6、二人きりの食事
レオナール様には、いよいよ各国の要人からお誘いがきたようです。
王族の近衛兵。
軍部の将校。
そうした武力面の勧誘がほとんどだったそうですが、そのほかには「我が娘と」というようなお見合いのお話も――あったそうです
わたくしはなぜか、胸の奥がもやもやとしておりました。
レオナール様がたくさんの方々から必要とされるのは、とても良いことです。
良いこと。なのに、どうしてでしょう。
貴重な戦力がこの地から去っていってしまうのを、惜しく思っているのでしょうか。
わたくしは自分の心がよくわからないまま、その日もメイド長としての仕事をこなしていったのでした。
帳簿をつける作業を私室でしておりますと、コンコンと軽くノックがされました。
そういえば、そろそろ夕食の時間です。
皆は食堂で食べますが、わたくしやアルバートなど上級使用人は個室で食べる権利がありました。
「はい。開いております。どうぞ」
許可を出すと、給仕係のレナが料理を乗せたワゴンをゆっくりと押して入ってきます。
「失礼いたします。あの、イザベラさん……」
「どうしました、レナ?」
レナは、部屋の中央にある丸テーブルの前で、なぜか皿を並べるでもなくもじもじと立ち尽くしたままでした。
「お夕飯なんですが……こちらにその、二食分置いてもよろしいでしょうか?」
「はい? 二食分? いったいどういうことです」
レナはちらりと後方を振り返ります。
部屋の外にはなんとあのレオナール様がいらっしゃいました。
「れ、レオナール様!」
「やあ、イザベラ殿。私もいまから食事を摂ろうと思っていたんだが、そちらでご一緒してもよろしいかな?」
わたくしは思わずレナを見ました。
どうしてこうなったのかと、問いただそうとする前にレナが先に白状します。
「お、お許しください、イザベラさん! 本来、ここに男性は入れない決まりですが、レオナール様がどうしてもこの棟に入らせてくれと望まれましたので、断れず……」
「……わかりました。ひとまずそこにワゴンを置いたまま戻りなさい。この方にはわたくしからお話をしておきますので。回収も、自分でしますから気にしないで」
「あ、ありがとうございます、イザベラ様。それでは失礼いたします」
レナは、軽く頭を下げると足早に立ち去っていきました。
わたくしは万年筆を置き、やれやれと立ち上がります。
「レオナール様。下級メイドをあまり困らせないでくださいませ」
「申し訳ない。ただ、どうしても貴女とともに食事をしたかったのだ」
「お気持ちは嬉しいのですが……。わたくしが率先して規範を破るわけにはまいりません。レオナール様は、今は騎士団の兵舎で食事を摂られているのでしたね? そちらまでこのお料理をお運びしましょう」
わたくしは移動する前にと、自分の料理だけワゴンから降ろしておくことにしました。
しかし、それをレオナール様が制します。
「……レオナール様、お戯れはおやめくださいませ」
「そうじゃない。どうしてそう、頑ななんだ。わかった。ではここではなく、兵舎の私の部屋で共に食べよう」
「え?」
「そこは別に女性を入れてはならないなんてルールはないはずだ」
たしかに、騎士団には昔から男性しかいないので、ここのような規則はありませんでした。
「それは、そうですけれど……」
「なら早く行くぞ」
そう言って、レオナール様はワゴンを押して勝手に外へ出ていかれます。
「あっ!」
なんということ!
