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召喚獣のお医者さん  作者: 梶木 聖
⑶ 王都ローレリア
54/62

54.血の鎖

 昼下がりの11月通りは人通りが少なく、(つち)を打つ軽快な音だけがカンカンと石畳に響いていた。

 レオは目立たぬよう軍服のジャケットとコートを脱いで腕にかける。さすがに秋も深まってきたこの時期に薄手のシャツ1枚ではやや肌寒いが、仕方がない。


 外で座って休憩をしている顔馴染みの職人も何人かいるが、皆お互いにあまり詮索することなくレオに軽く片手を上げる程度だ。

 ここ11月通りは特に流行りの店もなく住人は高齢の職人ばかりである。そのため、ローレリア内では1番地味で面白みのない通りとして知られているが、身分を隠し、あの恐ろしい母からも隠れて住んでいるレオにとっては大変都合が良く過ごしやすい街だった。


 空き工房横の階段を上って自室に入り、ジャケットとコートを机に投げると、床に丸めたマットを蹴り転がして広げる。レオは勢いよくそのマットに胡座(あぐら)をかいて座ると、床に置きっぱなしだった鞄から聖女についての歴史書を取り出し、真剣な表情でその表紙を見つめた。


(オレにできることは何だ)


 聖女であるトモカの隣にいるためには、自分が血の鎖にならなくてはならない。血の鎖になりさえすれば、トモカを自分のものにできる。さっきまでは確かにそう思っていた。


 しかし、血の鎖として結ばれる以外にも聖女の魔力を安定させる方法があるという。

 それを知らされたレオは愕然とした。


(他にも方法があるなら、オレの存在意義はあるんだろうか。本当にトモカの隣に立つ資格があるんだろうか)


 突然足元が揺らいだ気がした。


 もちろん、聖女に血の鎖という役目が必要だと知らされる前から、トモカはレオの手を取ってくれている。

 ただレオには、旅の間中しつこく自分が迫っていたため、トモカが仕方なく恋人になる提案を受けてくれたのだという、ある種、負い目にも感じる気持ちがあった。


 それは普段の"一夜の恋"であれば、あくまでも自分の"戦果"として誇らしく数えられるものだし、これまではそうやって陥落させた女性を見て満足してきたのも確かだ。

 しかし、トモカに対しては、その「自分のアプローチによって仕方なく恋人になってくれた」という状況がなぜか酷く惨めなものに感じるのだ。


 ところが、トモカは少し戸惑いながらも母の前でレオに対する好意をはっきりと口にしたし、自らの意思でレオの頬に口づけを落としてもくれた。


 レオは既に唇の感触の残らない自分の頬を手の平でそっと覆う。


 きっとその行為はトモカにとってはただの可愛い悪戯(いたずら)で、さほど深い意味はなかったのだろう。

 しかし、レオにとっては衝撃的なことだった。その行為に気づいた瞬間、全力で叫び声を上げたくなるような、強烈な幸福感がレオを満たした。


 そして気づいた。


 恋人になることを了承してくれた時にトモカが言った「覚悟」という言葉の意味を、自分はずいぶんと軽んじていたのでないか、ということに。単にレオに流されるだけでなく、トモカもちゃんと真っ直ぐにレオに向き合って、共に歩もうとしてくれている、ということに。


 だからこそ、レオは聖女について深く知らねばならなかった。

 この国の王子として、聖女の血の鎖として、そしてトモカの恋人として、自分が何を為すべきなのか。

 そうでなければ、自分はろくに役にも立たない、ただ「血の鎖」という肩書きでトモカにくっついているだけの装飾品に成り下がるのだから。


 レオは、以前にその本を開いた時とは全く違う真剣な気持ちで歴史書を開いた。


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 レオはまだ読めていなかった第3章から読み始める。

 第3章はクレムポルテ王国に出現した歴代の聖女についての略歴だった。


 もちろん口承で伝えられているものだけをまとめてあるので、実際はもっと沢山の聖女がいたのかもしれない。

 初代ユーヒメだけは教会にも神像があるためレオにも分かったが、王族の教育としてクレムポルテ王国のざっとした歴史を叩き込まれているはずのレオですらそのほとんどは名前も聞いたことがなかった。

 やはり聖女というのはあまり大々的には歴史に残らないようだ。


 初代ユーヒメはテナン暦973年に誕生している。クレムポルテ王国の建国がテナン暦967年なので、建国からそう長くは経過していない時期に誕生したことになる。

 詳細は分からないが、もしかすると初代女王ミザリアとも面識があったのかもしれない。


 伝えられている初代聖女ユーヒメの特徴は、真っ白い髪を持つヘビの獣人で、やはり転生者であるようだった。

 20歳の身体で王都ローレリアの南東、砂漠のほぼ中央に位置するハイム村に突然に現れ、魔獣に襲われる村を救った、とだけ書かれている。

 どう救ったのか、その後どうなったのか、などは全く書かれていない。


 その他の聖女も10人ほど記載があるが、ユーヒメと同様、ほとんど数行の説明のみだった。

 特に今役立つ記述があるとは思えない。

 レオはざっと読み流し、第4章に手を進める。


(メインは……多分こっちだな)


