理想と現実 ー後編ー
病室で漸く目が覚めたフレデリカは、ただ窓から澄み渡る青空を眺めて居た。
其処から見える景色は、世界の惨状とは無縁な程美しく、今までの事がまるで嘘の様だと感じた。
「お加減の方は如何でしょうか? フレデリカさん」
伽音がそっと声を掛け、フレデリカは自分の意識が此処に無かった事を実感した。
「あっ……ごめんなさい。えっと、もう大丈夫です」
何時にも無く弱気で、細々とした声で告げる彼女は、心が空っぽに成ったかの様に、只ぼんやりと伽音を見つめる。
(そっか……私、負けたんだ)
彼女の脳裏に、あの悪魔の様な少女の不気味な笑みが浮かび上がる。
そして、蕀で締め上げられ全身を引き裂かれた事も思い出してしまう。
彼女は途端に怖くなり、自分で自分の身体を抱き締める様にして蹲った。
(嫌! 嫌! もう嫌!)
あの時味わった痛みや苦しみ、太刀打ち出来なかった悔しさ等が込み上げて来て、彼女は涙が止まらなくなった。
「フレデリカさん! しっかりして下さい!」
伽音は彼女の背中を擦り、優しく抱擁する。
「お辛かったのでしょう。私には分かってあげられませんが、自分を責めないで下さいね」
様々な感情が渦巻き、声を上げて泣き続ける彼女。伽音は彼女が泣き止むまで、静かに寄り添ってあげた。
暫くして漸く泣き止んだ彼女は、伽音にお礼を述べて顔を洗いに手洗いへと向かった。
鏡に写る自分の顔は酷く、とても他人に見せられるものでは無かった。
(聖組織にも成れない落ちこぼれ共がイキッちゃって)
あの少女の言葉が木霊する。
そんな事は分かっていた。事実メルカートで手洗いに入る前にも寥と勝太に告げたのだから。
「でもっ……それでも……」
彼女はまた涙が溢れ出し、その姿を誰かに見られたく無かった為、そのままトイレの個室へ閉じ籠った。
"メアリー=スー"。抑あの存在が全てを破壊したのだ。
幼い頃、フレデリカは両親と自分、家族3人で平和に暮らして居た。
所が"其れ"は何処からともなく現れ、大災害を引き起こした。その被害に巻き込まれ、家も家族も失った。
そして、あの日から誓ったのだ。ああ言う身勝手な人間を許さないと。自分には偶々能力が有り、これは悪を倒せと神が与えた奇蹟なのだと。そう信じていた。
しかし、現実は違った。身勝手の塊の様な少女にこの力は通用せず、手も足も出せずに敗北した。
何が行けなかったのか? 努力が足りなかったのか?
鍛練を怠った事は無く、決して驕らず、常に自分に厳しくして来たつもりだった。
「私の何が悪かったの……」
彼女は答えなど見えないと分かっていても、自問自答を止められ無かった……。
一方、刀矢も目を覚まし眼鏡を掛けて伽音を見る。
「体調の方は大丈夫ですか?」
刀矢は手足を軽く動かし、問題なく動く事を確認する。
「ああ、大丈夫そうだ。世話になったな」
刀矢は深々とお辞儀をした。
「いえいえ、此れが私のお仕事ですから」
伽音は優しく微笑んで答えた。そう言う彼女の目の下には隈が出来ており、休まずに看病し続けて居てくれた事が伺える。
「ああ、それと治ったばかりで申し訳ないのですが、貴方のクラスのエリンさん。彼女どうにか成らないんですかね?」
其れを聞いた途端、顔をしかめ手で顔を被う刀矢。
「ああ済まない、彼女には俺も手を焼いているんだ」
あのお転婆娘は制御不能だと伽音に告げる刀矢。
「そうなんですか……。実は彼女、治ったばかりの七瀬さんに重症負わせて来たんですよ! 考えられません!」
やや八つ当たり気味に刀矢に愚痴る伽音。
やっぱりかと言う顔で、返す言葉が見付からない刀矢は、仕事を増やしてしまった事を謝罪した。
そして、フレデリカが居ない事に気付く。
「そう言えば、フレデリカはもう大丈夫なのか?」
「ああ、彼女でしたらお手洗いに行きましたよ。一応、退院の許可は出してあるのでそのまま何処かへ行かれたのでは?」
刀矢はそうかと一言呟き、自身も退院の許可を貰い病室を後にした。
刀矢が向かったのは中央学園の屋上だった。
すっかり夕方に成ってしまったが、此処から眺める景色は心を落ち着かせるのに丁度良く、彼は好んでよく足を運んでいる。
周囲を取り囲む様々な風貌の学園に、メルカートを始めとした様々な離島を見渡す事が出来る。
刀矢も自分が学園に来た理由を想い返していた。
風見家は極東にある島国の中でも其れなりに名の知れた武家であった。
代々男が当主を務めて来た風見家だったが、彼の姉、刀花が能力者かつ幻創天装の発現者であった為に、次期当主は刀花が務める事となった。
彼は姉と木刀同士での稽古でも、只の1度も勝てた試しが無く、能力も持たない為、一族から恥さらしと呼ばれ続けた。
それ故、剣術を学び自力で中央学園に入学したのだ。全ては姉を越え、自身が伝統を貫き当主になる為に。
しかしその後、刀花が神代学園から聖組織本隊へと推薦されたと聞き、彼は益々立場を失って行った。
焦りは自分の腕を更に鈍らせ、事実メルカートで好き放題やっていたあの少女に負けた。
自分のクラスの教え子さえ守れなかった。
後悔と無念だけが渦巻き、落ち着かせる為に此処へ来たと言うのに、中々治まらなかった。
自分は何の為に戦っている? 只、姉を越えたいが為に戦っているのか?