貴族の方に給仕用のワゴンを押させてしまいました。
わたくしは急いで後を追い、レオナール様と替わります。
「ああ、お止めください! わかりました。わかりましたから。わたくしが押します。ですからレオナール様はもう何もなさらないでくださいませ!」
「そうか? 悪いな」
余裕のあるご様子に、わたくしはカッと顔が熱くなってまいりました。
このままでは、レオナール様の思惑通りになってしまいます。
どうにか会食を避ける手立てはないものかと考えましたが、あっというまに騎士団の兵舎まできてしまいました。
しかたなく建物に入り、騎士団長の部屋へと向かいます。
それは一階の南側にありました。
昼間ならきっと陽が燦燦と差しこんでいたでしょう。そう思わせる窓の多いお部屋でした。
「レオナール様。どうか席におかけになっていてくださいませ」
「ああ、すまない」
わたくしは中央のテーブルにワゴンから料理を移しはじめました。
肉のたっぷり入った野菜スープに、ライ麦パン、豆の煮もの、そして三種類の果物。
本来ならもっと豪勢な料理を召し上がれる立場でいらっしゃるのに、レオナール様はなぜか、他の騎士の方たちと同じ食事にされていました。
「では、ごゆっくりお召し上がりくださいませ」
そう言ってさりげなく退出しようとすると、レオナール様がめざとく気付いてわたくしの前に立ちふさがりました。
「だから、ともに食事をしたいと言っているだろう。貴女の分もそこに置いてくれ」
「いえ、ですが、わたくしは……」
「そのまま帰るというのなら、また口づけしてしまうぞ」
「えっ!?」
わたくしは思わず両手で口元を隠しました。
体温が上がりそうになるのを必死で抑え、レオナール様から一歩離れます。
「されたくなかったら、この一度だけでいい。ともに食事をしてくれないか」
「でも……」
「ルールには違反しないはずだ。頼む」
「……わかりました。今日だけですよ?」
わたくしはしぶしぶ、自分の皿をレオナール様の席の反対側に置きました。
そしてその席に着きます。
前を見ると、レオナール様が嬉しそうに微笑んでらっしゃいました。
「では、いただこう」
「はい……」
さっそくスプーンを取ったレオナール様とは対照的に、わたくしは緊張のあまり、どう体を動かしていいかまったくわからなくなりました。
しかし、ぼーっとしつづけているのも失礼かと思い、とりあえず両手でスプーンを持ってみます。
「うん、美味い! やはり野菜がたくさん入っているのはいいな。肉もしっかりと煮込まれている」
レオナール様はひとくちひとくち、噛み締めるように味わっていらっしゃいました。
今までも、これより美味しいものを召し上がったことはあるでしょうに。
どうしてそんなに幸せそうにしてらっしゃるのか、不思議に思って見ておりますと、レオナール様はごくりと飲み込んでおっしゃいました。
「旅の間は……こういうまともな食事にはなかなかありつけなかったのだ。いつ魔物が襲ってくるかもわからなかったし、調理する時間もほとんどとれなかったからな。食材は毒のない野草か、固いモンスターの肉ぐらいだった。だから、どんな料理も今はとてもありがたい」
「そうだったのですか……」
本当に、過酷な任務をされてきたのですね。
そのお辛い状況を想像して、わたくしはじわりと涙があふれてきました。
「い、いただきます……」
レオナール様に気付かれないよう涙を拭くと、もう観念して、ここで食べることに決めました。
すでにいろいろと面倒くさくなってましたし、帰ろうとしてまたレオナール様に妨害されでもしたら面倒くさくなると思ったからです。
気になる殿方の前で食事をするのは、とても勇気のいることでした。でも、この方に「ともに食べてほしい」と求められたことは、とても光栄なことなのだと思いました。
「ん……」
大好きなレンズ豆の煮物を口に入れると、その素朴な甘みにうっとりします。
やはり料理長の腕はたしかですね。
まかないがおいしいのは、このお城で働けて良かったと思うことのひとつでした。
味わうことに集中していると、だんだん緊張が解けてきました。
もぐもぐと咀嚼しつつパンをちぎっていると、ふと目の前のレオナール様がわたくしをじっと見つめているのに気付きました。
「んんっ!」
一気にのどに詰まりそうになって、あわててコップのお水を飲み下します。
「はあ、はあっ……」
「だ、大丈夫か? イザベラ殿」
レオナール様に心配されてしまいました。
しかし、この方、ご自分の顔の良さに……気付いてらっしゃるのでしょうか?
