ。

 これじゃ、せっかく狩野さんに記憶を残してもらった意味がない。

 どうして思い出せることと思い出せないことがあるのかな?


(それにしても……ツンデレって……なんだろ……? わんこって……犬だよね? それとも東北の方の蕎麦? なんでこれが人間の形容に出てくるんだろうな……)


 強烈にこの単語が思い浮かんだから、そのとおりに書き留めたんだけど、意味はわからなかった。前世の言葉ってことかなあ。そのうち、意味を思い出せるんだろうか。

 俺は溜息をついてメモを広げて置き、お箸を手に取った。黄色の卵焼きをつまみながら、自分に言い聞かせる。


(まあ、でも……きっと大丈夫だよ。そうだよ、きっと)


 もう花婿は決まったんだから、この人たちは関係しないはず。

 それでなくても、俺に求愛してくる人がいるわけないし。男だからっていうのはもちろんだけど、俺は、《かおる》とはちがう。


《かおる》は聡明で、前向きな夢を持つ女性だ。

 それに較べて俺なんて、これと言って特徴もないし、ぼんやりしてるし、気は小さいし……。

 乙女ゲームの花婿候補になるようなイケメンたちが、気にかけるはずもない。だから、きっと花婿候補のことは心配しなくていいはずだ。


(だって、このために俺は、冬志さんとの婚約を承諾したんだ)


 うん、とうなずいて、卵焼きを口に運んだ。


 そう。

 元々のゲームのシナリオでは、ヒロインは冬志さんと結婚したくないばっかりに、冬志さんを避ける行動を取る。そして花婿候補たちとの恋が始まる。

 ということは、俺は逆の行動を取れば良いじゃないか。


 ……っていうのが、あの一瞬で俺の頭にひらめいた。


 これで、本来のシナリオは、起承転結の「起」の部分が変ってしまって、スタートしないってことになる。……多分。


(……うん、きっと大丈夫。大丈夫……)


 考えなくちゃいけないことは山のようにある。同じ事で悩んでる場合じゃない。

 しっかりしろ、俺!

 ぱちんと自分のほっぺたをたたいて、メモ用紙から目を上げると、パキラの向こうが視界に入った。

 サンルームの真ん中に空けてある通路。

 背の高い人影がある。誰かを認識する前に、俺は口を空けて停止してしまった。


(……あ……)


 冬志さんだ。

 頭でわかると同時に、背筋がひゅっ、と伸びた。


 いよいよかもしれない。


 俺は、冬志さんと話さなくてはいけないことがある。

 

 縁談の返事は、厳原家に直接電話で言ったりするわけじゃない。仲立ちである阿東男爵に伝えて、阿東男爵から厳原家に届けられる、ってルートをたどるらしい。ずいぶんめんどくさいけど、そういうものだと母さんは言っていた。そろそろ冬志さんの耳にも入っていておかしくないころだ。


 冬志さんに話が届いたら、ある話を持ちかける。

 そうしなければ、シナリオは回避できないんだから。

 俺はそう決めていた。うまく話せるか心配だったので、メモ用紙(さっきのとは別の)に要点をまとめておいたくらいだ。


(……も……もう聞いたかな……) 


 こっちに来てる気がする。俺は慌てて視線を手元に落し、花婿候補の一覧表をあわあわしながらお弁当箱の下に押し込んで、箸を手にとった。


 わかってる。

 わかってるんだ。

 ちゃんと冬志さんとは話し合わないといけない。わかってるんだけど。


 ……でも、冬志さんは怖い。目つきだけで凶悪だ。


 学校で見かける冬志さんは、いつも無表情だ。

 すらっとした長身に、端正な横顔。姿勢も良い。

 眉根が少々しかめられて、口元もきゅっと引き締められているので怒っているように見えるけれど、そういうわけではなくて厳しい表情がデフォルトなんだ。


 目鼻立ちが整っているだけに、涼しげ――というよりいっそ冷たいくらいに見える。そのせいで学内では「氷の貴公子」なんてあだ名を奉られているのを小耳に挟んだことがある。

