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1-3.モブ……ヒロイン? 


 ピチチチ。

 木立で小鳥がさえずった。

 たんぽぽにとまったテントウムシが、赤い背中をピカピカ光らせている。

 狩野さんの目もキラキラしてるし、耳もピンと立っている。


 その春の暖かい空気のなかに、俺の呆然とした声が響いた。 


「……え?」

「じゃって、ヒロインのほうが楽しかろ? このゲームをプレイしてたならヒロインになりたかろうと思ってな! ワシなりに配慮したのじゃ」


 狩野さんがにかっと笑うと、八重歯が見えた。

 いや、肉食獣の犬歯かな。

 食べられる寸前の草食動物って、こんな気持ちなのかもしれない。


「す、すみません……ヒロインって……女の子でしょう? 俺、男ですけど……?」

「そう、ワシもそれを心配しておった。お主が男になったのは、転生を急いだせいじゃろう。前世の記憶が強く残っていたために、肉体も引きずられて男になったんじゃな。お主、幼少期に身体が弱かったじゃろ」

「はい」

「急に肉体が男子に変ったために、身体のできあがりがちょっと追いついとらんかったんじゃ。そのためにお主は幼少期、身体が弱くなったというわけじゃ」


 狩野さんの説明を聞きながら、俺はだんだん血の気が引くのを感じていた。


 あれ?

 俺が、ヒロイン……? だったらどうなるってこと……?


「待ってください……このゲームの粗筋、どんなでしたっけ……?」


 思わず声が震える。


「スマンが、ワシは中身までは把握しとらん」

「えーとえーと、これ、乙女ゲームですよね? 乙女ゲームって、ヒロインが男性と恋愛するゲームなのでは……?」

「ほぉ~、そうなのか?」


 あらすじはどんなだった? 

 こめかみを押さえて必死で記憶をたどる。

 俺、ここに来る直前、思い出しかけてた気がする。

 あのときなにをしてたんだっけ。狩野さんの登場から、すっかりわやくちゃになっていたけど……。


(確か……写真を見せられたんだ……冬志さんの……)


 写真のなかに固定された、黒いセーターのストイックな横顔が浮かんだと同時だった。

 雪崩のように、前世の記憶が流れ込んできたんだ。

 

 大人気乙女ゲーム、「花開く帝都の夢恋」――通称、《はなこい》。

 ヒロインの春花かおるが、上流階級の子弟がつどう学園「修陵院学園」を舞台に、イケメンたちと恋をするゲームだ。

 イケメンたちは、ゲーム内では花婿候補と呼ばれている。

 この呼び方は、春花子爵家のしきたりと関係がある。


 俺のうまれた春花家は原則として女系相続と定められている。息子じゃなく、娘が家を継ぐという意味だ。

 春花家の長女は十六才になると許嫁をさだめ、正式な跡取りとなって、ゆくゆくは春花家の当主となる。

 よそのおうちにお嫁に行くことはできない。配偶者は、よそから迎え入れる。

 現に、当主としてバリバリ一族を仕切っているのは父ではなく、母さんだ。そして、父さんは入り婿で、母の代理として貴族院議員をつとめている。代理というのは、貴族院議員になれるのは男性に限定されているからだった。明治維新後、華族に許される特権は男性限定とされるようになり、それが春花家の現在の困窮の原因らしい。

 それでも春花家は頑固に「女性当主」を貫いている。

 だから、ゲームの中で、ヒロインが探す相手は「お婿さん候補」なわけだ。

 


