第90話 海人族に会いに
ぎゅうぎゅう詰めの満員電車、終わることのない膨大な仕事量、理不尽で高圧的な上司、繰り返される消耗だけの毎日……。そんな夢を、見た気がする。
ソーマは微睡みの中で遠い過去のような夢の残滓をぼんやりと思い出しながら、びっしょりと掻いた額の汗を拭った。
どうやら日はかなり高いところまで登っているようで、取った記憶の無い宿の一室を見回しながらマキナも丸眼鏡もいないことを確認すると、冷たいシャワーに入って着替えを済ませたのち、部屋の窓を開けた。
窓からは街の喧噪と海鳥の鳴き声が聞こえ、涼しく爽やかな風が微かな潮の匂いを運んできた。
窓の桟に肘を置いて外を眺めると、多くの獣人、そして少数のその他の種族が街を行き交っている。こちらの世界の住人は一様に皆、幸せそうに見えた。
スキルや属性による越えられない才能の壁はあるものの、大多数の人たちは冒険者ではなく普通に生活をしている民である。世界の風潮なのか文化なのかは知らないが、働く時間は一日5,6時間と短く休日も週に2,3日なため、皆余暇が多く自分たちや家族、友人たちとの時間を楽しんでいるように思う。
聖書か何かで、地球では神が6日で世界を作り上げ7日目に休んだという記載があり、それが週休一日の始まりのような話を聞いたような気がするが、地球を作った神がそもそもちょっと働きすぎだったのかもしれない。
(まあヒト族の神は軽すぎるギャルみたいなヤツだし、魔神もルール無視して強そうなヤツと戦いに来ちゃうようなヤツだから、こっちの神はちょっとゆるいのかもな……)
視線を先に移すと港には多くの船が停泊しており、沢山の人たちが荷物の積み下ろしをしている様子が見えた。
その先には水平線まで海が穏やかに広がっており、水面には太陽がキラキラと反射している。
ソーマは改めて、幸せだなと感じた。
一応やるべきことはあるが、その日その日をどう過ごすかは自由である。休もうと思えば休める。
朝起きるのも夜寝るのも好きな時間で良い。お金に困ることもないだろう。
そして何より、信頼出来る仲間がいる。
先ほどちょっと軽口を叩いてしまったが、転生させてくれた女神には感謝しかなかった。
「お、ソーマ! 起きたのか! オヤジが早速海人族のところ行くってよ! 準備したら船まで来いよ!」
聞き慣れた声に視線を落とすと、宿の外からマキナが手を振って声を掛けて来ていた。
隣の丸眼鏡の手にはマキナと同じ白い饅頭が握られており、おそらく二人で朝から屋台でも回っていたのだろう。
ソーマは了承の意を告げると装備を身に着け、わざとゆっくりと屋台を物色して朝食を買ってから船に向かった。
なんとなく、時間をゆっくり使ってみたい気分になったのだ。
ロバーツ海賊団が停泊している港の一角へソーマが向かうと、マキナがその姿にいち早く気付いた。
「なんだおまえの分も飯買ってきてやったのに自分で買ってきたのかよ」
「あ、そうだったのか。ありがとう、それも食えるからあとで貰うよ」
どうやらマキナはソーマの分も買ってきたらしかったが、ソーマが自分の分を買ってきていると見ると「じゃあこれはあたしのもんだ」と大きな白い饅頭を頬張り始めた。
「のおおぉぉ……マキナ殿からの愛の朝食がああぁぁ……。いやしかしマキナ殿がソーマ殿のためにんぬふっ! 選んで買ったというじ、事実がんぬふぅぅっ!!」
「ジャックさんおはよう。大海竜狩猟、協力してもらえてありがたい」
「良いってことよ、約束だしな。だが行くのは俺の船一隻だ。倒すのはおめぇらの役目だし、何より昨日の賭けでうちのやつらがすっからかんだからよ、あっちはあっちで稼いでもらわねぇとな」
ジャックも丸眼鏡にはいちいち反応しないのが正解と心得たらしく、一人朝から暴走していても存在しないかのような扱いである。
大海竜狩猟にはジャックと船上員の海賊5名が着くことになり、船一隻でまずは海人族に会いに行くこととなった。
出港準備は整っており、海賊たちが帆を張ると船は早々に港を出た。
海人族は獣人族領土の西側の海に住んでいる。
港町ラスタは領土の北東にあるので、北回りに海を回っていくことになる。
マキナは身内の船ということもあって豪快に帆に突風を向けており、船は物凄い速度で航海を進めていた。
途中、洋上からはるか遠くにライル王都を眺望出来、王が鍛えているだろうフィオナのことをソーマは考えていた。
洋上で暇になってきたソーマは適度に魔法を放ちながらジャックに話しかける。
「そういえばジャックさん、Aランクスキル三つって言われてたけど初めから持ってたの?」
「まさかよ、幾つもの死線を潜り抜けていく中で少しずつ得ていったさ。大体Aランクスキルを得る時ってのは本当にヤベェ戦いの最中で目覚めるって感じだな」
ジャックの言葉にソーマは魔神戦や、王とマキナの戦いのことを思い出していた。
特定の相手――例えば神や王などと戦うことで得られるスキルもあれば、窮地に陥った時に初めて覚醒するようなタイプのスキルもあるのだろう。
まさにマキナと王の模擬戦でのマキナはそのような形で身体強化のスキルを得た。