 子どものころ、俺はあの厳しい表情が解けたらどうなるか、よく知っていた。冬志さんの笑顔がどんなに優しいか。


 ――でも今は遠くから冷たい表情を見るだけだ。

 俺は、冬志さんから嫌われている。


(……もう、三年も話してないな)


 ふとそんな、郷愁っていうのか、なつかしい気持ちが胸を横切った、そのとき。


 バン。


 テーブルの反対側に、手が置かれた。

 箸のあいだからぽろっと鶏の唐揚げが落ちて、テーブルに転がった。でも俺は固まっていた。


「……拾わなくていいのか」


 降ってきた声は、氷、の名にふさわしい、冷え冷えとした響きだった。口調がクリアで断定的だから、ますます冷たく聞こえる。


「す……す……すみません……」


 なんとか声を絞り出して、俺はぶるぶる震えそうな手を励ました。唐揚げをお弁当箱の蓋に移して、ポケットティッシュで唐揚げの油をテーブルから拭き取る。


(やっぱり……話を聞いたんだ)


 視界の隅で椅子が引かれ、紺のジャケットの制服が腰を下ろした。腕組みして、俺を見ている気配がする。

 頭から血の気が引いて、すうっと冷たくなっていく。てのひらに冷たい汗がにじんだ。

 どうして、どうして俺って、こんなに小心者なんだろう。


(……しっかりしろ、俺!)


 ぎゅう、と拳を握りしめて、俺は顔を跳ね上げた。そうしてそのまま凍り付いた。


 高い位置から俺を睥睨する、冷たい眼差し。


 三年ぶりの冬志さんが、目の前にいた。椅子の背にもたれて、腕を組んでいる。切れ長の瞳が俺を観察していた。

 決心はどこへやら、俺は蛇ににらまれた蛙だった。そろりそろり、と顔を伏せ、お弁当と冬志さんの腕の中間地点に視線を置く。 


「……話をしにきた」


 ねじこむように冬志さんが言う。

 俺は身を守ってくれる防具のごとく箸を握りしめながら、


「あの……お話とおっしゃいますと……」

「何かわかってるはずだ」


 問答無用。聞き返す余裕はない。実際に、何の話かは聞くまでもなくわかっていたから、俺は蚊の鳴くような声で「はい」と言うしかなかった。


(き……気を確かに持つんだ、俺……)


 俺は箸を置いた。

 ジャケットのポッケに入れて、指先にさわるメモ用紙の感触を引っ張り出す。膝の上で紙を開くと、自分のちまちました文字の列があらわれた。事前に考えて書いておいた「話すべき内容」の一覧だ。

 よかった。やっぱり何でもメモしておいたらあとで安心だ。俺は大きく息を吸い、


「え」


 話し始めようとしたら声が裏返った。

 は……恥ずかしい。

 耳たぶまで熱くなった。冬志さんにバレてませんように……。

 俺は咳払いすると、ひたすら手元を見つめて、改めて口を開いた。


「縁談の、話、ですよね……?」


 よし、言えた。


「そうだ」

「す、すみません、驚かれましたよね……」


 返事がなかった。俺の耳に聞こえたのは、少し離れたテーブルで楽しそうに笑う女子の声だけだった。


 ど……どうしたのかな? 

 そろりと目をあげてみる。

 冬志さんはまだ俺をにらんでいた。思わずびくっと座り直すと同時に、冬志さんも我に返ったように姿勢を正した。咳払いをして、鋭い眼差しを俺の右斜め下あたりに向ける。

 そわそわしたようすで口を開いた。


「……説明しろ。なぜ俺との婚約を断わらなかった?」


 ……ん?

 俺は背筋をぴんとして固まったままで、頭をフル回転させた。

 まるで断わってほしかったみたいな言い方だ。でもシナリオ通りなら、冬志さんは俺と婚約したいのでは……?

