1、いきなりプロポーズをされました
※長岡更紗様の「ワケアリ不惑女の新恋企画」参加作品です。
ここはウィルトン辺境伯の城、エングラッド城――。
その建物前に、わたくしを含む城の者一同は集められておりました。
玄関の前には、この城の主のトーマス様が。
その隣には、奥様のローズ様が佇んでおられます。
そのさらに右手に、旦那様と奥様のそれぞれの侍従が。
さらにその右手に、男性使用人を束ねる執事長アルバートが。
そしてさらに右手に、女性使用人を束ねるメイド長である、わたくしイザベラが控えておりました。
以下、下級使用人たちはわたくしの隣に背筋を伸ばして並んでおります。
そして使用人たちと対を成すように左手に整列しているのが、城を警備する騎士団の皆々様でした。
今日は旦那様……トーマス様の弟君であられるレオナール様が、二十五年ぶりに帰還されるおめでたい日です。
庭には今日という日を祝福するかのように、庭師のケインが丹精込めて育てた花々が咲き乱れておりました。
やがて南の大門に、四頭立ての馬車が見えてまいりました。
それは建物前の広場にすべるようにしてやってきます。
ゆっくり停車すると、御者がうやうやしくステップを降ろし、そのドアを開けました。
初めて拝見しますが、あのお方が弟君レオナール様のようです。
レオナール様は、銀の甲冑に赤いマントをつけてまるで騎士様のようでした。
兜を外されていたので、お顔がはっきりと見えます。
「ただいま戻りました、兄上」
「よくぞ帰った。我が弟、レオナールよ」
旦那様が満面の笑みで出迎えられます。
旦那様もかなりの美形でいらっしゃいますが、弟君はそれに輪をかけて美しい殿方でらっしゃいました。
長めの、柔らかそうな金髪が朝日に輝いております。
目元は鷹の目のようにするどく。
また口は言葉を発しないときはキリリと引き結ばれておりました。
「……っ」
わたくしは思わず身を震わせました。
殿方に対し、こんな風に感じたのは初めてです。
じっと見つめてしまっているのは失礼に当たると思い、すぐに視線をそらしましたが、なぜか胸のあたりがとても苦しくなってまいりました。
「二十五年ぶりか。十五の少年だったお前が、すっかり見違えて……」
旦那様はそうおっしゃりながら、感極まっておられるようでした。
「ずいぶんと、ご無沙汰をしておりました」
「いや、私は……お前が無事に帰ってこられただけで心底嬉しいのだ。そしてよくぞ、陛下のご命令を遂行した。よくぞ、よくぞ……」
そうなのです。
レオナール様は、幼いころから剣技がずばぬけてお得意だったので、魔王討伐の任を皇帝陛下から直々に命じられていたのでした。
そしてこの春、見事魔王を打ち滅ぼし、エングラッド城に凱旋なさったのです。
「積もる話は山ほどあるだろうが、一旦中で休んでくれ。王都からはまた長旅だったろう」
「はい、お気遣いありがとうございます。兄上」
旦那様に促され、城の中に入っていこうとするレオナール様でしたが、ふとわたくしの方を見ると、急に立ち止まられました。
「ん? どうしたレオナール」
「……しい」
「何?」
「なんと、美しい」
レオナール様はわたくしの前にやってくると、いきなり跪かれました。
「私と……どうか私と、結婚してはいただけないだろうか!」
「えっ?」
わたくしを含め、その場にいる者はみな銅像のように固まりました。
わたくしは先月四十になったばかりです。
いまだ独身の身ではありますが……不惑といういい年をした女性にいきなり、しかもこんなところで求婚なさるとは。
レオナール様はいったいどうされてしまったのでしょう。
「おい、レオナールよ。どうした、疲れておるのか?」
そう誰もが思っていたであろうことを、代表して、旦那様がきいてくださいました。
「兄上、私は本気です! 本気で、この方を妻にしたいと思ったのです。兄上、この方のお名前はなんというのですか」
「……その者は、イザベラだ。この城のメイド長を務めてもらっている」
「メイド長、イザベラ殿……」
レオナール様はわたくしの方をもう一度向くと、今度はよりいっそう、熱く訴えられました。
「イザベラ殿。突然の求婚に、さぞや驚かれたことだろう。だが、先も言ったがこれは私の本心だ。貴女のような美しい人を前にして、なにもせず通り過ぎることなどできなかった……。どうか、どうかこの私、レオナールの妻になってもらいたい!」
「……」
わたくしはどうお返事をしていいものかと、周囲を見渡しました。
しかし、誰もわたくしを助けてくれそうな方はおりません。
旦那様も奥様も、額に手を当てて呆れられているご様子。
わたくしは、ここは正直に申し上げるしかないと思いました。
それがこの方への誠意だと。
たとえこれを機に今の職を失おうとも、それがこの方の「本気の気持ち」に報いるお返事だと思いましたので。
「レオナール様」
「ああ、さっそく返事をしてくれるのか、イザベラ殿」
「はい。まずは……わたくしのような身分の者に、そのような過分なお言葉をいただき、ありがとうございます」
そこでいったん言葉を切り、深く頭を下げます。
「ですが、」
「……?」
顔をあげると、レオナール様がいぶかしげな表情をなさっていました。
それでもわたくしは勇気をふるって言葉を続けます。
「申し訳ございませんが、そのお申し出、辞退をさせていただきます」
「なっ……」
レオナール様をはじめ、周囲にどよめきが起こりました。
でしょうね。
わたくしのような者が、貴族であられる方に失礼極まりないことをはっきりと申し上げるなどありえないことですから。
「な、なぜなのか、聞いてもよろしいか。イザベラ殿」
「はい。わたくしは、幼少時よりずっと身寄りがございませんでした。孤児院で育ち、十七の時にこちらで拾っていただいてから、ご恩をずっとお返しするつもりで働いておりました。ゆえに、生涯このエングラッド城で体が動かなくなるまでは勤め上げたいと思っているのです。……そういうわけですので、どうかわたくしのことはお忘れになってくださいませ」
「……」
周囲が、今度は沈黙に包まれます。
けれどこれが、わたくしのできる精いっぱいでございました。
レオナール様はしばらくうつむかれた後、すっくと立ちあがり、わたくしをもう一度正面から見つめられました。
「……やはり、私の目に狂いはなかった」
「は?」
「であれば、貴女の気持ちを少しずつ変えていくしかないな。私はもうなりふりは構わぬことにしたのだ」
「え? あの……」
「貴女に、ますます惚れてしまった。とりあえずまた話をしよう。では」
行きましょう兄上、と目を丸くしている旦那様の元へ歩いていかれるレオナール様。
奥様までご一緒に去られると、使用人たちが急にわたくしを取り囲みました。
「ちょっと、今のどういうことですか、イザベラさん!」
「なんで断ってしまわれたんですか!」
「本気って、つまり……本気ってことですよね?」
「これからどうするんですか、イザベラさん」
この日より、わたくしの波乱万丈な日々が始まったのでした。