35.乾杯
木の板で囲まれたその小さな空間は、暖かい色合いのランプで薄暗く照らされている。
酔っ払いの男たちに連れられてトモカたちがやってきたのは、宿から少し進んだ所にある小さなバーだった。古びてはいるが、落ち着いた雰囲気の店だ。
トモカは外見が16歳なので自分も入れるのか心配になってレオに確認したが、レオは大丈夫だという。特にお酒を飲むのに決まりはないが、一般的には完全な成人となる18歳より若い者にはできるだけ飲ませないようにしているらしい。しかし、この国では14歳を超えると準成人という扱いになるため、店に入ること自体は全く問題ないという。
客は少なく、トモカたちの他には奥の席に男同士の二人連れが1組とカウンターに座る中年女性が1人居るだけだ。店員もカウンターにいるマスターらしき壮年男性が1人と、酒や料理を運んでくれる給仕の若い女性が1人。
しかしトモカたち6人組が店に入ると一気に人口密度が上がる。
どうやらこの酔っ払い男たちはこの店の常連らしく、店に入るなりマスターやカウンターに座る女性と気軽に挨拶を交わしている。
カウンター正面の壁際に置かれた四角い大テーブルに、トモカたちは6人はまとまって座った。
お互いに軽く自己紹介をする。
1番出口に近い方の辺にトモカとレオ。
その左隣の辺、1番カウンターに近い席に座るのが酔っ払いの1人、細身で髭もじゃのグリースと、その妻でありウエーブした長い赤髪を持つ優しげなモサ。
更にその左隣の辺、トモカたちの向かい側に座るのがもう1人の酔っ払い、少し頭髪が薄く体格の大きなギロと、その妻である短い黒髪と気の強そうな目鼻立ちをしたアイラ。
グリース、モサ、ギロ、アイラの4人は、40歳前後くらいに見えるが、全員この村で生まれ育った幼馴染なのだそうだ。グリースとアイラは犬、ギロはハイエナ、モサはジャッカルの獣人らしい。
(見た目からしてみんな犬かと思ったら、同じイヌ科の獣人でも違うのね)
トモカは獣人もそんなに種類が分かれているのかと少々驚いた。
トモカとレオはまだ食事を取っていなかったため、食事用のメニューを受け取る。バーなので食事の種類はそんなにないが、レオが目についた物を適当に注文する。
「飲み物は」と聞かれ、レオは迷わずエールを頼んだ。トモカはマスターにお酒以外で、と頼むとパフィーズという名前の透明な薄赤色をした飲み物を出された。何かの果汁のようだ。他の4人はディム酒という名の白っぽく濁ったお酒を頼んでいた。この村の名産のお酒らしい。
「新しい出会いに乾杯!」
「「「乾杯!」」」
ギロの掛け声と共に、全員で目の前の飲み物をあおる。
現金なもので、レオが一杯目は奢ると言ったせいか、4人は非常に機嫌が良かった。特に先程亭主たちのケンカを必死に止めていたモサとアイラの機嫌が良い。しかもやや熱っぽい目でレオに視線を送っているのは……トモカの気のせいではあるまい。
男2人の方も話を聞きたいと言ったのが明らかに十代の少女だったせいか、特に警戒する様子はなく、娘を見るような表情になっている。
トモカに持ってこられたパフィーズは爽やかな酸味の効いた飲み物だった。とても美味しい。
「それで、牛の様子ってどんな感じなんですか?」
「それがよー、聞いてくれよ嬢ちゃん」
大きな体躯を持つギロが木でできた酒のジョッキを片手に話し始める。
「最初はこのグリースの隣の家の牛の調子が悪くなったんだ。まずメシを食わねぇ、座りっ放しで立ち上がろうとしねぇ、乳を絞ればおかしな色の乳が出てくるってんで商品にならねぇ。それでそいつんちは薬師の先生に薬をもらいに行ったのよ」
「薬師の先生」。完全に怪しまれていた「医者」とは随分ニュアンスが違う。どうやらこの世界では病気を治すのは医者ではなく、薬師の役割なのかもしれない。
「しかしな、元気が出るっつー薬飲ませても全然良くならなくてよォ、そうこうしてるうちにグリースの家の牛の調子が同じような感じで悪くなった。村にある他の酪農家の中にもそういう家が何軒か出たらしくてな、みんなで困ってた所についに俺とこにも調子の悪い牛が出たんだ」
「そうそう、困っちゃうよねぇ」
「ねぇ」
アイラとモサがチビチビとディム酒を啜りながらギロの言葉に相槌を打っている。
「しょうがないから他の牛が病気にならねぇように、体力がつくようにって良い餌を沢山あげたりしてたんだが、結局俺んとこは全部の乳牛が病気になっちまって、一滴も乳が出荷できねぇんだ。全滅よ」
トモカはおやっと思う。全滅とはそういう意味か。
「じゃあ牛が死んでしまったわけではないんですね?」
「そりゃあな。しかし酪農家が飼ってる牛の乳が採れんなんざ、死んだも同然よ。しかも畜産やってる奴らんとこにはこんな症状のある牛なんかいねぇのよ。畜産家の奴らが嫌がらせでなんかやってんじゃねーかって揉めてる奴もいたんだが、俺は乳牛だけがかかる変な病気でもあるんじゃないかと思ってんだよな」
ちょうどその時給仕の若い女性が、レオとトモカの前に、何かのひき肉を棒状にまとめてスパイスで焼いた料理と、茶色くどろりとした野菜のスープ、小麦粉か何かの生地を焼いたクラッカーのようなものを持ってきた。
