50.手と声
すっかり陽が落ちた9月通りを歩くと、昼間に比べると人通りはかなり少なくなっていた。
秋も中頃に来ているため、夜になるとやや肌寒い。レオは少し身震いをすると、歩く速度を速めた。
歩きながら考える。
(しかし、まさかサーロスが出てくるとはな……)
王城専属鑑定術士サーロスは、原則として国家が直接関わる事案でなければ動かない。従って、それ以外の鑑定については民間の鑑定術士が行うのが通例だ。
レオも今回の鑑定には民間の鑑定術士を呼ぶのだと思っていた。
しかし、ピーターは聖女の鑑定に迷わずサーロスを呼び、すぐにやって来た。ピーターにあらかじめ内密に依頼されていた、とは言っていたが、実際はそんな簡単な口約束で動けるような身分の男ではないのだ。
高レベルの鑑定術士はその性質上、得ている情報が非常に多い。特に王城専属の鑑定術士ともなれば、国家最高機密となるような物の鑑定も行うことがある。
よって、常に国に監視される立場にある。あらゆる情報に長けているため、異国の者と不正に接触すれば、たちまちスパイとなる可能性もあるからだ。
つまり、今回の聖女捜索の依頼はピーターの名前で出されてはいるが、その後ろにおそらく国王がいるということだ。そして、今回の鑑定結果も国王は既に手に入れているだろう。
その目的が、単に国に恵みを与える聖女を国家事業として保護したいと考えているから、ならば問題はない。
しかしそれ以上の思惑や懸念があるのだとすれば……。
(あの条件は何のためだ)
血の鎖になるための条件としてピーターに告げられた言葉が、無秩序にレオの頭の中を巡る。
その時、レオは冒険者ギルド前に到着した。冒険者ギルドは昼夜問わず常に開いているのだ。
慣れた様子で勢いよく扉を開け、受付に入っていく。
ギルドの受付ホールに置かれた掲示板前には、見慣れない若い冒険者が2人ウロウロと大量の依頼用紙を眺めていた。
窓口にはやはり今日も麗しいルーミー嬢が座っており、レオを見つけるとパッと笑顔を見せて手を振った。
「レオさぁん! いらっしゃい! あら、もうあの依頼終わったの?」
「やぁルーミーちゃん。終わったよ、これ依頼書ね。サインはもらってる」
レオが折りたたまれたままの依頼書を差し出すと、ルーミーはちらりと目線だけで周囲を窺い、そこから手際よく依頼書を開けて確認した。そしてニッコリと微笑んで立ち上がった。
「ん! 大丈夫ね。完了は確認しました。さっすがレオさん、Aランクの仕事なのに早いわ! 今報酬持ってくるわね」
「よろしく」
レオは奥に引っ込んでいくルーミーの妖艶な後ろ姿を眺めた。
ルーミー自身も冒険者であるため、常に冒険者の装備を着込んでいる。女性がよく着る長いローブではなく、男性と同じく上下に分かれたやや厚手の上着と下衣だ。しかしそれは上下共に比較的細身なデザインであるため、ローブよりも身体の曲線を強調し、却ってルーミーをより女性らしい雰囲気に見せている。
しかし、それに対して何も自分の心が動かされないことにレオは驚いた。
(せっかくルーミーちゃんに会えたのに、楽しくないな)
思い浮かぶのは、あの服をトモカが着たらどうなるだろうか、という邪な思いばかり。
トモカがもし着たら……レオはその情景を思い浮かべて、少し呼吸を荒くした。
ピッチリと閉められた首元、全身を覆う少し硬質な厚い布、細い腰をぎゅっと縛るベルト、脚にピッタリと沿う下衣、武骨な色のブーツ。
その禁欲的な服を頭の中でゆっくりと剥がし、それに恥じらうトモカの表情を想像して、少しだけ口が開いてしまった、ちょうどそのタイミングでルーミーが戻ってきた。レオは慌てて口を閉じる。
その可憐な姿に反して頭の切れる有能なルーミーは、非常に仕事が早い。
ルーミーが受付のカウンターに薄手の巾着袋を置くと、ガチャリという重く鈍い音が鳴った。
「報酬はこれね。今回は特に大金だから気をつけてね」
「分かった、ありがと」
ルーミーはレオに顔を寄せ、他の人に聞かれないように小声で注意を与える。
レオは頷くと、同時に差し出された受け取り書の黒い印の部分に、同意を示すための魔力を注入した。
「じゃ、これ」
「はい、確かに。もう今日は仕事は受けていかないの?」
「今日はもうやめておくよ。また次の機会にね」
「あん、残念」
ルーミーは口を尖らせて残念がったが、少し考えてカウンターに乗ったままのレオの手を両手で包み込み、できるだけ色っぽい表情を作って身体ごとレオに顔を近づける。
