38.処置
朝日が昇った農場にキラキラと朝露が光っている。
薄暗い牛舎から外に出ると、レオはその眩しさに思わず目を細めた。
ナー……ナー……
レオが手に握った綱には牛が一匹繋がれており、面倒くさそうに鳴いている。
レオはその牛を木の柵にしっかりと繋ぐと、次の牛を出すために牛舎に戻った。
(聖女の護衛のはずがいつの間にこんなことに……)
レオはやれやれとため息をついた。
トモカが牧場主のギロに協力を依頼したのは3つ。
牛舎の中の牛を一旦全て外に出して、全身、特に乳房部分と後肢を澄んだ水できれいに洗うこと。
牛を外に出している間に牛舎の床を徹底的に掃除し、床を乾燥させること。
外に出して洗い終わった牛は、完全に乳が出なくなるまで何度も丁寧に搾乳すること。
トモカとレオだけではどう考えても人手が足りないため、牧場主のギロとアイラだけでなく、その娘マールと、ギロの幼馴染であるグリースやモサを含む近所の農家の人々にも声をかけて手伝って貰うことになった。
各農家にもやり方を覚えてもらい、相互に協力し合って処置を行っていけば早い。
経産牛用の牛舎の中には全部で18頭。
座り込んでいる牛を何とか立ち上がらせ、全ての牛を外に繋ぐと、トモカが役割を振った。
まず、風魔法の使えるトモカとレオが牛舎の掃除と乾燥。
水汲みなどで体力を必要とする全身洗浄は男性陣に。
根気と繊細な感覚が必要となる搾乳は、その作業に慣れている女性陣に。
トモカは搾乳を行う女性たちに身振り手振りを交えて細かくお願いをしている。
「搾乳する際は最初に丁寧に手を洗って、乳頭をきれいな水で濡らした布で優しく拭ってから始めてください。ゴシゴシ擦らないように。一頭終わったらもう一度手をきれいに洗って次の搾乳へ。濡らした布は決して他の牛に使い回さず、1頭につき1枚以上使ってください。使い終わった布はよく洗って熱湯につけ、しっかりと天日に干せば、翌日以降の再利用は問題ありません。重症な子はできるだけ後で、なるべく症状の軽い子からお願いします」
「あらァ、手を洗って布で拭いてを一頭一頭?なんだか大変ねぇ」
アイラはキョトンとしている。
トモカはアイラをまっすぐ見て、そして頭を下げる。
「そうです。とても面倒かもしれませんが、お願いします。できればこれからも。今後万一同じような病気が出てしまった時、病気の蔓延を防ぐためには、常に清潔を保って汚れを他の牛に拡げないことが大事なんです」
「病気を出さないようにってことなら仕方ないわねぇ。これで治ってもまた出たら困るし」
アイラたちは最初は面倒そうにしながらも、最終的には納得はしてくれたようだ。乳牛の乳が出るかどうかは、酪農家にとって収入に直結する大問題なのだ。
そうして皆各役割に散らばっていったのだが、円匙を手にし、一生懸命牛舎に散らばった牛糞を集めているトモカにレオはボヤいた。もちろんレオも一応手は止めない。
「ねぇトモカ、それでオレたちは一体何やってるわけ?」
「何って牛舎の掃除よ?」
トモカは当然のように答える。いやいや、そうじゃなくてさ、とレオは首を横に振った。
「牛の治療するんじゃなかったの?」
「治療してもこのままだとまたすぐに再発しちゃうもん。環境から徹底的に改善しないと」
「牛の治療は?」
「まずは身体と乳房をキレイにして、汚れた乳を徹底的に外に出さないと。治療はそれから」
それでこの大騒ぎだったらしい。
レオはトモカが牛糞を取り除いた後の石床を、バケツで水をかけながら長い棒付きのブラシで次々と磨いていく。
「結局何の病気だったの、これ」
「乳房炎よ」
「おっぱいが炎症起こしてるってこと?それだけでエサ食べなくなったりすんの?」
「そ。熱も出るし、めちゃくちゃ痛いみたいだからね、アレ。原因は色々だけど、特に乳がよく出るように改良された品種に出やすい病気なの。乳がよく出る品種とは聞いたけど、ヒバーズ種ヒバーズ種ってギロさんやグリースさんが何度も自慢げに言ってたから、きっと最近改良して作られた品種なんじゃないかと思って」
(なるほど。それでバーでの会話で当たりをつけていたわけか)
レオはふむふむと納得する。
「それってオレの傷を治してくれた時みたいにさ、トモカの聖魔法でパパッと治すことはできないの?」
