43.思念通話
トモカは猫になっていた。
獣人ではない。ただの白猫だ。
そして、トモカが居るのは真っ白い壁、真っ白い天井、真っ白い床の、広い部屋。
何の色彩もない、酷く寒々とした部屋だ。
トモカはブルッと震える。
ふと見ると、その真っ白な部屋の真ん中に、コタツがあった。
正方形の小さなコタツだ。
やはり白い敷マットに、白い天板。
そして掛けられた四角いフカフカしたコタツ布団だけが黒い。
全て真っ白で埋め尽くされたその部屋の中で、ただ一つ真っ黒なコタツ布団だけが異質な存在感があった。
(やった! コタツだ!)
猫になっているからだろうか、部屋が寒いのでどうしてもそのコタツに潜り込みたくて仕方がない。
猫としての本能のようなものだ。
ゴソゴソと布団の中に潜り込む。
中はちゃんと電源が入っていた。ヒーターの赤っぽい橙色の光に安心感を覚える。
そのヒーターの真下にゴソゴソと潜り込むと、背中にぽかぽかと幸せな暖かさがあたえられた。
(うわーあったかーい)
トモカはその暖かさに瞼を閉じ、丸くなって微睡みはじめた。
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(あったかい。幸せー)
トモカがヌクヌクとその背中の幸せに浸っていると、ふと肩に重みを感じた。
重くて重くて、寝返りを打つことができない。
コタツ布団にしては重い? そして……硬い?
トモカはパッと目を開く。
目に入ったのはクリーム色の壁。見覚えがある。そうだ泊まっている宿の寝室の壁だ。
(そっか、今のは夢だよね。私は猫じゃなくて猫の獣人になったんだった)
ではこの背中に感じる妙にリアルな暖かさは?
そしてこの肩に伸し掛る重い物は?
トモカはふと自分の胸の方を見下ろした。
何故かシーツで全身をぐるぐる巻きにしてある。どうりで動けないはずだ
そして、首より少し下、胸より少し上あたりにがっしりと巻き付く筋張った腕。
よく見れば自分の頭の下にもやや硬い腕がある。
当然どちらも自分の物じゃない。
とすれば、この腕は。
トモカはその持ち主に思い至ると、慌ててその腕から逃れようと身体を捻ってもがくが、巻き付く腕の強さはどんどん強くなる。
「ぐぇぇ」
腕の位置がずれ、グッと首の辺りを絞められてカエルのような声が出た。
「は、離して!苦しい!」
少しだけ腕が緩んだ隙に、トモカは声を上げた。
「んートモカ、起きたの? おはよー」
背中から呑気な声が聞こえる。
「れ、レオ、レオ! 死ぬ! 離して!」
レオに叫びながらジタバタと暴れる。
そして、ようやくトモカはレオの腕とぐるぐる巻きにされたシーツから解放されたのだった。
「ハァッハァッ、な……んで、ハァッ、私、首締められてたの」
「ご、ごめんって。ちょっと寝惚けてて首に腕が入ってるって気づかなくて」
「寝惚けて殺さないでよ!」
トモカとレオはお互いにベッドの上に少し距離を置いて座った。
トモカは正座、レオは胡座をかいている。
「なんかトモカの身体がふにゃふにゃして気持ちよくてさ。久々に熟睡したんだよね」
「ふにゃ……て、ていうかそもそもなんで密着して寝てたの」
「なんでって、トモカが寒いから抱っこしてって言ったんだろ?」
「えっ何それ」
そんなことを言った記憶はない。ない。……ないはずだ。
……いや……しかし、どこか頭の隅におかしな記憶が。
「やっぱ覚えてなかったかー。昨夜さ、トモカが酔って先に寝ちゃっただろ? で、こっちに運んでベッドに寝かせたら、酔い冷めしたのか寒い寒いって。だからシーツを全身に巻いたんだけど、それでも寒いから抱っこ抱っこって言うんだもん。しょうがなくシーツごと抱っこして寝てた訳。好きな子抱きしめてんのに一晩中何もできないっていう生殺し状態だよ? オレの鋼鉄の理性を褒めて欲しいくらいなんだけど」
まあ最終的には柔らかい抱き枕と思って寝たけど、と笑いながらレオから聞かされる醜態に、トモカはうわーっと頭を抱えたくなった。
そういえば朦朧とした状態でそんな事を言っていたような気もする。
酔って男性に抱いてくれと頼むとは、なんというみっともない状態なのか。
「な、何もなかった、のよね?」
念の為、トモカは焦って訊ねる。何も身体に違和感はない、が。
レオは片眉を上げて、ニヤっと聞き返した。
「あれ? もしかしてなんかあった方が良かった? なんなら今からでも────」
「よ、良くない! 良くないです。……あの。何もしないでくれてありがとう。私が迂闊でした。そして、迷惑をかけてごめんなさい」
トモカは深々と頭を下げる。その他人行儀な様子に、レオはガッカリした表情を見せた。
「あらら、昨日は可愛かったのになぁ。オレの聞くことに全部素直に答えてくれたし。ねぇ、寝る前に聞いた事覚えてる?」
「寝る前……?」
トモカは朧気な記憶になりそうだった昨夜のやり取りを無理やり思い出す。
確か、ご褒美が欲しいと言われ、何が欲しいかを聞けばキスを要求され、それに関して色々と聞かれることに答えた、気がする。
そしてその流れを思い出した途端、昨日のやり取りが鮮明に、しかもレオの体温付きで脳内に蘇ってきた。
(ひゃああ)
トモカは真っ赤になった顔を両手で覆う。
(もう昨日の自分を全部なかったことにしたいわ……!)
