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召喚獣のお医者さん  作者: 梶木 聖
⑵ ドムチャ村
41/62

41.薬と民間療法

「トモカ、怖がらなくて大丈夫だよ。優しくするから」


 レオはソファにトモカをそっと押し倒し、そのすべすべした肌にするりと節榑立(ふしくれだ)った両手の指を滑らせながら、低く甘い声で囁いた。

 トモカは恐怖に(おのの)き、小さく首を振る。


「や、やだ怖い……!」

「初めての時は少し痛いかもだけど、ちょっと我慢したらすぐに気持ち良くなるから。ね? ほら力抜いて」

「ん……っ、あっつっ、やっ……やめ……」

「こっち? 」

「あっ、んっ……! やぁっん!」

「まだ我慢できる? もうちょっと強くするよ?」


 レオがグッとトモカの肌に指を食い込ませた。


「……いっ! ま、待って待って、痛い痛い痛い痛い!」


 宿の居間に置かれたソファの上でトモカは涙目になって叫ぶ。

 腕と脚をバタバタ振り回し、両足首(・・・)を掴んでいたレオの腕を無意識に蹴り飛ばした。

 ハァハァと呼吸も荒くレオを睨みつけるが、腕を蹴られたレオもさすがに少し痛そうにしている。


「いってェ、蹴らなくてもいいじゃん、トモカ」

「だ、だって痛かったんだもん!」

「最初は少し痛いかもって言ったでしょ」

「こんなに痛いと思わなかったし! っていうか熱い!」


 トモカは目の前に座るレオを睨みつけ、最大限の抗議をした。


 ......................................................


 フロントで鍵を受け取った後、部屋に戻るや否や、レオは荷物を置いて横長のソファに問答無用でトモカを座らせた。

 何をするのかと思っていたら、レオはトモカを背もたれに少し寝かせ、その両足首をおもむろに両手で掴んだのだ。


 今日一日中農場を歩き回って疲労が溜まったせいか、トモカの脚は酷く浮腫(むく)んでいた。

 それを治すために、レオはトモカの足首からふくらはぎに向かって炎属性の魔力を送り込んだのである。

 これはこの王国で比較的よく行われる民間療法で、浮腫(むく)んだ脚に少量の炎魔法を送り込むと、疲れと浮腫(むく)みが取れるのだという。炎魔法は特に珍しい属性ではないため、一般家庭でも行われることが多いそうだ。

 説明を受ければ理解はしたが、火を体内に送るなど考えたこともなかった。


(つまり循環を良くするってことなんだろうけど、魔法の国の民間療法って過激で怖い!)


 赤い炎の魔力が宿った指を押し当てられ、最初はその刺激に驚くくらいで済んだものの、ちょっと魔力の量を増やされると、まるで大量の熱湯をかけられたような熱さが脚全体をかけ巡った。

 宿の前でレオに意味深な言葉を囁かれていたトモカは何をされるのか気が気ではなかったが、違う意味でとても心臓に悪い行為だ。


「でも浮腫(むく)みは取れたでしょ?」

「ほ、ほんとだ……。あの、ありがとう」


 悔しいが、パンパンに浮腫(むく)んでいたふくらはぎは、すっかり元の状態に戻っていた。脚全体に感じていた怠さもかなり軽減している。そして炎の余韻がじんわりと脚全体に残り、足湯に浸かった後のように気持ちが良い。


