46.王都ローレリア
コツコツコツコツ!
軍靴の硬い底が、石の床に高い音を響かせた。
イライラとした持ち主の気分をそのまま表したかのようなその足音に、頭を下げたまま部下の男は冷や汗を流していた。
足音の主は部屋に入るなり、頭を下げた部下に向かって厳しく声を荒らげる。
「まだ発見できないのか!」
「ハッ。恐れながら未だ発見の報は入っておりませぬ。……しかし、先ほど教会から使いが帰って参りましたが、司祭殿より『いずれ戻るとの神のお告げがあった』とご伝言を承っております」
チッと大きな舌打ちの音が響く。
部下は頭を下げたままビクリと肩を震わせた。
「狸め。思った通りだ、やはりあの爺さんが何かを知っているな。しかし『戻る』ということは教会で匿っているというわけではないのだろうな」
「捜索はいかがいたしましょう」
「続けろ。街中はもういい、各門を中心に探せ。教会にいないのならどうせ王都から出ているのだろう。戻ってきたところをすぐさま捕らえろ。抵抗するなら死なない程度に傷つけても構わない。必ず私の前に引きずり出せ」
「ハッ」
軍靴の主は再びコツコツと甲高い音を立てて部屋を出ていく。
部下は一度も頭を上げないままそれを見送った。
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草原の中を風のように疾走する濃褐色の巨大豹は、既に王都ローレリアの外壁が目視できるほどの場所まで来ていた。
まだ充分に日は高く、ドムチャ村を出てから数刻もかかっていない。やや人通りのある石畳の街道を選ばず、障害物のない草原の中を最短距離で駆けてきたためだ。
ここから少し離れた所に石畳を歩く人々の姿が見える。
「ジーニー、ありがとう。ここまででいいよ。一旦止めて」
レオは門の方向を一瞥し、ジーニーに声をかけた。ジーニーは少しずつ速度を落とし立ち止まると、チラリと自分の背中に乗る主人を見やる。
(門の側までお乗りいただいても構いませんのに)
「いや、やめておこう。もしアイツらがいたら一発でバレちゃうからさ。オレ1人ならそれでもいいけど、今回はトモカもいる。ジーニーはちょっと目立つから、その辺で寝て待ってて。荷物の番を頼む。後で喚ぶ」
(畏まりました)
レオは風結界を解除すると、トモカを抱きかかえたままジーニーの背中からふわりと地面へ飛び降りた。
トモカをそっと地面に立たせ、その目をのぞき込む。
「トモカ、ここから少し歩くよ。大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「もしかすると王都に入ったらちょっとゴタゴタするかもしれないけど、トモカは気にしないでね」
「ゴタゴタ?」
トモカが不安そうな表情でレオを見上げた。
「オレね、たまーに襲撃受けるんだよ。でも大丈夫、トモカには指一本触れさせないから」
「襲撃って……!? 私じゃなくてレオは? レオは大丈夫なの?」
「平気だって。ただ念のために顔は隠すよ」
レオは腰に提げた鞄から若草色の薄くて長い布を2枚取り出す。そのうちの1枚で自らの首周りと口周りをぐるっと覆うと、簡易的な埃避けの完成だ。冒険者が鉱石の採集作業に向かう時などによく使われる装備だが、それ故に自然に顔を隠すのには丁度良い。もう1枚はトモカに手渡す。
「トモカは顔バレしてないけど、オレだけ着けてると不自然だから、一応これ着けてくれる?」
「う、うん」
トモカもレオのやり方を見て、見様見真似で口元を覆った。
「着け方、これで合ってる?」
トモカは口周りの布を軽く指で摘み、レオに目を向ける。
レオは片手で自分の両目を覆い、はぁぁぁぁ、と長いため息をついた。
(これ着けても可愛いとか、トモカの可愛さを王都の野郎共から隠しきれる気がしないんだけど)
それはただの贔屓目でしかなかったが、レオは大真面目だ。
一方、着け方を確認したのにため息をつかれたトモカは焦る。
「えっ、違ってた? ど、どうやって巻くのが正解?」
「……いや、それで巻き方は合ってる。大正解。というかトモカが着けたら何でも正解。むしろオレが布になりたい……」
