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1-1.結婚話と死神の登場


「け……けけけけけ……?」



 春の午後、温かい居間。

 響いた声は、くぐもっていた。


 鳥の声でも、誰かの笑い声でもない。

 聞き返そうとして途中で詰まっている、情けない声だ。俺の。

 何か言いたいんだけど、頭のなかがめまぐるしくて口から出ていかないんだ。


 俺は――というのは、つまり俺、春花薫は、年季の入ったゴブラン織のソファーの上で、おやつのマドレーヌをくわえたまま「けけけ」としか言えずにいた。


 俺の前のテーブルには、釣書と写真。

 黒いセーターを着た男性が写っている。

 テーブルの向こうには、にこにこしてる母さんと、心配そうな父さんが並んで座っている。


 さらにふたりの背後には、生まれてからずっと馴染んできた我が家の居間が広がっている。

 今ではすっかり落ちぶれてしまったとは言え、春花家は、家だけは昔のままだだっ広い。


 古めかしいけれど、手入れのいいヴィクトリア朝の飾り棚や、木の窓枠が、春の日差しをつやつやと反射している。庭に向かったフランス窓は開け放たれて、花の香りが流れ込み、白いレースのカーテンが庭の緑を反射しながらそよいでいる。気持ちよさそうな紗の影が、ラグに淡い縞の影を揺らしている。


 平和そのものだ。

 そんな午後の春花家で、追い込まれてるのは俺一人だった。


 だって、午前中で高等部の入学式が終わって,ピカピカの一年生が帰宅しておやつに呼ばれるなり、こんな話をされるなんて、誰が予想すると思う? 


 作り付けのマントルピースの上の鏡に写ってる俺がちらりと見えた。

 我ながら気に入ってない小柄な身体は、帰宅した制服のブレザーのまま。

 小作りで子どもっぽい顔立ちは、そのブレザーの紺に負けないくらい、血の気が引いて青い。見るからに小心者なのがわかる。


 俺はみぞおちを押さえた。

 俺は今、びっくりしてる。

 びっくりどころか、驚愕とも、衝撃とも言っていい。でも、それ以上の何かが起こってる、気がした。


 吐き気がこみ上げてくるのに似た、強烈な目まいが襲ってくる。

 うしろにスウッと吸い込まれていきそうで、俺は思わず、ソファのひじかけにぎゅっとつかまった。


 なんだこれ。

 周りの音が遠くなってゆく感じがした。知ってる、という予感が大きくなってくる。


(俺、知ってる……この結婚話を……?)


 うふふふ、と母さんの幸せそうな笑い声が聞こえた。


「薫さん、びっくりしたのね。嬉しいですわ」

「……え……」


 声が出て、俺は少し我に返った。ひじかけをつかむ手をゆるめて、俺はほっと息をついた。

 何だったんだろう、今の感覚……。

 向かいのソファでは、父さんと母さんが心配そうにしていた。いや、心配顔をしているのは父さんだけで、母さんはきらきらした笑顔だ。春の花みたいに輝いている。


「うふふ、サプライズがうまくいきましたわね、ね、あなた! 薫さんには話さないようにしてきましたもの。びっくりしてもらおうと思って、タイミングをはかってたんですけれど……」


 母さんは顔の前で手を組んでキャッキャしている。

 ふわっとした髪をゆるく桜色のリボンで束ねて、やわらかいベージュのワンピースを着た母さんは、もともと年齢よりも若く見えるのだけれど、今日は特に頬をほてらせてまるで少女みたいだ。

 父さんのほうはそんな母さんに困ったような笑みを浮かべている。父さんはスラッと背が高く痩せ型で、いかにも品の良い紳士だ。


「母さん、落ち着いて薫をよく見なさい。それどころではないから」

「え?」

「まるで気を失いそうだよ」


 俺はこくこくとうなずいた。母さんは小動物めいた黒目がちの瞳をぱちくりさせて、


「まあ……そんなに嬉しかったんですのね……? 仮婿が」

「ち……違います……!」


 やっと咳き込むように言葉が出た。ひょうしに、歯形の付いたマドレーヌをぽろっと落しそうになって、慌てて膝の上で受け止めて、皿に戻す。


「そんな……仮婿なんて、ただの古い言い伝えだったんじゃないんですか……? だって俺は男なのに、男の人と結婚なんて……!?」

「言い伝えじゃなくってよ。ひいおばあさまからこちら、娘が継いできたので行なわれてなかっただけですの。今年の七月、あなたもいよいよ十六才。ちゃんと仮婿を選ばなくってはいけませんわ」

