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想太×シングルファザー

作者: A

「おはようあけみちゃん!」

「おはようございます!」


爽やかな青空に、太陽が輝く朝。

保育士の元気な声と、子供たちのより元気な声が空に響き渡る。


「おはよう!さやかちゃん!」


私もお母さん方が連れてくる子供たちに挨拶し、部屋の中へと連れて行く。

私は保育園で働いている。

保育士になるのは小さなころからの夢で、優しくしてくれた保育士みたいになりたいと思っていた。


「そろそろ、全員揃った?」

「うん、揃ったかな」


他の保育士さん……同僚の麻未が話しかけてきて、私たちは各部屋にそれぞれ入った。

子供たちは自由に各々のことをしている。


「みんな、おはようっ!」


そう笑顔で呼びかけると、子供たちは一斉にパッとこっちを見て、ニコッと笑顔になる。


「〇〇せんせーおはよーーっ!」


はぁ可愛いなぁ……。ホント子供たちって癒される。可愛いしかないよ。

子供たちが可愛くて仕方ないのも、私が保育士になりたかった理由。


「はい、みんなおはよう。今日も元気かなっ?」

「はーい!わたしげんきだよっ!」

「うん、琴理ちゃん、元気があってよろしい!」

「はいっ!ぼくもげんきあるよ!」


琴理ちゃんに負けじと、海斗くんも手を挙げて、ついつい笑みがこぼれてしまう。


「うん、みんな元気だね。よしっ、じゃあ今日も元気に過ごそう!」

「はーいっ!」


子供たちは一斉に手を挙げ、私の頰はゆっるゆるになる。

あ〜可愛いなぁほんとに。保育士やっててよかった。



❤︎



日が傾き、沈みかける時間帯。

まちまちにお母さん方が子供たちを迎えに来て、麻未をはじめとする他の保育士たちと協力して子供たちを帰す。


「歌恋ちゃん、またね!」

「せんせーさよーならっ!」


お母さんと手を繋ぐ歌恋ちゃんはぺこりと頭を下げ、私は歌恋ちゃんのお母さんと微笑んだ。


「では、また明日……」

「はい!待ってますね!」


歌恋ちゃんはお母さんと帰って行き、次のお母さん方が続々と来たために私は部屋に戻った。


「次は、翔太くん……?」


私は翔太くんを探し、積み木遊びをしていた翔太くんに優しく話しかける。


「翔太くん、お迎え来たよ」

「あ……うん。わかった」


翔太くんは積み木を片付け、ちっちゃな手で私の手を掴むように繋いでくる。


「せんせー、いこっ」

「うん、行こっか」


手を繋いで外へ出て、お母さんに引き渡す。


「今日もありがとうございました」

「いえ!明日もよろしくお願いします〜」


歌恋ちゃんにニコリと微笑み、お母さんに会釈する。

二人は帰っていって、私はふぅと一息ついた。

あと子供たちはどれぐらい残ってるんだろう……?

