3、レオナール様のお心は
翌日。
わたくしは執事長のアルバートとともに、城の兵舎に来るよう旦那様に呼びつけられました。
行ってみると、そこには騎士団の方々とレオナール様がいらっしゃいます。
「ああ、来たかイザベラ。そしてアルバート」
「旦那様」
「これはまた……いったいどのようなご用件でございましょう」
不思議に思いつつ、旦那様の前までまいりますと、レオナール様も一歩前に出てこられました。
「レオナールは今日よりうちの騎士団に所属することになった」
「え、騎士団に?」
「城や領内の警備を……? なさるのですか。旦那様の弟君であられるのに?」
衝撃の人事に、アルバートとわたくしは驚きを隠せませんでした。
しかし、旦那様はひどく落ち着き払ったご様子です。
「私の弟だろうがなんだろうが、レオナールは魔王すら倒した男だ。その剣の才能は貴族でいさせるだけではもったいない。実践の場でこそ、その力は活きるはずだ」
「レオナール様は……それでよいのですか」
アルバートがやや躊躇いながらも確認します。
彼は、レオナール様の数少ない顔見知りのひとりでした。
「ああ。私の力は今後、この領地を守ることにささげたい。他国の兵をしりぞける一助となろう」
「レオナール様がそれでよいと申されるのでしたら……私からは何も」
「アルバートの心配もわからぬではない。だが、もう決めたことだ。私は今日より騎士団の一員となり、このウィルトン辺境伯領および、帝国全土を守るべく力をふるおう」
そうしてわたくしたちはレオナール様の新たな門出に立ち会ったのでした。
「さて、では兄上。さっそく警備に行ってまいります。アルバート、そしてイザベラ殿も。来てもらってすぐだがここで失礼する」
レオナール様は昨日お召しになっていたものとは違う、黒っぽい甲冑を着込んでらっしゃいました。それはまさしくエングラッド城の騎士団のもの。
わたくしはそれを見て何とも言えない気持ちになりました。
「あれが、自ら志願したのだ」
レオナール様が出ていかれた後、旦那様がぽつりとつぶやかれました。
「私の発案ではない。あやつ自らが、まだ剣を振るいたいと申したのだ。魔王なき今、己の力を……少々もてあましておるのかもしれんな」
力をもてあます、とはいったいどういうことでしょうか。
魔王との戦いが如何様なものであったかは、わたくしの知る由もありませんが、きっととてつもなく大変なことだったでしょう。
「レオナール様……」
わたくしはあの方が、少しでも平穏を早く取り戻されるよう心の中で願いました。
きっと、昨日突然求婚されたのも、そういったことが背景としてあったのかもしれません。いえ、むしろそうとしか思えません。
あの方のお心は今どういう状況なのでしょうか。
わたくしは、さらに気になってきてしまいました。
その日の午後。
衝撃的な知らせが城内に届きました。
なんと、レオナール様が北の森の木々を一掃なさったというのです。
ウィルトン伯爵領エングラッドは、城の南側が村、城の北側が広大な森となっております。
さらにその先には二つの山に挟まれた谷があり、その谷を抜けると隣国の国境があるといった具合でした。
旦那様はここから攻めてくるだろう隣国の兵を排除する役目をお持ちです。
しかし谷の前面にある広大な森が、長年視界をさえぎっており、防御にやや難がありました。
それをなんとレオナール様がおひとりで、見晴らしをよくされてしまったというのです。
報告に来た騎士団の方いわく、あまりに速く、強すぎる剣技だったと。
一振りするだけで三十メートル先が更地になった、ということでした。
「ふむ。この話はすぐに隣国にも届くだろうな。そうなれば、より攻めてこなくなるに違いない」
旦那様はそう言って喜ばれておりましたが、使用人の中にはさすがに恐怖する者も現れました。
人間離れした強さは時として人を恐怖におとしいれるのです。
夕方近くになって、レオナール様を含む騎士団の方々が戻ってこられました。
帰って早々、現職の騎士団長様が旦那様に自身の引退を申し出ます。
