57."神様の水"
鑑定術士ウィルキードの店で少し話し込んでしまってから外に出ると、既に夕刻となっており、先ほどまで明るかった空はどんよりと灰色に濁っていた。夜とまではいかないが、かなり暗い。
雨でも降るのだろうか。
通りに面した店の多くは既に店の外に明かりをつけはじめていた。
照明にはカンテラやランタンを使っている店もあるが、高価な光の魔石を上手に使った店の方が多いようだ。この王城広場周辺は王都ローレリアで最も栄えている地域だと聞いたため、照明の安全性などにもきちんと気を遣うようなしっかりした店が多いのかもしれない。
まだ通りを歩く人並みは途切れておらず、様々な種類の獣人が、ある者は楽しそうに、ある者は忙しそうに行き交っていた。
キラキラとした光と喧騒が溢れる街の中、トモカは不思議な浮遊感と共にレオに手を引かれて黙々と歩く。見慣れない光景を見ると、未だここにいることが夢の出来事のように感じる。
「そうだトモカ、教会に戻ったらトモカの部屋に寄っていい?」
「えっ!」
突然そう訊かれ、トモカはギョッとして隣を歩くレオを見上げた。
(こ、これはもしやそういう……)
トモカも仮とはいえ恋人になることを了承した以上、より親密な関係になることを覚悟していないわけではなかったが、さすがにまだ気持ちの整理がつかない。
しかも相手はこのレオだ。理由なく部屋に上げて、何もなく帰ってもらえるとは思えない。
今日首すじにわざわざ外から見えるようにキスマークをつけられていたことも、もしやそういう予告だったのでは……とトモカは焦る。
トモカが様々な事態を想定して、どう返事しようかと考えを巡らせていると、レオはクックッと喉を鳴らして小さく笑った。
「何考えてるかはだいたい分かるけど、そんなに警戒しないでよ。大丈夫、トモカには何もしないよ。さっき言ってた"神様の水"について詳しく話を聞きたいだけだし」
先ほど、ウィルキードの店で"神様の水"についてウーからこれまで聞いていたことを簡単に説明したが、詳しいことはウーに聞かないと分からないとレオに伝えていたのだった。そして、ウーは今、ピーターからの許可をもらってトモカの部屋で暮らしている。ウーの話を聞くにはトモカの部屋に行くのが手っ取り早い。
トモカは先走りして強く警戒していた自分を少し恥じた。
(さ、さすがに部屋に上げて即何かされると思うなんて自意識過剰すぎたかな)
よく考えてみればレオは口では色々言ってくるが、ドムチャ村の宿で一緒のベッドに寝泊まりしていた間も、結局何もしないでいてくれた。トモカが酒に酔ってとんでもないことを口走ったにも関わらずだ。
相当な女好きなのは確かなのだろうが、嫌がる相手に無理矢理何かしてくる人物には到底思えない。もしそんな人物であれば、そもそもトモカ自身もレオに対して好意を持ってはいないだろう。
「そ、そっか、そうだよね。そうだ、なんならここに喚ぼうか?」
「今はデート中だからダーメ。オレだけ見てて」
レオはトモカの手を少し強く引き、自分の方に寄せる。トモカはレオのカーキ色の瞳に間近で覗き込まれ、恥ずかしくなって思わず目を逸らす。
「ま、まだどこかに行くの?」
「トモカ、もう帰りたい?」
「いや、夕食までに戻らないとピーターさんが心配するかなーって」
「大丈夫、今日は夕食も一緒に食べてくるって言ってあるから」
「そうなの?」
いつの間に、とトモカは思ったが、今朝一番でトモカを連れ出す許可を貰いにピーターの所へレオがやってきたと聞いたので、おそらくその時だろう。
「……ピーターさんからは泊まりでもいいって言われてるんだけど、どうする?」
レオが少し掠れた甘く低い声でトモカの耳に囁く。
トモカは一気に赤くなった。
(ピーターさん!? 何言ってるんですか!)