「はい?」
レオの口から漏れる歪んだ思考にトモカは怪訝な顔をした。
ジーニーはそんな2人から離れて自由に草原を散歩し始める。
「ジーニーは置いていくの?」
「ああ。ジーニーはオレの召喚獣だってバレてるし、デカくて目立つからね。後で無事に入ってから喚ぶ」
「じゃあウーさんもここに置いてっていい? ふたりを離すと寂しいだろうし」
「いいよ。"森の妖精"もある意味目立つから、むしろその方が良いかもしれない」
トモカはそれを聞いてウーを腕の中から解放した。
「ジーニーと遊んでてね」
ウーはピョコピョコと飛び跳ねてジーニーの後をついて行く。
「じゃあ行くよ」
レオはスルッとトモカの腰に腕を回し、石畳の街道に向かって歩き始めた。
突然腰を抱かれたトモカはえっという顔で振り向きレオを見上げたが、レオはニヤリと微笑み返し人差し指を自分の口に当てる。
「カモフラージュ。でもここからは本当の恋人になるんだから問題ないよね?」
「さ、最初はお試しなのよね?」
「あーあ、忘れててくれなかったか、残念。でもいいよ、お試しで。まずは1ヶ月ね。それまでにオレが恋人として相応しいかトモカの目で判断してよ。オレもトモカに認めてもらえるように頑張るしさ」
「わかった。というか私の方こそ1ヶ月でレオに飽きられちゃうかもしれないし」
トモカが目を草原の方に逸らしながら呟く。それを聞いてレオは拗ねた。
「オレの気持ち、まだ信用してもらえてないの?」
「そうじゃなくて! レオのことは信じてる。でも、人の気持ちは変わりやすいから……」
「なるほどね。変わると思ってるんだ。これは1ヶ月でオレの本気をトモカに存分に思い知ってもらわないといけないなぁ」
余計なことを言ってしまったとトモカは顔を青くする。
「……ほ、ほどほどでお願いします」
レオとトモカは、無人の草原から冒険者や農民、商人などがポツポツと行き交う石畳の街道に入り、更に東に進んだ。王都ローレリアの巨大な外壁が近づいて次第に大きく映るようになり、西門の中の様子も窺える程になってきている。
「わぁ、すごい、大きい壁!」
トモカがその迫力に目を丸くしている。
「もしかして今から行くところってすごく都会なの?」
「ローレリアはこのテナン大陸の中では1番人口も多いし、大きな都市だろうね。その分色々と危険もあるからオレから離れないでね」
「は、はい」
危険とは言っても、レオとしてはトモカに変な虫が寄ってこないかを気にしているだけだったが、トモカは気づかず素直に頷いた。
レオは距離が縮まり鮮明に見えてきた西門の中を、目を細めて観察する。
(やっぱりいるな。多分アレとアレと……。4人、いや5人かな)
レオは大勢の王都の市民が流れる様子から、不自然な動きをしている男たちを何人か特定した。
服装は一般人と同じような格好で溶け込んでいるが、明らかに訓練された動きで、しかも同じ場所を何度も行ったり来たりしている。何かを探しているのは間違いない。
(5人ならバレなければそのまま行けるはず。バレたらしょうがないな)
レオはトモカの腰を抱く手に少し力を入れ、自分の身体の方に優しく引き寄せた。より親密なカップルに見えるよう、密着する。トモカは目元を少し赤く染めつつ、しかしされるがままにしていた。
しばらく歩き、ついに王都の門の目の前に着いた。
トモカは歩きながらも巨大な門を前に呆然と見上げている。
レオはそんなトモカの耳に小声で甘く囁いた。
「ねぇ、ここに入ったらしばらくはオレの名前を呼ばないで。そうだな、ダーリンとか呼んでよ。そうしたらオレもハニーって返すから」
「ダ……!? い、いやいやいやいや無理だから! いきなりハードル高いです」
レオはクスッと笑い、真っ赤になって小声で抗議するトモカの頭に布越しの口づけを落とす。
「しょうがないな、じゃあそれは二人っきりの時ね。楽しみにしてるよ。オレの名前さえ出さなかったら何でもいいよ」
「う、うん、分かった」
名前を出さないという目的は分かったようで、トモカは神妙に頷いた。
