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召喚獣のお医者さん  作者: 梶木 聖
⑶ 王都ローレリア
59/62

59.扉の向こう

「では今日はここまでにしましょう」


 机に乗せた資料をパタンとたたむと、ピーターはニッコリ笑った。

 今日はクレムポルテ王国の法律と階級についての講義だ。だんだん難易度が上がってくる。

 トモカは詰め込まれた内容が頭からこぼれ落ちないうちにと、必死でノートを取っていた。


「ほぅ、トモカさんはもう日本語ではなくテナン語で書き取りをされているのですね。素晴らしい」


 ピーターが感心したようにトモカのノートを覗き込む。


 夜遅くまで部屋で勉強していたおかげか、簡単な文であればだいぶテナン語の読み書きもできるようになってきた。もちろん難しい部分には日本語で注釈もつけるが、基本的にはできるだけテナン語で書くようにしている。世界に慣れるため、一刻でも早く読み書きを覚えたいからだ。


 しかし、昨夜遅くまで起きていたのは別の理由もあった。


「そ、そうですね、勉強頑張りました……」


 若干後ろめたい気持ちがあるため、トモカはピーターからさり気なく視線を逸らしてノートを閉じる。

 ピーターはそれを見て楽しそうに目を細めた。

 どうもピーターには色々バレている気がする。


 トモカが昨夜なかなか寝つけなかったのは、ほとんどが脳内に度々現れるレオのせいだった。

 ベッドに入って寝ようとした途端に、どうしても昨日の資料室での情景を思い出してしまうのだ。

 トモカの瞳を絡めとるレオの甘く鋭い視線や、髪に差し入れられた指の滑らかな動き、後頭部をゆっくりと引き寄せる手の強さ、唇に僅かに触れた呼気の熱さ。そしてそれに伴う極度の恥ずかしさとムズムズするような背中の痺れが蘇ってきて、目を閉じても「うわぁぁ」とすぐにガバッと起き上がってしまう。


 それを忘れるため、テナン語の読み書きの勉強に没頭する他なかったのだ。おかげで今日は転生して以来の寝不足だ。


(でもお試しとは言え一応恋人なんだから、これくらいで動揺してちゃだめなのよね、きっと)


 トモカはブルブルと頭を振り、レオの顔を頭から締め出した。昨夜は一晩中レオを追い出し続けていたため、だいぶ上手に追い出せるようになっている。

 するとレオの顔が退場した途端にトモカはあることを思い出し、ピーターにお伺いを立てた。


「あの、そういえば3日後に薬師の方とお会いして色々薬についてのお話を伺いたいと思っているんですが、長時間外出しても構いませんか?」


 薬師ノーラとの約束だ。トモカは午前か午後のどちらかはピーターからの教育に当てられているため、無断では外出できない。

 しかし、ピーターは意外そうな顔をしてトモカの顔をのぞき込んだ後、頭上に生えた灰色の耳をピコピコと動かしながらニコッと表情を崩した。


「3日後、ですか。ちょうど明後日にはトモカさんの教育は終わる予定でございます。トモカさんが新しい居住地をお選びになればすぐにでも移り住んでいただけますので、危険なことでなければそれ以降はご自由にしていただいて構いませんよ」

「えっ、そうなんですか!?」


 トモカは目を見開く。教育はもう少しかかるものだと思っていた。


「ええ。トモカさんの飲み込みが早いので、予定を短縮できているのですよ。後は魔力と魔法と魔石についてだけです。こちらも基礎の部分は既に理解されているようですので、そうかからずに終わるかと。1番の懸念でした読み書きもかなりできてきているようですし、王都で生活するだけなら問題ないと思われます」


 ピーターはそこでふと思い出したように手を打った。


「おおそうだ、今日はこれをお渡ししようと思っていましたのに、すっかり失念しておりました」


 ピーターは資料の一番下に置いた紙を引っ張り出し、トモカに差し出した。

 トモカはなんだろうかと興味津々で渡された紙を覗き込む。

 紙にはいくつかの図形と文字が細かく書き込まれていた。1番中央はおそらくローレリアの地図に注釈が入ったもの、そしてその周りを囲むように並ぶのは建物の間取りを描いたものだろうか? 各建物の場所を示すように、中央の地図と線で結ばれている。


