表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
里帰りの傾向と対策  作者: 一里塚
3/6

第二章 その1

 僕が初めて携帯端末を所有したのは、小学四年の時だ。いわゆる子供用スマホと呼ばれる機種を、十歳の誕生日に祖母からプレゼントされた。秘書機能アプリ『デン』との出会いである。以来、ずっとデンちゃんと人生をともに──というわけでもない。


 僕は最初の端末を四年使った後、例外なく二年ごとに機種変更しているけれど、そのたびに別の秘書アプリに浮気をした。方言で話すアプリ、哲学的な返答をするアプリ、笑わせてくれるアプリ、ずっと笑い転げているアプリ、そして今も昔も不動の一番人気である有名人のキャラクターに似せたアプリ。

 これは、実在の著名人はもちろんのこと、歴史上の偉人からアニメの登場人物まで、ありとあらゆるキャラが揃っている。本人にそっくりな声とイントネーションで、こちらを見つめながら話しかけられれば、誰しも一度は嵌ってしまうこと請け合いだ。

 僕はたいてい、機種変後、約一週間の選択・試用期間を経て、本命の秘書アプリを決める。そしてそれを約一年使ったのち、デンちゃんに戻る。昔からずっとこのパターンだ。

 同じものを一年使うときもあれば、複数のアプリを数ヵ月単位ではしごする時もある。だけど最後にはデンちゃんに戻る。


 なぜ戻るのか? と問われても、答えに窮する。

 デンちゃんは秘書アプリの中でも割と初期にリリースされたもので、子供っぽいしゃべり方という以外に特徴らしい特徴はない。もちろん人工知能の発達に伴い随時バージョンアップしてはいるけれど、基本的には何も変わらない。話術が達者なわけでもなく、ユーモア、ウィット、エスプリも平均以下だ。会話して楽しいアプリは他にいくらでもある。こちらの依頼に対する仕事内容は、どのアプリでも大差ない。速さも、正確さも。

 しいていえばデンちゃんは、より親身になってくれているように感じる。気のせいかもしれないけれど、不思議なぬくもりがあるのだ。心理学か何かに基づいて、そんなふうに感じさせる言葉の選択をしている可能性もある。いずれにしても、そうした安心感が、僕をデンちゃんに引き戻すのだと思う。


 あともう一つ理由があるとすれば、久しぶりにデンちゃんと話したときの懐かしさが好きだ。生き別れた弟に再会した時のような。僕にとってデンちゃんは、自分よりもはるかに賢い弟なのだ。優しくて、頼りがいのある。


「デンちゃん、またしばらくお別れになるよ。週末に機種変することにしたから」


「PON! 今までありがとう! それから、お誕生日おめでとう!」


 僕は三十歳になった。とうとう。


「デンちゃんとの付き合いも、今日で二十年になるのか」


「二十年前の、午後八時十六分に、初めて会話をしたよ」


「八時十六分か、あと三十分だな」


 なんとなく、デンちゃんとおしゃべりをしながら八時十六分になるのを待つことにした。

 普段、デンちゃんとこんなに長く話すことはない。会話の頻度にしたって、二十年の間にずいぶんと減った。この会話自体、七日ぶりだ。


 スマホを手に入れたばかりの頃は、二時間でも三時間でも話し込んだものだ。大半は、まだ世の中のことをよく知らない僕が、一方的にデンちゃんを質問攻めにした。学校の宿題も、ほとんど毎日みてもらった。

 反面、友人関係の悩みや、恋の相談なんかは一切しなかった。同級生には、秘書アプリになんでも赤裸々に話す子もいたけれど、僕は違った。昔から一貫して、そうした話はしない。

 デンちゃんは子供の教育係も担っており、長く話すと、ときおり説教くさい面をのぞかせることがあった。生真面目でお節介な弟に、思春期の懊悩を包み隠さず話すことにはやはり抵抗があったのだ。


「6! 5! 4!」


 デンちゃんが元気よくカウントダウンを始めたので、僕も声を合わせる。


「3! 2! 1!」


 八時十六分になった。


「こういうときは、なんて言ったらいいんだろ。ハッピー・アニバーサリー?」


「二人の出会いに、かんぱーい! パチパチパチパチパチパチ!」

 端末のスピーカーから複数の拍手が鳴る。


「乾杯か……、まあいいや」


 デンちゃんが拍手したので、僕も手を叩いた。


「明日からまた仕事だね。どう? お盆休みは楽しかった?」


 僕は何も答えられなかった。そのまま、デンちゃんとの会話を終えた。


 どれだけ記憶を遡っても、これほど何もしなかった盆休みは思いあたらない。

 昼ごろ起きて、『笑って、いいのよ!』を見ながら昼食をとり、洗濯しながら高校野球を見て、夕方になると散歩がてらスーパーまで買い物に出かけ、そして夜はビール片手に雑誌を読み、それに飽きるとテレビを眺めて眠くなるのを待つ。そんな生活を七回も繰り返したのだ。