「にしても娘のマキナがあんなに強くなってるとは思わなかったぜ。父親としては嬉しいやら悔しいやらだな。おまえと眼鏡もそこそこ強いのか?」
「ステータスはあたしの方が高ぇけど多分ソーマの方が強いぜ。丸眼鏡ッちは後衛だからな、さすがに1対1じゃ負けるこたねぇと思うけどよ」
どこかで話を聞いていたのかマキナが加わる。
「ほう、さすがはマキナが仲間と認めるだけはあるな。揃いも揃ってバケモンか」
「うーん、まだまだみんな強くなる予定だからね、全然物足りないよ。一応あと一人、仲間になりそうなのがいるんだけど今は王都で鍛えてもらってるね」
「おめぇらに付いていくならハンパな強さじゃキツいのはたしかだが、仲間ってぇのは強さだけで選ぶもんじゃねぇと俺は思うけどな」
ジャックは悠々と働く海賊の仲間たちに対し、家族を見るような優しいまなざしを向けていた。
数十人の海賊団をまとめる御頭ともなれば、強さ云々だけで仲間を選ぶことなどしないのだろう。
「ちなみにジャックさんは来るもの拒まず去る者追わず?」
「はっはっは、さすがに誰でもかれでもってわけにゃいかねぇな。まあでも仲間ってやつは自然に出来てくだろ。合わなきゃ去ってくし堅っ苦しいもんでもねぇ。ハートがあるヤツとは自然と打ち解けられるもんだな」
「そうだね、多分王都に残ってる一人も……なんていうかな、芯というか自分が自分として生きていくための大切なものを学んでるんだと思う」
「へっ、マキナに似て生意気なガキだ。嫌いじゃねぇけどよ」
「んぬふぅぅうっっ!!! み、未来の義理の父と談笑でござるか!!! が、頑固オヤジ公認のぉおプラトニックカッポゥゥォオオオオウ!!!」
一人盛り上がる丸眼鏡に構う者などもはや誰もいなかった。
「さあて、この調子じゃあと1時間くらいで着くから準備しとけよ」
「分かった、色々ありがとう」
マキナの突風のおかげでとんでもない速度で進む船は行程を大幅に短縮して海人族が住まう場所へとたどり着こうとしていた。
ソーマは海の中に住んでいる半魚人のような見た目なのか、それとも普通の獣人なのか色々と気になりながらも到着を楽しみにすることにした。
陽が傾き始めた頃、水平線の向こうに小さな島が見えた。
進めば進むほど意外と大きいことに気付くが、それでも小島と言っても差し支えない大きさだろう。
あと数百メートルで着岸と言った辺りでジャックはマキナに突風を止めるよう声を掛け、海賊達にも何やら指示を飛ばしている。
直後、水面から大きな影が飛び出したと思うとデッキに三人の海人族が上がってきた。
肌の色は魚のようで背や腕、体側の外側は鱗のようなものも見えるが、基本的には人型で、背びれや尾びれを持つ者もいる。
ソーマは魚風の獣人に近いけど思ったより魚寄りだな、と三人を見て思っていた。
「ロバーツ海賊団か、一隻で我々の島に何の用だ?」
「おう、用があるのは俺じゃねぇ。そっちの髪が黒い兄ちゃんに聞いてくれ」
ジャック達は海人族にも名が知れているのかと驚いたソーマだが、ジャックに促されたので丸眼鏡にムフフの袋に仕舞っておいてもらったライル国王の書簡を手渡しながら要件を説明した。
「大海竜の素材が必要でね、狩りに行きたいんだけど居場所が分からず困ってたらライル国王から海人族に聞けと言われて来たんだ」
「ほう……書類も正式なもののようだな。大海竜を倒したのってそれこそ10年以上前に国王が最後じゃないかねぇ。あんたら倒せる自信はあるのかい?」
「まあ一応……俺とそこにいるマキナは国王に模擬戦で勝ったし、そこの小っこい丸眼鏡も結構強いと思うけど」
「ん? 国王に勝ったのか? 嘘言ってるわけじゃないよな?」
三人の海人族は信じられないと言った顔でソーマとマキナを交互に見る。
「まあ俺もマキナも余裕があったわけじゃないけどね、何とかギリギリ」
「……そうかい。世界樹と魔神神殿の復活と言い、なんだか時代の流れが目まぐるしくなってきたな。国王がねぇ……」
海人族のリーダーと思しき男は感慨深そうな顔で書簡を眺めていた。
「で、案内はしてくれるのか?」
「ああ、むしろこっちとしても都合が良かった。最近海龍神様の祠の周りをヤツがうろついててね。海龍神の護り手と言われる我々でもヤツは厳しい相手なんだ。退けてくれるだけでもありがたい話だが、倒してくれるなら大歓迎だよ」
その後海人族の誘導で船はある程度まで島に近付き、錨を下ろして停泊させてもらうこととなった。
どうやら一般的な船はまず海人族の島に停泊させてもらえることはなく、かなり異例なことのようだ。
陽が沈まんとする海に海人族の島と、ロバーツ海賊団の船。もし前世であればその誇らしさに海賊達はスマートフォンで写真を撮ってSNSに投稿していたかもしれないなと、ソーマはくだらないことを考えていた。
海人族は翌日早速案内してくれるとのことで、ソーマ達は船でささやかな酒盛りを開きながら海賊達と一晩を過ごしたのだった。
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