「うーん、私も試行錯誤中だから自信持って言えるわけじゃないんだけど、どうも聖魔法って万能じゃないみたいなの」
「そうなの?」
トモカは集めた糞を荷車に乗せた。ベチャッと音がする。
かなり溜まってきているようだ。
「うん。ギロさんたちも言ってたでしょ?この村のお医者さんも聖魔法が使えるけど、怪我しか治せないって」
「そういや言ってたね。というか、オレも医者に対してはそんなイメージあるな」
トモカは更に牛糞を集めて荷車に移しつつ、レオの言葉に苦笑いを返す。
「私もね、今まで自分の身体に何度も聖魔法使って試したんだけど、それで思ったのは、聖魔法は単に組織の再生速度を上げるだけなんじゃないかってこと」
「"組織の再生"?」
「そう。単純に刃物でちょっと切った傷とか、軽い火傷したりした時は、ある程度放っておいても勝手に治るじゃない?これが組織の再生。こういうのは聖魔法ですぐに治るの」
トモカは説明しながら、荷車に溜まった牛糞に、円匙で縦に1本浅い筋をつける。すると水分を過剰に吸ったドロドロ状態の牛糞は、すぐにその筋を消していく。
そして次に、今度はその牛糞の真ん中に円匙を突き立てる。
「でもそこに菌が入り込んで化膿したり、虫や異物が入り込んだりすると聖魔法は効かない。組織の再生が邪魔されてるから。虫や異物を取り除いたら初めて聖魔法が効くようになる」
そう言いながら、円匙を抜き取ると、その溝は次第に塞がっていく。
確かに視覚的に説明されると分かりやすいが、牛糞で例えるのはやめてほしいとレオはこっそり思った。トモカは一応聖女である。
「……そういうもんなのか」
「あとはそうね、筋肉痛には効いたけど、減ったHPには効かなかったし。多分筋肉痛は筋組織が壊れて起こるものだけど、HPの減少は組織が壊れた訳じゃないからだと思う」
お喋りはしているが、二人とも要領を掴むのが速いためどんどん掃除は進んでいく。あっという間に全ての床がきれいになった。
「てことはその"組織の再生"を邪魔してる原因があるうちは聖魔法が効かないってことか」
「そういうこと、だと思う。自信はないけど」
トモカとレオは牛糞の溜まった荷車を屋外に運び出し、円匙とブラシを洗った。ついでに汚れてしまった手や顔もゴシゴシと洗う。
この辺りは井戸水ではなく湧き水を利用しているらしく、水場には常に水が出ている。
「終わったー。じゃあ乾かして行こっか。私がざっと乾かすから、レオその後でギリギリ火がつかない程度の強めの熱風送ったりとかできる?」
「出来るよ」
「1回熱消毒しとこうと思って」
「分かった」
トモカは空中に向かっておもむろに呟いた。
「風さん、ここの石床だけ乾かせるかな?」
すると牛舎に張り巡らされた木枠から下向きに風が吹き、石床にだけ強い風が当たり始めた。湿ってやや黒っぽかった石床が少しずつ白っぽく変わっていく。
レオは目を見開いた。
「トモカ……!今のやり方、何?」
トモカは空中に向かって呟いただけ。何もしていないように見えた。
トモカもそんなレオに驚いている。
「ウーさんも分からないって言ってたけど、レオも仕組みが分からないんだ?まぁ私が1番分かってないんだけど」
「どういうこと?」
「私が最初に使えるようになった魔法なの。風に頼むと勝手に色々やってくれるみたい。使い方間違えるとヤバいかなーって思うんだけど、今のところそんなおかしなことにはなってないから、つい使っちゃうんだよね。便利で……」
「風に頼む? もしかして風精霊魔法か……!」
「風精霊魔法? 風魔法と何か違うの?」
「オレも詳しくは分からない。確か精霊と契約して使うやり方、だったと思う。一応聞いたことはあるけど一般的じゃないし、少なくともオレは他に誰かが使ってる所を見たことがない。"賢者"なら知ってるかな」
レオはしかし、何かが頭の隅に引っかかった。
聖女と精霊。
あの聖女についての歴史書に何か書いてあったような……。
「賢者って?」
「国で1番魔法の使い方が上手い人、と言ったら良いかな。魔法自体のこともよく勉強していて詳しい。トモカは聖女として教会か国に保護されるだろうから、いずれ会うこともあるかもね。いざとなったらオレが紹介するよ」
「レオの知り合い?」
「え? あー……まぁそうだね、知り合いだよ」
