42.ディム酒
ザワザワと騒がしい店内は、壁のあちこちにカンテラがかけられ、程よい明るさを保っている。
昨日とは違ってほとんど待たずに席に座ることができた。今日は少し時間が遅いからかもしれない。
宿の1階の食堂は、高級宿に併設された飲食店の割には比較的庶民的な造りになっていた。値段も手頃だ。村で1番の高級宿とは言っても、辺境の農村で農民や冒険者などが多い土地柄のため、上品な店を出してもなかなか客が入らないのだろう。
「はい! 待たせたね!」
年季の入ったウエイターの元気な声と共に、目の前にドンと料理が置かれる。
2人の前に運ばれてきた大皿には、シンプルに焼いただけの肉や野菜に果実系のソースをかけたものが彩りよく盛られていた。そして各自の前には、籠に入れられた小さめのバゲットと、ミルクをベースにしたスープ。
一日中働いてお腹が空いていたためか、トモカが目を輝かせてソワソワしながらそれを眺める。
給仕がテーブルを後にすると、レオは苦笑して勧めた。
「さぁ食べよう」
「い、いいの? あの……何かマナーとか」
トモカは心なしかモジモジと恥ずかしそうにしている。どうやら外食する時のマナーが分からず、気になっているらしい。文化の全く違うであろうガイアの地から来たのだ。無理もない。
「ああ、マナーか。こういう店だからそんなに気にしなくていいけどね。食べ方だけ簡単に言っとこうか。こういう大皿料理は各自食べたい分だけ取り皿に取って食べるんだ。こっちのバゲットは硬すぎてそのままは食べられない。スープに丸ごと浸けて、柔らかくなったところをこの匙で掬って食べる」
レオは自分の皿で実演しながら1つずつ説明する。トモカはウンウンと頷きながら真剣に聞いている。
「トモカは聖女だから、もしかすると今後公式な場所で食事をすることもあるかもしれないね。そういう場なら他にも細かいマナーは色々あるけど、今日はオレしかいないし、堅苦しい店でもないし、細かいところは気にしなくていいよ。トモカの食べたいように食べて」
「分かった。ありがと」
(どうせ王都に着いたらマナーの類はピーターさんに叩き込まれるだろうしね)
レオもかつてはピーターに散々叱られたことがあるのだ。遠い目をして思い出す。
トモカは早速見よう見まねで大皿の料理を専用の大きめの匙で取り分けている。真剣な形相が可愛らしい。
「いただきます」
謎の呪文を唱えて、トモカは置かれた二叉のフォークでモグモグと食べ始めた。
レオもそれを微笑ましく眺めつつ、自分の皿に手を伸ばす。
トモカは口に入れた物を噛み、ごくんと飲み込むと、驚いたように口を押さえた。
「美味しい!」
「そう?」
「これ!この野菜。とっても美味しい!」
トモカが目をキラキラさせて興奮気味にレオに話しかける。
好きな女の子が美味しそうに物を食べる姿というのは良いものだ。どこか、官能的な匂いすらする。
レオはトモカの口の端に僅かに残るソースを見つめ、次に熱っぽい視線でトモカの瞳を見つめた。
「なら食べさせて」
「えっ」
「外では恋人なんだからさ。いいでしょ。さっきジーニーたちもやってたじゃん。はい、あーん」
レオはトモカに向かって躊躇いもなく口を開いた。
トモカは先程の中庭での光景を思い出したのか、頬を赤く染めて固まっている。しかし数拍考えた後、レオが絶対に引くつもりがないのを悟ったのか、覚悟を決めて野菜を刺したフォークを差し出してきた。
「……はい」
レオは、トモカに差し出された白っぽく柔らかい野菜を、トモカの瞳から視線を外さないままゆっくりと食べる。
「うん、美味しいね」
ニッコリと笑うと、トモカは恥ずかしさに耐えられなくなったのかサッと目を逸らした。
しかしレオは止めない。恥ずかしがるトモカの姿に、却って嗜虐心のスイッチが入ってしまったのだ。
続いて自分の皿から一口大に切られた肉の塊をフォークで刺してトモカの口元に差し出す。
なかなかこちらを見てくれないため、反対の手でトモカの頬を支え無理やり自分の方へ向かせる。
