47.保護
トモカがピーターに入るように促されたその部屋は、まるで図書館のようだった。
窓は一切なく、天井まである濃いブラウンの本棚が壁全面を埋めつくし、その中には重厚な色の背表紙に銀色で印字された本がぎっしりと詰まっている。天井には白い光を放つ魔石が格子状に埋め込まれており、部屋の中をほどほどの明るさに照らしていた。
トモカは思わずその美しい装飾の本の背表紙をひとつひとつ眺めた。
(やっぱり読めないわ……)
背表紙に書かれている言語がレオが言うところのテナン語なのだろうが、トモカには全く判読できなかった。
そもそも今トモカが話している言葉がテナン語だと言われても、いまひとつピンと来ないのだ。トモカは日本語のつもりで話をしているし、他の人が話している言葉も日本語のように聴こえる。
音声ならば脳内で翻訳されるということなのだろうか。
部屋の中央には低く重そうなテーブルと、その両側には深緑の布を張った横長の脚つきソファが1対置かれている。
(座って待ってろって言われたから、ここに座ってればいいのよね、多分)
しかし、ソファのどちら側に座れば良いのか分からない。
前の世界とはマナーも違うのかもしれないため、トモカは2つのソファーを睨んでうんうんと考え込む。
その時、重そうな扉がスーッと音もなく開いた。
「お待たせいたしました」
振り返ると、扉の向こうから灰色の耳をした小柄な獣人、ピーターが入ってきた。その後ろからレオも入ってくるが、どことなく浮かない表情をしている。
「トモカ様、おつかれでしょう、こちらにおかけください」
「は、はい。ありがとうございます」
トモカは勧められた左側のソファーにおずおずと腰かける。
すると、当然、といった様子でその隣にレオも座った。妙に近い。
ピーターはその様子を目を細めて嬉しそうに眺め、自分は反対側のソファの中央に静かに腰を下ろした。
ニッコリと微笑んでトモカをじっと見つめる。
「さて、長旅ご苦労様でした。ご無事で何よりでございます。レオナルド様より、トモカ様はガイアの地からの転生者と伺っております。そのような認識で相違ございませんか」
「ええと、私が前にいたのが『ガイアの地』というものなのかは分かりませんが、こことは違う世界にいたのは確かだと思います」
トモカはどう説明すれば良いのか迷ったが、結局分かっていることだけを答えた。
「なるほど。レオナルド様からお聞きになっているやもしれませぬが、私めもガイアの地から参りました。クニサワ・トモカ様、というお名前からして元々は日本の方でありましょう?」
「はい。……やっぱり日本のことご存知なんですね」
「ええ、前世の若い頃に仕事で1度訪れたことがございます。哀しくも2次大戦で焼け野原になるよりかなり前の東京です。なんと活気に溢れ、神秘的で美しい国かと感動したものです」
ピーターは懐かしそうに目を細めて語る。
ピーターは第二次世界大戦より前の日本を知っているようだ。しかしその一方で、トモカは大戦前の日本のことなど教科書や映像の中でしか知らない。
日本に住んでいたトモカが知らない日本の姿を、海外から転生した異世界の住人が知っているというのは、なんとなく不思議な気持ちがした。
ピーターは静かな顔で微笑む。
「それでは今後の予定をお話しましょう」
ピーターはパンッと軽く両手を叩くと、トモカに向き直った。
「まずはこれからすぐにトモカ様が本当に聖女であるかの正式な鑑定を行います。様々な状況から鑑みて間違いはないかと思いますが、聖女の保護は教会だけでなく国家としての措置になりますので、省く訳には参りません。ご不快かもしれませんが、何卒ご協力をお願いいたします」
「いえ、大丈夫です。鑑定を受ける必要があることは、あの、レオナルドさ……え、あ、いや、レオ、から少し、聞いています」
トモカは悩んだ。レオが実はレオナルドという名前の王子であることは先程聞いたばかりだ。しかし身分がある人ならば、やはり他の人がいる場所ではちゃんと敬称をつけるべきだろう。
そう思いピーターに合わせて「レオナルド様」と呼ぼうとすると、途端に隣のレオにギロリと睨まれた。普段は蕩けるほどに優しいレオに睨まれると少し怖い。
トモカは慌てて今まで通りの呼び方に戻した。そのせいで言葉が途切れ途切れになってしまい、まるでロボットのような喋り方になる。
(なんで丁寧に喋ろうとすると怒るの!?)