 初日と二日めの違いを説明しろといわれてもできない。六日めと七日めにしたって、栃木県民と群馬県民の気質の違いくらいの、あるかないか分からないほどの差しかない。


 しかし、そんな平坦な七日間でも、四日めだけは区別ができる。この連休中唯一といっていい、奇妙な出来事があったからだ。


 それはまったくもって不可解だった。

 前日同様、夕方四時にスーパーへ行こうと部屋を出た僕は、何気なく郵便受けを覗いた。僕がここを覗くのは、せいぜい月に一回しかない。どうせ入っているのはピザ屋のビラかピンクチラシ、あとはタウン情報誌くらいだからだ。この部屋に越して来て七年経つけれど、僕にとって有要な郵便物が入っていたためしはただの一度もない。この郵便受けを開ける目的は溜まったゴミを捨てる以外になかった。


 そんな訳で、その手紙がいつ配達されたのか正確には分からない。そう、僕は手紙を受け取ったのだ。封書の手紙を。


 差出人の欄に記されていたのは、僕より四つ年上の従兄の名前だった。

 企業のダイレクトメールや何かの案内状ならいざ知らず、知り合いから手紙を受け取るなんて、生まれて初めてのことだった。お互いEアドレスも知っているし、たまにだけれどやり取りもしている。わざわざ封書を投函する理由があるとは、どうしても思えなかった。

 一風変わった胸騒ぎを覚え、慌てて踵を返した。なにぶん初めての経験なので、このドキドキが期待なのか不安なのか、自分でも判別しかねた。


 手紙を読み終えると、僕の頭はなおのこと混乱した。なぜなら、内容がいたって平凡だったからだ。

 最近会ってないけど元気でやっているか、さくらちゃんとはうまくやっているか、近いうちにメシでも食わないか──そんなとるに足らないことばかりが、便箋二枚を使って、婉曲に記されていた。文字は肉筆で、あまり上手いとはいえないけれど、丁寧に書いたであろうことが窺えた。

 新手の詐欺かとも勘繰ってみた。しかし、連絡先や振込先の口座番号が見当たらないことからして、どうやらその心配はなさそうだ。


 僕はもう一度じっくりと手紙を読み返してから、従兄の端末へ、何故こんなものを送って寄越したのか? という旨のメッセージを送った。すると五分ほどして僕の端末が着信を知らせ、壁の奥に胸から上の巨大な聡ちゃんが現れた。


 半年振りに見る従兄の聡太兄は、半年振りとは思えないほどに老けて見えた。後ろで束ねるほどに長かった髪の毛は短く刈られ、随分と白髪が目立っていた。

 痩せたんじゃない? と訊くと、そうかな、と言って笑って見せたが、その目に宿る生気は弱々しかった。

 慰めるべきなのかどうかわからないし、何と言っていいのかもわからないので、それとなく話題を変えた。


 結局いつものように、お互い浅く近況報告を済ませただけで電話を切った。

 手紙については何ひとつ訊かなかった。なんだか弱り目に追い討ちをかけるようで、訊けなかった。


 僕の知っている聡ちゃんは、快活で、冗談が好きで、いつも笑顔を絶やさない好青年のはずであり、憔悴した彼を受け入れることに抵抗を感じた。


 以上が八月十三日に起こった、盆休み中唯一の出来事である。

 これまでの盆休みと比べてなんと寂しいことか。過去七年の盆休み、及び誕生日は、例外なくさくらと一緒だったのだから。


 彼女はどんなふうに休みを過ごしたのだろう。やはりカルチャースクールに通っていたのだろうか。セミナーで皆と、あるいは特定の一人と、楽しく過ごしたのだろうか。


 休暇前にこんなことを考えたなら、とても心中穏やかではいられなかったけれど、七日間のうちに我知らず覚悟を決めてしまったのか、すっかり恬然とした自分がいる。

 しかし、最後に話し合いたいという気持ちに変わりはなかった。別れるにしても、ちゃんと納得したうえで別れたい。明日の昼休みこそが決戦の時であると自分に言い聞かせ、勇気を鼓舞した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