料理名は全く分からない。レオは早速手を伸ばしている。
レオは一切口を挟まず、トモカに全て任せているようだ。
「他の家にも出へるしなァ。うちゃあギロんちと仲良いはらさァ、しょっちゅう行き来してたんらぁ。だぁらぁ、それれ病気持ってきたんじゃねぇかって疑われへぇ、さっきのザマさぁ」
グリースも頷きながら話に入ってきた。しかしだいぶ酔いが回ってきているらしく、呂律が回っていない。あまり酒に強い方ではないようだ。
「ただなぁ、俺もヒバーズ種らけがかかる病気じゃないかと思ってんらよなぁ……」
グリースはディム酒をグイッと全部一気にあおってテーブルに突っ伏した。
寝てしまったようだ。
トモカはモグモグとスティック状の肉料理を齧りながら考え込む。肉はスパイスが効いていて、トモカが飲んでいる爽やかなパフィーズによく合う。
「ヒバーズ種って飼ってらっしゃる牛の種類ですか?」
「そうよ、ヒバーズ種は他の品種に比べて乳が沢山出るの。この村の乳牛はどこもみんなこのヒバーズ種よ」
寝てしまったグリースに代わって、妻のモサが答える。
トモカは少し考えて、片手を上げた。
「なるほど。あのぅ、もし良かったら牛のお世話手伝いますんで、明日の朝にでも皆さんの牧場の様子を見せてもらえませんか?」
「おお、なんだい嬢ちゃん、世話手伝ってくれんのか!いつでも人手は足りてねぇから大歓迎よ!」
「じゃあお願いします。後で牧場の場所、教えてくださいね」
「おうよ!頼むな!」
トモカが手伝いを申し出ると隣でレオがえっという顔をしてトモカを振り返るが、トモカは気にせずニコッと笑ってギロと握手をする。
どうも病気の治療云々ではなく、単に若い労働力として歓迎されているようだ。
しまったと思いトモカがレオを振り返ると、レオははぁっと大きなため息をついてグビっとエールを飲み干し、給仕の女性に声をかけていた。
「お姉さんごめん、もう1杯エール貰えるかな?」
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トモカとレオは料理を全て平らげ、ギロ達もだいぶ酔いが回ったということで、結局レオ以外は1杯だけで終わり、あまり長居せずにお開きになった。酪農家は朝が早いのであまり遅くまで飲むことはないのだろう。
約束通り全員分をレオが支払い、トモカはその間にギロの妻、アイラから牧場の場所を聞いた。
「じゃあトモカちゃん、明日の朝、日の出頃に来てね。着替えはこっちで用意するわ。待ってる。お兄さんもね。お酒奢ってくれてありがとー」
アイラは茶目っ気たっぷりにトモカの肩を叩き、ついでに支払いを終えたレオに色っぽくウインクをした。
ギロが酔いつぶれてしまったグリースを肩に掴まらせ、グリース以外の面々がレオにそれぞれ礼を言うと、皆で同じ方向に帰って行く。
トモカは手を振って見送った。
「あの二人仲直りできたみたいで良かったー」
「……」
レオは返事をしない。トモカがふと見るとレオがジトっとした目でトモカを見ていた。
「あ……レオ、やっぱり怒ってる、よ、ね……?」
「いーや。怒っていませんよ。トモカがオレの存在をすっかり忘れちゃったのかなーって心配になってただけですぅー」
何かとんでもなく拗ねている。口調まで変わっている。
「ね、ねぇ、なんでそんな口調なの?やっぱり怒ってるでしょ!?」
「他人行儀に喋られると寂しいの、分かった?」
「うん、ごめん。なるべく使わないようにする。それと、勝手に決めちゃってごめんね」
「いや……トモカは助けたかったんだろ。あの人たちはオレたちの前では明るくしてたけど、やっぱり収入が突然なくなるのって心が荒むだろうしね。この辺で酒飲んでたのもやり切れない気分を変えるためなんだろうさ」
「そう、だね……」
やはりレオには分かっていたらしい。
宿の方向へ2人でゆっくりと歩き出しながら話す。
無意識のうちに自然とまた2人の手は繋がれていた。親密に指を絡ませ合う。
「で、話を聞いて何か分かることはあった?」
「うーん、病気になった原因は見てみないと分からないけど、どういう病気かは何となく当たりがついた、かな」
「へぇ」
レオは感心したようにトモカを見下ろす。
トモカは恐る恐るレオに尋ねた。
「ええと、明日見に行っていい?」
「……聞くの遅くない?」
「ご、ごめん」
「まぁいいよ。どうせこのまま王都に戻ってもトモカは気になってしょうがないだろ?オレもまだ休暇残ってるし、ここであともう1泊していこうか」
トモカは右隣を歩くレオをパッと見上げる。
レオの優しい視線にぶつかった。
「ありがとう!えっと……レオはどうする?」
「あのね、俺は聖女サマの護衛が仕事なの。一緒に行く以外の選択肢はないよ」
「そ、そうだよね、ごめんなさい」
「謝んなくていいって。代わりに後でご褒美貰うからさ」
「ご褒美?」
聞き返すと同時に宿の前に着いた。
「まぁいいじゃん。先に部屋に入ろ」
「う、うん」
フロントに立つ宿の主人にさりげなく繋いだ手を見せつけながら、レオはカウンターの右の廊下を進む。
(あ、そうか、恋人同士って設定にしてるんだっけ。っていうかいつの間に手を繋いでた!?)