また部屋に戻ろうとした時、


「すいません。日和お願いします」

「あ——花村さん!」


振り返ると、ニコニコ笑顔の花村さんが立っていて、私は会釈した。


「日和ちゃん、連れてきますねっ」


私は走って部屋に戻り、友達とお絵かきしてる日和ちゃんに話しかけた。


「日和ちゃん!お父さん来たよ」

「あ、はーい!まってねせんせい、いまかたづけるからっ!」

「ひよりちゃん、おとうさんきたのーっ?わたしのママきてないよーっ」


日和ちゃんの友達は「うらやましー」と拗ね、クレヨンを片付ける日和ちゃんは「えへへっ」と笑った。


「じゃあね、またあしたっ」

「うん!またあしたっ!」


日和ちゃんは友達に手を振り、そして私と手を繋いだ。

部屋から出ると、待っていた花村さんが駆けてきた。


「日和っ!」

「あ!パパ〜!」


日和ちゃんはパッと手を離して、走って花村さんの胸に飛び込む。

花村さんは日和ちゃんを受け止めて、そのまま抱っこする。


「よしよし、今日もええ子にしとったかぁ〜?」

「うん!ひより、めっちゃええこにしてたよ!」


花村さんは、シングルファザー。一年前に離婚したらしく、それからずっと一人で日和ちゃんを育てている。

日和ちゃんはそれでも寂しくないらしく、本当に花村さんが大好き。花村さんも日和ちゃんをものすごく大事にしてるから、正に絵に描いたような親子。


「すいません、××さん。今日もありがとうございました」

「いえ。それがお仕事ですから。……なので、こうやって遅い時間にしかお迎えに来れないのも、気にしないでください」


今は日が沈みかけ、空は夕闇色に染まっていて、あたりは真っ暗。

花村さんは特別な仕事をしているらしく、なんでも、アーティストをやっているだとか。

だから、今も黒い帽子をかぶって伊達メガネをしているし、こうやって迎えに来るのも遅い。

ニコリと微笑むと、花村さんも微笑んだ。


「ホントにありがとうございます。毎日助かってます。また、明日もお願いしますね」

「はい!待ってますね」


花村さんは会釈して帰っていった。


「よしっ、あとはどの子が残ってるかなー……?」


私は部屋へと引き返した。



❤︎



仕事が終わり、家へと帰る。

すると、旦那がドカドカとやってきた。


「ちょっと!帰ってくるの遅いんだけど」

「ごめん……ミーティングがあって。一応、連絡したんだけど……」


保育園を出る前に、旦那のスマホに電話を。

旦那はムッとした顔になって、手に持つスマホを見やる。


「あっそ……。でも、もっと早く帰ってきて。俺が言ってんだから、次はないよ」

「うん……」


旦那は深く息を吐いて、リビングへと戻っていく。

見てわかる通り、旦那は横暴で、自分勝手で、かつワガママなどうしようもない人間。

恋人時代のころはお互いを想いあっていたけど。結婚してからは、旦那は仕事が上手くいって昇進し、いい気になったからなのか、こうなった。

自分の言うことは絶対で、それに従わないと、許さない。

いつのまにかダメ人間が出来上がってしまって、もう妻の私にはどうにもできない。


「残された道なんて……離婚」


私ははぁっとため息をついた。

仕事は上手くいってるんだけどなぁ……。



❤︎



保育士の朝は早い。

私は5時に起きて、一時間で身支度を済ませて家を出た。

こんなに早く行ってもやることはないだろう、と思われるかもしれないけど、むしろ逆だ。やることなんて山ほどある。

保育園は、働くお父さんお母さんが子供を預けに来る場所。ならば、保育園は子供たちを預けにくるお父さんお母さんよりも早く保育園に来なければいけない。


「おはようございまーす」

「おはよー」


もう来てる保育士と挨拶をし、自分が持つクラスの教室の掃除をしたりする。


「あー〇〇、おはよっ」

「麻未、おはよ!」


続々と他の保育士がやってきて、保護者が子供たちを連れてくるころには、もう保育園の準備はバッチリだった。


「せんせーおはようございますっ!」

「はい、おはよう。今日も元気だねっ!」


子供たちがお母さん方に連れられてやってきて、私たちは子供たちを預かる。


「すいません、今日もよろしくお願いします」

「はい!任せてください」

「今日のお迎えは、昨日より遅くなると思います……」

「分かりました!待ってますね」


こうしたお母さんとのコミニュケーションも、保育士の仕事。

両手に子供たちと手を繋ぎ、クラスの方へ行こうとすると、「××さん」と話しかけられた。


「花村さん」

「××さん、今日もよろしくお願いしますね」

「はい。任せてください。……今日は、早いですね?」


今日も今日とて、帽子に伊達メガネと、変装してる花村さん。でも念には念を入れて、いつもはギリギリの時間にくるのに。

花村さんはニコリと笑う。


「いや、今日は、日和が早く来たいって言うから

……早く来たんです」


花村さんは手を繋いでいる日和ちゃんを見やる。その眼差しには優しさしか込められてなくて、花村さんって親バカだなぁって改めて思う。それは、ちょっと羨ましいけどね。


「そうなんですか。分かりました、今日もちゃんと預かりますね」

「はい、お願いします。日和、めちゃくちゃ保育園楽しみにしてるので。……な、日和」

「?うんっ!」


日和ちゃんは元気よく頷き、でもよく分かってなさそう。

それでも、微笑ましいけどね。

私は日和ちゃんを預かって、一緒に花村さんを見送った。



❤︎



「お疲れ様でーす」

「お疲れ!」


家に帰ると、旦那は先に帰っていた。

玄関にある靴を見て、ヒヤリとする。

今日はミーティングなかったし、デスクワークもしなかったから、昨日よりは早く帰ってきたんだけど……


「今日も怒られるのかな……?」

「〇〇!遅い!」


ああ、今日も怒られるのか……。昨日よりも、早く帰ってきたのに。

旦那はズンズンと玄関まで来て、目を釣り上げる。


「ごめんって、でも、昨日よりは早い——」

「そういう問題じゃない!俺が帰ってこいって言った時間に帰ってくればいいんだよ!なんで帰ってこないの」


ドンッと突き飛ばされて、ドアに勢いよく背中からぶつかる。


「いった……!」

「フン。お前は俺の言うこと聞いてればいいんだよ。明日は俺が言った時間に帰ってきて。明日はないからね」


旦那はいきり立ったまま奥に戻っていき、私はしゃがみこんだままため息をついた。


「明日は……何をされるんだろう」


今でも十分ひどいのに。もう、想像がつかない。


「離婚したい……」


こんなのが続いたのも、今年で二年になる。

最近は旦那の暴力は収まっているものの、少し前は本当に酷かった。

常に殴られ、蹴られ——

暴力が多すぎて、実際は常にではないけど、そんなことを思ってしまう。


「私、何のために生きてるんだろう……」


その時は旦那の仕事が上手くいってなくって、なにかなくても暴力を降るわれた。

まるで旦那のストレス発散機みたいだった。


「もう、こんな人生イヤだよぉ……」


知らぬ間に涙が流れていたのは、仕方のないこと。



❤︎



「……どうしました?」


と、朝の子供たちの出迎えで、花村さんにそう聞かれた。


「え、どうって……?」


預かった日和ちゃんの手を握ると、日和ちゃんは嬉しそうに微笑んで、手をブンブンと振る。


「だって、なんか辛そうだし……。僕なら、なにか話聞きますよ?って、××さんとあんまり親しくない僕が言うのもアレなんですけど……」


花村さんは少し困ったように笑う。

その顔に、笑顔に悪意はなくて、本当に心配してくれてるみたいだった。

ほかのお母さん方は、なにも心配してくれなかったのに……。


「あの、そんなにひどい顔してます?」

「はい、してます。めっちゃ辛そうです」


花村さんはじっと私の顔を見つめてくる。

私、そんなにひどい顔してたんだ……?

思い出せば、朝保育園に来た時、麻未は心配してくれた気がする。

どうしたの?大丈夫?って。


「えっと……そんなに大したことじゃないんですけど……」


言うつもりではなかったけど、旦那の暴力はもう耐えきれなくて、つい話してしまう。

声をひそめると、花村さんは察してくれたかのように身を寄せる。


「私、結婚してるんですけど……旦那の暴力がひどくて……」

「えっ!ドメスティックバイオレンス……?」

「はい、俗に言うとそうなります」


昨夜のことを思い出し、体が自然と震える。

日和ちゃんと繋ぐ手にも無意識で力が入り、「せんせー?いたいよー」と手を引っ張られる。


「あ、ごめんね……」


力を緩めると、「もぉー」と日和ちゃんは口を尖らせる。

花村さんは深刻な顔つきで、日和ちゃんの頭を撫でる。


「そうなんですか……。それで、昨日も暴力を振るわれたんですか?」

「……はい。帰ってくるのが遅いって、突き飛ばされました」

「そんなに帰ってくるの遅かったんですか?」

「いえ、そこまで遅くないです。一昨日はミーティングがあって、連絡しておいたので暴力とかはなかったですけど……昨日は、単に旦那が帰ってこいと言った時間に帰ってこれなくて」

「それで、突き飛ばされたんですね……」


花村さんは心配そうに見てきて、私はいたたまれなくて、目を伏せた。


「大丈夫ですか?病院行かなくても……?」

「えっと、大丈夫です。突き飛ばされて、玄関のドアに背中からぶつかっただけですから」

「え、でも、痛そう……」


視線は背中に行き、恥ずかしさが湧き出る。

私はパッと笑顔を浮かべて取り繕った。


「大丈夫です。ホントに。気にしないでください」

「……××さんがそう言うなら、気にしませんけど……」


花村さんは日和ちゃんをチラと見やる。


「とりあえず、日和お願いしますね。僕、もう行かないといけないので……」

「あ、はい。すいません、お時間取らせてしまって」

「大丈夫です。また何かあったら、聞きますよ。僕でよければ」


ニコリ、と柔らかい笑みを残して花村さんは去っていき、私は呆然とその場に佇んだ。



❤︎



定刻になり、保護者が子供たちを迎えに来る。

外は少し暗くて、部屋の中の明かりが外に漏れ出る。


「○○ー、あと誰が残ってる?」

「あ、麻未、あと日和ちゃんだけだよ」


残された子供が日和ちゃんだけとなって、花村さんが迎えにくるまでの間、私が日和ちゃんの面倒を見ることになった。

ほかの保育士は各自のクラスの掃除や片付けをしたり、デスクワークや打ち合わせ、休憩をとったりしている。


「せんせーおえかきしよー?」

「うん、いいよ。お絵かきしよっか」


日和ちゃんは紙とクレヨンを持ってきて、床で書き始める。

私には赤色のクレヨンが手渡され、でも日和ちゃんが持ってきたのは一枚の紙だけ。

一緒に書こ?ってこと……?でも、それなら紙二枚用意するよね……?

そういうところが、子供の至らない点であって、でも美点でもある。

何も知らない、欲や情に塗れた大人とはかけ離れた、どこまでも純粋で無邪気。


「〜♪」


鼻歌を歌いながら書く日和ちゃんには自然と笑みがこぼれ、この時だけ旦那のことを忘れる。


「かけたーっ!」

「なに描いたの?日和ちゃん」


結局私はなにも書かないまま日和ちゃんが描き上げ、私に自慢げにドヤドヤと見せてくる。


「えっとねー!パパーっ!」

「花村さん?」


視界いっぱいに埋め尽くされる紙には、桃色のクレヨン一色で描かれた花村さんが。

でも、案の定というか、やっぱり似ていない。別人どうこうではなく、それは人間のカタチをしていない。

子供が描く絵はそういうもの。ある意味天才的で、誰にも真似できない。


「うん、よく描けたね、すごいね」


そう言って微笑みかけ、日和ちゃんの頭を撫でると、純粋な笑みが咲く。


「でしょ!めっちゃよくかけたのー!」

「日和ちゃん、そういえば、めっちゃって言葉、よく知ってるね?」

「パパがよくつかってるから!ひよりもつかうの!」


なるほど、そういうことね。

親の影響は大きい。誰に教わらなくても、自然と子供は真似をしてしまう。


「花村さんっかぁ……」


私はもう一度、ひよりちゃんの頭を撫でた。


「日和ちゃん、花村さんのこと好き?」

「うん!だいすきだよ!あのね、ひよりね、しょうらいパパとけっこんするの!」


日和ちゃんはにぱにぱと笑い、将来設計を語る。


「パパとちゅーしてね、ずーっといっしょにいるの!『はなれんといてな?』『うん!はなれないよ』って!」


日和ちゃんは一人芝居をして、多分それは花村さんと前の奥さんだろう。日和ちゃんの稚拙な演技でも、なぜか二人が想いあっていたのがよく伝わる。

日常的に、日和ちゃんの前で言ってたのかなぁ。

日和ちゃんラブな花村さんだ。前の奥さんのことも、とても愛したことだろう。


「いいね、花村さん……」

「うん!いいでしょー!せんせーにはあげないよ!パパはひよりのものー」


きゃーいっちゃったー!