「トモカ、はいあーん」
わざと艶っぽく囁き、トモカの唇に肉の塊を押し付ける。
トモカは避けようとするが頬を押さえられていて顔が動かせない。仕方なく口を開けて差し出された肉を頬張った。
レオはその恥ずかしそうに食べるトモカの姿をじぃっと眺める。
「……美味しい?」
レオはトモカの唇に付いてしまったソースを親指で拭いながら尋ねた。
トモカは真っ赤になりながらもウンウンと首を縦に振っている。可愛い。
(こういう餌付けってのもなかなかいいな)
レオは指についたソースをペロリと舐め取り、満足気に微笑む。
支配欲のようなものが満たされるのだろうか。癖になりそうだとレオは思った。
しかし、そんな危険なことを考えているうちに、トモカの方に限界が来たようだ。
ガシャンと音を立て自分の皿の淵を掴み、中の肉に豪快にフォークを突き立てている。
「も、もうおしまい! 私は自分で食べます! レオも自分で食べて!」
「ええー、せっかく楽しかったのに」
「私は楽しくない! ほ、他の人もいるし」
事実、トモカはこの世界の物とは少し違う変わったデザインの服を着ているため、店内の客や従業員からそれなりにチラチラと注目されてはいるのだ。
そのせいもあり、殊更に恋人っぽさを醸しだそうとレオは張り切っていたのだが、トモカにはややハードルが高過ぎたらしい。
レオはニヤリと笑うと悪戯っぽく笑い、皿を握るトモカの手の甲をサラリと撫でた。
「トモカは恥ずかしがり屋さんだなぁ。じゃあ次は二人きりの時にね」
「しません!」
こんなやり取りも、傍から見れば恋人同士の痴話喧嘩にしか見えないだろう。
レオはひとまずは目的は達成できたと、自分の料理に取りかかった。
「そうだ、本当は今日行こうと思ってたんだけど」
「え?」
料理も残り少なくなって来た頃、レオはふと思い出してトモカに話しかける。
「トモカのその服さ、やっぱちょっと目立つから、王都に入る前にここで1着買っていこうね」
「やっぱり……目立つ?」
トモカは気まずそうに自分の格好を見下ろす。
「そうだねぇ。腰のラインが出てて色っぽくて可愛いし、オレは好きなんだけどさ。普通この国の女性はなるべく腰のラインは出さないんだ。脚もね。この村は田舎で変な奴も少ないし、女性冒険者も良く来るから多少身体のラインが出てても問題にはならないけど、王都に行くとちょーっと勘違いされちゃう可能性もあるからさ」
この国では、女性はあまり身体のラインの出ない踝までの末広がりなローブの上に、袖のない色違いの上着を何枚か重ねておしゃれを楽しむのが一般的である。
その一方トモカが着ているのは、紺色で地味だが、腰の辺りでキュッと絞ってあるようなデザインの薄手の服だ。しかも膝くらいの丈しかないため、ふくらはぎが露出している。
確かに可愛くトモカの外見にも良く似合っているが、身体のラインが分かりやすいので、そのまま王都に入ると夜の職業の女性だと間違われる恐れもある。あまりガラの良くない者もいるため、用心しておくに越したことはないだろう。
「や、やっぱりそうなんだ」
レオはボカして言ったが、トモカには伝わったようだ。苦々しい表情をしている。
「だから明日はちょっと店に寄るよ。王都まではジーニーに最速で走ってもらうから昼過ぎに出れば十分だし」
「分かった、お願いします」
何かと遠慮してしまうトモカも、身の安全のためと言われれば素直に頷くしかないようだ。
「じゃあ明日はデートね」
「えっ」
「恋人設定の2人で仲良く買い物だよ? デートだよね?」
レオは期待を込めた表情で聞き返す。トモカはその迫力に気圧されたようだ。
「は、はい」
「うん、分かったならよし。まあ実際にはジーニーたちもいるからWデートなんだけどさ」
おそらく召喚獣は正真正銘の恋仲なのに、こっちは未だに「恋人の振り」までしか許してもらえていないというのが釈然としないが、それでも出会ってからの期間の短さを言い訳に大慌てで拒絶されなくなってきただけでもマシだろう。