おそらくピーターとしては、2人が既に両想いになっているなら後顧の憂いを断つために聖女と血の鎖をさっさと繋いでしまえ、と考えているのだろう。今までのやり取りや今朝習った聖女についての講義を思い出せば、それは容易に想像がつく。
トモカもそれについて、ピーターの立場なら特に間違っているとは思わない。
しかし、国王ガルドから自由にしていいと言われた以上、考える猶予くらいもらえるはずだ、と反発したくもなる。
「いやいやいや、いいです。帰ります!」
「うん、分かってたけど。そこまでキッパリ断られると、さすがのオレもちょっと傷つくなー。まぁまだお試し期間だからね。トモカがいいって思うまでいくらでも待つよ」
レオはそう言いながらも少し楽しそうに笑った。
お試し期間が終わったらどうなるのか、トモカは深く考えないことにした。
夕食に、とレオに連れられて入った店は大衆向けのバーだったが、あまり賑やか過ぎず、適度な客入りの雰囲気の良い店だった。
まだメニューの読めないトモカに代わってレオが適当に料理を頼み、2人で仲良く分けて食べる。
どれもトモカにとっては初めて食べるものばかりだったが、非常に美味しかった。この世界の食事はありがたいことにトモカにも合っているようで、今まで不味いと思うような料理には出会っていない。
レオに料理の種類を訊ねると一つ一つ詳しく説明してくれた。どう見ても庶民料理なのだが、作り方まで詳しく知っているのは意外な気もする。
そう言うとレオは悪戯っぽく口角を上げ、ニッと笑う。
「オレ10代の頃から時々家出して他の冒険者たちと色んな所で寝泊まりしてたからね。下っ端のうちは料理係もやってたし、王宮料理は無理だけど、庶民料理なら結構作れるよ」
「へぇすごい! あの小屋でも作ってた?」
「そうだね。あの小屋はそんなに何度もは使わなかったけど、水場が近くて便利だったな」
「確かに! 私も水場さえあればなんとかなるかなと思ってあそこ使わせてもらったもん」
「トモカって見た目より頑丈だよね」
「どういう意味!?」
トモカとレオはそんな他愛もない会話でクスクスと笑い合い、食事を楽しんだ。
会話が弾んでいたせいか、食事が終わって外に出るとすっかり日が沈み、夜になっていた。人通りももうまばらだ。
「少し遅くなったね。じゃあ教会に戻ろうか」
「うん」
レオがトモカを促し先に進む。
手は繋いでいない。トモカはそれを少し寂しく思いながらレオの後ろを歩いた。
(手、繋がないのかな)
トモカはそう思ってしまってから、自分の感情に驚いた。それだけ今まで一緒に歩いている間はずっと手を繋いでいたのだ。
それに気づいた瞬間、急に不安感が大きくなる。
ただ外を歩くのに手を繋がなかったというだけなのに、なぜか捨てられたような気分にさえなる。
トモカは寂しくなって少し先を歩くレオの手を見つめた。
細身のレオの身体にはあまり似合わない、長く節榑立った男性的な手指。
繋ぎたい。レオの手に触れたい。
喉が渇いて水を欲するのと似たような衝動がトモカの心に沸き起こる。
自分から繋いでみてもいいだろうか、とトモカは頭の片隅で考えるが、それを誤魔化すように先を進むレオの背中に話しかけた。
「そ、そういえばレオ、今日資料室で様子がおかしかったけど……何かあったの?」
「資料室? ……ああ」
レオは一旦立ち止まり、くるりと後ろを振り向いてトモカを見下ろす。トモカも慌てて止まった。
しかし、レオはそれきり口を開かない。無言のままじっとトモカを見下ろしている。
(何か悪いことを聞いちゃったのかな)
あまりにも長い間レオが沈黙を保っていたため、トモカはレオを怒らせてしまっただろうかと更に不安になった。
そんなトモカの様子を見て、レオがようやく口を開く。
「トモカ。あのさ、これ、どう思う?」
そう言ってトモカの顔のすぐ前に手を軽く広げて差し出してきた。
(ど、どうって……)
トモカは意味が分からないままにその目の前に広げられた指を眺めた。
さっきからずっと触りたいと渇望していたレオの指が目の前にある。
トモカは吸い寄せられるように無意識に目の前の指にしがみつき、ぱくりと咥えた。そして2、3秒間ほどで急に冷静になり、我に返る。
(な、何やってるの私!?)