日和ちゃんは顔を赤くして、それを手で隠して一人で騒ぐ。

あぁ可愛いなぁ、純粋だなぁ。

本当に、欲と情に塗れた大人とは大違い……

フッと旦那の顔が頭に浮かんだとき、


「すいません!遅くなりました!」

「あ……花村さん」


花村さんは部屋の前まで来てくれていて、申し訳なさそうに眉を寄せている。


「日和!迎えに来たで!」

「パパー!まってたよ!」


日和ちゃんはタタタッと駆けていき、花村さんの胸に飛び込む。


「っん、日和、ええ子にしとったかぁ〜?」


花村さんは日和ちゃんを受け止め、抱っこする。


「うん!ええこにしとったよ!」

「そか。ならよかった」


花村さんは日和ちゃんに顔を近づけ、頰にそっとキスをする。

うわぁ、ホントの親バカだ……。


「すいません、遅くなってしまって」

「いえ、大丈夫ですよ。気にしないでください」

「今日は、リハが長引いてしまって……。あ、この話は内緒にしておいてくださいね?」

「はい、もちろんです」


花村さんは「よかった」と微笑み、不思議そうにひょいと首をかしげる。


「今日、何にかいいことありました?」

「え?」

「なんか、朝見たときより、辛くなさそうなので」


花村さんにじっと見つめられ、私はなぜな照れくさくなって、微笑んだ。


「さっきまで、日和ちゃんと花村さんの話をしてたんですよ」

「えっ、僕の話ですか?」

「ひよりがパパとけっこんするーってはなしてたの!」

「あ、そーゆう……?」


花村さんはクスッと笑う。


「日和、パパと結婚してくれるん?」

「うん!けっこんする!そんで、ちゅーして、パパといっしょにくらすの!」

「そか……。ありがとな、日和」


ふと寂しそうな笑みを見せる花村さん。

でもそれは滲み出た雰囲気とともにすぐに消えて、日和ちゃんに口にキスした。

ホントに親バカ……。


「よし、日和、帰ろか。……今日も、ありがとうございました」

「いえ、また明日もいらしてください。お待ちしております」


日和ちゃんは花村さんと手を繋いで帰っていき、私は二人の姿が闇に溶けきるまで、その背中を見つめた。



❤︎



旦那の暴力は、いつ止まるだろうか。

そんなことは考えたことなかった。

でも辞めてほしいし、普通に暮らしたい。

今のままでは、何のために生きてるか分かんないし、あの人ともいい加減離れたい。

その気持ちが積もりに積もって、自分の中にとどめておくハズが、気づけばそうできなくなるまでに肥大化していた。


「ねぇ麻未ー」

「んー?」


一日の仕事が終わって、デスクワークに勤めていたころ。

残っていた人が私と麻未の二人だけで、麻未は私と同じようにデスクワークをしている。


「麻未ってさ、まだ結婚してないよね」

「うん。〇〇に先越されちゃったもん。してないよ」


何その嫌味みたいな……。

拗ねた風に言う麻未は、チラと私を見る。


「それが、どうかした?」

「あー、えっと……私、ほら、結婚してるじゃん。だけど、前にちょこっと、旦那が暴力グセがあるって言ったよね……?」

「うん、言ったね。……なに、酷くなってきたの?」


カタカタと鳴っていたタイピングの音が急に止まった。


「……うん、そう。っていうか、麻未に言ってなかったけど、ホントはずっと前から酷くて……」

「え!なにそれ!なんで言わなかったの?」

「言っても、治らないし……」

「そうだけど!でも一人で抱え込まないでよ。困ったことあったら、相談してって」


麻未は怒った風にムッとし、私は苦笑した。


「そうだね……じゃあ、相談する。私、これから何すればいいと思う?どうすればいいと思う?」


これまでのことを話すと、麻未は「ん〜……」と考え込んだ。


「え、もうさ、〇〇が離婚したいって思ってるなら、離婚した方がいいんじゃない?ってか、離婚しなよ!」

「そうだよね……。でも、簡単にできない……」

「なら、離婚届だけ突きつけてさ、誰かと結婚しちゃえば?それなら文句言えなくない?」

「まぁそーだけど……でも、誰と結婚するのさ」

「えー……身近に、あっこの人いいな!って人いないの?」

「うーん……」


今度は私が考え込んだ。

でもめぼしい人は一人もいなくて、何より旦那との恋人時代は本当にお互いを想いあっていたから、むしろいなくて当然だった。


「いないよ、残念ながら……」

「そっかー……。なら、花村さんとかいいんじゃない?」

「はっ!?」

「え?だって、花村さん、シングルファザーでしょ?いっつも花村さんが迎えにきてるし」

「まぁ、シングルファザーではあるけど……」

「それに!最近仕事も忙しそうだし、癒しとか求めてそうじゃない!?」


麻未は他クラスを持ってるから、花村さんの事情は知らない。知っているのは、花村さんがシングルファザーであることだけ。

日和ちゃんがいるクラスを持つ私だけが、その事情の全てを知っている。


「そうだけど……でも実際に求めてるかは知らない……」

「とりあえず、アタックしてみたら?目つけとくだけいいかもしれないよ?花村さん、優しそうだし。なんでも受け入れてくれそう」

「まぁそれは思う……」

「それに!花村さん、イケメンだし?旦那にはもってこいじゃない!?」


麻未は夢見る乙女のようにぽやんとし、私はそっとため息をついた。

そう簡単に上手くいくかなぁ……。それに、花村さんだって前の奥さんに思い入れが強そうだし。何があって離婚したのかは知らないけどね。

それに、私の旦那も、離婚とか許してくれなさそう。

麻未が言う通り、離婚届突きつけて、ってできればいいんだけどね。

世の中、そんなに上手くいくもんじゃないのよ……。


「あー私も早く結婚したいー!早くゴールインして、まだ独身の友達に自慢してやる!いつか花村さんみたいなイケメン捕まえてやるわ!」

「はは……」


私はぽやぽやぽやんとする麻未に苦笑した。



❤︎



「どうしました?その腕」

「え——?」


次の日の朝。

日和ちゃんを預けにくる花村さんにそう聞かれ、私はその視線が注がれる腕を見た。

そこには、薄いけど青いあざができていて、それは昨夜旦那にはつけられたもの。

私はパッと手で隠した。


「えっと……」

「……また、昨日、暴力を振るわれたんですか?」


自然な形で顔を寄せてきた花村さんはそうそっと囁く。


「え、」

「なんとなく、そう思って。違います?」

「……違わなくないです。その通りです」


作ったご飯に『味がまずい』といちゃもんをつけられて、『そんなものしか作れないのか』と殴られた。

腕で顔を守ったら、ご覧の通り。見事にあざができてしまった。

預かった日和ちゃんの手をギュッと握りしめて、花村さんにそう囁き返すと、花村さんは顔をしかめた。


「どこかに相談とかしないんですか?」

「しても……どうせ、辞めてくれないから……」

「でも。何か変わるかもしれませんよ?」

「……」


あの人が、変わるなんて……ありえないよ。

ずっと辞めてくれなかったんだし、辞めたら今更すぎる。

やっぱり、解決方法は離婚しか——


「あの、××さん」

「はい……?」

「今日、仕事終わり、時間ありますか?」

「え、?」


俯いた顔を上げると、花村さんが真剣な顔をしていた。


「僕、」



❤︎



「僕、××さんともっと話したいです。ご飯にでも行きませんか?」


そう誘われて、仕事を終わらせてから、待ち合わせの場所に向かう。

走って行くと、花村さんと日和ちゃんが待っていて、申し訳なさが湧き出る。


「すいません、花村さん。お待たせしました」

「いえ、大丈夫ですよ。気にしないでください」

「せんせーおそーい!」

「あっ、ちょ、日和っ!それゆーたらあかん!」


さすがは子供。無邪気すぎる日和ちゃん。

事実ミーティングがあったから遅かったんだけど、日和ちゃんは口を尖らせ、花村さんはアワアワと慌てる。


「でも〜、ほんとにおそいんだもんっ」

「日和、世の中にはゆーたらあかんこととゆってもええことがあるんやから。今回はゆーたらあかんこと!覚えとき?」

「?はぁーい」


頷きこそしたものの、日和ちゃん、分かってなさそう。さすが、子供だなぁ……。


「……ふふっ、大丈夫ですよ花村さん。気にしてないので。それに、ホントにお待たせしちゃいましたし」

「そうですか?すいません……」


花村さんは日和ちゃんの頭に手をポンと置く。


「じゃあ、××さんも来たことだし、早速行きましょうか?どこ行きたいとか、あります?ないなら、日和がお好み焼き食べたいって言ってるので……」

「あ、大丈夫ですよ、お好み焼きで」


って言うか、日和ちゃんも来るんだね。

誘われた時は、二人っきりかなって思っていたけど、よくよく考えたら、そりゃそうだ。

なんで、何気にそういうことを期待しているんだろう……?麻未が、花村さんにアタックしたらって言ったからかな……?