「国王陛下と協議の上で選定したすぐに入れる空き家の候補でございます。今までもお話した通り、聖女の存在は他国からは可能な限り隠す手筈になっております。したがって、若い女性がお1人で暮らしていても極力目立たず、なおかつあまり城と離れておらず、できるだけ我々が警護や援助に駆けつけやすい安全な場所を選んであります」

「あ、ありがとうございます」


 この紙に描かれているのは国王が直々に選んだ場所らしい。治安などはおそらく間違いないのだろう。

 トモカはそこまでして貰えるとは予想していなかったため驚く。さすがに住む家は自分で探す必要があると思っていたのだ。


「最初は土地勘もあまりないでしょうから、まずはこの表の中から選んでいただいて、もし今後これら以外の場所に住みたくなった場合は、その時点で予めご相談いただければと」

「分かりました。あの、何から何まで用意していただいて恐縮です」

「いえいえ、こちらの都合で保護させていただいておるのですから、トモカさんが気にされることはありませんよ。ただレオナルド様のご意向もあるでしょうから、できればお二人で決められた方が良いかと」

「……は、はい」


 トモカは少し赤くなって頷く。

 レオと2人で新居を決めるなど新婚みたいだ、とふと思いついてしまい、その発想に思わず自分を殴りたくなった。


(決めるのは私の家! レオと一緒に住むわけじゃないから!)


 トモカのそんな激しい動揺を知ってか知らずか、ピーターはトモカを見つめ、目を細める。


「ちなみにその会う予定の薬師というのは、ノーラのことですか?」

「そうです。昨日薬屋さんに行きまして……。ご存知でしたか」

「ノーラはローレリアで一番有能な薬師ですからね。王城やこの教会にも薬を納めていますし、ローレリアでノーラの名を知らぬ者はあまりおりません。ただ、非常に変わり者であるが故に、親しい友人は数える程なのです。レオナルド様もそのうちの1人ですが」


 確かに話し方や薬に対する熱意が特徴的で少し変わっているとは思ったが、初対面のトモカにも優しく、見た目もとても美人であったため、トモカはピーターの言葉を意外に感じる。


「昨日お会いした感じでは悪い人には見えませんでしたが……」

「もちろん少し変わり者ですが、心根の優しい子ですよ、あの子は。ただ興味のある物を目にすると暴走する悪い癖がありましてね。研究に没頭するあまり奇行を繰り返したため、街の人々からは少し遠巻きにされているのです。多くの薬でこの街の人々を助けているのは事実ですし、避けられているだけで嫌われている訳ではありません」

「そ、そうですか……」


 奇行という程ではないかもしれないが、同じく興味がある物に対しては周囲の目を忘れてとことん突き詰めようとしてしまうトモカにとっては耳の痛い言葉であった。そして同時にノーラへの親近感がふつふつと湧いてくる。


「ノーラは幼い頃から教会に通い、私の話にも興味を持ってよく聞いてくれました。私にとっても半分娘のような存在なのです。仲良くしてあげてくださいね、ノーラと」

「はい!もちろんです」


 トモカはブンブンと首を大きく縦に振る。

 レオが友達なのなら、もしかしたらトモカとも友達になってくれるのではないか。

 おそらく40歳前後であろうと思われるノーラとは年齢は少し離れているが、この世界で初めての女友達になれるかもしれない、とトモカはワクワクしたのだった。


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 ピーターの講義は午前中で終わってしまったため、午後からは外に出かけることにした。

 ピーターに確認を取ったところ、酔っぱらいの多い地区にさえ入らなければ問題ないということで、比較的自由に外出しても良いようだ。ローレリアの平和さがよく分かる。


 トモカはドムチャ村でレオに買ってもらった茶色のローブを身に着ける。野暮ったく地味なデザインではあるが、トモカとしても知らない街を1人で歩くのにはできるだけ目立たない方が安心するのだ。


 トモカは昨日来たのと同じく、王城広場から5月通りに入った所にある店の前にやって来た。

 ノーラの薬屋だ。

 トモカがそうっと店の扉を開き、中に一歩入ると、相変わらず色鮮やかな小瓶が並ぶ壁一面の棚に圧倒される。しかし、中には客の姿もノーラの姿もないようだった。


(あれ? 留守? 勝手に入っちゃってマズかったかな)


 トモカが出直そうと出入口の扉を再び開けたその時、店の奥にある別の扉の向こうから男女の言い争う声が小さく聞こえてきた。

 トモカは怪訝に思い、その扉に近づく。ケンカだろうか?

