52.獣舎
「この者は、聖女です、母上。そして私の伴侶としていずれ城に迎えたいと考えております」
背後でトモカがごく小さく「え」と声を上げたのが聞こえた。
レオは心の中でトモカに謝る。
(勝手に使ってごめんトモカ)
その言葉はある種、賭けだった。
もちろんそれは嘘偽りないレオの希望でもあったが、これだけではこの頑固な母グレイスを黙らせることができるかは分からない。
しかし、レオにはある程度勝算があった。
トモカを実際にこの場に連れてきたのは、この賭けに確実に勝つためだった。
なぜなら────。
「聖女だと! 確かに先日陛下が冒険者に聖女を捜させていると内密に仰っていたが。見つかったのか」
「はい。私が見つけました」
「お前が? まだそんな小遣い稼ぎを」
「冒険者稼業は私にとって生き甲斐です。しかし、今回はそれ以上の僥倖に恵まれました」
「なるほどな」
グレイスは鼻で笑うようにレオを見下ろした。
「まぁお前の小遣い稼ぎについては今は良い。そこの女、顔を上げなさい」
グレイスが居丈高にトモカに命じた。
(トモカ頼む。聞かれたことだけ答えて)
レオは心の中で祈る。
レオは僅かに首を回し、斜め後ろで跪くトモカの様子を窺った。
トモカはゆっくりと顔を上げ、真っ直ぐにグレイスを見上げている。
グレイスは微かに眉を上げた。
「名は?」
「トモカ……。クニサワ・トモカと申します」
トモカがそう答えると、グレイスがつかつかと歩み寄り、トモカの前に片膝をついてしゃがむ。
グレイスの長くうねる黒く硬い髪が揺れた。
「トモカさん。珍しい名ですね。もしやガイアの地からの転生者ですか」
静かに問うグレイスの言葉遣いが変わっている。
(よし)
レオは心の中で拳を握りしめた。グレイスが対等な人物として相手に興味を示した証拠だ。
「はい、そのようです」
「年齢はお幾つですか」
「……身体は16歳です。前世では33歳まで生きていました」
「そうですか。隣にいるウサギは貴女の召喚獣ですか」
「は、はい」
「少し抱き上げても?」
「……はい。大丈夫だと言っています」
グレイスがトモカの隣に座るウーのフカフカした白黒の毛を撫でながら、そっと膝に抱き上げた。
氷の軍神とも称される王国軍の女性総司令は、無表情のままウーの頭を撫で、脇腹のあたりをモフモフと触っている。
しかし、ウーの身体を触りながらも視線はトモカに真っ直ぐにぶつける。
「トモカさん。私の馬鹿息子はああ言っていますが、あなたはレオナルドを好いていますか?」
「え、は、はい……。す、きです」
予想外の質問に、トモカは吃りながら答え、真っ赤になって俯いてしまった。グレイスの腕がピクリと動く。
グレイスはウーをそぅっと床に下ろし、フーッと大きなため息をついた。
「トモカさん。頭を触らせてもらっても良いかな?」
「はい!? え、あ、はい。どうぞ……」
トモカは訳が分からない様子でおずおずと頭を差し出す。グレイスの女性にしては鍛えられた硬い腕がトモカの頭を包み込み、もう片方の手でトモカの茶色いくせ毛と白い耳をわさわさとかき回した。
時間にして数秒程だったが、トモカの髪の毛はあっという間にぐちゃぐちゃにされた。
「……ふん。良いでしょう」
立ち上がったグレイスの顔がほんのり上気している。
レオはそれを見てここぞとばかりにたたみかけた。
「私たちのことを認めていただけたなら、今後捕獲目的の派兵は控えていただきたいのですが。捕獲の為とは言え、彼らの武力は高い。当然全身全霊で守るつもりではありますが、トモカが恐れて私の元を去るような事態となれば、それこそ私は永遠に伴侶を持つ機会を失います」
「なるほど、その件については分かった。今後派兵はやめておこう。2人が仲睦まじくしている間は見合い話も送らずにおこう」
「ありがとうございます」
予想通りあっさり認められたため、レオは口の端にニヤリと笑みを浮かべ、それを悟られないよう深く頭を下げる。
「ただし、レオナルド」
「はい」
「陛下から聖女を探し始めたと伺ったのは数日前だ。という事はお前たちが出会ったのもこの数日のことであろう。トモカさんが何も知らないのをいい事に、お前が先走っているようにしか見えぬ。そのような状態でいきなり伴侶などと認められない」
「はい」
下を向いたままレオは淡々と返事をする。
レオにとっては当然グレイスがそう判断を下すのは想定内だった。ひとまず襲撃行為を中止にできさえすれば問題はない。
しかし、続く想定外の母の言葉にレオは目を見開いた。
「もし本気で伴侶にと考えているのなら、お前の休暇が開けたら1週間に一度、ここにトモカさんを連れてきなさい。2人の気持ちが継続的なものかどうか調べさせてもらう」
「……はい」
レオは(嘘つけよ)と心の中で悪態をついたが、そんな感情はおくびにも出さず神妙に了承の意を表す。