レオは軽く言葉を濁した。確かに「知り合い」ではあるがあまり会いたくない相手ではある。その微妙な間を感じ取り、トモカが心配そうな顔をする。
「え、もしかして変な人?」
「いや、多分普通だよ。他の人にはね……」
ちょうどその頃、トモカの発した魔法で全ての床の乾燥が終わったようだ。
「よし、じゃあここに熱風当てればいいんだよな」
「うん、お願いします!」
レオは右手を牛舎の石床に向けて掲げ、手の平に炎と風の魔力を同時に溜める。
(火がつかない程度、ね。こんなもんかな)
ゴォォッッッ。
温度を調整し、少し強めに放出する。
レオは木枠の間から壁の隅々まで、歩きながらサクサクと熱風を当てていく。
「よし、できたよ、トモカ」
「ありがとう、助かる! じゃあ外の様子見に行こっか」
「了解」
トモカとレオが外に出ると、もう牛の洗浄は終わり、最後の1頭の搾乳をしている所だった。さすがに複数人で行うと早い。
「ギロさん」
トモカがギロに声をかける。洗浄に使ったバケツなども片付けられ、やることが終わったようだ。
「おお、嬢ちゃん。2人だけに牛舎の掃除任せちゃって悪かったな。あそこ掃除すんの大変だったろ」
「いえ、大丈夫ですよ。こっちの直接牛を触る作業は、慣れない私たちより慣れた皆さんにやって頂く方が牛も安心しますから。私たちはそれ以外で」
「で、一応全部洗って乳を搾ったんだが、どうすればいい?」
「効くかは分かりませんが、この状態で聖魔法を使ってみます」
「聖魔法? 嬢ちゃん聖魔法が使えんのか。じゃあ医者って言ってたのは本当なんだな」
「ええ。まぁ一応。動物専門ですけど……」
トモカは複雑な表情を浮かべて頷いている。トモカに事情を聞いた限りでは、別に「聖魔法を使えるから医者」という訳ではないのだ。しかし、説明が面倒くさいのか、特に否定はしないことにしたらしい。
レオはそんなトモカを見てクスクスと笑う。
「あの、治療が終わった順に牛舎に戻しますので、お手隙の皆さんはできればこの子達が入る場所の餌入れに、沢山の良質の干し草を入れてあげてください。あと、水入れにきれいな水もたっぷりと」
「干し草でいいのか? あの高級飼料は入れないのか」
高級飼料とはあのバケツに入っていた穀物のことだろう。
「できれば今は干し草だけに。理由は後でお話します」
「分かった。せっかくここまでやってくれたんだから、最後まで嬢ちゃんに付き合うさ。失敗でもどうせこのままじゃ廃業なんだ、うちゃぁ。1頭でも治れば儲けもんってもんよ」
ギロはそう言ってアイラを呼び、2人に牛舎に入っていった。
中から2人の感嘆の声が聞こえる。
「おーこりゃきれいになってんな」
「この床……こんな色だったのねぇ」
トモカは手を洗い、1頭の牛に近づき、しゃがみこんで右手を軽く乳房に当てた。レオは念のため牛が暴れても大丈夫なように押さえる。
トモカの指から緑色の光が溢れる。粘液のようにたらりと垂れそうになるその光を、牛の乳頭と乳房にゆっくりと塗りつけていく。
牛の乳房に塗りつけられた緑の光は行き先を迷うように、モヤモヤと蠢いている。
その時、トモカが優しい声でポツリと呟いた。
「痛いの痛いの飛んで行けー」
その瞬間、乳房に塗り込められた緑の光は、カッと真っ白い閃光に変わり、光条を放った。そして同時にレオの右手に装着した指輪が青く光って振動し始める。
(今のがつまり"呪文"になってるのか。なるほど)
レオは一人納得する。
しかし納得出来ないのはこの指輪だ。
ピーターの時は同じ部屋にいるだけで反応したのに、トモカの場合は魔法を発動した時しか反応しない。ピーターよりトモカの聖魔法の方が弱いということだろうか。
決して安い買い物ではなかったのだ。これはケミックに原因を問い詰めてみる必要がある。
(30000も魔力持ってて、聖魔法だけ弱いってこたないと思うんだけどねぇ)
指輪はきっちりふた呼吸分ほど光って振動すると、すぐにその反応を止めた。
レオに軽く押さえられているその牛がナーナーと煩く鳴きだす。
少し元気が出てきたようだ。
「どう?」
「触った感じはだいぶ柔らかくなったし、多分炎症は良くなったと思う。後は餌を食べるかどうかなんだけど」
「餌んとこ連れてく?」
「うん!」
レオとトモカは牛を連れて、牛舎まで仲良く歩き出した。