 さて、《はなこい》の始まりは、かおるの両親がかおるに持ってくる縁談だ。

 かおるは、家のためとは言え、好きでもない相手と結婚するのを嫌がる。


「自分の意思を持って、新しい時代を拓く女性になりたい」


 それがかおるの希望だった。とても立派だと思う。

 かおるが縁談を断わると、両親はある条件を出す。


 断わりたければ、婚約者候補を連れてくること。


 そこでかおるは、知合いの男性に頼んで、両親の前で恋人のふりをしてもらう。この男性たちがゲーム内では「花婿候補」と呼ばれていて、かおるに協力してくれる。

 やがてかおると花婿候補の絆はふかまっていき、かおるも花婿候補に恋心を抱くようになる。


 実は、《はなこい》では、花婿候補たちは最初からかおるに好意を持っている。花婿候補とラブラブしつつ、色んなトラブルをクリアして、正式に婚約する日を目指す。


 クライマックスは七月のヒロインの誕生日(そう言えば俺も七月生まれだ。俺はやっぱりヒロインなのか……)。

 その日、皆の前で正式な婚約発表が行なわれて、ヒロインは次期後継者となる。

 このとき、攻略ルートの花婿候補が名乗りを上げてくれれば、ハッピーエンドってことになる。  


 そして、花婿候補とヒロインを襲う「トラブル」の最大のもの。

 それが、親が持って来た縁談の相手、「厳原冬志」だ。

 悪役。修陵院ではその超然としたようすから、「王子」「貴公子」なんて呼ばれてる。でもその内実は、人を人とも思わない、冷たくて傲慢な男――って設定になっている。

 ヒロインとの縁談も、愛情からじゃない。 

 華族である春花家と姻戚になれば、厳原家にとっても損な話じゃない。名家と姻戚という箔が付くからだ。

 そのため、春花家のしきたりに目をつけて、結婚を申し込んでくるのだ。



「……というゲームなんです。最終的に、七月の誕生日に、ヒロインと花婿候補は、冬志さんの悪逆非道を皆の前で糾弾して、ヒロインの両親も納得し、冬志さんとは破談になります……」


 俺は狩野さんに思い出したことを説明していった。というより、狩野さんに話すことで頭を整頓していったんだ。

 酸欠みたいにくらくらする。急に情報が流れ込んだせいかもしれない。

 深呼吸して顔を覆った。そうしながらちらっと思った。


(……俺の知ってる『冬志さん』のイメージには合わないなあ……)


 目まいがしたのは、前世の記憶のせいだけじゃない。

 だって……同じだ。


「それで、同じなんです。……さっき俺が聞かされたのも、冬志さんとの縁談なんです……両親はノリ気なんです。冬志さんと結婚しないかと……。そこも一緒です」

「ああ、それがさっきお主が見せられとった写真の男か。知りあいか?」


 無邪気な狩野さんの問いに、俺はちょっと返事に詰まった。

 知ってるかと言われれば、知っている。

 ――でも。


「はい。……幼なじみです」


 俺はほほえんだ。

 ちょっと語尾が曖昧になったかもしれない。変な沈黙になって、狩野さんの金色の目も不思議そうに俺を一瞥した。ただ、狩野さんはそれについては質問しなかった。もっと気になっていることがあったらしい。

 狩野さんはほっとしたようににっこりした。


「よかったわい。どうやら無事にシナリオが始まりそうじゃな。お主はこの世界のヒロイン……今お主が話したことが、これからのお主の運命じゃ。無理にねじ込んだ甲斐があったというものじゃ」


 狩野さんはぽんぽんと俺の肩をたたいた。


「実はのう、ワシも心配しとったんじゃ。男になってしまったら、乙女ゲームのヒロインにはなれんのじゃないかと。乙女ゲームでヒロインというからには、女じゃろ? じゃが、いやー、やればできるもんじゃのう!」


 俺が男であるにもかかわらずヒロインになれたのは、たぶん春花家にある古いしきたりのせいだ。

 でも今はそんな解説どころじゃないよ……!


「まあ、前世の記憶が残っておったのは計算外じゃったが、そのへんを消してワシは帰るから、お前は好みのイケメンを選んで、いかようにでも……」

「すすすすすいません、待って、待ってください……!」


 さっきから頭に浮かんでいる恐怖のシナリオがある。

 もう俺は指先だけじゃなくてくちびるまでぶるぶるしていた。なんとかしようと胸の前で手を組んでみたけど、だめだ、とまらない。輝くような春の野原なのに、俺の周りだけ氷室みたいにひんやりしている。


「つつつつつつまり、俺……俺がヒロインってことは……これから、《はなこい》のとおりに、見知らぬ男性たちから求愛されるってことですか……!?」

「うむ、そう言うたじゃろ。よかったのう!」


 狩野さんはふっくらしたほっぺたで破顔した。


「ごごごごめんなさい、俺……俺、困ります……!」

「ん?」

「俺……ヒロインになりたくないです……!」


 狩野さんは笑顔のままだった。


「……ん?」

「俺……男の人とは……恋愛する気がないんです。考えたこともありません」

「え?」

「……あまり女子の友達がいない、って言うかそもそも友達もそんなにいないので、おつきあいとかしたこともないですけど……でも……俺の意識としては……男の人をそんな目で見たことなんてありません。ヒロインになるのは無理です」

「……全く無理か?」

「すみません……全く無理です」

「……ヒロインになりたくない……?」


 涙目でうなずくと、狩野さんは眉根を寄せた。

 しばし考え込み、やがて姿勢を正し、腕組みして、真面目な顔をする。


「言いたいことはわかった。そうなのじゃな」

「そうなんです」

「……しかしそれは、思い込みということはないか?」

「え?」

「このへんの世界線は、『そう』だということはわかっておる」

「『そう』……?」

「つまり男同士の恋愛は、ない、という習慣が強いということじゃ。そのせいでお主は思い込んでおるだけではないか?」


 い、いきなり何の話だろう?