 第4章のテーマはおそらく聖女にまつわる光と闇だろう。


 クレムポルテ王国だけでなく、過去テナン大陸には多くの聖女が存在していた。

 聖女は災害をなくし、天候を安定させ、豊かな実りを与え、魔獣を恐れさせる。

 従って聖女の存在はそれだけで国を豊かにし、貧困や災害に喘ぐ多くの人々や都市を救う。


 しかしその一方で、聖女自身や取り巻く周囲の者によっては様々な弊害が生じることがある。

 ここにはその数々の事象が記されていた。


 聖女が欲深い者たちの手により誘拐されて、生涯檻に囚われていた例。

 その希少性から奴隷商人に攫われ、奴隷として他国に売られてしまった例。

 血の鎖となった王家の者の別の妃の嫉妬によって、聖女が暗殺された例。

 聖女が国外に連れ去られたことで元々いた国に災害が発生し、その責任を背負わされた周囲の護衛の者が全て投獄、処刑された例。

 血の鎖の儀式を焦った者に無理矢理に純潔を奪われ、聖女が自害してしまった例。

 聖女の所有権を諍い、複数の国が絡む大戦争の主因となった例。

 血の鎖が不完全で魔力の暴走がどうしても止められず、1つの都市が聖女もろともに壊滅してしまった例。


(聖女を巡る闇か。酷い話だな)


 噂程度の内容もあるらしく、全てが真実かどうかは分からないが、そういった数多(あまた)の悲劇的な例が述べられている。

 もちろんその全てが伝聞であるため事件についての仔細な記載はない。しかしレオにとってはつい聖女をトモカに重ねて読んでしまうため、状況の羅列だけでも非常に気分の悪いものであった。


 そして血の鎖についての解説もここに記載されていた。


 血の鎖の儀式とは、古代では本来、血液の持つ魔力によって聖女を鎮めるものであり、かつては血の鎖の対象となる者の血液を集め、聖女に飲ませていた。

 しかしその手法で行う場合の効果は短く、少量でも一時的には効果があるが、半永久的に制御するためには数人分の全血液が必要となる。過去には文字通り生贄(いけにえ)のような形で複数の者の首を切り落とし、その全ての血液を集めて力ずくで聖女に飲ませたこともあったという。


「血の鎖って……本当に血を使った儀式だったのか」


 レオは思わず顔を(しか)めた。首を切り落とすとは尋常ではない。

 レオは以前ドムチャ村の宿で見た悪夢を思い出し、ゾッと身震いする。時代が時代なら、本当にレオも生贄(いけにえ)として首を切られていた可能性があるのだ。


 それが時代を経るにつれ聖女についての考証が進み、血液を飲ませずとも聖女と血の鎖の対象者の間に強い信頼関係があれば、その血がどこかで融合するだけで魔力が安定するという事が知られはじめた。

 つまり、聖女と血の鎖の対象者が心身共に結ばれることで、聖女の魔力が血を飲ませるよりずっと長く安定することが分かったのだ。

 もし子孫を残すことができれば、その子が生存している間は他に何もなくとも聖女の安定は保証される。

 もし子がいない場合でも夫婦となり常に共にいれば、それだけ結ばれる機会が増えるため、聖女は安定する。


 それらを踏まえた上で、著者による聖女を保護する際の心得のようなものも述べられていた。


 聖女が誕生した際には、可能な限り速やかにいずれかの国が保護をすること。

 他国に保護された聖女には一切関与しないこと。

 早めに聖女の出自に合わせた血の鎖の候補を選定しておくこと。

 血の鎖の儀式には互いに深い心の繋がりが必要となるため、聖女と血の鎖の候補はできる限り信頼関係の構築に励むこと。

 物理的あるいは精神的な理由で聖女と血の鎖の対象者が結ばれない場合には、緊急用に血液などをすぐ口にできる形で保管しておくこと。


 そして。


 儀式を行っても魔力の暴走が止まらない場合、放置すれば被害が拡大してしまうため、速やかに聖女の生命を停止させること。


 レオはここまで読んで天井を仰いだ。


(ピーターさんが言ってたのはこれか)


 レオは教会の廊下でピーターに告げられた言葉を苦々しく思い出す。


『ただし、血の鎖になっていただくためには、ひとつだけ条件がございます。血の鎖であるためには、いざという時には聖女の命を奪う役目も引き受けていただかねばなりません。それに同意していただくこと、それが正式に血の鎖となるための条件でございます。それまでは、あくまでも血の鎖の候補となります』