戦う理由は何だ? 何故この道を選んだ? 只、力を誇示するだけなら他の道も合っただろうに。
誰かを救う為? 守る為? 違う、守りたいのは自分自身じゃ無いのか?
刀矢は目を背けていた事実と向き合って見る事にした。そして、1人の少女に連絡を執り、シュミレータールームへと向かった。
「手間を執らせて済まないな、互いに治りかけだと言うのに」
「そうね、貴方から連絡が来るとは思って無かったわ」
そう、呼び出したのはフレデリカだった。
刀矢は刀型聖印武装を装備して中へ入る。
「遠慮は要らない。タービュランスで来てくれ」
「どう言うつもり? それじゃあ差が着き過ぎるでしょ……」
フレデリカは気付いてしまった。相手と対等にしようと考えていた事。それ自体が相手を下に見ている、つまり自身が驕っている何よりの証拠だと。
「いいえ、分かったわ、駆けろ『タービュランス!』」
彼女の掛け声と共に両手足に装甲が顕現し、翡翠色の光を放つ。
そして、試合開始のブザーが鳴り響いた。
先手を切ったのはフレデリカだ。一旦バックステップして後退し、壁を蹴った反動を利用して音速域での蹴りを繰り出す。
刀矢は其れを読んでいたかの如く素早く抜刀して、弾き返した。
「悪いな、姉の太刀筋の方が速かったものでな」
刀矢は蹌踉けたフレデリカの隙を逃さず、間合いを詰める。
「秘剣、『彼岸桜』」
あの少女に繰り出した全方位攻撃だ。
フレデリカはその場で回転し、両手足を使って斬撃を相殺していく。
その隙に更に追い打ちを掛ける刀矢。
「剣技、『燕翔』」
居合いによって生み出された真空刃が、まるで燕が飛翔するかの様にフレデリカに迫る。
「面白いわね! なら!」
フレデリカは両手を交差させてから、徐々に広げて同じ様に風の刃を作り、前方に展開して突撃する。
『イーグル・ストライク!』
刃と刃がぶつかり合い、激しい火花を散らして共に消失する。
フレデリカは再び両手に風を纏い刀矢目掛けて放つ。
『ウィンド・カノン!』
放たれた2つの風の砲弾が刀矢に迫るが、刀矢は目を閉じ静かに呟く。
「剣技、『閃花』」
横に薙ぎ払った一閃が、見事に2つの砲弾を真っ二つに斬り裂く。
フレデリカは其れを見越して、砲弾を放った反動で天井を蹴り、音速の蹴りを空中からお見舞いする。
『シューティング・スター!』
薙ぎ払った隙を突かれた刀矢は刀で防御するが、威力を殺しきれず吹き飛ばされる。
フレデリカはそのまま床を蹴ってV字を描く様に刀矢に追撃する。
『ゲイル・ヴォルテックス!』
最早、嵐と化した風の渦の中に飛び込み、加速しつつ刀矢に迫る。
当然刀矢もそれを見越し、迎撃態勢に入る。
「秘剣、『真月!』」
刀矢が抜刀すると凄まじい真空刃が巻き起こり、フレデリカの嵐を相殺した。
「馬鹿な!?」
無防備に宙を舞うフレデリカに刀矢は空かさず追撃する。
「剣技、『月光!』」
抜刀された刃は三日月を描く様に斬撃を生み、フレデリカの腹部を軽く斬り付けた。
「ぐっ……」
フレデリカは軽く出血している腹部を抑える。
「やるわね……でも、私だって負けたく無い!」
再び風を巻き起こし、全身に纏うフレデリカ。
「私の本気、見せてあげるわ!」
両手足にエネルギーがチャージされて行き、軽く床を蹴った瞬間フレデリカの姿が消えた。
構える刀矢だったが、一瞬にして蹴り上げられ、そのまま空中で連撃を浴びせられる。
「奥義、『ストリーム・レイン!』」
シュミレータールーム内には無数の翡翠色の軌跡しか見えず、とてつもない速さの連撃を受ける刀矢。
留めと言わんばかりに空中で身体を捻り、踵落としを決めるフレデリカ。
刀矢は瞬く間に落下し、床に大穴を穿つ。
(決まった!)