穴があったら入りたいとはよく言うが、これでは入る穴が何個あっても足りない。
トモカの様子を見てレオは満足そうに微笑んだ。
「お、その顔は思い出したね?」
「すみません、お願いです、きれいさっぱり忘れてください!」
「やだよ、忘れないよ。可愛かったし。で、オレが手や唇に触るのは好きなのに、キスだけが怖い理由、分かった?」
「キスが、怖い、理由?」
トモカは聞かれて考え込んだ。そういえば怖いと答えた気がするが、何故だろう。でも何か怖い気がするのだ。
よく分かっていない様子のトモカを見てレオは軽く肩を竦めた。
「んーまぁ今はいいや。ご褒美は後に取っとくよ。王都に着くまでに、よーく考えといてね、理由。それによっては諦めるかもしれないし」
そこでレオは一旦言葉を切り、トモカの瞳を見つめながらそっと顔を近づける。
「諦めないかもしれないし」
その少し艶を含んだ糖度の高い声に、瞳に、トモカの背中がゾクリと粟立つ。
嫌悪感ではない。もっとずっと触れていたいような、心地よい甘い電流だ。
しかしそれと同時に、理由の分からない恐怖感が襲う。キスへの恐怖感と同じだ。
その電流に触れてはいけない、触ってはいけないと、頭のどこかが警告を出している。
(分からない。私は何を怖がってるんだろう)
トモカは思考の絡まりを解こうとするが、それはなかなか解けなかった。
レオとトモカは共にサクサクと身支度を整え、荷物をまとめる。
昨夜の残りのチーズとディム酒はジーニーに運んでもらえるよう、レオの持つ袋に入れた。
部屋に届けられた朝食を食べると、レオは立ち上がってトモカに声をかける。
レオは既に普段着の上から防具とマントを纏い、革帽子を被り、剣を佩いていた。
今日は午後から村の外に出るため、魔獣が出る可能性もあり戦闘に備えて厳重な警戒が必要なのだという。
「せっかくのデートなのに、全然色気のない格好でゴメンね」
レオが何故か謝ってくる。どんな格好をしていてもお構いなしに色気と欲望を撒き散らしている男が今更何を、とトモカはツッコミを入れたくなった。が、そんな事を言えば却ってレオを喜ばせそうなので、無難なフォローを入れるに留める。
「ううん。最初に出会った時の格好がそっちだったから、むしろそういう防具でカッチリしてる格好の方が落ち着くし。レオに似合ってると思う、よ?」
「そう? トモカにそう言ってもらえると嬉しいな」
レオは幸せそうに微笑んで、じっとトモカを見つめる。
目深に被られた革帽子の鍔の下から熱っぽい目に見つめられ、トモカは一瞬ドキリと動悸がした。
この目はダメだ。危険すぎる。
「じゃ、行こっか」
「うん」
トモカとレオは荷物を抱え、階段を降りてフロントに向かう。
レオが白い腕輪型の鍵を返すと、宿の主人は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。またのご利用を」
「はーい、世話になったね、ありがとう」
レオがヒラヒラと手を振って、宿の外に向かった。
トモカは慌ててその後をついて行く。
宿の外に出るとまだ朝早いようで、外は充分に明るくはなっているが空気はひんやりとして人通りも少ない。
道の少し広いところで立ち止まり、レオはジーニーを喚んだ。
「ジーニー!」
レオの前の空気が歪んだかと思うと、スッと音もなくジーニーが現れた。
レオはジーニーに荷物を括りつけながらトモカを促す。
「トモカも喚んで」
「うん。……ウーさん!おいで!」
トモカが大きな声で名を呼ぶと、トモカの足元にバスケットボール大の空気の歪みができ、そこからウーがぴょんと飛び出してきた。口に白い布を咥えている。どうやら干し肉は今朝までに全部食べたようだ
「ウーさん、その布持って来てくれてありがと」
(こちらコソ! 干し肉美味しカッタ!)