ピーターは可笑しそうに2人の様子を観察している。
「ほほほ、ご協力感謝いたします。鑑定の間は別室にて寝台に横になっていただく必要がございますが、鑑定には少々時間がかかりますのでそのまま眠っていてくださってもかまいません」
「……はい」
トモカは素直に頷く。
ずっと黙っていたレオが、その時やっと口を開いた。
「ねぇ、オレも鑑定の間、トモカについてていい?」
ピーターはおや、と少し片眉を上げ、レオの方を向いた。
「鑑定の内容をレオナルド様に知られることをトモカ様が了承されれば、問題はございません。ただし、トモカ様が寝ているからといって妙なことはされないようにお願いします」
「妙なことってなんだよ!しないよ! ……邪魔しないように手を握るくらいはいいでしょ」
「大切なのはトモカ様にリラックスして頂くことですので、それくらいなら構いませんよ。トモカ様はいかがですか? レオナルド様に鑑定内容を知られるのは嫌ではありませんか?」
鑑定がどのような場所で行われるのかは想像でしか分からないが、何となく病院の診察台のような物を想像し、トモカは少し眉を顰めた。
「いえ、むしろ不安なので、レオについていてもらえると助かるというか……」
トモカがそう言うと、レオがパッと明るい顔になりトモカの手を取った。いつも通り嬉しそうに指を絡め始める。トモカはピーターの前なのを意識して顔を赤らめて俯いたが、さすがに振り払うようなことはしなかった。
ピーターはそれを見てニヤニヤと笑っている。
「なるほど、仲がお宜しくて結構なことでございますな。今、王城に鑑定術士を呼びに行かせておりますので、到着するまでに簡単にそれ以降の予定もご説明をしておきましょう」
ピーターが1度居住まいを正し言葉を続けた。
「トモカ様が聖女であることを確認できた場合は、生活拠点が決まるまではこのまま数日間、当教会の客人用の宿舎に滞在していただきます。これは国としてそれなりの受け入れ準備を整えるためと、トモカ様にこの世界の物事や聖女の役割について学んでいただくためでございます」
「分かりました」
ピーターは心配そうな顔をしているトモカを安心させるように微笑む。
「万が一聖女であると確認ができなくとも、無事に生活できるようになるまでは放り出すようなことは致しません。そもそも転生者は特殊能力を持った者が多いため、聖女でなくとも国家としては保護の対象になるのです。必要な物があればなんなりとお申し付けください。その後の生活につきましては、できるだけトモカ様のご要望に沿ったものに致しますので、相談しながら決めて参りましょう」
「はい、ありがとうございます」
(良かった。悪いようにはならなさそう)
鑑定の結果がどうであれ、とりあえず保護はしてもらえるようだ。
現在何も持っていないトモカにはありがたい。
「オレもここに会いに来ていい?」
「もちろん。レオナルド様は血の鎖の候補であられるのですから、仲を深めていただくことにこちらも異はございません」
「血の鎖……?」
不気味な単語が飛び出し、トモカは首を傾げた。隣に座るレオがトモカの手を軽く引っ張って自分の方に寄せ、耳元で説明した。
「聖女は力を安定させるために王家の血筋の男と結ばれる必要があるって言ったでしょ。その王家の男が血の鎖って役割なんだってさ」
「結ばれるってつまり……」
「確かに結ばれるにも色々ございますが、最終的には子を成していただくのが1番かと」
「こっ……」
トモカはその意味するところを悟り、真っ赤になる。
(子を成すってことは、いずれ……レオと、ってこと、よね)
しかし、どちらにせよ恋人になったのだから、そういう覚悟もしておかねばならないだろう。
トモカはその光景を思わず想像してしまい、熱くなる顔を手で覆った。
「ピーターさん! トモカに今言わなくてもいいでしょ」
「いずれにせよ知っておいていただく必要がありますからな」
その時、部屋の中でリィィンという柔らかいベルのような音が鳴り響いた。
「さぁ、鑑定術士が参ったようです。お部屋を移動しましょう」
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長いがらんとした廊下を通りピーターに案内されたのは、円形の薄暗い部屋だった。
