40.終息
レオとトモカは、その後農民たちと共にあちこちの農家を回ることになった。
回った農家は髭もじゃグリースの牧場も含め、全部で5軒。
ギロの牧場ほど重度ではない農家も多かったが、やはりいずれの牧場も複数の牛に発生していた。
調子の悪い牛の身体の洗浄と搾乳、そして牛舎の掃除は、集まった農家の人々で手分けして一気にやってもらい、トモカとレオが清掃した牛舎の熱乾燥と乳牛に聖魔法をかける処置を行う。
全員で順番に牧場を巡り、全ての牧場の治療を終えてギロの牧場に戻った時には、既に日が傾き、橙色の夕焼けが空を染めていた。
「つ……疲れた……」
牛舎前の木の柵に覆い被さるように寄りかかり、トモカが息も絶え絶えに干枯らびた声を発した。
「トモカ、おつかれー」
レオが柵に背を預けるようにしてトモカの横に立ち、ポンポンと片手でトモカの頭を撫でて労う。
トモカは木の柵に覆い被さったまま、顔だけをレオの方に向けた。
「レオ、最後まで付き合ってくれてありがとね。大変だったでしょ?」
「いや、そうでもないよ。オレとしてはあまりやったことない経験だったから、楽しかったよ。トモカの方が大変だったよね」
今まで森や草原で魔獣や野生動物を相手に戦うことはあっても、家畜の世話などしたこともなかったレオにとっては、非常に新鮮な体験だった。
普段口にしている牛の乳が、どんな牛から、どんな場所で、どうやって生産されているのかなど、普段はあまり気にすることもなく生活していたが、実際に目にすると驚きの連続だ。
また、トモカが説明した病気の内容も、なかなか興味深い内容である。
あれも"理想郷"であるガイアの地に蓄積された、膨大な知識の一端なのだろうか。
乳房の病気と餌の種類。カンゾウという臓器の影響。一見、全く関わりがなさそうなのに、これが密接に関連しているという。
(これは……上への報告書に書いといた方がいいかな)
レオは頭の中で報告書の構成を練り始めた。
その時、牛舎の中で作業していたアイラが飛び出してきた。
「トモカちゃん!レオくん!」
その焦った声にトモカが木の柵からガバッと身体を起こし、そちらに目を向ける。レオもそちらを振り返るが、アイラの目は真っ赤になって腫れていた。
何かあっただろうか。
トモカが静かに、しかし緊張感のある声で尋ねる。
「アイラさん、もしかして容態が変わりましたか?」
「ううん、そうじゃなくて。とりあえず見て欲しいの!」
レオとトモカは一瞬顔を見合わせると、アイラに付いて牛舎に入った。
一番奥の木枠の牛の前で、ギロがしゃがみ込み、項垂れていた。
トモカが慌ててギロに駆け寄る。
「ギロさん、大丈夫ですか!?……うわっ」
トモカが項垂れるギロの肩に手を置いた瞬間、ギロが力いっぱいトモカの手を引っ張った。手を引かれたトモカは大きくバランスを崩す。
「トモカ、危ない!」
レオは慌ててトモカの身を支えようとする……が、次の光景を見て手を止めた。
前方に倒れ込んだトモカは、ギロに両手でがっしりと抱きしめられていた。ギロの肩はヒクッヒクッと小さな痙攣のように震えている。
レオの方から見ても、大きな体躯を持つ屈強な風体のギロが、声も出せないほどに泣いているのが分かった。
トモカは戸惑いつつギロに声をかける。
「あの……ギロさん? ど、どうかしましたか……?」
「……」
ギロは全く声を発しない。
代わりにアイラがひとつため息つき、腰に手を当てながらギロに声をかけた。
「ギロ、あんたねぇ。トモカちゃんが困ってるでしょ? トモカちゃん、ごめんね。良かったら、ちょっとその牛の乳、搾ってみてくれる?」
アイラの言葉を聞いたギロは、途端にトモカの身体からバッと手を離し、その手をトモカの背に当て乱暴に突き飛ばした。もう一度バランスを崩したトモカは床に手をついて転びそうになったが、今度はレオが素早く抱き止めることに成功する。
「こら!ギロ!」
アイラが目を吊り上げ、ギロの薄くなったその頭を手の平で叩いた。しかしギロはまだ顔を上げない。
トモカは戸惑いつつも、手を洗いに行き、すぐに戻ってくる。
トモカが牛の乳頭を指で持ち、根元からゆっくりと指を順番に折るように搾ると、白い乳が太い線となってその下のバケツに吸い込まれていった。
黄味のあまりない、僅かにとろりとした滑らかな白い乳。
