7、あなたでなければ
隣国にレオナール様が旅立ってから、早三日が経ちました。
ダレイの首都は、このエングラッドからはかなり離れているので、行きも帰りもかなり時間がかかるのです。
旦那様曰く、戻ってくるのは一週間ほど後だということでした。
わたくしの心はその間、千々に乱れておりました。
仕事に影響をおよばさないよう、日中はレオナール様のことを考えそうになるたびに、太ももを針で刺します。
その痛みで、わたくしはようやくメイド長としての自分を取り戻せるのでした。
「やはり、わたくしに恋や愛は不要でしたね……」
こんな体たらくになってしまうのであれば、レオナール様と初めから出会わなければよかった。そう思いました。
堅物メイド長と皆に煙たがられながらも、愛など知らずに過ごしていた方が平和でした。
しかし、もうわたくしは以前のわたくしではありません。
夜になると、レオナール様のお顔や、声や、口づけの感触、それから愛の言葉を告げられたときの高揚感などが思い出されて、地獄のように苦しめられました。
「ああ、ああ……。レオナール様……!」
見苦しいと自分でもわかっています。
それでも、わたくしはあの方のことを忘れられませんでした。
お見合いが成功すれば、いつかこのエングラッドから永久にいなくなられるのでしょう。
それを想像すると、身が引き裂かれる思いでした。
ふらふらと、わたくしは寝巻のまま裏庭へと向かいました。
わたくしだけの秘密の場所……。
以前、レオナール様と並んでお話したあの岩場へ赴きます。
「はあ……」
夜風が吹く中、わたくしは足元の野草を見下ろしていました。
表の庭には咲いていないような、つつましやかな花です。
それにわたくしはいつのまにか自分を重ねてしまっていました。
そうか。だからこそ……この場所がとても落ち着けていたのですね。
レオナール様は今、どうされているのでしょうか。
もしかして、お見合い相手の方に一目惚れなどされているのでは――。
「うっ……ううっ……」
泣きたくないのに、今日もまた勝手に涙が流れてきます。
わたくしの中で、こんなにもレオナール様の存在が大きくなっていたようです。
けれど、けれど、もう……。
「もう遅い? そんなことはないと思いますよ」
「えっ?」
声がした方を振り向くと、そこには執事長のアルバートがおりました。
はっ、寝間着姿……。
自分の服装のはしたなさを振り返って、こんな格好でつい出てきてしまったことを後悔します。
しかし、アルバートはまるで気にしていない様子でした。
城でまだ仕事をしていたのでしょう。アルバートは燕尾服を着たままでした。
彼はすでに所帯を持っており、城下町の一角に家もかまえています。仕事が終われば、彼は城ではなくその家に帰るのです。
「イザベラ、私もずっと独身でいようと思っていた時期がありました。ですが、今は愛する妻と暮らしています」
「何が言いたいのです?」
涙をぬぐってわたくしは毅然と言い返します。
「いえ、どれだけ歳をとっても、いつだって自分を変えることはできるということです。貴女は有能な方。ならば、気持ち次第でどうとでも生きていくことはできるはずです」
「そうかも、しれませんわね」
「ええ。旦那様も、奥様も、この城に住む者はみな、貴女の幸せを願っています。どうか、幸せになることを諦めないでください」
「アルバート……」
彼はそれだけ言うとさっさと城へ戻っていってしまいました。
「幸せを諦めないで、ですか……」
わたくしは満天の星空を見上げました。
しばらく見つめていると、その向こうに、愛しいレオナール様の笑顔が見えた気がしました。
数日後。
わたくしたちはまた、エングラッド城の建物前に整列しておりました。
今日はレオナール様が隣国ダレイから戻られる日。
そして――。
お見合いの結果もどうなったのかがわかる日でございました。
初めて会った日と同じような光景に、わたくしの胸は高鳴ってまいりました。
やがて、南の大門から馬車がやってきます。
それが玄関前に到着すると、御者がステップを出して中からレオナール様が降りてこられました。
「……っ」
久しぶりのお顔でした。
わたくしはすでに、目頭が熱くなってきております。
レオナール様は旦那様と奥様を一瞥すると、すぐに周囲を見渡して、何かを探しはじめました。どうやらそれは――、
「イザベラ殿!」
ああ、あの声。
低く、それでいてよく通るお声。
あのお声がわたくしの名を呼んでいます。
「イザベラ殿! ただいま帰った。息災であったか」
言葉になりません。
熱いものが喉までこみあげてきて、今にも泣き出してしまいそうでした。
「お、おかえりなさいませ。レオナール様……」
どうにかそれだけ絞り出すと、レオナール様はまた、あの日のようにわたくしの前にひざまずかれました。
そして、皆が注目する中、わたくしを熱く見つめられたのです。
「イザベラ殿。一週間ものあいだ会えずにいたが、私はより、自覚した。やはり私は……貴女でなければ駄目だ」
「レオナール様……」
「見合いは丁重に断った! だからもう一度、伝えよう……。イザベラ殿。このレオナールと、結婚してもらえないだろうか! 私の妻に、なってくれ!」
ここ十日ほどのあれこれが思い返されます。
決して長い間一緒にいたわけではありませんでした。
しかし、しかし……。
今のわたくしは、これ以上ないほどこのお方を必要としています。
「レオナール様」
「……ああ」
「恐れながら、レオナール様」
「ああ、なんだ?」
「わたくしは……」
その深く、青い瞳を見つめます。
それはどことなく、また断られるのだろうな、と若干諦められている目でもありました。
しかしそれでもいいと、希望に満ち溢れている目でもありました。
わたくしはこの目がとても、とても好きです。
「わたくしは……」
わたくしも、貴方とでなければ。
もう……。駄目なのです。
「わたくしも……わたくしも貴方が好きです。どうかわたくしと、結婚しては……いただけませんか?」
「ああ、ああ。勿論だとも!」
レオナール様は立ち上がると、わたくしを強く抱きしめられました。
全力でしめつけられたらきっと潰れてしまいそうですが、そこはレオナール様。絶妙な力加減でわたくしを抱擁なさってくれます。
瞬間。
わあっと、周囲の使用人たちが歓声をあげました。
レオナール様の肩越しに、騎士団の方々も、旦那様方も、良かった良かったと笑顔で拍手をされています。
わたくしは、嬉しいやら恥ずかしいやらで、目を伏せてしまいました。
すると、久方ぶりにこの唇に。
レオナール様の唇が、重ねられたのでした。
完
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