 レオは少し悪戯(いたずら)っぽくニヤリと笑った。


「どう? 終わってみるとなかなか気持ちいいでしょ?」

「う、うん」

「ほら。つまりオレの手が気持ちいいってことだよね?」

「なっ……なんでそうなるの! レオの魔力が気持ち良かっただけ!」


 トモカは慌てて否定する。しかし。


「トモカ……。その言葉は逆にヤバい」


 レオはなぜか(うつむ)いて眉間の辺りを指で押さえた。よく見ると、黒い耳の内側が少し赤くなっている。

 何かおかしなことを言っただろうか。

 トモカは不思議に思ったが、レオが赤くなる所などあまり見たことがなかったため、思わずまじまじと見つめる。


「そうだよね、知らないだけだもんね」


 レオはチラリとトモカの全く分かっていない様子を確認すると、気を取り直すように頭を振り、顔を上げた。


「さて。手足はさっき軽く洗ったけど、他も結構汚れたろ。先に風呂に入っておいで。オレも後で入るし。夕食はその後で食べに行こう」

「うん、分かったありがとう」


 手足を洗ったくらいでは落ちない牛糞の臭いなどが全身にこびりついているので、できれば早く洗い落としたい。


「あ、そうだ! もし身体(からだ)の臭いが気になるならこれ使うといいよ」


 レオは何か思いついたように、自分の鞄から1つの青い小瓶を取り出した。

 トモカはそれを受け取り、しげしげと眺める。


「これは?」

「アラシゴケっていう薬草から抽出した、野営に使う消臭用の液だよ。森の中で何日も身体(からだ)を洗わず生活してると体臭が出るだろ? 獣人の臭いは魔獣(モンスター)を引き寄せやすくなるからね、この液を上半身と下半身に1滴ずつつけると全身に浸透してあらゆる臭いを消してくれるんだ。付けてすぐはちょっと草っぽい臭いにはなるけどそんなに強くはないし、不快な臭いでもない」


 トモカは恐る恐る蓋を開けた。

 緑茶に似た清々しい臭いが鼻腔(びくう)を刺激する。


「上半身と下半身に1滴ずつ垂らすだけでいいの?」

「外で使う時にはね。瓶を逆さにすると1滴ずつ出るようになってる。入浴するなら浴槽に2滴垂らすだけで、すぐに臭いは消えるよ。ついでにその液で服を洗えば服の臭いも消える」


 たった2滴で臭いが消えるとは。よほど強力な成分の薬草なのだろうか。


「へぇすごい!薬草の抽出液にそんな強い効果があるの? それとも魔法?」

「まぁ魔法と言えば魔法だね。薬草から抽出する時と成分を活性化させる時にそれぞれ魔力が必要なんだよ。もちろんこれはオレが作ったんじゃないけど。こういうのはだいたい薬師(くすし)が精製するんだ」

薬師(くすし)……」


 ギロが昨日酒場で話していた"薬師(くすし)"だ。薬剤師のようなものだろうか。

 皆の話しぶりを聞く限り薬師(くすし)は信用されているようだし、この世界では医学よりも薬学の方が発展しているに違いない。


「さぁそれ貸してあげるから、風呂入ってきなよ」

「ありがとう」


 トモカは浴室に入って服を脱ぎ、浴槽に湯をためて、身体(からだ)と髪を丁寧に洗った。

 一旦湯を回収し、再度きれいな湯を張ってレオに借りた消臭液を2滴ほど垂らしてみる。


「いい匂い」


 お湯に垂らすと、液はその輪郭を少し青く光らせて、すぐに広がった。浴室全体に消臭液の臭いが充満する。

 レオは草っぽい臭いと言っていたが、どちらかと言うと草というよりは緑茶に近い匂いで、トモカには懐かしくさえ感じる清々しい香りだった。


 そぅっと浴槽に浸かりなおすと、洗っても洗っても取れなかった牛の(けもの)っぽい臭いや牛糞の臭いなどが残らずスーッと消えていく。


(本当に魔法なのね)


 普通の消臭剤とは少し違うようだ。別の臭いで誤魔化(ごまか)しているという感じでもない。

 トモカは頭のてっぺんまでザブンと浸かると、湯から上がり、備え付けの大判の布を身体に巻いた。

 そしてさっきまで着ていたワンピースや下着もその湯に浸けて洗う。

 服に(わず)かに染み付いていた農場の臭いも取れたようだ。


 トモカは強めの風魔法を指先から出し、ワンピースと下着の水分を吹き飛ばし、乾かす。だいぶコツを掴んできたせいか、風に頼まなくてもかなり短時間で乾かすことができるようになった。髪を乾かすのは浴室から出てからで良いだろう。


 浴槽の湯を抜いて乾いた服を身に着け、トモカが浴室から出ると、レオはソファでうたた寝をしていた。

 手すりに肘をついて、目を閉じている。

 レオも今日一日中トモカに付いて農場を巡ったため、慣れない作業で疲れたようだ。


「レオ、上がったよ」


 トモカが声をかけるが反応はない。

 何となく触りたくなって、レオの漆黒の髪の毛にそっと触れる。


(きれいな黒……)