「それと、実戦形式で送るのは止める代わり、たまには私の部下たちと手合わせしてやってくれ。私に仕えているせいであの者らには仕事がない。手合わせの相手としてお前以上の適任者もおらん」
「はい。仰せのままに」
「では行け。お前はまだ休暇中であろう」
「はい、御前失礼いたします」
レオはサッと立ち上がって一礼し、優雅な動作でクルリと後ろを向き直った。トモカの手を優しく取り、立ち上がらせる。立ち上がったトモカは慌ててグレイスの方へ深々とお辞儀をした。
「あ、ありがとうございます。失礼します」
レオに手を引かれたトモカはパタパタと小走りでレオの後をついて行く。ジーニーとウーもその後を追いかけ、一行は部屋を出た。
背後で扉が閉まり、廊下を過ぎて完全に建物の外に出たことを確認すると、レオはパッとトモカを振り返ってその身体を抱きしめた。
「トモカありがとう!」
「えっ」
「トモカが気に入られてくれたおかげで話がすんなりまとまった」
「き、気に入られてたの、私。頭ぐちゃぐちゃにされたけど」
「まぁ相当ね。どちらかと言うと気に入られ過ぎたかな。まさか毎週連れてこいと言われるとは思わなかった」
レオは少し渋い顔で宙を睨む。
「分かったと思うけど、あれがオレの母親。そして王国軍のトップだ。今日は機嫌が良かったけど怒らせるとめちゃくちゃ恐くてさ。あの人が本気で来たらオレでも半殺しの目に遭う。でもトモカは絶対気に入られるって分かってたからね」
「そうなの?」
「あの人の女の子の好みとオレの好みはかなり近いんだ」
「……はい?」
トモカが怪訝な表情でレオの目を覗き込む。
「ああ、いやいや、あの人の場合は女好きって訳じゃなくて、あんな見た目してる癖に可愛いものを愛でるのが好きなんだよね。あの人が自分で産んだのは1番上の兄とオレだけだから、本当は娘が欲しかったらしい」
「ええと、私の見た目が娘代わりにちょうど良いってこと?」
トモカは自分の身体を見下ろし頭を捻っている。
「見た目もなんだけどさ、トモカの声とか話し方とか仕草とかそういうのも含めた雰囲気かな。前に言ったでしょ、トモカの雰囲気が好きって。で、そういう雰囲気の好みがオレとあの人は昔からかなり近いわけ。しかもあの人、頭は良いけど結構単純な性格だからね、トモカと実際に会わせて、もしかしたら自分の娘になるかもしれないと少しでも思わせることができたら、言うことを聞いてくれるんじゃないかと思ったんだ」
「な、なるほど。だから突然伴侶って……。このままいきなり話を進められちゃうのかと思ってビックリした」
レオはグレイスが先ほどしたのと同じようにトモカの頭をわさわさと撫でる。そしてぐちゃぐちゃになった頭を見て笑いながら手でトモカの髪を整えた。
「驚かせてごめんね。でもあれ、方便だけど方便じゃないから。オレは本気でそうしたいと思ってる。トモカも本気になってくれるように頑張るけどね。それは忘れないで」
「はい……」
トモカは少し困ったような顔で頷いた。
「さて、オレはこのままジーニーを軍の獣舎に置いてくるから少し付き合ってもらっていいかな。このサイズの召喚獣は王都内を連れ歩くと目立つからね。ウーはどうする? サイズ的には外でも大丈夫だろうけど、ジーニーと一緒にいる方がいい?」
「……ウーさんは私と一緒にいるって言ってる。ジーニーとは一緒にいなくても会話できるから大丈夫なんだって」
「そうか。ならジーニーだけでいいな」
獣舎は先ほどいた建物、王国軍本部の裏手にある。
壁に囲まれた大きな入り口に巨大な鉄格子の扉がついている。
レオはその扉をゆっくりと押し開け、ジーニーを中に入れた。
トモカは入り口の近くでソワソワとしている。
「あの……私も入っていいの?」
「オレと一緒だから問題ないよ。興味あるんでしょ?」
「う、うん!」
レオは必死に頷くトモカを見てクスクスと笑う。やはり動物のことになると興味があるようだ。
トモカは恐る恐る足を踏み入れる。
「わぁすごい……」
トモカが感嘆の声を上げた。
獣舎の入口を入ると中央に草や木の生えた広大な運動場があり、その外側に天井の高い小屋が円周状に並んでいる。様々な種類の召喚獣が6頭ほど、運動場内の思い思いの場所でゴロゴロと休んでいた。
召喚獣の小屋は全部で23。
召喚契約を結んだ後の聖獣や魔獣は、基本的に知能が高く理性的で、他の個体と問題を起こすことはほとんどない。従って、それぞれの小屋は分かれているが扉はなく、運動場と小屋を自由に出入りできるような造りになっている。
「じゃあジーニー、少し窮屈な思いをさせるけどここで待っててくれ」
(畏まりました。ここは他に比べると快適ですもの、平気ですわ)
促すとジーニーは慣れた様子で運動場の中へと歩いて行った。ジーニーは他の召喚獣には見向きもせず、1頭で離れた所に向かっている。