「でも、よりによって……!」


 テーブルの上の写真を指さした俺の指は、ぶるぶる震えていた。いや、声もだ。動揺してる。ちょっと涙目だし。我ながら情けないけど、とめることができない。

 写真には、冷たいくらいに怜悧な面差しの男性が写っている。男から見てもかっこいい。俺はこの人を知っている。

 あのザワザワが戻ってこようとしている。

 結婚話にびっくりしたせいもあるけど、それだけじゃない。

 俺は知っていた気がする。

 高等部の入学式の日、俺は結婚話を聞かされる。相手も知ってた気がする。

 初耳なのに初耳じゃない。

 どうして? どこかで大人の話を小耳に挟んだことがあっただろうか。


 ううん、そんなんじゃないな。

 もっと根本的で、もっと古い記憶――……。


 デジャヴ。

 初めて行った場所でも知ってたり、今までしたことのない行動をもうやった事があるように感じたりする感覚のことだ。


 まちがいない。俺――これ、知ってる。この展開。


(……でも、どうして……?)


 なんだか目の前まで暗くなってきた。

 俺はそれでも必死で反論した。 


「……よりによって、どうしてその相手が、冬志さんなんですか……!」

「だって、あなたがた、とても仲良しだったじゃないの……」


 母さんの声が遠くなっていく。

 くらっとして、意識が闇に引き込まれていくのを感じた。

 視界が暗くなってゆく。足もとが浮いて――ああ、墜落していく、とおもった――デジャヴだ。俺は、デジャブに飲み込まれようとしてるんだ。


 そうだ。

 知っているはずだよ。

 だってこれは、ゲームの世界。

 乙女ゲーム「花開く帝都の夢恋」じゃないか……。




***************




 陰鬱な声が耳もとでした。


「思い出してしもうたか……」

「う……うわあ!?」


 おもわず悲鳴を上げて飛びすさる。振り返ると、俺の背後には、スラッとスレンダーなキツネがいた。


 キ……キツネ?

 ……だよね?


 初めて見た……けど、キツネだと思う。

 犬よりは鼻先が尖ってて耳が大きいし、しっぽもふっくらふくらんでいる。金色の目がキラキラしてきれい,……というか野性味があって、確実に俺より強いって圧がある。そわそわした感じで歩き回りながら、その目は離れることなく俺を観察している。

 俺は呆然と床に手を突いたまま、キツネのキラキラする黒目から視線を離せずに、一緒に首を動かした。

 声を出した人(男の人の声に聞こえたけど)は見当たらない。


 空耳だったのかな?

 それより、なぜうちの居間に、キツネが……?

 キツネに知合いなんていない。でもなぜだろう。俺はこのキツネを知っている。会ったことがある。


 俺はくらくらする頭を押えた。次の瞬間こぼれた言葉は、自分でも想像もしないものだった。


「し……死神……?」


 死神……?

 死神って……死神……?

 なんでだろう。ただ、頭に浮かんだ。これと同じ瞳を見たことがある。この言葉がふわっと頭の中でよみがえったんだ。


(……キツネが……死神……?)


 我ながら、何言ってるんだろう……。

 一人で苦笑しかけた瞬間、キツネが、俺のつぶやきの意味がわかったみたいに、かっと口を開けた。

 真っ赤な口に白い牙がずらっと並んでいて、思わず俺がビクッと飛び上がると同時に、キツネはおたけんだ。

 日本語で。


「かああっ、そんなことまで憶えておったか!? やっぱり……記憶の洗浄が不充分じゃったか……時間が足りん気はしとったんじゃ」

「え? え? えっ!?」


 しゃべった!?

 さっき聞こえた声だ。

 しかも立て板に水というか、すごい流ちょうに。


「ええい、トロいやつめ。しゃべりもするわい、ワシは死神じゃ! こう見えて百年生きて死神に就職したのじゃぞ,若造! 憶えておったんではないのか!?」

「百年……死神……? え……え……えっ……?」

「おぬしはオウムか!?」

「えっえっえっ、ご、ご、ごめんなさ……!」


 わけがわからない。

 でも死神だからしゃべれると言われれば、それは納得いくかも……。

 なんて思いながら、気が付いた。

 死神ってことは……?