「ご、ごめんなさい! なんか頭おかしかった! ごめんなさい」
真っ青になってレオの指から慌てて口を離し、レオの指を自分の服の上着でゴシゴシと拭く。
レオは特に驚いた様子も見せず、されるがままにしていた。
さすがに言い訳ができない。
なぜこんなことをしてしまったのかも分からない。
今朝、美味しそうだと言ってトモカの首や顔を舐めてきたレオを頭の中で変態扱いしていたが、自分もそう変わらないことをやっている。
トモカは落ち込んだが、レオは少し微笑んでそんなトモカの頭を安心させるようにポンポンと撫でる。
「いや……。こっちこそごめん、ちょっと確認したいことがあって実験した」
「実験?」
「大丈夫、トモカの頭が変になったわけじゃない。理由は何となく分かってるんだ。今は気にしなくていい」
トモカの頭上に置かれた手は優しく、責めるような雰囲気は全くない。
トモカはその手の平の暖かさに、今まで感じていた不安がスーッと消えていくのを感じた。
「今調べてる所だから、全部調べ終わったら話すよ。対策も含めてね。それまでは、少しでも不安になったことがあったら、全部オレに話して?」
「全部?」
「 今、オレが手を繋がなかったから不安になってたでしょ、トモカ」
その見透かすような言葉にトモカはドキリとし、目を見開く。
「うん……えっ!? な、なんで分かるの?」
「分かるよ。というかトモカに少し不安を感じてもらうためにわざと離してたんだし」
「そうだったの?」
「ごめんね、トモカを試すようなことはもうしない。おいで」
レオは柔らかく微笑み、トモカにそっと手を差し出す。
トモカもゆっくりとその手を取った。
結局レオの様子がおかしかった理由については話してもらえなかったが、もしかするとレオも何か不安に思うことがあったのかもしれない。
何となくそう感じ、トモカは繋いだレオの手をぎゅっと強く握った。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
(オカエリ、トモカ! レオもいるネ!)
レオと共に部屋に入ると、ウーがベッドの上でピョンピョンと跳びはねてトモカを待ちかまえていた。
「お邪魔するよ」
「ウーさん、1人にしてごめんね」
(ジーニーとお話してたカラ平気!)
トモカがそのフワフワとした白黒の毛玉を抱きしめると、ウーは嬉しそうにスピスピと鼻を鳴らす。
「ジーニー元気なの?」
ジーニーは今、王城に併設された獣舎にいる。どういった手段かは分からないが、 召喚獣同士は離れていても会話をすることができるらしく、ウーとジーニーはいつも話をしているようだ。本当に仲がいい。
(元気なんダッテ。でもジーニーの隣の部屋に臭いヤツがいて、部屋を変わろうかなって言っテル)
「ふふ、そうなんだ。ねぇレオ、ジーニーって獣舎の部屋の移動は自分で自由にできるの?」
後ろに立つレオに話しかけると、レオは意外そうな顔でトモカとウーの顔を見比べた。
「できるよ。あそこは基本的に放牧状態だから。ジーニーがなんか言ってるって?」
「うん、お隣さんが臭いって」
「なんだそりゃ。今まで何度もあそこに入れてるけど、そんな不満初めて聞いたぞ。新しく入ったヤツでもいるのか」
「ウーさん相手だと言いやすいのかもね」
もしかしたら契約主には言いづらいことも、召喚獣同士なら遠慮なく言えるのかもしれない。
「そうだ、ウーさん、前に森の中にある"神様の水"の話、してくれたでしょ? あれ詳しくレオに教えてあげてくれる? レオのお仕事に必要なの」
("神様の水"? いいヨ!)
ウーが"神様の水"について知っていることを話し、それをトモカが伝言する形でレオに伝える。
以前から聞いていたことも含め、分かったことがいくつかあった。
"神様の水"は西の森の地面から湧く場所が何ヶ所もあり、はるか昔から存在していること。
魔力が豊富で、飲めば普通の動物も魔法を使えるようになること。
ウーのように、飲めば魔法と知力が上がるだけの種類もいるが、それ以外の動物が飲むと数日間眠ってしまうこと。
そしてそのような動物は起きると理性を失い、他の魔力を持つ存在を求めて襲うようになるということ。
神様の水が湧く場所には独特な香りがあり、それが動物たちを惹きつけること。
逆にその臭いを嫌い、絶対に近づかない種類の動物も多いこと。
「なるほど……つまり、魔獣ってのは元から魔法を使えるわけじゃなく、この水を飲んで異常を起こした動物が魔獣になるってことかな。でも魔力の入った水を飲んだだけで魔獣になるなんてあるのか……?」
レオはそう呟いて考え込んでいる。
トモカは今までの話やウィルキードの鑑定結果を思い出し、おや?っと思う。
何かが引っかかる。何だろうか。
ただ単に魔力が多い水、というだけなのだろうか。
(生物のように魔力が増えるただの水……? 生物……?)