(多少獣付き合いもできるようになったかと思ってたけどまだ無理か)
孤高のジーニーがウーと仲良くなったのは本当に相性が良かっただけのようだ。
トモカが運動場をキョロキョロしながらレオに話しかける。
「ねぇ、ここって召喚獣しかいないの?」
「そうだね、もうひとつ城の反対側にある獣舎には騎馬用の馬がいるんだけどね、ここは召喚獣だけだよ」
「へぇ。お世話は誰かがやってるの?」
「召喚獣はエサも要らないし排泄もしなくなるから、基本的に放置なんだけど、一応専属の管理者がいるよ。マルサルっていうちょっと変な奴なんだけど、今日はまだ来てないかな」
「そっかぁー」
トモカはそう言いながら運動場の草をつついてみたり、誰もいない小屋の中を熱心に覗き込んだりしている。
「もしかして召喚獣、興味ある?」
「そう、だね。前の世界では召喚獣なんていなかったから。ウーさん以外にどんなのがいるのかなって」
「じゃあ今度マルサルに会ってみる? 召喚獣に関してはアイツが1番詳しいし」
「いいの!?」
「おお、すごい食いつき」
目を輝かせてすぐに聞き返したトモカに、レオはクックッと苦笑する。
「マルサル変な奴だから会わせるの心配なんだけど、トモカがそんなに興味津々だと今度は逆の意味で心配だなぁ」
「えっ」
「マルサルと仲良くなりすぎてオレのこと忘れたりしないでね」
「わ、忘れないよ」
焦ってレオにすがりつくトモカを嬉しそうに目を細めて眺めると、レオはその頭をポンポンと優しく叩いた。
「冗談だって。とりあえず一旦教会に戻ろうか。ピーターさんが心配してると思うし」
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レオが教会の裏口を開くと、遠くでリィィンとベルが鳴り、奥の部屋からピーターがやってきた。
「おお、レオナルド様。ご無事でお戻りなさいましたか。首尾はいかがでしたか」
「上々。トモカが相当お気に召したみたいだよ閣下は」
「それはようございました」
ピーターがニッコリと微笑み、トモカとレオを労うように扉の内側へ招き入れる。
「陛下への謁見は昼からだっけ? 血の鎖の話をするならオレもいた方がいいかな」
「そうですな。レオナルド様の件についても簡単にはご報告しておりますので、お時間が許すならいらっしゃった方が良いでしょう。ただ、謁見の際はこちらから登城する予定だったのですが、どうやら陛下自ら当教会へ足をお運びになるようで、先ほど側近の方より連絡が入りました」
「は? ここに来るの? 今から?」
レオは素っ頓狂な声を上げ、ピーターを見返した。ピーターはやや渋い顔をするが、既に諦めているのか、ゆっくりと穏やかに頷く。
「はい。お忍びで来られるようです。表は信者が大勢おりますので、恐らくこちらの裏口を使われるかと……」
「マジか。王様は大人しく城に籠ってろよ……」
レオが悪態をついたちょうどその時、裏口の扉がバンと勢いよく大きく開かれた。
その扉の向こうに、口髭を生やし、黒い尻尾を背後にふよふよと漂わせる中年の商人姿の男が1人立っている。
「失礼。少し早かったかな」
「げ」
レオは思わず奇声を発した。
商人姿の男はそんなレオに軽い調子で手を振る。ご丁寧に背中には商品を積んだ古ぼけた籠まで背負っているあたり、芸が細かい。
「おお、レオナルド。久しいな。久々に会う父に対して『げ』とはなんだ」
レオは呆れたようにため息をつき、天井を仰いだ。隣に立つトモカは目を丸くしている。
それはそうだろう。
「父上、お1人でここに来られたんですか」
「外に側近を待たせている。心配するな、ちゃんとあっちにも商人見習いのような服を着せてあるぞ。今回はなかなか良い出来だと思わんか」
少し自慢げに微笑む父を見て、レオは側近の従者に心から同情した。
子供を叱りつけるような声で進言する。
「そういう問題じゃありません、なんで城で待ってないんです?」
「城だと何かと大袈裟になるだろう? 謁見するだけで手続きが増えるのでな、ダミーを置いて抜け出してきた。サーロスからお前が珍しく入れ込んでいると聞いてな、俺も早くその聖女に会いたかったんだよ」
商人姿をした中年男性はレオの背後に隠れるように立っているトモカを見つけると、満面の笑みで歩み寄り、手を伸ばした。
「お、そちらが例のお嬢さんだな。こんにちは、初めまして。私がレオナルドの父だ、よろしく!」
その豪快な挨拶にトモカが目を白黒させている。恐らく状況把握に必死なのだろう。
ピーターがトモカの後ろからそっと補足を行う。
「……トモカ様、こちらがクレムポルテ王国の現国王陛下、ガルド=クレムポルテ様でいらっしゃいます」
「は……はい。よろしくお願いします。クニサワ・トモカです……」
混乱しながらも思ったより冷静に握手に応じてくれたトモカに、レオは心から感謝したのだった。