2人は親しげに身体を密着させたまま西門の中に踏み込む。
それまでの閑散とした景色とは違い、王都内は人通りが多く、一気に喧騒が2人を襲う。
興味深げに周りをキョロキョロと見回そうとするトモカの身体を、レオはグッと自分の方に引き寄せる。
「ねぇ、王都は初めてだから気になるだろうけど、今はあまり景色見ずにオレだけ見てて」
「えっ、ご、ごめんなさい」
「今日は村だったけど、また今度こっちでデートしよう。その時に案内するから」
「うんっ」
レオはトモカにそう言いながらも、視線だけで周囲を窺う。
明らかにこちらをじっとりと観察している視線がある。
レオはなんでもない風を装いながら、そのまま西門から続く9月通りをまっすぐ進む。
少し進んでもやはりついてくる視線がある。トモカの方を見るふりをしてチラリと背後を確認すると、どうやら尾行してきているのは3人。おそらくレオかどうかの確信が持てないために残りの2人はまだ西門で見張りをしているのだろう。
(3人か)
「曲がるよ」
レオは前方にサッと視線を走らせると、トモカの腰を抱いたまま右手の脇道に逸れた。この先は人気のない袋小路になっている。
幸いなことに小路の中は誰もいなかった。これなら存分に暴れられる。
「ちょっとだけ奥に走ってオレから離れてて」
レオは曲がるとトモカの背中を軽く押す。トモカは小刻みに頷き、すぐに袋小路の奥の方へ駆けた。
(察しが良くて助かるね)
2人が曲がったすぐ後に、一人の男が小走りで追いかけてきた。
小路の入り口近くの壁に身体を押しつけて潜んでいたレオが、男が走り込んできたその背後から手刀で後頭部を叩き、静かに気絶させる。
続いて短い棒状の武器を手にした男が小路に入ってレオに襲いかかってくるが、レオは棒を持つ男の手を咄嗟に掴み、捻ってその身体ごと地面に投げつけた。男は小路の地面に叩きつけられ、その衝撃でやはり意識を失う。
そしてもう1人。
少し遅れて入ってきた男は、倒れている仲間2人の身体を見て瞠目する。そしてレオの方をぎろりときつく睨みつけた。
「王子!」
「ごめんな、2人とも気絶してるだけだから」
レオはそう言って3人目の男の額に軽く右手を当てる。男は完全に不意をつかれたのか動けない。
「目が覚めたら、明日には御前に伺いますと伝えてくれ」
レオは男の頭の中に一瞬の風魔法を送り込んだ。頭の中を軽く揺らされた男は気を失い、そのまま前方に倒れ込む。
レオは倒れてきた男の身体を支えると、そっと地面に横たえた。
「おやすみ」
レオは、小路の少し奥で壁にしがみついてこちらを見ているトモカの元へと歩み寄る。
「こ、殺しちゃったの?」
「いや、気絶させただけ。すぐに目覚めると思うから今のうちに行こうか」
「は、はい」
レオはトモカの手を引いてゆっくりと歩き出す。
倒れている男たちの身体を恐る恐る跨ぎながらも、ぎゅっと手を握り返ししっかりとした足取りでついてくるトモカを、レオはホッとした表情で眺めた。
(良かった。怖がられるかと思った)
細い小路を出ていくと、そこにはレオにとって見慣れた平和な風景が広がっている。
もう追いかけてくる者はいないようだ。
「このまま教会に行くよ、ピーターさんがいるはずだから、とりあえずそこまで行けば安全だ」
「はい」
2人は指と指を絡めて手を繋ぎ、9月通りを王城の方向へ歩き始めた。
セントラル教会の建つ王城広場に着く頃には、周囲の空気が夕陽で橙色に染まり始めていた。家路に急ぐ人々も多い。
「ここだ。入るよ。迷子にならないように気をつけて」
教会から出る大勢の人々の波をかき分けつつ教会内部に進む。
教会の礼拝堂はだいぶ人が少なくなっていた。
悠然と立ち、教会から出ていく信者たちを見送るピーターの灰色の耳を見つけ、レオはトモカの手を引いて近づく。 ピーターまである程度の距離まで近づいた時、レオの右手の指輪がブーンという静かな音を立てて震え、青く明滅を始めた。
レオは光の明滅が止むのを待ってそっとピーターに声をかける。
「ピーターさん」