「分かりました。じゃあ、行きましょか」


花村さんと並んで歩き、近くの鉄板焼き屋さんへ。

中へ入ると、そこそこ賑わったいて、私たちみたいに仕事帰りで来る人が多そうだった。

私たちは空いてる席に座り、早速注文して焼き始める。


「おこのみやきだぁ〜」

「日和、この鉄板熱いから、触ったらあかんよ?」


熱されている鉄板に日和ちゃんが手を伸ばし、花村さんが慌ててその手を掴む。

花村さんのあぐらの中にいる日和ちゃんは「え〜」と渋々手を引っ込め、花村さんがお好み焼きを焼くのをじっと見つめる。


「花村さん、すいません……焼かせてしまって」

「あ、大丈夫ですよ。誘ったのは、僕の方ですし」


ニコッと花村さんは微笑み、不覚にもドキッとしてしまう。


「あ、焼けましたよ〜。××さん、お皿お皿」


花村さんは焼けたお好み焼きをお皿に乗っけてくれ、ひとまずは3人分を焼いた。


「じゃあ、食べましょか。いただきま〜す。……って、日和、“いただきます”しんと。なんで先に食べるん。ほら、手を合わせて、」

「いただきます?」

「はいよくできました。食べよ?」

「うんっ!」


花村さんと日和ちゃんのやりとりは、やっぱり何回見ても微笑ましい。

羨ましいし、私も旦那との間で産まれた子供でこうしたいなぁ、なんて想像してしまう。


「そういえば、××さんは何歳なんですか?」

「あ、私は24ですよ〜」

「へえ!若いんですね。僕、29ですよ」

「え!そうなんですか?見えない……」

「僕、よくそう言われるんですよ〜」


お好み焼きを食べながら身の程話をして、しばらくすると、日和ちゃんは花村さんの足の中で寝てしまった。


「あれ、日和、寝てもうた……」

「良い子は寝てる時間ですからね」


チラと腕時計を見ると、もう9時を回っていた。


「そうですね、良い子は寝てる時間ですもんね」


花村さんはクスッと笑い、日和ちゃんの頭を撫でる。


「それで、××さん。僕がご飯ご飯に誘ったのは、××さんと話したかったっていうのもあるんですけど、ホントは××さんの悩みを聞きたかったからでもあるんですよね」

「えっ、そうなんですか?」

「はい、なんか、俺が少しでも力になれたらなぁ〜って思って」


そうだったんだ……。単に、ご飯のお誘いで、保護者と保育士がご飯食べに行くってなかなかないなぁーって思っていたんだよね。


「……××さん、やっぱりどこかに相談しないんですか?」


改めて問われ、私は言葉に詰まる。


「……相談するつもりは、ありません。しても、変わりないだろうし……」

「でも、しないと、本当に何も変わりませんよ?」

「……相談、じゃなくて……離婚しようとは、思ってますけど……」

「旦那さん、と……?」


コクリと頷くと、花村さんは顔をしかめる。


「それが一番いい方法だとは思いますけど……離婚、できそうですか?」

「分かんないです。私はする気満々ですけど、あの人が許してくれるかどうか……」

「許すも何も、××さんから突きつければいいじゃないですか」


それ、麻未も言ってた……。

やっぱり、相手のこと考えずに、自分のことだけを考えればいいのかな。


「いつまでもドメスティックバイオレンスなんかする人のこと考えてたら、ダメですよ?」

「っ」


心のうちを見透かすように言われ、私はうつむきかけた顔を上げた。

花村さんはやっぱり真剣な顔をしている。


「勇気出して、離婚届渡してみてください。もしかしたら、向こうも分かってくれるかも……」

「……そう、ですね。そうしてみます」


旦那が分かってくれるはずはない、と否定的な考えが一瞬頭をよぎった。

けど、花村さんが、私なんかの他人をここまで気にしてくれるなら、私も何かしたいと思った。


「もし無理だったら、また何か考えましょう。解決策を。僕、いくらでも××さんに協力しますから」


花村さんはニコリと笑い、その笑顔があまりにも可愛くて、私は照れて俯いた。



❤︎



一週間後。

保育園に出勤した私は、上機嫌にも子供たちの出迎えをしていた。


「おはようございます!」

「あ、康太くん!おはよう!」

「では、お子様は預からせて頂きます」


ここ最近で一番に機嫌がよく、お母さん方に見せる笑顔もいつもより良い。

空は分厚い雲が覆っていて、どんよりとしているけど、私は頭の中の空は快晴。

機嫌が良すぎて、


「ねぇ〇〇〜。どうしたの?そんなに上機嫌で。ちょっとキモいよ?」


と、麻未にツッコまれるほど。


「ちょ!麻未!失礼!」

「なに、いいことあったの?」


私は麻未と一緒に子供たちを部屋に連れて行く。


「え〜、ないよ?けど、これから起こすの」

「はぁ〜……?意味わかんない。どゆこと?」

「言った通りの意味だよ」


子供たちを部屋に入れ、これから来るお母様方を待つために外に出る。


「あのね、」


私は麻未の耳に顔を寄せた。


「今日、旦那に離婚届渡すの」

「えっ!マジで!?」


せっかく周りに聞かれないように小声で言ったのに、そんな考えを無視して大声で驚く麻未。うるさいよ。


「しー、しーっ」

「あ、ごめん……」


周りを見やると、同じく待機している保育士が不思議そうな顔をしていた。


「……で?なに、今日離婚届渡すの?」

「うん。渡すよ」

「ついに、か。前はどうしよっかなぁーなんて悩んでたのに、急にどしたの?」

「んっとね、前に花村さんに話聞いてもらってね、勇気出して離婚届渡した方がいいって言ってくれてね、」

「え!あんたたち、いつのまにそんなに仲良くなったの。もしかしてもうそこまで行っちゃってる?」


興奮しているのか、麻未は少し息を荒げる。

いや、多分っていうか絶対、麻未が想像してるとこまで行ってないよ……。


「違うよ、ふつーに、花村さんからご飯行きませんかって誘ってくれて、」


あの日のことを話すと、麻未は納得した風に頷いた。


「なーるほどね、なら全然進んでないじゃん」

「だから違うって言ったじゃん……」

「……花村さんと結婚しないの?」

「はっ!?いやしないよ……」


今度は私が驚いてしまう。一体、なにを言いだすんだ。


「え〜しないの?花村さん、絶対良さそうなのに。前にも言ったけど、なんでも受け入れてくれそう。今の旦那と離婚するなら、花村さんと結婚すればいいのに〜」

「いやしないって——」

「おはようございまーす」


否定しかけたとき、花村さんと日和ちゃんが来て、麻未はニヤッと笑う。


「噂をすれば、来たね!〇〇、行っといでよ、私はほかの保護者の相手するから」

「えっ、麻未?」


麻未は私が何か言う前に、ぞくぞくとやってくるお母さん方の方に行ってしまった。


「××さん、おはようございます」

「花村さん、おはようございます」


花村さんはニコリと微笑み、日和ちゃんを渡す。


「今日も、日和のこと、よろしくお願いしますね」

「はい、任せてください」

「じゃ、僕はこれで……。今日は忙しいので」


花村さんは去ろうとして、私は慌てて呼び止めた。


「待ってくださいっ、」

「え?」