 (つや)やかで少し硬いその髪は、適度な弾力があり触り心地がとても良い。


「レオ?」


 小さな声をかけるとレオが少し目を開けた。

 トモカがレオの髪を触っていることに気づくと、その手を掴んでそっと自分の頬まで降ろし甘えるように顔を擦り寄せる。


「おかえり、トモカ」

「た、ただいま」


 レオがトモカの手を握ったまま、優しい目でトモカを見つめる。

 トモカもその暖かい瞳から目が離せなくなってしまい、思わず見つめ合う格好になった。

 時間が止まったかのように、お互いの視線が絡み合う。

 レオがそっとトモカの頬に指を添え、その瞳の距離がだんだんと近寄ってゆき……


「んー!!」


 レオは抗議の声を上げた。

 トモカがレオの口を塞いだのだ。手の平で。


 レオはその手の平を掴んで避ける。

 ぷはぁっと大きく呼吸をすると、目的を達成できなかったことに口を尖らせた。


「あれ? 違った? トモカの顔からキスしたいって聞こえた気がしたんだけど」

「違います! そんなこと言ってません! ほら、レオも早くお風呂入って」


 トモカはできるだけ無表情を作り、レオを浴室に追い立てる。

 ちぇーっとわざとらしく()ねてみせてから、レオは立ち上がった。


「はぁい」

「そうだ、レオ、これありがとう」


 トモカはレオから預かった消臭液の青い小瓶を返す。


「すごく便利だった」

「いいでしょ、それ。これは野営に使う1番シンプルなやつだけど、王都の薬屋に行ったら他にも女性向けの花の香り付きとか色々種類があるからさ、トモカ用のも一緒に買いに行こうよ」

「あ、ありがたいけど……私お金なんて持ってないし」


 トモカは戸惑ったように手を振る。

 しかしレオはカラカラと笑い、トモカの頭をポンと叩いた。


「いいのいいの遠慮しないで。これそんなに高いものじゃないし、それくらい買ってあげるよ。オレね、トモカを無事にピーターさんの所まで連れて行ったら、結構な額の報酬が出ることになってんの。お礼にプレゼントさせて」

「でもこの宿代とか食事とか、すでにだいぶお金を払ってもらってるような」

「気にするねぇ。これも含めて仕事だからいいのに。うーんそうだな、じゃあどうしても気になるなら、トモカが王都で暮らし始めてお金を持てるようになったら、何かオレの好きそうなものプレゼントしてくれる?」

「う、うん、それなら。ありがとう」


 トモカは納得して礼を言った。

 レオはこういった気遣いが上手い。女性にモテるんだろなぁと改めて認識させられる。

 トモカは、何故か胸の辺りがモヤッと苦しくなるのに気づいた。


「じゃあ入ってくるね」

「うん」


 レオの姿が浴室に消えると、トモカは何となく疲れてソファに倒れこんだ。


(ビックリしたぁ)


 驚いたのは自分に、である。

 先ほどレオの顔が近づいて来た時、一瞬思ってしまったのだ。

 あの唇に口づけたら、この瞳は自分だけを見てくれるだろうか、と。

 一瞬でもそんなことを考えた自分に驚いた。


(レオが何かと言えばすぐああいう空気出すから! さっきはちょっと雰囲気に飲まれちゃっただけ。気のせい気のせい)


 そう自分に言い聞かせると、頭に残る甘い光景を必死で振り払い、トモカは髪の毛を乾かし始めた。

 髪にも全く臭いは残っていない。あの緑茶のような香りも時間が経てば残らないようだ。

 魔法を使っているというだけあって、非常に高性能な消臭液である。

 あの消臭液は王都の薬屋にあると言っていたが、薬屋ということは他にも様々な薬があるのだろうか。興味はある。


 先ほどレオに(ほどこ)された魔法を使う独特な民間療法といい、魔力を使った高性能な薬といい、どうやらここは、前の世界とはかなり違う方向が発展しているように感じる。

 しかし一方で医者という職業は、聖魔法とあまり効かない"怪しい(まじな)い"を行うだけで大金をぼったくる職業だと認識されているようだ。

 もしかすると、便利な魔法の力に溢れ、魔法や魔法薬に頼ればそれなりになんとかなってしまう世界だからこそ、医学があまり重要視されず発展しなかったのかもしれない。

 そして無策で放置されていた牛の乳房炎のように、魔法や魔法薬だけでどうにもならないことは「仕方ない」「治らない病気だ」と諦められてきたのだろう。


(もったいないなぁ)