鑑定ではそれ以上の結果も出ていない。しかしこれは……。
トモカがグルグルと考えている間に、レオがパンと膝を打って立ち上がった。
「うん、まだはっきりしないけど、もしかしたら魔獣の発生する原因かもしれないし、上に報告してみるよ。ついでにドムチャ村の牛の病気の件も報告しようと思ってたし」
「そ、そうなの!?」
「大丈夫、トモカや村の人たちには迷惑がかからないように書くから。国としてはどっちも大きな問題だからね、知ってて報告しない訳にもいかない」
「そっか、良かった」
トモカはホッと胸を撫でおろす。
トモカが勝手にやってしまったことが国に報告されるというのは緊張するが、それでもあの村の現状を国に把握してもらっておくのは良いことだと思われる。それに報告するのがレオであれば、きっと悪いようにはしないだろう。
言動が軽いようでも仕事に関してはいつも真面目で用意周到なレオのことを、トモカはかなり信用していた。
「レオ。あのね、無理だったらいいんだけど、さっきの瓶に入ってる"神様の水"、数日間貸してもらえないかな? 私の想像が合ってたら、魔力が増える原因とか動物に異常を起こす原因が分かるかもしれない」
「えっ、ほんと!?」
「うーん。私もまだ想像だから、絶対に分かるとは言えないんだけど」
レオはウーンと唸りながら天井を見上げて悩んでいる。
「分かった、報告は別に物がなくてもできるから、これは瓶ごとトモカに預けとくよ。ただ、大丈夫だと思うけど、もしかしたら魔獣の発生源かもしれないから扱いだけ気をつけて」
「ありがとう、気をつけます」
トモカは恐る恐るその瓶を受け取った。落とすのも怖いので、すぐに机の上に置く。
「じゃあオレは帰る。午前中は城に行くけど午後には資料室にいるから、時間ができたらおいで。明日は多分雨が降る予定だから、室内で話をしよう」
「う、うん!」
レオはそう言ってトモカの額に軽く口付け、ぎゅっと抱きしめた。
「ありがとうトモカ。今日は楽しかった」
「うん、私も楽しかった、です。ありがとう」
レオの腕に抱きしめられると、不思議な安心感がトモカを包んだ。暖かい。
レオがトモカの頭上から囁くような声を落とす。
「……キスはまだダメ?」
「今は……ダメ。ウーさんいるし」
「そっか、良かった。二人きりなら良いってことだよね、嬉しいよ」
「は、はい?」
レオが喉の奥でクッと笑ったのが分かった。あまり考えずに返した返事を都合の良いように取られてしまい、トモカは慌てる。
(か、考えようによってはそうとも取れるよね。……しまった)
しかし、慌てはしたものの、トモカは既にそれをあまりイヤだとは思っていなかった。
レオに触れ、共にいる心地良さや安心感を知ってしまったからだ。次に迫られた時、拒否をする自信が今ひとつない。
そんなトモカ気持ちを知ってか知らずか、レオはトモカの身体を離し、トモカの瞳を真っ直ぐに見据えた。
トモカの顔に手を伸ばし、その唇を親指でそっと撫でる。
トモカはその感触にゾクリと身を震わせた。
「覚悟、しといてね。おやすみ」
レオの柔らかに微笑むカーキ色の瞳の中に、トモカを捕らえて逃がさない甘く鋭い熱が混じる。
立ちすくむトモカをそこに残し、レオは部屋から颯爽と立ち去った。
トモカはその扉が完全に閉まるまで、レオの姿から目を離すことができなかった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
レオが教会を出たその後。
トモカは夕食後の片付けに忙しい教会の厨房を訪れた。
男女の若い神官たちが忙しそうに皿や鍋を洗っている。
トモカはその中から見覚えのある細身の背中を見つけ、そっと声をかけた。
「あのぅ、すみません」
「……あら、トモカさん! いかがされましたか? 今日の夕食は外で食べて来られたんですよね?」
振り返った女性神官は、少し驚いた表情をするが、すぐにニッコリと微笑む。
トモカは司祭ピーターの大切な客人として神官たちに紹介されているため、皆トモカには優しい。
「お腹が空いておられるなら、間食用の菓子がありますけれど、そちらを召し上がりますか?」
「い、いえ違うんです! ちょっと別のお願いがありまして……」
トモカが申し訳なさそうに小さな声で頼むと、周りから他の神官たちも手を止めてわらわらと寄ってくる。
なぜか厨房の外からも人が入ってくる。
トモカの周りにはあっという間に人だかりができた。ざっと20人近くいる。
皆珍しい客人の頼みに興味津々なのかもしれない。
(ああっ、コソッとお願いするつもりだったのに)
突然できた人の山にトモカは緊張する。しかし言わねばならない。
「あのですね、密閉できるような透明な容器2つと、お肉の切れ端とかあったら、少し分けていただけないかと……」
トモカの言葉を聞いた大勢の神官たちは不思議そうに顔を見合わせた。