「あの、今日、離婚届を旦那に渡そうと思ってます」


花村さんの耳に顔を近づけてそっと囁くと、花村さんは目を丸くした。


「ついに、渡すんですか。頑張ってくださいね、応援してます」

「はい……あの、私、花村さんに勇気出して離婚届渡してみてくださいって言われなかったら、絶対今日渡そうだなんて思ってないです。だから……ありがとうございます」

「——いえ、僕なんかがお役に立てたなら、良かったです」


花村さんはニコリと微笑み、そして去っていった。



❤︎



仕事が終わり、家に帰る。

偶然にも、まだ旦那は帰ってきてなくて、私は離婚届をカバンから出した。


「よしっ、渡すぞ……っ!」


今更、旦那との思い出が頭をよぎることはない。恋人時代に破局のことを考えたら、それは泣けるかもしれないけど。でも今はそんなことはありえない。

私はリビングのソファに座って待つ。


「そういえば、私は……離婚したら、どうしよう?」


なにも考えてない。離婚話が上手くいくか分からないし、離婚が叶うとも思っていないから。

ふと麻未が言う、“花村さんとの結婚”を思い出して、一人赤面する。


「ないない、花村さんとだなんて……絶対、ないっ。だって、あの人、あんなにも素敵だし、仕事で忙しそうだし……」


そんなことを考えながらしばらく待つと、旦那が帰ってきた。


「ただいま」

「おかえり、あの……」


早速離婚届を差し出すと、旦那は固まって目を見開き、それを食い入るようにじっと見つめた。


「私、あなたと離婚したいの」

「は——?」


旦那の空虚な声が漏れ、私は離婚届を目を落とす。


「もう、あなたとはダメだと思うから……ごめんなさい」

「……ふ、ふざけんなよっ、離婚なんて、許す訳ないでしょ!」

「っ」


旦那は目を釣り上げ、離婚届を奪い取って、クシャクシャに丸めてゴミ箱に捨てる。


「あ——」

「離婚なんて、なにそんなバカなこと言ってんの!?」


旦那は胸ぐらを掴んできて、首が絞まって苦しい。


「離婚なんてしたら、俺の経歴が汚れるし、世間体も悪くなるじゃん!それに、俺のなにが足りないの!この完璧な俺の!足りないところなんて、あるはずないでしょ!?」


出た、旦那の自分至上主義……。

自分さえ良ければいい。自分には絶対の自信があるから、他人が自分の言うことに従わないと、それが許せなくて仕方ない。

なんで、そんなお子ちゃまなの……っ?


「でもっ、」

「でもじゃない!お前は俺の言うことを聞いてればいいんだよ!」

「っ——」


強く胸ぐらを掴まれて、首がさらに強く締まる。

息ができなくて、旦那の指を外そうとするけど、でも当然のごとく外せれない。


「いい?離婚なんてしないでよ?分かった!?」

「うっ……」


胸を強く押され、私はダイニングテーブルに腰をぶつけた。


「いった……!」

「フン。今後はふざけたマネしないでよね」


旦那はジロリと睨んできて、私は絶望で震えた。

なんで、私の人生をあなたに決められないといけないの……?ずっと、あなたといないといけないのっ?暴力を、振るわれるのに?


「そんなの——できないっ!」

「!?〇〇っ!!」


私は家から飛び出した。

行くあてもないけど、足が赴くままにふらふらと街を彷徨う。

もう、あの家には戻れないな……。

でも、いいや。戻りたくもないから。

ただ、この先、どうしよう——?


「お金とかスマホは持ってきたけど……。麻未ん家でも行こうかなぁ」


咄嗟に掴んだカバンを肩にかけ直し、はぁとため息をつく。

こうなるなら、最初っからあの人と結婚なんてしなければよかったな……。

人生を先読みできればいいのに。

私は空を見上げた。

空には薄い雲とまん丸い月が浮いていて、その月はまるで私を嘲笑うかのように眩しく輝いていた。



❤︎



東京の街をぶらぶらと行くあてもなく歩いていると、後ろから「××さん!」と声をかけられた。

それは聞き覚えがある声で、ゆっくりと振り向くと、予想通り花村さんと……日和ちゃんがいた。


「花村さんと、日和ちゃん。どうしたんですか?こんなところで」

「僕はちょっと用事があって……。もうその用事は終わったんですけど、それより。『こんなところで』って……僕が言いたいんですが」


二人は駆け寄ってきて、花村さんは眉を寄せてじっと見つめてくる。


「危ないじゃないですか。夜に、女性一人で歩くなんて」

「いや……私は、別に、どうでもいいんです」

「どうでもいいって、どういうことですか。どうでもよくなんかないですよ」


花村さんがはムッとするけど、ホントに私のことはどうでもいい。

帰る場所も無くしたしね……。


「私のことなんて、気にしないでください。じゃあ……」

「え、待って、どこ行くんですかっ?」

「……」


どこに行くか、なんて。どこもないよ。


「……どこに行く気もないんですか?じゃあ、これから——」

「いいんです。私のことなんて。気にしないでください」


愛想なさすぎたかな?なんて思うけど、今は……放っといてほしい。

会釈もせず一歩目を踏み出すと、不意に腕が握られた。


「待って、ください……っ!」


振り向くと、花村さんが焦った顔をしていた。


「花、村さん……?」

「××さん、何があったんですか。僕なら話聞きます。なんでも聞きます。話してください」

「——」


『花村さん、優しそうだし。なんでも受け入れてくれそう』


ふと麻未の言葉が頭に浮かんで、私は花村さんの顔をじっと見つめた。


「……?」


ホントに、この人はなんでも受け入れてくれる?

家を無くした私を、旦那からの愛も無くした私を、受け入れてくれる——?


「あの、私……今日、旦那に離婚届渡したんですけど……受け取ってもらえなくて」

「え……」


事の顛末を全て話すと、花村さんは深々と息を吐いた。


「そうですか……。そんなことがあったんですね」

「はい……。ごめんなさい、赤の他人なのに、こんなこと話しちゃって」

「いいんですよ、気にしないでください。っていうか、僕が聞きたかっただけですから」


花村さんはふんわりと微笑み、その笑みがあまりにも優しすぎて、痛んだ心はそっとベールで包まれた。


「じゃあ、××さんは、帰る場所がもうないってワケですね」

「そうですね……」


旦那がいる限りは帰れないし、帰ろうとも思わない。


「なら!ウチ来ません?」

「——へっ?」


素っ頓狂な声を出すと、花村さんはクスッと笑った。


「だって、××さん、行くところないんでしょう?なら、ウチ来ればいいじゃないですか。日和も喜びますし。な、日和?」

「うん!ひより、せんせーにきてほしい!」

「日和ちゃん……」


日和ちゃんはいつもの純粋な笑みで微笑む。

二人は揃ってニコニコとして、私が“YES”と言えば、すぐにでも連れていきそうな感じ。

でも……この好意には、甘えれないよね。


「すいません、お誘いは本当にありがたいんですけど……私、一応結婚してるので。こんなことになっちゃいましたけどね。なので、流石に、他の男性の家に上り込むのはマズイかと……」