レオは何としても明日王都に行くまでにトモカを振り向かせると心に決めた。
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食事が終わって部屋に戻ると、2人は交互に浴室を使い、部屋着に着替えた。
「満足した?」
「うん、ありがとう。美味しかった。ごちそうさまでした」
トモカは丁寧に頭を下げる。律儀だ。
「まだ眠くないよね?」
明日はそう早く出る予定ではないし、まだ寝るには少し早い時間だった。
「さっき貰ったこれ、せっかくだからちょっと食後のデザートにしない?」
レオはそう言って、テーブルの上の大きなチーズを叩いた。
ギロとアイラから治療と労働のお礼に、と貰ったチーズだ。
「本当はトモカが貰ったやつだからオレがどうこう言うのもおかしなことなんだけどさ。それとももうお腹いっぱい?」
「ううん、一緒に食べよ? 実は私も気になってたんだ!」
トモカは目を輝かせて言った。食べたいというよりも、どういう味なのか興味深々といったところか。
「じゃあ切るね。そこの棚に皿とコップあるはずだからトモカ出してくれる? それとできればそっちの瓶を開けて」
「これお酒じゃないの? 私飲んでいいの?」
「トモカが貰ったやつでしょ?」
「えっ。でも身体は16歳だし。前いた世界では成人する20歳になるまでは飲んじゃダメだったけど」
「年齢気にしてたの? この前も言ったけど、この国では特に酒を飲むのに決まりはないよ。それに一応14歳からは準成人なんだよね。ただし、正式に成人する18歳になるまではなるべくたくさん飲ませないように周りの年長者が気を配りなさいねっていうだけだよ。お酒を飲むこと自体は16歳でも問題ない。ただ、中身はともかく身体は未発達だから、トモカはほんの1口だけね」
「う……分かった」
トモカが部屋に置いてある食器を取りに行った隙に、レオは鞄からナイフを出すと、袋に包まれた丸く平たいチーズを取り出して、真ん中で割った。
均質で濃厚そうなチーズだ。長く熟成されたもののようで、かなり硬い。
切り口から薄く何枚か均等に削ると、再び乾燥しないように切り口をピッタリと合わせ、紐で結んで袋にしまう。
薄く切ったチーズはトモカが持ってきた皿に並べた。
トモカはというと、酒の瓶を開けるのに苦労していた。
蓋の横に付いているレバー状の金属を上に押し上げるだけなのだが、結構力が必要なのだ。引っ張ったり、逆さにして押してみたり、試行錯誤している。
レオはふふっと笑うとトモカの背後に歩み寄り、後ろからトモカの手ごと瓶を包み込んだ。
「手伝ってあげるよ」
レオは反対の手も蓋を持つトモカの手に重ね、ギュッと力を入れる。
するとキュポンと音を立て、あっさり蓋が開いた。
「これね、良く使われるタイプの蓋なんだけど力を入れる場所と方向にちょっとコツがいるんだよね」
「へ、へぇ」
レオはトモカの背後から両腕を回したまま説明する。
ふと下をみるとトモカの身体がカチコチに固まり、首筋が赤く染まっている。
少し近づき過ぎたようだ。
しかし、本気で嫌がられている感じはしない。
そして身体が硬くなっているのはレオとの距離を意識しすぎて緊張しているのだろう。
(もう少し緊張を解してからだな)
レオはスッとトモカの背後から脇に避け、テーブルの上のコップを2つ差し出す。
「こっちがトモカの。こっちがオレのね。注いでくれる? トモカのは底にほんの少しね」
トモカは微かに震える手でレオのコップに半分、トモカのコップに人差し指の幅くらいの高さに酒を注いだ。
酒は白く濁っており、サラリとしている。数日前にレオが飲まされた強烈な原酒の方ではなく、乳から醸造した原酒を更に発酵乳で薄めた、比較的飲みやすい方のディム酒だろう。
レオとトモカはソファに並んで座り、軽くコップを合わせた。
「トモカおつかれ」
「レオの方こそ、私のわがままに付き合ってくれてありがとう」
「聖女様について行くのがオレの仕事だからね」