トモカは目を見開く。
「これ……!」
「そう、そうなの!今ね、もう一回搾ってみたら、ちゃんとした乳が出るようになったのよ!」
牛乳の僅かな違いなどあまり分からないレオにも、その差はハッキリと分かった。
先ほどトモカに連れられて見た牛たちの、黄色くて澱が溜まったようなネバネバボソボソとした乳とはまるで違う、きれいな色をした乳だった。
トモカは緊張に強ばらせていた表情を緩め、ほっとした様子で笑顔になる。
「良かった!」
「……やっと、やっとよ。普通の日常に戻ることができるわ。トモカちゃん、本当にありがとう」
アイラも礼を言いながら、溢れる涙を指の背で拭った。
トモカはその後、ギロが落ち着くのを待って、今後の予防法について2人と話し合いを始めた。
「今回病気になった牛の乳は、まだ中に菌が含まれている可能性が高いので、少なくとも3日間くらいはこまめに搾っては廃棄し、売らない方が良いと思います」
とトモカは説明する。
アイラとギロは少し肩を落とすが、今までの全く出荷できる見込みのない状態よりはマシだと思い直したのだろう。やがて素直に頷く。
「分かったわ」
トモカがそれ以上に細かく指示を出したのは、今後の管理についてだった。
牛舎の環境は常に清潔を保ち、 床にはおがくずなどを敷いてそれを取り除くだけである程度の清潔と乾燥が保てるようにすること。
搾乳の前には必ず1頭ずつ手を洗い、乳頭付近を清潔にしてから行うこと。
家族だけで掃除が難しければ、定期的に近所同士で助け合い掃除を行う仕組みも考えてみて欲しい、ということ。
そして濃厚飼料は少量から始め、妊娠中以外は極端に与え過ぎないようにすること。
その代わり、新鮮で良質な干し草と水は常に充分に与えること。
それらに気をつければ、発症は抑えられ、万が一発症したとしても、今まで通りこまめに搾乳して乳頭付近の清潔を保てば直ぐに治る可能性が高いのだそうだ。
トモカはアイラに頼んで用意してもらった大きめの木の板に、炭で簡単な絵を描きながら説明している。言葉を話すことはできるが、上手く文字を書ける自信がないのだとトモカは恥ずかしそうに言っていた。
(まぁトモカに字が書けても、この人達には読めないかもしれないけどね)
この王国では、身分の高い者や王都に住む者、商売をする者などは文字が読めることが多いが、辺境の町や村の住人は識字率が低い。読み書きなどの教育が十分に行き届いていないせいだ。
(しかしこれだけの知識を、トモカはどうやって手に入れたんだろうな? 牛の専門じゃないと言っていたが……ガイアの地では医者の家庭教師でもいたのか?)
その後、レオとトモカは手や足をよく洗い、元の服に着替え、帰路に着くこととなった。
レオとトモカは、帰り際にギロとアイラからお礼にと、一抱えもある大きなチーズひとつとディム酒の瓶を1本受け取った。ドムチャ村に昔から伝わる製法で自家用に作った物だそうだ。自家用とはいえ、どちらも見れば非常に質が良さそうで、店に出せばかなり高値がつくものなのではないだろうか。
ディム酒を渡される時に、アイラは一瞬トモカに目をやり、そしてレオに向かって艶やかなウインクをした。……それが一体どういう意味なのかはレオは深く考えないことにする。
一方、昨晩酒を飲んでいる時は1番豪快に話をしていたギロだったが、今日、牛が治ってからは結局最後まで無口だった。それでも最後の別れ際にボソリと小さな声で呟いたのがハッキリと聞こえた。
「……世話んなったな。また遊びに来てくれ。次は美味いもん食わしてやる」
手を振りながらギロの牧場を後にすると、既に日は沈み、空は不気味な赤黒い色に染められていた。
レオは右手に大きなチーズを担ぎ、トモカは左手でディム酒の瓶を抱えてゆっくりと歩く。
疲れているため、共に言葉は少ない。
レオは左手でトモカの空いた手を取り、指と指を緩やかに絡め、そこで会話をするかのように親指でトモカの細い指をスルスルと撫でた。
トモカもそれに答えるように、親指でレオの指を優しく撫でる。
2人には、それだけで十分だった。
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もうすぐ宿に着く、という頃、トモカが急に焦ったように立ち止まり、レオの手を引っ張った。
「そうだ、どうしようあの2人忘れてた!」