 俺は唖然として狩野さんを見つめた。

 森の暗闇を背負った狩野さんは、何だか一回り大きくなったように見えた。目がきらりと光って、何だか飲み込まれそうだ。


「な……なにをですか……?」

「本当は男にも恋できるのに、できない気になっているのではないか?」

「え……そんなことは……」

「まあ待て。よっく考えてみよ。お主はおのれを偽っているのかもしれんぞ。人間は、わかっているつもりでいながら、誰よりも自分のことを知らぬものじゃ。お主は自分を全てわかっていると言えるか?」

「そ……それは……言えません……けど……でも……」

「人が『そんなことはない』と言うとき、心の中の『そんなこと』を殺しておるものじゃ。それゆえに、否定するということは、裏を返せば肯定している。本当に男に興味がないなら、口にする必要がないのに、お主はわざわざ言明した。これすなわち、お主の無意識には違うものがあるということじゃ」

「で……でも……」

「ないと思うか? 思って当然じゃ、無意識とは人にとってはわからぬからこそ、無意識というのじゃ。じゃが心の裡をのぞき込んでみるがいい。お主が思うておる自分は、まことの自分か? 自分では見届けられぬほど深い深い奥、夢と心が生まれてくる、無意識の底の底を見つめるのじゃ……」

「う……うううう……」


 混乱してきた。

 俺は頭を抱えた。

 そんなことない。と思うけど、それは思い込みだと言われたら……。

 

「……そ、そうなんでしょうか……? 俺は……男性に恋をする要素を持っている……?」 


 そのとき、不意に狩野さんが花の中に倒れるように突っ伏した。


「すまん! 悪かった! ワシが卑怯じゃった!!」

「……ハッ……!!」


 俺も我に返った。

 狩野さんはもう大きくは見えない。のどかな花がホットケーキ色の髪の周辺で、さわさわと揺れている。


「……この狩野、一生の不覚じゃ。ミスをごまかそうとしてお主を言いくるめようとしてしまった……こんなに素直にノッてこられると罪悪感が半端ない」

「あ……、俺……今……?」

「クッ……責任に向き合おう。まさか最初の黒歴史がこうもあとを引くとは……同期ナンバーワンのこのワシが、なんたることじゃ……。しかしお主も暗示にかかりやすすぎる。だまされやすすぎじゃ。人を簡単に心の中に入れるもんではないぞ」

「す、す、すみません」


 俺が謝るところなのかわからなかったけど、思わずあわあわと頭を下げてしまった。 


「……いや、謝るな。ワシの責任じゃ。ではお主は嫌なんじゃな? ヒロインになるのは」

「は、はい!」


 急いでうなずく。


「わかった。で、なんと言うたか、いま見合い話が来ている、幼なじみのそやつ……」

「厳原冬志さんです」

「そう、そのトウジじゃ。その冬志とも結婚したくない?」

「はい」

「他の花婿候補とも……」

「はい、花婿候補の……」


 震えそうな声で花婿候補たちの名前を挙げようとして、俺は口を開けたまま、はた、と絶句した。

 名前が出てこない。

 あらすじの記憶と、ぼんやりしたイメージはあるのに、名前も顔も浮かんでこない。俺がもう知っている人なのか、これから出会う人なのか、それさえわからない。


「ま、前世の記憶は深いところにあるからのう、思い出すのにきっかけがいるんじゃろ。……いや、しかしそうか……そうじゃよな……このゲームやってたのがお主じゃないなら、そうじゃよな……」 

「……はい……」

「となると、なんとかせんといかんな。そうじゃな。お主は強く出られると拒めんじゃろう。気が弱い。よく言うと素直じゃが……、男から泣きながら土下座して頼まれたら、かわいそうになって抱かれてやってしまうようなやつじゃ」

「そ、そこまではないです」

「いや、ある。迫られたらズルズル言うなりになってしまうところが目に見えるようじゃ」

「そっ……そんな……ことは……」


 ないと思うけど……。

 さっきのことがあるから、強くも否定できない……。


「……ううむ……」


 俺と狩野さんは無言でうなだれた。

 モンシロチョウがゆっくりと、シロツメクサの上を舞っている。

 俺は見るともなしに、ふわふわとした白い羽の動きを目で追っていた。

 きれいだなあ……。さっきから衝撃的な話の連続で、俺の頭はもう飽和していた。何も考えられない。一生この花畑で平和に暮らしたい……。


「……もう少しで異動願いが通るところじゃったに……」


 狩野さんはそんなことをつぶやいた。あどけない子どもの顔が引き締まり、集中するように宙の一点を見つめた。あぐらの膝がゆっくりと揺れ始め、やがてそれがとまると、狩野さんは勢いづけるように、ぽん、と太腿をたたいた。


「雪花薫よ。……ひとつ、約束を守れるか」

「えっ?」

「前世のことは誰にも言わないこと。狩野に誓えるか」


 狩野さんの目が、光を反射してきらりと光った。俺は飲まれてうなずいた。


「は……はい」

「よろしい。それさえ守ってもらえるなら、特例として、ワシはひとつ規則を破ってもよい」





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