その美しい青の瞳、そしてまっすぐな鼻梁。
お年を召されたがゆえの色気が全身からただよって……正直この距離で拝見しているには、つらいものがあります。
「うっ……あの、レオナール様。し、心臓に悪いです。そんなにわたくしを見つめないでいてくださいますか」
「それは、できない相談だな。もうすっかり食べ終わったし……愛しい女性が目の前にいるのに、視界に収めずにいるなんて無理だ」
「ああ……」
そうなると、わたくしはうつむいて食べるより他になくなってしまいました。
きっと今もレオナール様はわたくしを楽しそうにご覧になっているはずです。
四十歳は不惑と言われておりますが、この方と出会ってからは戸惑ってばかりでございました。
ようやく食べ終わって、一息ついておりますと、レオナール様がふうといつもとは違ったため息をつかれました。
「どうされました、レオナール様」
「ああ。いや、なに」
「……?」
なんとも歯切れの悪いお返事です。
他に用もなくなりましたので、わたくしは立ち上がって食器の片づけをはじめました。すると、レオナール様がふと背後から抱きしめてこられるではありませんか。
「あっ……レオナール様!」
「すまない。しばらくこうしていてくれないか」
「……っ」
レオナール様の腕は外そうとしてもびくともしなさそうでした。
わたくしはどうすることもできず、しかたなく言われたままにします。
しばらくすると、首筋にレオナール様の唇が降ってきました。
わたくしは両肩のあたりが毒でしびれたようになり、思わず叫び出したくなりました。
「あ、あの、レオナール様! どうか、お、おやめになってください。あの……」
「すまない。嫌か?」
「嫌、といいますか……い、いけません。レオナール様」
「貴女は……俺の求婚を断ったが、俺が原因で、断ったわけではなかったな……」
「えっ? ええ……」
言葉を発されるたびに、首筋がとてもくすぐったくなります。
レオナール様は今、なにかとても重要なことをおっしゃっているようでした。わたくしは我慢してそのまま聴きつづけます。
「あれは、あくまでイザベラ殿自身の理由だけだった。俺は、その答え方がとても嬉しかった」
「レオナール様……」
「好きだ。イザベラ殿。やはり俺の妻になってくれ」
「……」
わたくしは、どうしても……それにお応えすることができませんでした。
レオナール様はふっと息を吐くと、わたくしからようやく唇を離しました。
「隣国のダレイから……見合いの話が来ている。皇帝陛下のご親族も一枚かんでいるらしく、どうしても行かねばならなくなった」
「そ、そうですか」
「貴女はそれをどう思う?」
腕の拘束する力が弱まり、わたくしはレオナール様から離れました。
「レオナール様の、お心のままに。わたくしは……レオナール様の幸せを願っております。今まで、とてもとても苦労なさってきたのですから。わたくしなど、そんなレオナール様をご満足させることなどできませんわ……。良き、機会となりますよう」
じっとレオナール様の目を見つめて、わたくしははっきりとそうお伝えしました。
深く一礼して、すぐに部屋を出ます。
レオナール様は……もう追いかけてはこられませんでした。
食堂へワゴンを戻しにいく途中、ふと、取っ手に水滴がふたつぶ落ちてきました。
雨?
そう思って空を見上げても、そこには美しい星空が広がっているばかりです。
「あ……」
それは、わたくしの涙でした。
「これでいい。これで良いのです」
初めからレオナール様などいなかったと思えば。
初めからプロポーズなどされなかったと思えば。
しかし、胸にぽっかりと開いた穴は、わたくしの中を酷く冷たくさせるのでした。
ブクマ、評価ありがとうございます。
次回、最終話は23時過ぎに投稿予定です!