 レオにはあの時、すぐさま返事をすることはできなかった。


 最悪の場合、トモカを殺さねばならないのだ。自分の手で。

 そんなことが自分にできるだろうかと、その時は思った。


 しかし、レオが引き受けなければ、その役目は国王や他の兄弟に移る。

 そしておそらく彼らなら、任せられた役目は躊躇(ためら)い無く遂行できるだろう。

 国のために。

 自分以外の者がトモカを手にかけること。それは想像したくもない悪夢だった。

 トモカの最期を無責任に他人に渡すくらいなら自分が引き受けた方がマシだ。


 レオは本を閉じ、額にその表紙を押しつける。祈るように。

 この先もトモカと共に生きたいのなら、決断しなければならない。


 愛する者を殺す役目。


 しかし、それはあくまでも血の鎖の儀式が不完全で聖女の魔力の暴走が止められなかった場合の話だ。


 ならば。


 トモカの魔力は今のところ安定している。

 運が良ければこの先ずっと暴走することはないかもしれない。

 考える猶予があるのは幸いだ。

 それならば自分はどうするのが最善なのか。


 レオはゆっくりと思考の海に沈んで行った。


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「あれ?」


 ふと顔を上げると、いつの間にか部屋の中が薄暗い。

 行儀悪く胡座(あぐら)をかいたまま読書に没頭していたレオは、ブルブルと頭を振った。

 結局もう一冊の聖女アメリアの世話係の日記も読破してしまった。個性的な細かい手書きで読みにくかったせいか、相当時間がかかってしまった。


 窓の外を見るとまだ夕方ではあったが、太陽はだいぶ低い位置になってきている。


(トモカ、まだ勉強中かな)


 レオは通信用の装置に魔力を送り込んでみる。赤橙色の明かりがほんのり灯った。


「トモカ? 聞こえる?」


 呼びかけるが返事はない。


 仕方ないので装置を机に置いたまま、西の森へ行くのに使った鞄を整理する。

 鞄から全ての道具を取り出して順に元の戸棚に戻す。

 そして薄手の布袋でぐるぐる巻きにされたそれを見つけ、レオは一瞬目を見開いて動きを止めた。


(これは──── 念の為調べておいた方がいいか。サーロスでもいいんだけど……軍の仕事じゃないから難しいな。やっぱり明日あたり3月通りに寄ってみるか)


 レオは袋に包まれたそれを机に丁寧に乗せる。

 布越しにコンッと音が鳴った直後、赤橙色の球体から控えめな声が聞こえた。


『レオ?』

「……トモカ? 終わった?」

『うん、たった今終わったところ』


 トモカの声がレオの殺風景な部屋に心地良く響く。

 先ほどまでぐるぐると考えていたことが嘘のように心が軽くなった。


「トモカ、明日の予定は?」

『明日はピーターさんの都合で午前中が講義だって』

「じゃあ午後はヒマだよね? 午後からちょっとデートしない?」

『う、うん!』


 レオが提案すると、少し嬉しそうなトモカの声が帰ってくる。

 レオはその声に少しホッとして、それからふと思い出した。


「そういえばトモカ。昨日ジーニーから降ろした荷物の中にさ、服が入ってる包みあったでしょ?」

『私が元々着てた服?』

「いや、白い服」

『白い服……?』


 通信装置の向こうでトモカがゴソゴソと荷物を漁っている音がする。

 やがて、小さな叫び声が聞こえた。


『あ! これ……!』


 どうやら見つけたらしい。ドムチャ村で買ったシンプルな白いローブと淡い桃色の上着のセットだ。

 本当は隠しておくつもりだったが、ジーニーから降ろしてトモカに預けたままになっていたものだ。


「本当はそれ、トモカに似合いすぎて心配だからオレの前でしか着せたくなかったんだけど、あんまり束縛するなってピーターさんに怒られちゃってさ。神官用の服じゃ街を歩くのも大変だろうし、もしその服好みだったら明日それ着てよ」

『こ、これも買ってくれてたんだ。 ありがとう! 着る! 着ます!』


 焦ったように返事をするトモカに、レオは苦笑した。


「喜んでくれて良かった。オレも見たいよ。明日、楽しみにしてる」

『ありがとう。ふふ』


 トモカの少し可笑しそうに笑う声が響く。


「ん?」

『あ、ううん。こういうふうに会話するのって、なんか、本当に恋人みたいだなって』

「ええっ違ったの?」


 レオはトモカのその言葉に軽くショックを受け、悲しそうな声を出す。

 トモカが焦って否定した。


『えっ違うの。今までこういうの、あんまりやったことなかったから新鮮なだけだよ』


 その時、通信装置の向こう側からリィィンという小さな音が聞こえた。


『ピーターさんに呼ばれてるみたい。夜も食事しながらマナーの講義なんだ。あの、じゃあまた明日ね』

「……うん、頑張って。また明日。昼に迎えに行くよ」

『うん』


 トモカの柔らかな声を微かに部屋に残し、通信が切れた。

 しかし、レオはその後も赤橙色に光る球体に触り、長い間じっと見つめ続けていた。

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