「ふむ、そうか。長い間ご苦労だった。して、理由はあれか」
「はい。私よりも、弟君であられるレオナール様こそ、騎士団の長としてふさわしいと思いました。どうかご一考くださいませ」
そうして、この日よりレオナール様が新しい騎士団長となられたのでした。
旦那様ご一家、騎士団の方々、そして使用人たちが、それぞれ順番に夕食を摂ります。
そして、そのあと各自お風呂の時間となるのですが……。
わたくしは女性使用人の中で一番上ですので、お湯も一番はじめにいただくことになっておりました。
城には三か所風呂場があります。
ご家族専用のお風呂。
兵舎のお風呂。
そして使用人専用のお風呂です。
使用人専用のお風呂は、使用人用の宿舎に男女別々で設置されております。
すみずみまで体を洗うと、わたくしはさっそく私服に着替えて城の裏庭へと向かいました。
洗濯場のさらに奥には、木が生い茂っていて野の花が咲き乱れている場所があります。
ここはわたくしだけの秘密の場所でした。
夜、ここに来ると、満天の星空が眺められるのです。
夜風に解いた髪をさらしながら、一息ついておりますと、誰かがやってくるのに気付きました。
わたくしは大きな岩に腰かけておりましたが、その者はわたくしの存在など関係ないといったようにずんずんと近づいてきます。
よもや不審者かと身構えておりますと、その相手はなんとレオナール様その人でした。
「おや、イザベラ殿。そこにいらしたのか」
「レオナール様」
どうして、と尋ねるより先にレオナール様がお答えになります。
「いやなに、寝る前に少し夜風に当たりたくなったのだ。というのは建前で……本当はイザベラ殿が、ここへいらしているのだと小耳にはさんだ。少しご一緒してもよろしいか?」
「レオナール様。わたくしはただのメイドでございます。こんな時間に二人きりでお話しするなど……よくありません。わたくしは一足先に戻らさせていただきます。では、おやすみなさいませ」
せっかくの癒しの時間だったのに。
わたくしが、ここでくつろいでいるともらした使用人はいったい誰なのでしょうか。
余計なことを。と、やや腹立たしく思いながらも、レオナール様と間違いが起きる前にわたくしはその場を離れようとします。
しかし気付いたときには、ぐっと手首をつかまれて引き止められていました。
「れ、レオナール様!」
「待ってくれ。少しだけ。少しだけ私の話を聞いてほしい」
「お手を、お手を離してくださいませ」
「いやだ。貴女がうなづいてくれるまで、離したくない」
「……っ」
わたくしはつながれた場所を熱く感じながらも、こうなってはもう逃れられないと覚悟を決めました。
「わ、わかりました。少しだけ、でしたら……」
「良かった。ありがとう」
わたくしはひとまず、レオナール様を先ほどまでわたくしが座っていた場所に座らせることにしました。手を一旦放していただき、ポケットからお気に入りのハンカチを取り出します。
「申し訳ありません。今こちらしか敷くものがございませんが、どうかここにおかけください」
それを岩場の上に敷き、レオナール様を導きます。
しかし、レオナール様はわたくしの腰に触れると、そのままわたくしを持ち上げてそこに座らせてしまいました。
「れ、レオナール様?」
これにはわたくしも驚いてしまいました。
まさか自分の体をひょいと持ち上げられるとは思っていなかったのです。いえ、体に触れられたのも驚いたのですが、それにしても一切力を入れられていないような動きに目を見張らずにはいられませんでした。
どのくらい力がお強いのでしょう。
「いくら貴女が使用人の立場だとはいっても、女性に気を使わせるわけにはいかない。ここにはイザベラ殿が座っていてほしい。私はその隣でよい」
そう言ってちゃっかりとわたくしの横に腰かけます。
今夜はまだ月が出ておりませんが、レオナール様は淡い星明りの中でもその端正なお顔を惜しげもなくさらされていました。
そうして、わたくしを熱のこもった眼でご覧になるのです。
わたくしはできるだけ冷静でいなければと自分に言い聞かせなければなりませんでした。