「でも、このままだと、××さん、行く場所ないじゃないですか」

「まぁ……」

「それに、こんなことになったら、もうそんなことどうでもいいじゃないですか。××さん、旦那さんと離婚する予定なんでしょう?」

「そうですけど……」

「なら、いいじゃないですか。僕の家行きましょ?」


花村さんはいきなり腕を引っ張ってきて、日和ちゃんも反対の腕を引っ張ってくる。


「え、えっ、」

「日和!××さんを家に連れてくで〜!」

「おーっ!」

「えぇ……っ?」


私はその二人の腕を払うことも出来ず、ただ引っ張られるがままだった。



❤︎



「お、お邪魔しま〜す……」

「どうぞ、入ってください」


花村さん家に入ると、日和ちゃんに手を引かれてリビングに連れてかれた。

リビングは清潔感のある家具が置かれていて、私好みのレイアウト。でも所々散らかっていて、なんとなく花村さんらしいなって思った。


「せんせーここ座って〜!」

「え、そこ、ソファなんだけど……」

「いいですよ、座っても。というか、僕の家なんで、好きにしてください」

「え、えぇ……っ?」

「あ、僕着替えてきますね〜」

「は、花村さんっ……?」


花村さんはニコリと笑って出て行ってしまい、私はため息をついた。

とりあえずソファに座ると、日和ちゃんは待ってましたと言わんばかりに膝に乗ってくる。


「ふふーっ、せんせーのおひざ〜」

「日和ちゃん……。もぉ、」


私は日和ちゃんをギュッと抱きしめた。

子供ならではの体温の高さもあって、ポカポカと温かくなる。


「せんせー?」

「……私、ホントにこの家に来てよかったのかな」

「えー?」


日和ちゃんはなんの話か分かっていなさそうに首を傾げ、私はため息をつく。


「迷惑、じゃないかな……?」

「迷惑じゃないですよ」

「花村さん……」


顔を上げると、もう着替えた花村さんがいて、私は愛想笑いを浮かべた。


「でも……私、旦那もいるし……」

「もう、その話は終わりにしたじゃないですか。“××さんはもう離婚するから、他の男の家に来ても構わない!”」


それも、ちょっと問題あると思うけどね……。

花村さん、一体どういうつもりで私を家にあげたんだろう。


「それより××さん、お腹空きません?僕、何か作りますよ?」

「え、悪いです、私が作ります」


日和ちゃんを膝から退けて立ち上がると、花村さんはニコッと微笑んだ。


「じゃあ、一緒に作りましょ?」



❤︎



花村さんと一緒にご飯を作って、食べた。

この後はどうするのかと花村さんを見つめると、花村さんはまたニコリと笑う。


「お風呂、入りましょ!××さん、先に入ってきてください」

「え……ダメです、花村さんが入ってきてください」


いきなりお邪魔して、ご飯も食べさせてもらっているのに。そんなことはできない。


「えー……じゃあ、先入ってきますね。日和、お願いします」

「はい、分かりました」


花村さんは日和ちゃんの頭をひと撫でして、お風呂に入っていった。


「ふぅ……」


ソファに座り、背もたれにもたれかかると、日和ちゃんがタタタッと駆けてきて、ぴょんと私の膝に乗る。


「日和ちゃん……私の膝好きだね?」

「うん!ひより、せんせーのおひざすき!」


日和ちゃんはニコニコ笑い、純粋すぎて見てるこっちが癒される。

なんか、花村さんと日和ちゃん、似てるなぁ……。親子だから、当たり前なんだけど。

しばらく待つと、花村さんが出てきた。


「すいません、お待たせしちゃいました?」

「あ、いえ、全然……。待ってないです」

「××さん、日和とお風呂入ってくれませんか?僕、一人で入っちゃったので」


花村さんは濡れた髪をゴシゴシとタオルで拭く。


「あ、分かりました。日和ちゃん、行こ?」

「うんっ!」


日和ちゃんは私の手を引いてきて、私は花村さんに見送られて部屋を出た。



❤︎



「花村さん、日和ちゃん寝かせましたよ」

「あ、すいません、ありがとうございます」


花村さんはソファに座っていて、その前のテーブルには紙やペンが散らかって置いてある。


「……何してるんですか?」


ひょいと覗くと、花村さんは恥ずかしそうに笑う。


「えっと……ちょっと、仕事を。前、僕がアーティストやってるって言いましたよね?」

「はい」

「それで、僕グループ組んでるんですけど、そのボーカルで、作詞作曲もやってるんです。今は歌詞を書いていました」

「そうなんですか……凄いですね」


ざっと見ても、ど素人の私にでも良いなって思える言葉ばっかり。どれも花村さんらしく、センスの良さ、完成の高さが伺える。


「××さん、ここ座ってもいいですよ」

「え、?」


花村さんは自分のとなりをポンポンとする。


「いいんですか?」

「はい。っていうか、僕の家だから好きにしてくださいった言ったじゃないですか」


まぁ……それなら。

ソファの端にちょこんと座ると、花村さんはクスッと笑う。


「そんなに遠慮しなくてもいいのに」

「いや、でも……一応、人のソファなので」

「××さん、真面目なんですね」


花村さんは面白そうに笑って、背もたれに背を預ける。


「どうです?日和寝かすの、大変でした?」

「うーん……そうですね、そこそこ大変でした。『えほんよんで』、『おえかきしよ』ってずっと言われて……」


さすがは子供。疲れというものを知らなさすぎる。

結局は、睡魔に負けて私の知らぬうちに寝ちゃったんだけど。


「お疲れさまです。僕も、毎日寝かすの大変ですから、今日は××さんが寝かしてくれて、助かりました」


花村さんはニコッと笑う。

いや一応、私この家に泊めてもらえることになってるから、それぐらいはやらないとまずい。


「毎日子供たちを寝かしてますから、慣れてます」

「職業柄ってヤツですね〜」


花村さんはふふっと笑って、そこで沈黙が舞い降りた。

やばい、話すことない……。どうしよう。

世間話でもする?それとも花村さんの仕事のことでも聞いてみる?

そもそも、よく考えれば、私そこまで花村さんも親しくない……。

旦那の話聞いてもらったり、相談に乗ってもらったりしたけど、仲はそこまでだ。


「……あの、」

「ん?」


花村さんをチラと見やると、花村さんは先の沈黙を気にしてない風にリラックスしていた。


「なんで……私を、この家にあげたんですか?」

「なんでって……××さん、困ってたし、なら僕が助けたいなって思って。それに、困ってる人がいたら助けるのは当たり前でしょう?」


花村さんはそう平然と言ってのけるけど、私の疑問は解消されない。


「でもっ、普通は簡単に知らない人を家にあげたりしないですよ。況してや、私みたいなめんどくさい事情抱えてる人を——」

「なら、特別な理由がほしいんですか?」

「え、」


花村さんはいきなり押し倒してきて、心臓がドキンと跳ねる。


「体目的——とか、言ってほしいんですか?」

「っ、」


私を上から見つめる花村さんは妖しく笑い、それにゾッとする。


「い、いや、そんなことは……」

「まぁ……安心してください。体目的じゃありません」


花村さんはすぐに私の上から退き、助け起こしてくれる。


「すいません、びっくりさせちゃいましたね」

「いえ……」


体目的じゃないなら、なんで私を家にあげたんですか——?


「××さん、ホントに分からないんですか?」

「え、?」


クスリと笑う花村さんは、ソファに手をついて近づいてくる。


「“普通”、なんとも思ってない女性を、簡単に家にあげませんよね?」

「え、それ——」


花村さんは優しく微笑んで、そっと唇にキスしてきた。


「好きです、××さん」

「嘘……」

「嘘じゃないです。ホントです。××さんの、子供に接するときの笑顔に惹かれました」


熱を帯びた眼差しで見つめられ、キスされた唇がじんわりと熱くなる。


「普通、好きでもない女性を家にあげたりしません。××さんだから、家にあげたんです。××さんが困ってたから、助けたいって思ったんです。……これ以外に、理由、要りますか?」

「……いえ、要らないです……」


ふるふると首を横に振ると、花村さんは優しく頰を撫でてきた。


「もう、旦那さんと離婚するつもりなら……僕とか、どうですか?この家に暮らすのも、僕と結婚するからってことにすればいいんじゃないですか?」

「っ……!?」


は、花村さんと、結婚……!?