「ね、レオさん夕食まだでしょ? 私、今日はあともう少しでここの仕事終わるの。久々に一緒に食べない?その後も今日なら大丈夫よ、私」
普段のレオなら美しくスタイルも抜群な女性からそんな誘いを受ければ、一も二もなく大喜びでその手を取って街に繰り出すのだが、今日のレオにはできなかった。
ルーミーに秋波を送られ手を取られた瞬間、何故か背中にぞくりとした異常な感覚が走ったのだ。それは期待に膨らむものではなく、何かに怯える恐怖でもなく、強い強い嫌悪感。
思わず強く振り払いたくなったその衝動を抑え、ニッコリと作り笑顔を貼り付けて、ルーミーの手の下からそっと自分の手を脱出させる。
「残念だけど、これからまだやることがあってさ」
レオが貼り付いた笑顔のまま素早くカウンターから身を離すと、ルーミーは頬を膨らませて抗議してきた。
「ええー、レオさんなんか今日冷たくない? テンション低いし!」
「そんなことないって。じゃあまたね!」
報酬の袋を鞄にしまい、そそくさと軽く手を振って冒険者ギルドを後にする。掲示板を眺めていた冒険者2人が何事かとこちらを見てくるが、レオは気にせず外に出た。
ルーミーも過去に何度か遊んだお友達の1人で、レオにとっては特にお気に入りの相手ではあった。ルーミーは仕事だけでなく容姿もそれ以外も非常に有能なのだ。
今回の依頼を受けた時も、あわよくば、という気持ちがあったのも否定はできない。
しかしそれはたった数日前のことなのに、今のレオはルーミーと肌を合わせるどころか共に食事をすることさえ我慢ならないほどに嫌悪感を覚えている。こんなことは初めてだ。
ルーミーのことを嫌いになった訳ではないのだろう。それ以上に好きな存在ができてしまっただけだ。今は他の女を触る気にはとてもなれなかった。
レオは自分の手を眺める。
ルーミーに包み込まれるように握られた手。そして同時に全身に走った嫌悪感。
(トモカの手を握るのはあんなに気持ちがいいのに)
トモカの細い指に自分の指を絡めると、胸が息苦しくなるほどの幸福感を味わえる。それは確かに苦しいけれどフワフワと浮かれてしまうほどに気持ちが良く、同時に穏やかに癒されるような安心した気持ちにもなる。その感覚を逃がさぬよう、いつまでもいつまでも触っていたくなるのだ。
(トモカに会いたい)
さっき別れたばかりだというのに、もう会いたくてたまらなかった。隣にトモカがいないだけで自分の身体のどこかが大きく欠けてしまったような感覚になる。
レオは冒険者ギルドを出ると、すっかり暗くなった外通りから11月通りを通って貸部屋に戻り、荷物を置いた。
防具や衣服を全て脱ぎ、部屋に置いてあった普段着に着替える。
少し考えて、灰色の通信用装置に炎属性の魔力を送ってみると装置がほんのり赤橙色に輝いた。
しかし何も音はしない。
(まだ繋がってないかな)
そう思い、装置をコンッとテーブルに置いた。
『っ……』
すると装置から、息を飲むような声にならない声が一瞬聞こえた気がした。
「トモカ?」
『……レオ?』
呼びかけると、灰色の石から控えめな声が返ってくる。少し低めに聞こえるけれど、間違いなくトモカの声だった。耳に柔らかく響く心地よい声だ。
「そうだよ。この装置古いやつだけどちゃんと使えたね」
『うん。思ってた以上にはっきり音が聞こえてビックリした』
「今どこにいるの?」
『来客用の宿舎だって。しばらくの間、一部屋使わせてもらえることになったの』
トモカの声以外には何も聞こえない。1人でいるのだろう。
「ピーターさんは?」
『お仕事に戻られたみたい。レオが帰ってきたら一緒にご飯食べましょうって言ってたよ』
「うん、オレもこっちの用事は終わったからすぐにそっちに戻るよ」
『良かった』
ふふっと少し微笑むような気配がする。トモカの笑顔が頭に浮かびレオは苦笑する。
「ちょっと離れただけなのに、トモカにもう会いたくなっちゃったよ」
自嘲気味に告げると、石の向こうから躊躇うような間があった後、トモカの僅かに掠れた声が耳に届いた。
『……わ、たし、も……レオに、早く会いたい、です』
告げることを迷うような小さな声が聞こえてきた瞬間、レオの頭の中が強く殴られた時のように真っ白になった。胸が苦しい。呼吸が早くなる。
(うわーなんだこれなんだこれ!)