「おお、やっとお戻りになりましたか。ご苦労様でしたな。……ああ、そちらが例の」
「そう」
背の低いピーターは、レオに気がつくと、目を細めて嬉しそうに隣に並ぶトモカを眺めた。
「奥でお話をお聞ききしましょう。こちらへ」
ピーターは2人を司祭用の応接室に案内した。
ガランとした廊下をピーターが先導し、その後ろを手を繋いだレオとトモカがついて行く。
廊下に並ぶ重厚な扉のひとつの前に立つと、ピーターが少し振り返りトモカに自己紹介をした。
「ああ、ご挨拶が遅れました。私がこの教会の責任者のピーター=ヒューと申します。聖女様のお名前は?」
「は、はじめまして、あの、私の名前はトモカ……ええと、クニサワ・トモカです」
トモカは慌ててパッとレオの手を離すと、口元を巻いた若草色の布を外し、深々とお辞儀をする。
その丁寧な仕草を見てピーターとレオは目を瞠った。
「そうですか、トモカ様、はじめまして。私めは少々この"疾風の大牙"どのにお聞きしたいことがありますゆえ、トモカ様はこの部屋の中でお待ちいただけますか?」
「しっぷうの……たいが?」
「あー……ピーターさん、トモカにはもうオレの本名言ってあるから大丈夫だよ」
レオは気まずそうに頭をかき、ピーターに告げる。ピーターはそれを聞くとニコニコと更なる微笑みをその皺だらけの顔に湛えた。
「ほう。なんとそれはそれは……。ではトモカ様はそちらのソファに座りお待ちくだされ。レオナルド様はこちらへ」
トモカを部屋の中へと優雅に促して扉を閉め、廊下に残されたレオに向き直る。レオも顔を覆う埃避けの布を外した。
「さて、"疾風の大牙"どの。お疲れ様でございました。さすがお早いお戻りでしたな」
「まぁね。運も良かったよ」
レオは肩を竦める。ピーターはその様子を見て満足そうに目を細め、灰色の尻尾をゆらりと揺らした。
「それで、トモカ様とはどこまで?」
「は?」
「もう色々とお済みになってるのでしょう?」
ピーターは飄々とした表情で尋ねる。レオは慌てて聞き返したため、少し声がうわずった。
「な、何が」
ピーターが大袈裟に信じられない、とでも言うような仕草で両手を広げる。
「おや、『女性を落とすこと風の如し』と噂の"疾風の大牙"ともあろう方が、まだなんの手出しもなさってないことはないでしょう?」
「オレの愛称の由来を勝手に変な風に変えないでよ……。トモカにはまだ何もしてないよ!」
「ほぅ。レオナルド様のお気には召しませんでしたか」
「そんな訳ないでしょ! 大好きだよ! やっと口説き落として恋人になってくれたばっかりなんだよ……」
レオの恥ずかしそうな返答に、ピーターが目を丸くする。
「恋人! レオナルド様が恋人!」
「なんだよ、悪い!?」
レオは目元を少し紅色に染めると、ヤケになって聞き返した。ピーターは楽しそうに肩を揺らして笑う。
「いいえ? では余計に何もなさっていないことへの疑問が湧いて参りますが」
「いいでしょ、放っておいてよ。トモカには……無茶をして嫌われたくないんだ」
レオは視線を床に落とした。ピーターは、おやおやと珍しいものを見たかのようにニヤリと微笑んだ。
「しかし、レオナルド様が依頼を受けられたと知り、ならば話が早いと思っておりましたが。歴史書はお読みになったのでしょう?」
「半分くらいは読んだよ。やっぱりピーターさん、オレを血の鎖にするつもりだったの」
「ほっほっ、私めは血の鎖がどなたであろうと、聖女様のお力が平らかになればそれで良いのでございます。ただ、たまたまレオナルド様が聖女探しに向かわれたので都合が良いと思っただけのこと」
ピーターは楽しそうな表情でレオを見つめる。
レオはやや気まずそうに自分の足元に視線を落とした。
「それなんだけど、オレがなっても問題ないんだよね?」
「もちろんでございます。国王様へは私の方からご説明いたしましょう」
「ありがとう」
あからさまにホッとした様子のレオを見て、ピーターは表情を引き締める。
そしておもむろにその口を開いたのだった。
「ただし、血の鎖になっていただくためには、ひとつだけ条件がございます」