 ケンカならば止めに入る必要もあるかもしれない。


「──── ダメです、ハイ、私はとてもそんな事はできません!」

「いいじゃん、ちょっとだけ。頼むよノーラ、お願い」

「……どどどどうすればいいんですか」

「先っぽだけでいいんだよ、これでちょっと突く感じでさ」

「い、痛そうじゃないですか、そんなの私にはムリです! 出すなら私が支えてますから、ご、ご自分でどうぞ!ハイ!」


(な、なんか……ケンカっていうより微妙にいかがわしい会話に聴こえるんだけど)


 トモカは聞いてはいけないことだっただろうかと一瞬扉から離れかける。

 しかし、片方の女性の声がノーラなのは確実なのだが、もう片方の甘えて懇願するような男性の声も、トモカにとってはあまりにも聞き覚えがありすぎた。

 トモカの胸がざわつく。盗み聞きは良くないと分かっていても、なかなか扉から離れられない。


「……分かったよ。目を逸らさずにちゃんと持ってて」

「あああっそっそんなに大きく! いいい痛い!」

「ッ……! ……出すよ」

「は、はい、う、受け止めますから、こここここに」


 ノーラの異様に焦る声が聞こえる。そして扉の外でトモカも焦る。


(う、受け止めるって何を!?)


 そして、不自然に長い沈黙が続く後ろで、微かに2人の荒い呼吸が聞こえた。


「ハァ……よし、これくらいでいいかな」

「す、すぐ拭きますから!」

「ありがとノーラ。助かる。あ、う……ごめんそこ、出たばっかだからもうちょっとキツく縛って?」

「すすすみません、ハイ。これくらいでいいですか?」

「うん、ちょうどいい。ありがとう。ええと、代金はこれくらいでいい?」

「ハ、ハイ、それで充分ですよ、レオさん」


(しかも、お金のやり取り!?)


 金を渡す代わりに何かをしてもらった、ということだ。

 このふたり(・・・・・)は友人だとピーターが先ほど言っていたはずだ。なぜこんなことを。

 その男の声の主がレオであることに確信を持ったトモカは我慢出来なくなり、バンと勢いよく扉を開いた。


 扉の向こうはどうやら薬の調製をする部屋のようだった。中央には広い台があり、その上に不思議な形をした器具が多数置かれている。壁をぐるりと囲む木の棚には、瓶に詰められた様々な草や石や液体などが並べられていた。

 台の手前では、トモカの想像通り普段着姿のレオが椅子に座りキョトンとこちらを見ている。そしてノーラも。

 ちょうどノーラの手の平にレオが銀貨を数枚握らせているところだった。

 前回と同様に淡い水色のローブを纏ったノーラは、その美しい顔を青くしている。


「あれ? トモカ?」

「レオ! ノーラさんに、な、何させてるの!? 友達なんでしょう!?」

「え、何って言われても……」


 レオは気まずそうにスっと目を逸らす。その視線の先を何となく追い、トモカは目を見開いた。

 台の上には切れ味の良さそうな細身のナイフが1本と、透明な細長い瓶が置いてあり、その中には真っ赤な液体が詰められている。


 血液だ。


 トモカはその鮮烈な赤を目にした途端、ドクンと大きく心臓が鳴るのを感じた。

 抗いがたいような魅力を感じる色だ。

 美味しそうだ(・・・・・・)と思ってしまうくらいに。


 よく見ると、レオの左手の中指の先端に細い布がぐるぐると分厚く巻いてあるのに気づいた。


(もしかして……)


 トモカは瓶の赤色に吸い込まれる自分の意識を必死に振り払い、レオに尋ねる。


「こ、これ、もしかして、レオの血?」

「……そうだよ。本当はトモカには出来上がるまで内緒にしとこうと思ってたんだけど。バレちゃったか」

「これで何を……」

「これをノーラに錠剤として精製してもらおうと思ってさ。長期保存できる常備薬としてね」


 ふと見るとノーラもコクコクと頷いている。やはり少し顔色が悪いが、できるだけ瓶の方を見ないようにしているあたり、実は彼女は単に血を見るのが苦手なだけなのかもしれない。