確かな手応えを感じ、内心勝利を確信してふわりと着地する。
しかし、フレデリカが着地するとほぼ同時に、無数の刀の形をした真空刃が突き出し、全身を貫かれた。
「秘剣……『五月雨』……」
「ぐふっ……まさか……こんな隠し玉を持ってたなんてね……」
全身を貫かれたフレデリカは吐血し、そのまま床に倒れ込んだ。
刀矢の方も納刀する力も無く、その場に倒れ込む。
2人は同時に意識を失った。
目が覚めた時、2人は医務室に居た。
「あれ程忠告したのに……何でこうなるんですか!」
伽音は相当お怒りの様子だった。
「2人共、教導官何ですからちゃんとして下さい!」
「す……済みませんでした……」
「申し訳ない……」
2人共にただ謝る事しか出来なかった。
「2人共、1週間の謹慎処分にしますからね!良いですね!」
2人に断る権利など無いに等しく、大人しく1週間を過ごす事になってしまった……。
ー1週間後ー
漸く伽音の許しを得て、退院する2人。次は1ヶ月にすると脅迫にも似た忠告を受けて、恐る恐る学園へと帰る2人。
「あっ! 先生~、おっ帰り~!」
大燥ぎで呼び掛けながら、刀矢に飛び付いてくるエリン。
「離れろ! 俺は退院したばっか何だぞ!」
「だって~、先生居なくて退屈だったんだもん!」
刀矢から離れ、両手を腰に当てて態とらしく不貞腐れる態度を執る。
「あら、可愛いガールフレンドが居たとは。貴方も隅に置けないわね」
フレデリカが、からかう様に言う。
「何を言ってるんだフレデリカ! こいつはそんなんじゃないぞ!」
「先生ったら酷~い。こんなに健気に帰りを待ってたのに!」
2人のやり取りを見て少しだけ笑顔を見せるフレデリカ。
「じゃあさ! 早速訓練しよう! そうしよう!」
刀矢の腕を強引に引っ張って、無理矢理連行するエリン。
「止めろ! そしたら今度は1ヶ月だぞ……」
段々と声が小さくなって行き2人が見えなくなった所で、フレデリカは独り歩き出す。
「あ! 居た居た! フレデリカさん!」
先程のエリンの様に駆けてくる寥の姿が見えた。
「……。」
しかし、彼女は無言だった。
「先ずは退院おめでとうございます! 無事で何よりでした!」
「ええ……此れでまた戦えるわ……」
寥が激励するが、彼女の表情は暗かった。
「やっぱり、まだ気分が悪いんですか? なら……」
「ねぇ! ちょっと……良いかな?」
話の途中で彼女が口を開き、やや俯きながら答えた。
「私も同い年なんだから、その……敬語で話すのやめてくれない……?」
寥は一瞬驚いたが、彼女の気持ちを汲み取った。
「分かったよ。じゃあ今度から普通に話すね。あっ然う然う……」
寥はそう言って、丁寧に包装された包み箱を取り出し、彼女に手渡した。
「何これ?」
「ほら、君のハンカチ。この間僕を応急処置してくれた時にダメになっちゃったでしょ? だからさ、良かったらこれ使ってくれないかな?」
彼女が箱を開けると、水色のハンカチに青い蝶の刺繍が施された、可愛らしいハンカチが出てきた。
「これを、私に?」
「うん、助けて貰ったお礼だと思って」
彼女は急に涙目になり、寥を見つめた。
「私は……私は貴方を助けられてなんていない! 事実、貴方だって大怪我して運ばれてたでしょ!」
「でも殺されずに済んだ。敵の狙いは明らかに僕だったし、こうして生きてるんだから、それは助けた事になるよ」
何処までも真っ直ぐで直向きな寥の言葉に、彼女は何かが吹っ切れた様な気がした。
「でも!いえ……ありがとう……。私、貴方がこの学園に来てくれて良かったって思うわ」
彼女は目を閉じ、大事そうにハンカチを胸に当てて、スカートのポケットに仕舞った。
「気に入ってくれたかな? だと良いんだけど」
「ええ、ありがとう寥。でも訓練で加減はしないからね!」