石に向かってうわずった声で叫ぶ。
「ごめん、オレもうちょっと耐えられないから1回消す! すぐに!今すぐに!そっち行くから!」
『えっ! えっ!?』
「ごめん!」
トモカの困惑するような声が聞こえてきたが、時間が惜しいとばかりにすぐに魔力を吸い、装置を止めた。
大急ぎで必要な物だけを小さな腰掛け鞄に移し、上着を羽織って外に出る。
そして陽が落ちて人目が少なくなった11月通りを、レオは"疾風の大牙"のその名のとおり、風のように猛然と走っていったのだった。
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教会の廊下に繋がる裏口をそっと開けると、遠くでリィィンという音が鳴ったのが微かに聞こえた。
すると途中にある部屋の扉が開き、白っぽいローブ姿のピーターがひょこひょこと歩いてきた。
「レオナルド様、戻られましたか。たった今トモカ様にレオナルド様が戻られそうだ、というご報告をいただいたばかりだったのですが、お早かったですな」
「……ハァ……。そりゃ、急いだからね」
珍しくハァハァと少し息を切らしながら返事をするレオを、ピーターが面白そうに眺める。
「おや、もしや走って来られましたか。余程のことがなければ魔力を使って走るのは嫌がっておられましたのに」
「今のオレにとってはトモカと離れてることが余程のことなんだよ! トモカどこ?」
「ほっほっ。こちらです」
ピーターは尻尾を揺らしながら笑い、たった今出てきたばかりの扉に向かう。
扉を開けると、そこは少人数での会食用の部屋だった。
男女の神官が3名、部屋の中央に置かれたテーブル周りで料理の皿を用意している。
そしてふと見ると部屋の手前側の隅に置かれた小さなソファで、トモカがそんな動き回る神官たちを見ながら所在なげにソワソワと座っていた。手伝いたいのかもしれない。テーブルの方を必死に見つめているせいか、トモカはレオが入ってきたことにはまだ気づかない様子だ。
トモカのその姿を見て、レオは驚愕に目を見開く。
トモカはドムチャ村から着てきたくすんだ茶色のローブではなく、もう少し柔らかい生地の乳白色のローブを纏っていた。その上に同じ乳白色で、袖口の近くに細く蒼い複雑な形のラインが入った、薄手の長袖の上着を羽織っている。
それは女性神官用の服装だった。
レオは小声でピーターに抗議をする。
「ピ、ピーターさん、何してくれてんの!?」
「はて。何か不都合がありましたか?」
「トモカの服! 何でアレ?」
ピーターは白いローブを纏ったトモカの方を見て目を細める。
トモカのややクセのある濃い茶色の髪は、目立たない髪留めで後ろ髪の一部がやや高い所で留められ、残りがその下に流された、上品な髪型になっている。
「よくお似合いでしょう? この教会では女性用の着替えはこれしかございませんので心配をしておりましたが、お似合いですし、トモカ様も気に入られたご様子。問題はないようですが」
「ひどい……」
「は?」
「あんなに可愛くしたら男が寄ってくるだろ!」
レオが顔を両手で覆い、ガックリと項垂れた。
その様子を見たピーターの顔からスッと表情がなくなる。
「なるほど……トモカ様がお召しになっていたあのやけに地味な服はそういう意味でしたか」
「悪い!?」
レオが焦って反駁すると、ピーターが呆れたようにため息をついた。
「……レオナルド様、あまり束縛が過ぎると女性は逃げていってしまいますよ」
「えっそっ束縛? オレ束縛してた!?」
「ご心配は分かりますが、普段の服装くらい自由に着させてあげても良いのではございませんか? レオナルド様がトモカ様によそ見をさせないほど魅力的な男性になられればよろしいかと」
「うっ」
レオは青ざめた。
今まで女性に愛想を振りまいたり、つれない女性を口説き落としたりしたことは何度もあるが、飽きられないように努力した記憶など一切ない。いつも一夜で綺麗にお別れするのだから、そんな必要は全くなかったのだ。どうすればいいのか分からない。
「レオナルド様はまだ男女の色恋が分かっておられないようですな。まぁその辺りも含めて今から話し合いましょう。これからの対策を」
「対策?」
「まずは、トモカ様がこれから王都でどのように過ごされるのが良いのか、と、その安全対策でしょうか。そしてレオナルド様に恙無く血の鎖となっていただくための対策でございます」
レオは首を傾げる。
「オレの対策?」
「トモカ様にお聞きしましたが、本日も襲撃されたのでしょう?」
「あー、そっちか。うん、そうだね。対策しないとね」
その時、全ての用意が終わり、神官たちがサーッと静かに部屋から出ていく。
トモカもようやくレオの存在に気づいたようだ。立ち上がって何か言いたそうにこちらを見ている。
ピーターは芝居がかった仕草で腕を広げ、2人をテーブルに促した。
「さぁ用意ができたようです、お席へどうぞ」