ウーはフカフカの白黒の毛をトモカの足に押しつけながら、トモカに白い布を渡す。
「じゃあ商店がある方に行こうか」
レオに促され、歩き始めた。
いつも通り手は繋いでいる。もう手を繋ぐこと自体は自然なことになってしまい、トモカには既に何の違和感もない。レオは相変わらずトモカの指に自分の指を絡ませ、時々絡める指を変えたり、トモカの指のラインをなぞる様に動かしたりしてその感触を楽しんでいた。
トモカとレオの後ろではウーとジーニーが仲良く並び付いてきている。
時々仲良く目を見合わせているようで、その光景は微笑ましい。
トモカはそちらをチラリと眺めてから、レオに尋ねてみる。
「ねぇ、そういえば召喚ってどのくらいの距離からどのくらいの距離までできるの?」
「どういう意味?」
「いや、声が届く範囲とか、壁数枚分とか」
宿の外から宿の中庭にいるウーを呼べたのだから、壁があっても呼べることは分かったのだが、どのくらいまで大丈夫なのだろうか。
「召喚に距離は関係ないよ。姿を思い浮かべて来てほしいって思いながら名前を呼ぶだけ」
「えっ、でも声が聞こえないと呼べなくない?」
「ええとね、召喚の時に呼ぶ名前は、直接召喚獣に届いてるわけじゃないんだ」
「そうなの?」
トモカは驚いた。直接届いているのではないとしたら、自分は誰に向かって呼んでいたのだろうか。
「空に"天"って呼ばれる神々が住む世界があってね」
「天?」
「そう。つまりね」
レオが説明した。
魔力を持つ者が意思と共に言葉を発すると、口から魔力が放出されてその魔力に言葉が乗る。
召喚者が意思と共に呼んだ名前は召喚者の魔力に乗って発信されて、一旦"天"が聞き入れる。
魔力には個人を識別することができる波長があり、その魔力の持ち主と名前の間で契約がなされていることが照合されれば、そこからその名前は思念に変換されて、世界中に流れる。
合致した者と召喚者との間に亜空間のトンネルが作られて、名前に反応した召喚獣が召喚者の元に来る。
その一連の流れが一瞬で行われる。
という仕組みらしい。
ただ闇雲に名前を呼べばいいというものではないようだ。
(昨日の門の所でも感じたけど、この世界では思うとか願うって相当大事なことなのね)
しかし、トモカはレオの説明を聞いて少しガッカリした。
「なんだー、距離関係ないっていうから、離れててもウーさんと会話できるのかと思った」
「え? いや、それはできるよ?」
「えっ」
トモカは驚いてレオの顔を見上げた。レオは興味津々なトモカの様子をニッと片方の口角を上げて微笑みかける。
「普段はこっちが喋って、向こうが思念で返してくる感じになってると思うけど、召喚獣と召喚者の間にはそもそも魔力のパイプがあるからね、思念同士で会話することもできるよ。召喚者側が使うにはちょっと集中力が必要だけど」
「ど、どうやってやるの?」
「魔力の出口を合わせる」
「魔力の出口?」
「ええとね、トモカのここ、頭の中に上がドーム状になってる半球状の空間があると想像して」
レオは手を繋いでいない右手を伸ばし、トモカの頭を包む。
トモカは言われた通り、頭の中に半球状の空間があるように想像する。
「うん」
「その頭の空間中に魔力を集めるイメージを作って」
「できた」
「その半球のドーム状になってる壁のどこかに穴がある。それが召喚獣との連絡パイプの出入口になるんだ。どこにあるかは分からないから最初は大変なんだけど、壁のあちこちに少しずつ魔力をぶつけていって、その魔力が流れ出した方に向かって送り込むイメージで話したいことを考えれいい」
トモカは頭の中に思い浮かべたドームの壁に内側からごく少量の魔力を当てるイメージをする。
しばらくは跳ね返されてばかりだったが、そのうち、1箇所だけ手応えなく吸い込まれるような場所があった。
(分かった、ここだ! 魔力の出口!)