 トモカはため息をついた。医学の知識や技術と魔法の力を合わせれば、この国の人たちはもっと快適に暮らせそうなのに。そんなことをぼんやりと考える。


 トモカの大きなため息と同時に、レオが濡れた髪を拭きながら浴室から出てきた。

 レオも元の服を着ている。


「トモカ、何のため息?」

「な、なんでもないよ。レオお帰り」


 ぼんやりとした考えを説明するのも難しく、トモカは慌てて誤魔化(ごまか)した。

 レオはサッと頭を乾かすと、トモカに手を差し出す。


「よし、じゃあ食事に行こうか。昨日結局行けなかったから、下の食堂に行ってみよう」

「うん。あ、じゃあその前にやっぱり中庭に寄ってもいい?」

「いいよ、気になる?」

「様子だけね。ずっと森の中にいたからこういう場所慣れてないだろうし。あと放置しちゃったからお詫びも」


 トモカは自分の荷物を入れた袋から白い布の包みをひとつ出し、レオの手を取った。


 階段を降りて中庭の入口を入ると、四方を囲んだ壁の一部に魔石の照明が埋め込んであり、その周辺を明るく照らしていたが、それ以外は真っ暗だった。

 トモカは暗い空間に向けて声をかける。


「ウーさん」

(トモカ、お帰リ!)


 ウーが暗がりからジーニーと共に歩いてやって来た。変わった様子はない。

 ピョコピョコ跳ねる様子は元気だ。


「一日放ったらかしちゃってごめんね。退屈じゃなかった?」

(ウウン、平気ダヨ。ジーニーと遊んで、たくさんお話してたタ)


 ウーはジーニーの前足の周りをくるくる回る。ジーニーはそんなウーを上からじっと見守っている。


「仲良くなった?」

(ウンとっても仲良しダヨ!)

「なら良かった。ジーニー、ウーさんと仲良くしてくれてありがと。これ、2人におやつね。良かったら食べて」


 トモカがジーニーの鼻先をそっと撫でると、ジーニーは嬉しそうに目を細めた。

 トモカはウーに部屋から持ってきた白い包みを差し出す。

 ウーはその包みの匂いをクンクンと嗅ぐと、パッと嬉しそうに顔を上げた。


(コレ、赤いネズミ?)

「そう、赤いネズミの干し肉。生じゃないけど、ごめんね。全部食べていいよ」


 もう村に着いたのでひとまず食糧に困ることはないだろう。

 そう考えて、残りを全てウーにあげることにしたのだ。


(嬉しいナ!トモカありがトー!)


 ウーは布の包みごと口に(くわ)え、ピョンピョン飛び跳ねながら照明の下に持って行った。ジーニーも追いかけるように付いて行く。

 ウーは器用に包みを開き、中の干し肉を1枚口に(くわ)えると、ジーニーの口に差し出す。ジーニーも大きな口でウーを傷つけないように器用にそれを受け取って食べた。そして食べ終わると、反対にジーニーが包みから干し肉を取り、ウーに差し出している。


 ……何故自分で食べずにお互いに食べさせ合っているのだろうか。

 トモカは2匹のその仲睦(なかむつ)まじい光景から目を逸らし、レオの方を見上げると、レオは呆れたようにジーニーを眺めていた。


「ねぇレオ……あれって」

「すっかりデキてるよね、あの2匹。ていうかオレ、ジーニーがあんなことしてんの初めて見たんだけど」

「やっぱり……」


 トモカはすっかり当てられてしまい、よろっとよろける。

 何となく分かってはいたが、やはりあの2人は恋仲になってしまっているようだ。


「じゃあオレたちも負けないように、仲良く食事に行きますかね」

「……はい」


 トモカは否定する気も()がれたままフラフラと手を引かれ、素直にレオの後を着いて行った。

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