壁と天井は黒っぽい石でできており、いくつか光の魔石が埋め込まれている。しかし魔石の数は最低限に抑えられており、中央部だけが他より少し明るめに調整されていた。
その明るくなった中央部分に、白い布を張った少し高い寝台があり、その横に木製の踏み台が置いてある。
「はじめまして。王城で鑑定術士をしております、サーロスと申します」
部屋の奥に置かれた椅子には黒っぽい上下の服を着た中年男性が座っており、トモカたちが入ると優雅に立ち上がり、軽く手を胸に当てて挨拶をしてきた。
真っ黒な髪から突き出ている黒い耳と曲がりくねった2本の角。どうやら黒山羊の獣人であるようだ。
スラリと背筋を伸ばした姿勢と優雅なその仕草は、確かに王城で働くに相応しいと言える振る舞いだった。
いつも地面でも気にせず胡座をかくようなレオを見慣れていただけに、サーロスが違う世界の人のように感じ、トモカはドギマギする。
「あのっはじめまして! クニサワ・トモカと申します」
緊張した様子で勢いよくお辞儀をすると、背後に立つレオはプッと吹き出した。
「トモカ、オレの時とずいぶん態度違うよね」
「だってレオはこんな優雅な感じじゃなかったし!」
「サーロスみたいな男がいいの? もう目移りしちゃった?」
「違うってば!」
小声で言い合う2人を眺め、サーロスは呆れたように声をかける。
「殿下、痴話喧嘩はそのくらいになさってください。鑑定を始めたいので」
「ああ、ごめんごめん」
レオは片手を振って軽く謝る。どうやら2人は顔見知りのようだ。
(そういえばレオも定期的に鑑定を受けてるって言ってたっけ?)
「私もすみません……」
「いえいえ。ではトモカ様、早速ですが、靴を脱いでその寝台にこちらを頭にして横になっていただけますか?」
「はい」
事務的に話を進めるサーロスの指示に従い、素直に靴を脱いで素足で慎重に踏み台を上った。
そこから四つん這いでよじのぼるようにして寝台に移動する。
普通の寝台よりも高い位置にあるため少し怖い。
落ちないように気をつけながら仰向けで横になると、黒い天井がよく見える。
真っ黒い天井に見えたが、横になってよく見ると同心円状にダークグレーの模様が描かれていた。
1番中央に光の魔石が埋め込まれており、周囲の同心円状の模様と相俟って、吸い込まれるようにその魔石へと視線を奪われる。
と、その時、トモカの額に冷たい布のような物が置かれた。
続いてサーロスの落ち着いた静かな声が問いかける。
「天井の光が見えますか?」
「はい」
「それではその光を見ながらしばらくゆっくりと深呼吸を繰り返してください。緊張が解れるはずです」
「はい」
「眠れそうなら眠っていただいても良いですよ。鑑定には心を安らかにする必要があります」
しかしトモカは、やたら高い寝台と初めて鑑定なるものを受けるという緊張から、なかなか心を落ち着けられないでいた。呼吸がやや速い。
その様子を見たレオが横からそっと口を出す。
「ねぇサーロス、今ならオレが手を握ってていい?」
「構いませんよ。何なら鑑定が終わるまで握っておいていただいた方がいいかもしれません。どうも少し緊張しておいでのようです」
「じゃあそうする。トモカ、手を出して」
レオが寝台横の踏み台に腰掛け、トモカに優しく声をかける。
トモカがおずおずと左手を出すとレオがゆっくりとその手を握り込む。
「ありがとうレオ」
左手にレオの体温を感じると、トモカは次第に心が落ち着いていくのが分かった。
天井の光を見つめてゆっくりと深呼吸を繰り返すと、だんだんと身体が浮いていくような不思議な感覚に襲われる。
「心が安定すると身体が軽く感じてくると思いますが、実際に浮いてるわけではないので安心してくださいね。眠くなったら眠ってください」
「はい」
サーロスはトモカの額に乗せた布のような物を少し手の平で触っては、何かに記録をしているようだった。カリカリというペンの音が部屋の中に響いている。
カリカリカリカリ。カリッ、カリカリカリカリカリ。
ペンを走らせる不規則なその音が耳に心地よい。
トモカは左手にレオの体温を感じながら深呼吸を繰り返し、やがて瞼をゆっくりと閉じると、そのまま静かな眠りに落ちていった。