トモカはその方向に向かってウーを呼んだ。
(ウーさん!)
(アッ! トモカの声ダ! こっちでお話も出来るようになったんダネ!)
(うん、今レオにやり方教えてもらったの。ごめん試しに呼んだだけ。返事してくれてありがとね)
(ウン!)
トモカは一旦脳内での会話を終わらせると、興奮してレオに報告する。
「レオ、レオ、できた!」
「おお、おめでとう。うん、やっぱりトモカ、コツ掴むの早いね。2回目からはもう出入口の方向が分かってるからやりやすいはずだよ」
レオはトモカの頭から手を離し、微笑んだ。
トモカは褒められたのが嬉しくなり、ふふふと微笑み返す。
その時、1軒のやや小さな木造の建物の前に到着した。
密接してはいないが周りにもいくつか似たような大きさの建物があり、それぞれ看板が立てかけられている。
残念ながらトモカには看板の文字が全く読めなかった。落書きにしか見えない。
やはり言葉は喋れても文字の読み書きはできないようだ。これは勉強する必要がありそうだ。
(商店街、かな?)
商店街と言うには少し店の数が寂しい気もするが、村なのでこれくらいで充分に賄えるのかもしれない。
レオはその店の扉を開き、トモカの手を引いたまま建物の中に入る。
中に入ると、暗めの木の壁で覆われた店内が、天井に埋め込まれた光の魔石で照らされていた。
壁には何段にも渡って木の手摺のような物が取り付けられており、それぞれに様々な衣料が引っ掛けて飾ってある。1番奥にはカウンターがあり、ふくよかな中年女性が何かの台帳をつけていた。この店の女主人だろう。
「あら、いらっしゃい」
「こんにちは」
レオはにこやかに店の女主人に挨拶すると、トモカの肩を抱いて前に出す。
「この子にちょうどいい服を1着見繕って欲しいんだけど」
トモカはどうして良いか分からず、とりあえずお辞儀をした。
「あの、お手数をおかけしますがよろしくお願いします!」
「あらあらお嬢さん、可愛らしい服を着てるわね、今まで見たことないわ。エルフライアの服とも違うようだし……。エルフライアより遠く……沼の向こうの国からいらっしゃったのかしら」
「そうそう、そうなんだ。この子これしか持ってなくてね。今から一緒に王都に行く予定だから、この国の服を買ってあげたいなってね」
「まぁ! お兄さん、そういうことなら是非任せて。うちは田舎だけど王都での流行りもちゃんと調べてあるのよ! この子にピッタリのを選んで差し上げるわ。何かお好みはあって?」
レオはトモカから手を離し、女主人に近づくとそっと何事かを耳打ちした。
女主人はそれを聞くとパッと顔を赤らめ、楽しそうな顔で目を細めてレオとトモカを見比べた。
「まぁまぁ妬けてしまうわね! いいわよ、じゃあその条件で選んであげるわ」
女主人は店内をパタパタと駆け回って服を探し始めた。
トモカはそのやり取りを見て不安になり、戻ってきたレオにコソコソと訊ねる。
「れ、レオ。あの人に何を言ったの?」
「んー?秘密ー」
レオはよそを向いてはぐらかす。
どうやら話す気はないらしく、再びトモカの手を取り、その手で遊びはじめた。
(女好きのレオが希望する服、しかもあの店長さんが赤くなって妬けるとか言い出すなんて、一体どんな服なのよ……)
トモカが不安で胸をいっぱいにし、落ち着かない気分で店内をキョロキョロと眺めていると、女主人から声をかけられた。
「お嬢さん、数着選んできたから、試着してくれるかしら?」
「トモカ、行ってらっしゃい」
レオはトモカの手を名残惜しそうにそっと離すと、笑顔で手を振る。
トモカは何か嫌な予感をビシバシと感じながら、女主人の案内する試着室に足を向けたのだった。