ボッと顔が赤くなると、花村さんは面白そうにクスクスと笑う。


「離婚する理由にもなりますよ?」

「っ……で、でも、そう簡単には決めれないし……っ」

「分かってます、強引なのは。でも、××さんが離婚する手段としても、考えておいてください?僕、いつでも待ってますから」



❤︎



花村さんの家で暮らすようになって、しばらく経った。

日和ちゃんは子供なのにいつも私のことを気にかけてくれて。花村さんも、本当に体目的でなく、私に好意があるから家にあげたみたいで。

生活は、正しく楽しいとしか思えなかった。


「〇〇、朝ごはんできたで〜」

「あー想太さん!すいません!ありがとうございます!」


花村さんには、『××さん』ではなく『〇〇』と呼ばれている。

花村さんが年上だったって言うのもそうだし……『仲良くなりたいから』だそう。

まぁたしかに、いつまでも『××さん』だと距離あるもんね。一緒に住んでるんなら、なおさら気になる。だから、敬語も使われてない。

対して、私は花村さんのことを『想太さん』と呼んでいる。本人は想太くんって呼んでほしいみたいだけど。それは私が恥ずかしいからできない……。


「想太さん、今日、私仕事終わったら、一度家戻ります」


朝、食卓を囲んでいるとき。私はそう切り出した。


「え、大丈夫なん?」

「大丈夫です。残りの服も取ってきたいですし、旦那がいない時を狙いますから」

「そか……。気をつけてな?幸い、〇〇が家出てったことについてはなんも起こってへんからええんやけど……」

「はい、分かってます」


私は頷いて、朝ごはんのトーストを一口かじった。



❤︎



夕方。仕事が終わり、私は“元”自分家に戻った。

そっとドアを開けると、予想通り旦那は帰ってきていなかった。


「よしっ……今のうちに」


私はクローゼットに駆け寄り、持ってきたカバンに全て詰め込んだ。

カバンを持ち、部屋から出ようとすると、


「……〇〇」

「っ!」


振り返れば、いつのまにか帰ってきていたのか、旦那がそこにいた。

旦那は疲れ切った顔をしていて、かつての覇気はない。


「……」


私は旦那の横を通り抜けて、部屋から出た。


「あ、ちょっと待って、」


そんな小さな声が聞こえたけど、無視。

私は家から出て、想太さんの家に向かった。


「あ!〇〇!おかえり!」

「想太さん……ただいま」


優しい笑みに迎えられて、帰ってくるまでずっと強張っていた体からフッと力が抜けた。


「無事取ってこれた?」

「はい、取ってこれましたよ。これで、全部です」

「よしっ、なら、もう〇〇はあの家に帰る必要はあらへんな?」


ヒョイっと顔を覗き込まれる。


「え……?」

「〇〇、俺のことも、いい加減考えてくれた?」


あ、そういう……?


「えっと、まだ……」


想太さんはぷくっと頰を膨らます。


「んもお、俺をいつまで待たせる気なん?俺の気持ちは伝えたで?あんまり遅いと、俺……」

「っ……?想太さん?」


いきなり壁に追いやられ、顔の横には想太さんの手が。

真剣な顔がゆっくりと近づいてきて、唇に触れる——


「……っ、想太さ、」

「こうしてまうで?」


寸止めされた唇は横にニッと広げられ、ニコニコ笑顔が作られる。


「もうっ……、想太さんっ」

「ははっ、ごめんな?でも〇〇も待たせすぎやで?いい加減、俺の気持ちにも応えてほしいわぁ」


顔を離した想太さんはじっと見つめてきて、そうだよな、と私は心の中で呟いた。


「……もうちょっと、待ってください。そうしたら、返事ができると思うので……」

「分かった。じゃああともうちょっと待つな?でも、あんまり遅いと……俺、何するか分からへんで?」


想太さんはニヤッと笑い、私は顔を赤くして俯いた。


「そ、そういえばっ。私、家に戻ったとき、旦那に会ったんですよ」

「え?そうなん?」

「はい。私が服をカバンに入れて、帰ろうとしたときに。へんに、疲れきった顔をしてました」

「ふーん……?疲れきった顔、ねぇ」


想太さんは腕を組み、顎に手をやる。

なにか考えてそうで、目は真剣。


「想太さん?」

「なぁ〇〇。〇〇は、もうあの家には戻らんやろ?」

「はい。そのつもりです。もう服も全部持ってきましたし」

「もうあの旦那さんとは離婚するだけ?」

「まぁ、そうですね……。受け入れてくれるかは、分かりませんが……」

「ふふ、安心して。俺、ええこと思いついた」

「……ええこと?」

「うん。でさ、〇〇。俺、〇〇の旦那さんに会ってみたい」



❤︎



「ほ、ホントに会うんですか……?」

「?もちろん。っちゅうか、ここまで来たら退けんやろ?」


次の日の、夕方。

私と想太さんは、“元”私の家にいた。


「っていうか、この離婚届、いるんですか?」


なぜか、私の手には離婚届が。

しかも、事前に想太さんに言われて、私が記入するところは全て記入してある。


「まぁ、必要やから。いるん。……さ、そろそろ入るで。旦那さんも帰ってくる頃やろ?」


え、まだ私は想太さんの『ええこと』の全貌を知らないんだけど……。


「そうですね……入りましょうか」


とりあえず、従おう。

鍵を開けようとすると、


「〇〇?なにしてんの?」

「あ——」


後ろを振り向けば、帰ってきた旦那がいて、私の顔は自然とこわばる。


「……〇〇、この人が旦那さん?」

「はい、そうです……」

「……〇〇、この男、誰?知り合い?」


旦那は訝しんで想太さんを見つめ、想太さんは不敵に笑う。


「そうですよ。××さんの知り合い……というか、婚約者です」

「はっ!?」

「……は」


想太さんは肩を抱き寄せてきて、旦那はポカーンとする。

うわ、あの旦那のアホみたいな顔、久しぶりに見た……。


「そ、想太さん、これは一体どういうことで……」

「ええから、合わせて」


小声で問うと、小声で返される。


「旦那さん。僕、××さんから、××さんとなにがあったのか、全部聞きました」

「……!」


旦那の眉がピクリと動く。


「それで、今は××さんは僕の家に住んでます」

「!」

「僕は、××さんが好きです。いつも子供思いで、優しくて……。気づいたら、惚れてました。……××さんも、僕のことは好きでいてくれてるみたいなので、来月、結婚します」


そ、想太さん……っ?なに、そのでっち上げ……!