トモカはチーズを齧り、少しディム酒を口に含んだ。
「うわ、このチーズ美味しい! それにお酒もほんのり甘くて美味しい! お酒って言っても思ったより飲みやすいのね」
「うん。でもディム酒は飲みやすい割に結構キツいから気をつけてね」
「き、気をつけます」
レオもコップに注がれたディム酒をグイッと呷る。
確かに、これはディム酒の中でも苦味が少なく、甘みと酸味が強めで飲みやすい。
「トモカってガイアの地ではお酒好きだったの?」
「うーん人並み、かな。いや、飲むの自体は結構好きだったかも。でも弱いからあんまり飲めなくて……」
「そっか」
トモカは幸せそうにコップの酒をちびちびと舐める。
「まさかまたお酒……飲めるとは思わなかったなぁ」
トモカの言葉が少し間延びしてきた。酔いが回ってきたのだろうか。
酔っているのだとすればかなり早い。
もしかすると、相当弱いのかもしれない。
「レオー、ごめんねありがとう、ありがとう。ここまで……連れてきてくれて」
トモカがレオの方を見上げて礼を言ってくる。その目の周りは少し紅潮している。
「もしかしたらね、このままずっと森で暮らすのかなぁって……ウーさんいるからそれでもいっかって思ってたんだけど、でもやっぱり寂しくて」
トモカはレオの目を潤んだ瞳で見つめ、ニコッと笑った。
「今寂しくないのはレオのおかげー。探しに来てくれたのがレオで良かったぁ。ふふ」
普段比較的お堅いトモカがやたら饒舌だ。しかも素直すぎる。可愛い。
トモカはコップの底に僅かに残った酒をグビっと残らず飲み干した。
「もう終わっちゃったぁ」
トモカがうらやましげにレオのコップを見つめる。
レオはトモカの額をペちりと軽く叩いた。
「もうトモカはダーメ」
「はぁい」
叩かれたトモカは額を嬉しそうに押さえながらチーズを齧り、ニコニコしている。どうやら酒が入ると陽気になるタイプのようだ。
(だいぶ緊張も解れてきたかな)
「ねぇトモカ」
レオは少し声色を変え、甘く低い声で耳元に囁く。
トモカは途端にピルピルッと白い耳を揺らした。
「なぁに、レオ?」
「昨日の夜、酒場からの帰りにオレが言ったこと覚えてる?」
「んー? 何だっけ」
「農場ついて行く代わりにご褒美もらうって言ったでしょ」
「あっ」
思い出したようだ。
ガシッとレオの腕にしがみつき、レオを見上げながら訊いてくる。
「そうだごほーび。 何がいい? 私、あげられるもの……あんまりないけど……」
「オレは……コレがいい」
レオはそう言って、トモカの唇を指で優しくなぞる。
唇を撫でられたトモカは、ビクッと身体を震わせた。酔いのせいなのか、レオの言葉のせいなのか分からないが、顔に熱が上がって真っ赤になっている。
レオはトモカの肩にするりと腕を回し、更に甘く甘く小声で囁いた。
「ね、キスしていい?」
「だ、だめ……」
「なんで?」
「だってこわい」
トモカはギュッと目をつぶっている。レオはそんなトモカの耳に向かって甘やかな尋問を開始する。
「何が? オレのこと嫌い?」
「……きらいじゃない」
「好き?」
「わ、わからない」
レオは空いた方の手でトモカの手を取り、優しく指を絡めた。
トモカもそれに反応し、指をお互いに絡め合う。
「じゃあこうやって手を触られるのは? 好き? 嫌い?」
「……すき」
「唇を指で触られるのは?」
「……す、すき」
「怖くない?」
「こわくない」
トモカは素直に答える。
「なんでキスが怖いの?」
「じぶんの……きもちが……」
「……トモカ?」
答えが途切れたかと思えば、トモカはレオの腕の中で意識を飛ばしていた。スースーと寝息が聞こえる。
酔いの回った状態で色々と考えたせいだろう。
レオもさすがに意識のない相手の唇を無理やり奪うようなことはしたくない。
(もう少しだと思ったんだけどな)
レオはフーっとため息をつき、精神を落ち着ける。
(今日は我慢我慢)
レオは意識を失ったトモカの身体を両手で抱えあげ、寝室に運んで行った。