 俺はそろそろと、唐揚げに向かって声を出した


「あの……なぜ……とおっしゃいますと……?」


 たちまち癇性に声が厳しくなる。


「質問に質問で返すな」

「す、す、すいません……!」

「いちいちびくびくするな」

「あ、あの、すいません……!」

「すいませんしか言えないのか?」

「す……ごめんなさい」

「意味は一緒だ!」

「ごめ……あ、え、う」


 ピシッと言われて絶句すると、冬志さんは眉間をほぐすみたいに指先で押えた。


 うう……もう泣きそうだ。

 絶対的に相性が悪いんじゃないだろうか。どうして子どものころは普通に遊べたんだろう。

 冬志さんも同じ気持ちなのか、深々と溜息をついた。


「……とにかく……」

「は……はい……」

「春花家でおまえの『仮婿』を探していると聞いて、婚約を言い出したのは親父だ。次男の俺を、春花に送り込んで、名家を親戚に持つことで箔をつけようって算段だ。俺は勝手にしろと答えた。まさか話が進むとは思っていなかった」

「はい……」


 ここは設定通りだ。

 俺があっさりうなずいたので、冬志さんはちょっと拍子抜けしたみたいだった。


「……わかっていたのか」

「あの……はい、きっとそうだろうなって……」

「腹は立たないのか」

「立つって……なぜですか?」


 俺は思わず首を傾げた。冬志さんの眉がひそめられる。


「……家名を利用したいと言っているんだぞ。そんな理由で縁談を申し込まれて、失礼だと思わないのか」

「ええと……でも……他におもいあたる理由もありませんし……」


 俺は真剣に答えた。冬志さんの眉間のしわが一本増える。

 

「なら、どうして受けた? その……男の嫁になりたいのか」

「ええと……」


 再び詰問されて俺は確信した。


 冬志さんは、縁談を断わってほしかったんだ。


 やっぱり、この世界とゲームとは、ちょっと設定が違う。そもそもヒロインが俺ってあたりで同じなわけはないんだけど、加えて、冬志さんが俺なんかと結婚したいとも思えない。

 やけに真剣な顔をちらっと見上げ、また手元のメモに視線を戻した。


 なにをどこまで話すかはもう決めてある。


 冬志さんには、前世とかゲームとかの内幕は打ち明けられない。

 狩野さんと約束したからってこともあるけど、この世界では、まず乙女ゲームの概念を説明するのが難しい。テレビは普及してきてるけど、まるで大きな箱だ。冷蔵庫だって上の段に氷を入れて冷やす方式だし、掃除機もまだない。携帯電話もスマホもパソコンも、インターネットもない。

 そんな世界で、ソシャゲなんかどうやって説明すればいいんだ。ましてや、この世界のできごとが、他の世界で乙女ゲームとして予言されており、俺がそのヒロインなんて……。


(……妄想だと思われておしまいだ……)


 それでなくても、この人は俺を嫌いだ。信じてくれるはずがない。

 なんとか差し支えのないところだけ説明しよう。

 そのために、説明すべきことを事前に整頓しておいたんだ。俺はメモ用紙の端をつまむ指先に力を入れて、深呼吸した。


「せ、せ、せ、説明します。冬志さんは、どういうふうに聞いておられますか。《仮婿》についてはどこまでお聞きになりましたか」


 緊張のあまり棒読みになっている。


「春花家のしきたりだろう。現実には男だが、擬制的に女性としてふるまうことで女性ということにし、春花家の後を継ぐ資格を得る、と聞いている」

「……そ……そうです」


 実は、俺も、ちゃんと知ったのは一週間前なんだけど。


 春花家の娘は十六才になったら許嫁をさだめ、ゆくゆくは婿として迎えて、家を継ぐ。

 そこまでは俺も聞いていた。男である俺は、正式に家を継ぐことができない。子どもの頃から、親族の中で肩身が狭かった。俺に妹が生まれなかった場合、俺は「仮当主」になる。俺自身が何とかして娘をもうけるまで、俺は中継ぎを務める。そういう話だった。

 その話には、もう一個の説明が付随していた。


 仮当主は、男であってはならない。


 だから「花婿」をとる。「花婿」をとることで「女」となったと見なされて、春花家を継ぐ資格を得るという考え方だ。

 それが「仮婿」という制度なのだった。


「……大昔のしきたりだと思ってました。まさか、今の時代になって、そんなことをするなんて。でも本当だったんです。両親は、俺が十六才を迎えるのに備えて、こっそり『仮婿』に来てくれる相手を探してたらしいんです」






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