「勿論、互いに全力でぶつかろう!」
2人は握手をして、改めて挨拶をした。
「これからもよろしくね!」
2人の間に有った筈であろう壁は、何時の間にか崩れ去り、新たな物語を紡ごうとしていた。
ーPM22:00、とある国ー
其処には、華やかな建物が建ち並ぶ美しい外観をして、沢山の店で賑わう繁華街や、無数の高層ビル群が聳え立つ都市開発区域などで盛り上がる街があった。
しかし、其れは表向きの話。
街の下層部には貧困街、所謂「スラム」が広がっており、上層部との間には大きな貧富の差が表れていた。
スラムに住む人間は多く、その殆どが富裕層の所有物の様な扱いを受けている。
男性は強制労働。女性は風俗送り。子供は奴隷として売られるか、富裕層の憂さ晴らしに使われる。
ある時は暴力を受け、ある時は小銭を投げ付けられ笑い者にされ、またある時は強姦される。
そんな中を独り彷徨う少女が居た。
その少女は、赤く目立つ長い髪と蒼い瞳を持ち、ボロ布を纏って裸足で歩いていた。
「おなか……すいたよ……なんか……たべたい……」
食べ物を求めて彷徨う少女は、様々な理由で亡くなった人々の亡骸を横目に見て、ひたすら歩き続ける。
少女もまた、様々な"暴行"を受けて来た身であり、身体は大分衰弱していた。
「嬢ちゃん食べ物欲しいのか?」
その時だった。黒いスーツを着た男が突然声を掛け、少女に近付く。
「うん……ほしい……」
少女は濁った瞳で男を見上げ、食べ物を懇願する。
男はへへへっと厭らしい笑みを浮かべ、ズボンのチャックを下ろしながら答えた。
「じゃあ、俺のをやるよ。上手に出来れば美味しいモノが食べれるぜ」
男は少女の前に"ソレ"を突き出す。少女にとっては最早慣れた行為であり、何の躊躇いも無く、"ソレ"を咥え様と近付く。
そして、両手でしっかりと握ったその時、男は背後から剣で貫かれた。
「ぐふっ! なにしや……」
剣が勢い良く引き抜かれ、それが回転すると今度は鎌へと形状を変え、瞬く間に男は斬り裂かれた。
「そんなタンパク質の塊よりも、もっと美味しいものが食べたく無い?」
少女の前に現れたのは、漆黒のドレスに身を包み、黒髪の縦ロールの髪型をして、不気味に輝く紅い瞳を持つ少女だった。
「初めまして、私は"ミノス"。貴女、名前は?」
少女は虚ろな目でミノスと名乗った少女を見つめ、静かに呟いた。
「モニカ……わたしはモニカ……」
ミノスはにっこりと微笑むと、モニカの傍まで来て蹲み、彼女を見つめる。
「それで? 答えは決まったかしら?」
「たべたい……いっぱい……たべたい……」
ミノスはその返事を聞いて彼女の胸に手を当てた。
「汝、その内なる"罪"を解き放ち、汝を縛る枷を打ち砕かん」
モニカは急に喉を抑えて苦しみ出す。そして、咳き込み、その身体の大きさからは考えられない程、大量の唾液が溢れ出した。
「汝の"罪"は《暴食》」
ミノスが告げると、モニカは黒い狼の様な獣へと姿を変えた。
「さぁ、ご馳走は山ほど用意して有りますよ」
ミノスの目線の先には、富裕層の人間達が詰め込まれている檻があった。その中には嘗て自分たちを虐げた者も含まれていた。
「じゃあ、遠慮無く平らげちゃってね~」
ミノスが指を鳴らすと檻が開き、富裕層の人間達は一斉に逃げ出す。
しかし、獣は瞬時に飛び掛かり、1人も逃さぬ勢いで、喰らい付いて行く。
「罪には罰を。悪には裁きを。抑圧には解放を」
大勢の悲鳴と肉を抉る音、そして血飛沫が吹き出る音が鳴り響く中、ミノスは意にも介さず、不敵な笑みを浮かべ小さく呟いた。
「そして、生命ある者には死を」
全てを平らげた獣は、少女の姿へと戻った。
「ごちそうさま……」
其処には跡形も無く、ただ大量の血が飛び散っているだけだった。