「あの2人?」
「ウーさんとジーニー!」
宿の中庭に置いてきた2匹だ。
レオはトモカが何を焦っているのか分からず、のんびりと答える。
「2匹でいるし、そんなに退屈はしてないんじゃない?」
「で、でもゴハンとかあげてないし」
「ゴハン? エサならアイツら食べないよ?」
「えっ」
トモカは驚いたようにレオを見上げた。
あの"森の妖精"から特に説明を聞いてはいないのだろうか。
「召喚獣は元々聖獣か魔獣しかなれないんだ。アイツらの餌は魔力だ。召喚契約を結ぶまでは、魔力を持つ動物や獣人を狩っては魔力を得る。でも召喚契約を結んだ瞬間から召喚者と魔力のパイプが繋がって、どこにいても常に召喚者の魔力を食べられるようになるんだよ」
「で、でも召喚契約をしてからもウーさん色々食べてたよ? 魚とか、肉とか……」
「あげれば食べるよ、もちろん。ただアイツらにとっては、食べ物って腹を満たすというよりただの嗜好品でしかないみたいなんだよね」
「そ、そうなんだ……」
トモカはなぜかショックを受けたように立ち尽くしている。そんなトモカを眺めて、レオは優しく手を引く。
「まぁ放っておこう。2匹でよろしくやってるのを邪魔しちゃダメだろ」
「じゃ、邪魔……?」
手を引っ張られたトモカは、左腕に抱える酒瓶を落とさないようギュッと抱きしめ、慌ててレオに付いて歩きだした。
「あれ、気づいてなかった? うちのジーニーはトモカのとこのウーにかなり入れあげてるみたいだよ。ただ、あれだけジーニーにアプローチされて気にせず一緒にいるってことは、ウーの方もまんざらでもないんだろ」
「えっ……むしろウーさんがジーニーに付き纏ってる感じなのかと思ってたけど」
「ハハッ、じゃあ早速両思いなのかな? ジーニーは他の召喚獣から割とモテるんだけど、男の好みにはうるさくてね。少々の奴じゃ全然相手にしないんだ」
「両思いって……種類違うのに?」
トモカは混乱した様子でレオを見上げている。異種の召喚獣同士に恋が生まれるとは思っていなかったようだ。
「種類は関係ないよ。召喚獣に大切なのは魔力の質と量だからね」
「へぇ……そうなんだ……。びっくり」
トモカは宙に目を泳がせている。
レオはトモカの手を自分の口元に引き寄せ、目を見つめながら囁いた。
「オレもジーニーと同じなんだけどね」
「えっ?」
「オレも結構トモカにアプローチしてるつもりなんだけど?」
「そ、それは……」
存じております……と小さな声で呟き、トモカが赤くなって俯いている。
「こうやって、手も素直に握らせてくれるし? まんざらでもないってのはトモカも一緒って考えててもいい?」
トモカはレオの強い視線から逃れるように下を向き、一言ずつ絞り出すように、考えながら言葉を紡ぐ。
「れ、レオに手を……握られるのは、あ、あの、結構好きで」
「じゃあオレのことは? 好き?」
「分かんない!」
トモカが今度はぷいっと外を向く。レオはそれを見て意地悪くクスッと笑った。
「ん? それって、オレの身体だけが好きってこと?」
「ちょっ……い、いかがわしい言い方しないで!」
「いかがわしいって何が? トモカは今はオレの手だけが好きなんでしょ?」
ちょうどその時、宿に到着した。
入り口の扉を入る手前で立ち止まり、レオはわざとトモカの白い猫耳に責めるように囁き続ける。
「つまり、オレのことは好きじゃないけど、オレの指であんな事やそんな事をされるのは大好きなんだよね、トモカは。酷いなぁ」
「ち、ちがっ、……レオ!」
トモカは真っ赤になり、繋いだ手を振りほどいてレオの口を手の平で塞いだ。
レオは自分の口に当てられたトモカの手の指の又を、舌の先でペロリとなぞるように舐める。
「ぎゃあ!」
トモカはレオの口から慌てて手を離した。
レオはニヤリと微笑んで、トモカの唇に人差し指を当てる。
「シッ、他のお客さんに迷惑になるよ?」
「へ、へんたい!」
「変態はどっちかなー」
レオは小声で抗議するトモカの指を再び自分の指に絡め、涼しい顔で入り口を入った。
建物に入ってしまったため、トモカは目を見開いてレオを睨みつけながらも、大声で文句を言うことができない。
レオはそんなトモカを横目でチラリと見下ろしながら、ごくごく小さな声で意地悪く耳元に囁いた。
「じゃあ、今から確認してみよっか」