 血の気が引く。


「ってことは……まさか俺、寿命……?」


 他に死神が俺に用事があるとは思えない。つまり俺の人生はこれで終わり……!?


「と……父さん、母さん……!」


 俺はあたふたと振り返って気がついた。


 風が柔らかく顔を撫でた。しめった草っぽい匂いと、むせかえるような香気が鼻をつく。モンシロチョウがふわっと目の前を横切った。

 両親も、壁も、家具も、フランス窓も、カーテンも消えていた。


 春の……野原……?


 俺の手と膝は、咲き乱れるシロツメクサやハコベ、オオイヌフグリ、ホトケノザ、などのなかに、もさっと埋もれていた。てのひらにさわる土は、温かく湿っていて柔らかい。

 誰もいない。うららかだ。小鳥のさえずりだけが響く。森の中にぽかっと空いた野原、というようなところだろうか、周囲は木立に囲まれていて、晴れやかな空が、木立によってまるく切り取られている。抹茶色した鳥が音を立てて繁みから飛び立つ。

 現実味はあるのに、メルヘンだった。


 な……なにこれ……。


 へたりと力が抜けた。俺は草の中に座り込んで、呆然と首を巡らした。


「俺……寝てるのかな……? あ、そうかも……寝てるんだ……」


 頬をつねってみる。痛い。夢でも痛いってことあるんだな。横でパサッと聞こえて、キツネがせかせか尻尾を振りながら歩み出てきた。


「現実逃避するな。ここはワシが疲れたときにこっそり癒されに来る秘密のスポットじゃ。憶えておらんか? お主がここに来るのは二度目じゃぞ」

「……え……?」

「……ふうむ。そのようすでは、憶えていたと言っても一部のようじゃの。あまり慌てなんでもよかったか。せっかちなのがワシの玉に瑕じゃ。……では改めて自己紹介じゃ」


 キツネが宙返りをすると、どろんっと煙が立って、地面に降りたったのは賢そうな男の子だった。

 ええと……小学校に入る前……くらいに見える。喪服みたいなスーツをビシッと着て、頭にベレー帽をかぶっている。

 言葉遣いはおじいさんみたいだったけど、ご本人はとてもかわいかった。

 つぶらな目も金色だ。キラキラと輝いている。髪の色はホットケーキのような明るい茶色。日に透けると黄色に輝く。

 完全に人間だったけど、ずらしてかぶったベレー帽の下から、キツネのおおきな三角耳がぴょこんと飛びだしていた。


 キツネさん、お子さんだったんだ……。

 俺はぼんやりと見つめていた。キツネが人間になったんだからうろたえるべきなんだろうけど、もう慌てる余力はなかった。いきなりキツネが現れ、人間の言葉で話し、森の中に移動してるんだから、頭がついていかない。


 キツネさんは、せっかちな仕草でスーツの胸ポケットから名刺を取り出し、指先で挟んでピシッと差し出した。


 ――天国 魂省 人生部 死亡課 死神 狩野。


「カノウじゃ。思い出したか」


 にっこりすると、狩野さんは見た目通り幼く見えた。


 天国?

 魂?

 死神?


 呆然としていると、頭の中で断片がまとまっていく。


 忘れていた夢を思い出すような。

 俺の記憶だけど俺のものじゃないような。

 そんなうっすらした記憶。

 たとえば、子どもの頃読んだことがあるのをすっかり忘れていた、そんな本だ。もうバラバラになってしまって、黄ばんで破れたり虫に食われたページの切れ端を、一片、もう一片と拾って、ちぎれた数行を読むような……。


 膝の上で、指がガクガクしはじめた。


 そうだ。

 俺は、前世では違う世界にいたんだ。


 この街の名前は「東亰」だけど、向こうでは「東京」と書いた。

 「太正」ではなく「大正」で、十五年で終わってた。

 こちらではもう太正六十四年だ。


 死んだとき、俺は男子高生。今と同じ年齢だった。


 そして、ここはゲームの世界。

 タイトルは「花開く帝都の夢恋」といった。




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