「……は、何を勝手に……」

「勝手に?ドメスティックバイオレンスなんていうひどいことして、××さんにも逃げられて。どの口がそんなこと言えるんですか?」


想太さんは小馬鹿にするようにそう言い、クスッと笑う。

お、なんかいい感じ……。


「……まぁ、それはそうだけど……」

「つきましては旦那さん。この離婚届にご記入いただきたいのですが」


と、想太さんは例の離婚届を差し出す。

あ、ここで使うんだ……。


「……」


旦那は険しい顔つきでしばらくそれをじっと見、やがて真一文字に結んでいた唇をゆっくりと開く。


「……わかりました。いいでしょう。離婚届、書きます」

「!!」

「俺も、〇〇が家を飛び出してから、考えてたんだ。もうこのままホントに離婚すべきなんじゃないかって。〇〇にも酷いことしてきたし……本当に、悪かった」


旦那は深々と頭を下げ、私は何も言えなくなる。


「……では、旦那さん。早速、書いていただきたいのですが」


私たちは一度家の中に入り、旦那に離婚届を書いてもらった。


「ありがとうございました。これは今日中に提出させていただきますね」

「……わかりました。お願いします」

「では、僕たちはこれで。さようなら。……〇〇、行こ」

「う、うん……」


想太さんに手を引かれ、私たちは家を出た。



❤︎



想太さんと離婚届を提出しに行き、想太さん家に帰る。


「はぁ〜!終わったー!」

「想太さん、お疲れさまです」


想太さんはソファに身を放り投げ、ぐーっと伸びをする。


「ホンマやわ!俺仕事で舞台もやるけど、あんな演技したん初めて!っちゅうか、普通に緊張した!」


無事に事が終わったからなのか、想太さんはニッコニコ。めちゃくちゃ機嫌がいい。

私は想太さんのとなりに座った。


「ホントに、ありがとうございました。想太さんがいなければ……私、離婚できてません」


想太さんと出会えてよかったし……あの夜に、想太さんと会ってよかった。


「んーん。なーんも。俺は、〇〇と一緒におりたいから、やっただけ。へんに恩とか感じんくってええよ」


想太さんは柔らかく笑い、頭をなでなでしてくれる。

あぁ……安心するなぁ。旦那といたときとは、大違い……。


「あの、想太さん……」

「ん?」


そろっと目を上げると、笑顔の想太さんと目が合って、ドキッとする。

私は咄嗟にパッと目をそらして、伏せた。


「な、なんでもないです……」

「えー?なにそれ、めっちゃ気になるんやけど!」

「な、なんでもないですっ、ホントに……」

「そー?なら、いつかゆってな!」


想太さんはそう笑い、最後に私の頭をポンポンッとした。


「さ、〇〇。ご飯作ろ?お腹空いたやろ?今日は〇〇が旦那さんと離婚できたから、ご馳走やで!」


「なに作る?」と想太さんはキッチンに行き、まるで子供みたいにウキウキしてる。

そんな想太さんを見て、私の心臓は明確に音を刻む。

それは次第に大きくなって、早くなって……


「えっと、じゃあ……」


私もキッチンに行って、想太さんと一緒に冷蔵庫を覗き込んだ。



❤︎



花村さんと過ごすようになってから、数ヶ月経った。

離婚は無事成立し、私の苗字は旧姓に戻る。

けど、最近、


「その苗字……早よ俺の苗字にしたいなー?」


とかなんとか、花村さんにからかわれたりする。

要は、結婚しようと言われている。

想太さんは完全にその気持ちらしく、あとは完璧に私の気持ちだけだった。

夜、日和ちゃんと想太さんの帰りを待つ。


「ねぇーせんせーまだパパかえってこないのー?」

「うん、もうちょっとしたら帰ってくるよ。日和ちゃんは先に寝てよ?」


想太さんは今日は帰ってくるのが遅く、想太さんに日和ちゃんの世話を頼まれている。

でも……いくらなんでも、遅いかな?

先に日和ちゃんを寝かすと、少しすると、想太さんが帰ってきた。


「〇〇ー!ただいま!」

「あ、想太さん。おかえりなさい」

「なー今日めっちゃ疲れたぁ〜」


想太さんはどかっとソファに座り、本当に疲れてるっぽい。


「お疲れさまです。日和ちゃん、寝かせておきましたよ」

「あ、ありがと!んじゃ、日和にもただいまって言ってこよかな〜」


想太さんは嬉しそうに寝室に向かう。

しばらくすると、戻ってきた。


「はぁ〜日和可愛かった〜」


寝顔が、かな?


「想太さん、ホントに親バカですね?」


クスッと笑うと、想太さんはムッとした顔になるも、でも嬉しそうにニコニコする。


「そやなぁ、親バカやなぁ〜。やって日和可愛いすぎるもん。そう思わん?」

「それは、思います」


職場の保育園で、いろんな子供たちを見てきたけど。日和ちゃんは、ルックスも内面も飛び抜けて可愛い。

将来は、モデルやアイドルなんかもいけそうなき気がする。


「やろ?自慢の娘やわ」


想太さんは私のとなりの座る。


「でも……その自慢の娘を、〇〇と持ちたいって思うんやで?」

「っ、それは……」

「プロポーズ。って、何回も言っとるけどな。……ど?俺のこと、考えてくれた?」


想太さんはソファに手をつき、顔を近づけてくる。

その近さにドキドキして、心臓がうるさい。

目をまっすぐに見つめてくるから、そらしたくて仕方がない。


「えっと……考えました」

「……教えて?」

「はい、えっと……」


私もソファに手をついて、すいっと想太さんに顔を近づける。

そして、そのまま、唇にそっとキスをした。


「え、〇〇——」


想太さんは驚いたふうに目を丸くする。

私は恥ずかしさを感じながらも、ニコッと微笑んだ。


「これが、私の気持ちですっ……」

「え、〇〇、それ、は、俺のこと好きっちゅうことでええん……っ?」

「……はいっ」

「じゃあ……俺と、結婚してくれるんっ?」

「……よろしくお願いしますっ」


コクンと小さく頷くと、想太さんはじわりと笑みをにじませた。


「よっしゃあああああああ!」

「わ、ちょ、想太さんっ、日和ちゃん起きちゃいます!」

「あ、やば、」


想太さんは眉をひそめて口を手で隠し、でもニヤニヤは隠しきれてない。


「ふふ、なぁ、ホンマに?ホンマに、俺と結婚してくれるん?」

「はいっ、ホントです。嘘はつきません」

「ありがと、〇〇っ」


想太さんはいきなり抱きついてきた。


「も〜ホンマに嬉しいっ!〇〇好き!愛しとる!」

「そ、想太さん、苦しいですよ……」


ぎゅ〜っと抱きしめられて、想太さんの背中を遠慮がちに叩くと、想太さんはわずかに力を緩めてくれた。


「ごめんな?でも、嬉しすぎて。ふふ、〇〇と結婚できる〜っ」


またギュッと抱きしめられて、さっきみたいに苦しくなる。


「〇〇、俺は〇〇のこと大切にするからな。絶対、傷つけへんから」

「はい……ありがとうございます」


そっと囁かれて、遅れて私も嬉しさがこみ上げる。

想太さんと……結婚できるんだ。

実感が湧かなくて、でも現実で。こんなの抑えきれないほどに嬉しいのは、初めてだ。


「〇〇、ずっと一緒におろうな。日和も、〇〇が家族になるの喜ぶと思う」

「あ……そうですね。そうだといいです」

「きっとそうやで。日和も喜んでくれる」


想太さんは優しく微笑んで頭を撫で撫でしてくれる。

頰を緩めると、想太さんは両手で頰を挟んでくる。


「もぉー可愛いヤツやな〜ホンマに!こうしてやりたいわ!」

「わ、ちょ、想太さんっ、やめてくださいよぉ〜っ」


いきなり頰をむにむにと触られて、顔が変なふうになる。


「ははっ、へんな顔!」

「もお、想太さんがやったんじゃないですかっ!」


憤慨すると、想太さんはいきなり顔を近づけてきて——


「んっ、」

「ごめんな?あんまりにも〇〇が可愛いかったから」

「……不意打ちでキスはやめてください」

「?なら、ふつうにしてほしかった?」

「え?」


気づけば、視界には天井だけが。

え?なにこれ?

と思ったのと同時に、想太さんは上に乗っかってきた。

そして、唇に甘くキスをされる。


「ん、想太さ、」


喋ろうとすると、また口を塞がれる。


「んっ、」


想太さんの肩を押すと、その手は握られる。


「ふふ。キスしただけやよ?やのに、そんな目トローンとさせて……。ホンマ可愛いな。……この先、したいん?」

「……しても、いいですよ?」


私だって、旦那と何回かしてきてる。

処女ではない。


「ふーん?なら、遠慮せえへんからな?……〇〇の返事、遅かったから……お仕置きって事で」

「え、」

「今日は寝かせへんで」


想太さんはニヤッと笑って、また唇を重ねてきた。





END.












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