あまりにも自然に繋いでしまっていため、トモカは今更ながらに気づいたのだ。
レオと恋人同士のように指を絡ませ合うことに完全に違和感がなくなってしまっている。レオが食堂の外でずっとトモカの指を触っていたからだろうか。
黙って手を繋いだまま、トモカとレオは階段を昇る。
その間もトモカはずっとレオに指先を優しく撫でられていた。レオは何も言わない。
いつも割とお喋りなレオの口数が少ないと、妙にドキドキしてしまう。
部屋の扉を開いて中に入ると、そこでようやくレオは口を開いた。
「そうだ、トモカお風呂入るでしょ?」
「うんできれば入れると嬉しい」
「使い方だけ見せてあげるよ。いやいや、変なことはしないからさ。お湯の出し方だけね」
「う、うん」
トモカが若干警戒したのを見て、すぐに苦笑して否定する。
レオはそのままトモカの手を引いて浴室に入った。
繋いでいた手を離し、大きな窪みのある白い石の前でしゃがむと、石の上部のある1箇所を指さした。白い石の中で、そこだけ直径1センチくらいの赤と青の半円をくっつけたような丸い石が埋め込まれている。
「お湯を入れたい時は浴槽のここんとこの石に魔力を送る。ほんの一瞬少量を送るだけでいい。勝手にちょうどいい量で止まるから」
そう言いながら、右手の指先でチョンと触れると浴槽の底からじわじわと透明な水が急速に浸み出してきた。触ると温かい。ちょうどいい湯加減のお湯だ。
トモカは感嘆して声を上げる。
「おおー、すごい」
お湯は浴槽の7分目ほどまでたまると、水位の上昇は止まった。
レオはそれを確認すると、もう一度赤と青の石に触れる。
「で、身体を洗い終わったら同じ所から魔力を吸う」
「うわ、減っていく」
「普通の魔石は魔力を吸うとただ魔力の効果が切れて終わりなんだけど、この装置はこの石から魔力がなくなる瞬間に、逆流の魔力が発生するように調節してある」
たっぷりと溜まっていた湯がみるみるうちに減っていく。
トモカは目を輝かせて見守った。
「すごい!魔法みたい!」
「ああうん、魔法だからね」
「そ、そうでした」
当たり前のことを言ってしまったとトモカは顔を赤くする。
レオはそんなトモカを見てクスッと笑った。
「汚れごと湯を吸って、汚れは内部の炎魔法で完全に焼却される。次にまた魔力を入れれば綺麗なお湯が出てくるってわけ」
(何それ、便利すぎる!)
トモカはレオの隣にしゃがみ込んで浴槽を見つめる。
「すごい!この世界の人ってみんなこれでお風呂入ってるの?」
「いやいや、コレは割と高価だからね。コレが置いてあるのはこういうちょっと良い宿とか、貴族の家とか、そういうところだけだよ。普通の人はそもそも日常的には浴槽に浸からないんだよね。汚れたらお湯で頭と身体を流すか、川で水浴びするくらい」
そうか。この世界の人はあまり湯船に浸かることはないのか。
気持ちいいのに。
トモカは少し残念な気持ちになった。
ふと気づき、隣に座るレオを見る。
「レオは詳しいのね。よくこういう所泊まるの?」
「あー……いや、うん、そうだね」
レオは気まずそうに天井見上げて誤魔化しかけ、悩んだ末に結局肯定した。トモカは納得したように呟く。
「へぇぇ、やっぱり。1人だと安宿で良いって言ってたから、こういう所に泊まる時は1人じゃないってことよね」
「トモカ……。思ってることは何となく分かるけど、……いや、うんまぁそうなんだけど、でもそうじゃないからね!とにかく俺は部屋で待ってるから、先に風呂に入っておいで」
「何言ってるのか分からないです」
トモカは無表情で告げる。
レオはしくじった、という顔をして立ち上がり、トモカを1人浴室に残し、居間へ消えていったのだった。