「常備薬?」

「そ。オレの血でも良いらしいからさ。まだ要らないけど、念のためってやつね」


 ノーラがいるせいかレオは最も大事な部分は言わなかったが、トモカには分かった。

 ピーターから習った聖女についての講義の中に、血の鎖の役割についての説明もあったのだ。聖女の魔力の暴走を止める時には、血の鎖の対象者の血液を服用することでも一時しのぎにはなる、と言われたのを覚えている。


 つまりこれはトモカのための血液なのだ。

 トモカの魔力が万が一暴走してしまった時用の。


 トモカはレオがまさかそこまで用意を始めていたとは思わず、瞠目した。


「こう指先を瓶の口に当てた状態でノーラにナイフで指先を切ってもらおうと思ったんだけど、そんなことできないって言うから、自分で切る代わりに容器の方を支えてもらってたんだよね。そりゃ確かに血が苦手っぽいのに採取する作業を手伝ってもらったのは悪かったけど、他の薬師に頼むつもりないし、そこまでひどいことはさせてないつもりだけど……」

「ご、ごめんなさい。なんか私、カン違いしてて……」


 トモカがレオとノーラに必死に謝ると、2人は訳が分からないといった表情をするが、レオは少し考えてある可能性に思い至ったのか、ゆっくりと頷きながらニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。


「ああ、なるほどね。トモカ。何をどう(・・・・)カン違いしたって?」

「なっ……なんでもないです!」


 改めて聞き返されてトモカは慌てる。


(さっきの会話がいかがわしく聞こえたのは、私の心が汚れすぎてただけだった!)


 前の世界で伊達に30年以上生きてない。確かに勉強や仕事に追われていたため恋愛経験は少ないが、インターネットや本などから得た情報で色々と耳年増ではあるのだ。しかも耳年増であるが故に、無駄に想像力だけは(たくま)しい。今回はどうやらそれが(あだ)になったようだった。

 トモカのカン違いをだいたい悟ったレオは、楽しそうにクックッと肩を震わせて笑う。


「オレのお姫様は奥手な割に意外とむっつりだなぁ」

「わああああああやめて! ごめんなさい! だ、だってレオのことだから(・・・・・・・・)てっきり」

「……ええと、結構失礼なことを言われたような気もするけど、ま、ヤキモチ焼いてくれたんだと思うことにするよ」


 レオは肩を竦めてトモカの頭をポンポンと叩いた。

 一方、ノーラは本気で分かっていないようだ。心配そうに眉を寄せる。


「あの、あの、私、何かトモカさんがヤキモチを焼くようなことをしてしまいましたか?」

「いやっ、いいんです、ノーラさんは全然悪くないんで気にしないでください! 私がアホなだけです!」

「はぁそうですか、ハイ」


 ノーラはあまり納得していない様子だったが、トモカは無理やり話を終わらせる。


(せっかく友達になってくれるかもしれないのに、変態だと思われたくない!)


「ところでトモカさんはどうしてここへ? レオさんを追いかけて来られたんですか?」

「いえ、一昨日言ってた消毒薬の開発の件、大丈夫そうなので改めてお願いしようかと思って」

「ハイ、新薬の開発と薬についてお教えするというお話でしたね。じゃあ予定通り、今日から3日後にここへ来ていただいていいですか?」


 ノーラはそう言って自分の足元を指差した。快く引き受けてくれたノーラにトモカは深々と礼をする。


「大丈夫です! お忙しいのにすみません」

「いえいえ、こちらこそ楽しそうなお話ありがとうございます。また新しい子供たちが増えるかと思うと楽しみで仕方ないです、ハイ」

「子供たち……」


 ノーラは美しい顔に恍惚の表情を浮かべていた。どうやら新しい薬を開発できるのが本当に嬉しいらしい。

 トモカにとってもこの世界の進んだ薬事情を学べるというのは非常に楽しみであった。

 トモカとノーラは目を見合わせてクスッと微笑み合う。


 そんな2人をレオは心配そうに眺め、ため息をひとつついたのだった。

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