34."医者"と"医師"と"獣医師"
空が茜色に染まり、日没も近くなってきた夕刻。
王都ローレリアの王城広場に建つセントラル教会は、未だ多くの信者で溢れている。
教会の最高責任者である司祭ピーターは、信者たちが集まる礼拝堂において、神々から直接聴いた神話にまつわるこぼれ話などを講演していた。
「……強大なる魔力をお持ちの女神ミザリア様は、かのガイアの地を終の住処としてお選びになりました。なぜならばガイアの地は魔力を一切必要としない理想郷であります。ミザリア様は自らのために魔力を使うことを封じ、ガイアの地にて転生を繰り返すことだけにその強大な魔力を費やすことをご決意なされました。それは偏にこの世に残された我々を末永く見守るため。尊きガイアの地で、神聖なる御魂は今もなお我々の幸福を護り続けておられるのです」
パチパチパチパチパチパチ。
ピーターがなんとなく良い感じに話を締めくくると、集まった信者たちから多くの熱心な拍手が起こる。
クレムポルテ王国の祖であるミザリア神に関する講話は、いつでも信者達に人気だ。あまり神々の格好悪い話などはできないため、最終的には毎回似たような話ばかりになるのだが、それでも聴きたいと集まる信者は後を絶たない。
講話が終わりピーターが壇上から降りると、第1秘書官でもある上級神官がそっとピーターに近寄ってきた。
静かにぴったりと付き従い、ピーターが人気のない場所に移動するまで一言も発しない。
誰もいない廊下にピーターが出たのを確認して、上級神官は静かに口を開く。
「ピーター様、いくつかご報告が」
「どうした」
「中庭の像でございますが、つい今しがた、光の色に変化が表れた由にございます」
「緑か」
「そのようで」
ピーターは感心したように唸る。
「ほぅ、さすがに仕事が早い。何にせよ無事に国内には入ったという事だな。もうひとつの件もうまく進んでいると良いのだが」
「様子を探らせますか」
「いや良い。相手は"疾風の大牙"だ。下手な者に探らせると逆に始末される危険の方が高い。今は放っておけ。いざとなれば私が直接聞こう」
「畏まりました」
上級神官は恭しく頭を下げ、更に報告を続ける。
「それと別件ですが、本日あちらの方から捜索令が出されたようです。教会内でも信者に混じって神官に対して聞き取りを行っている不審な者が複数目撃されております。どうも教会が疑われているようです」
「ほっほっ、いつもながら気の短いことよ。今回はまだ1週間も経っておるまいに。まあ良い。次に不審な人物を見かけたら、私のところに連れて来るように神官たちに伝えておきなさい。よく説明してお引き取り願おう」
「はい」
上級神官は顔を伏せたまま静かに下がっていく。
大変有能な男ではあるが、ピーターを異常に崇拝しており、やや堅苦しいのが難点だ。
ピーターはやれやれと肩を竦め、自らの目でユーヒメ像の状態を確認するために1人中庭に足を向けた。
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宿の1階に併設された食堂は満席で、しばし屋外で席が空くのを待つことになった。
その間レオは偽りの恋人設定を味わい尽くすために、繋いだトモカの細い指を思う存分弄り回している。
もちろんこの恋人設定には「周囲の疑いの目を逸らすため」という大義名分はあり、それも決して嘘ではないのだが、それだけなら別に妹という設定でも良かったのだ。しかし恋人という建前があれば、人前でも堂々とトモカに触れるという打算が働いたのも否定はできない。
あえて全力で甘い雰囲気を出し、繋いだトモカの指に自分の指を柔らかく絡め、ゆっくりと一本一本撫で回すようにしながら、隣に立つトモカを見つめる。
残念ながらトモカはこちらを少しも見てはくれないが、それでも指を撫で回す度にトモカの身体が僅かにピクっと震え、頭上の白い耳の内側がほんのり色づいていくのを見るのが楽しい。
レオはこれまで決まった恋人を作ったことは一度もないが、基本的に可愛い女の子が大好きだ。
女性なら誰にでも優しく、気さくで、細身ではあるが適度な長身と大変整った顔をしていることもあり、街を歩けば若い女性たちからキャアキャアと誘いをかけられることは多い。
特に好みではなくても「礼儀として」デートくらいはするし、一緒に食事をしておしゃべりするだけでも相手を良い気分にして満足させる自信はある。もちろん好みであれば、声をかけられたその日のうちにそのまま一夜を共にすることも多々ある。
ただしそれは一夜限り。
レオの普段の軽い言動の成果か、相手もそれをよく弁えているため、しつこく言い寄られて困ったことは意外と少ない。女性の方も、あくまでも一夜限りの相手としてレオを見ているのだ。
おかげで色々なタイプの女性と1日限りの恋人ごっこができる。
しかしそんな女性たちと比べてもトモカは少し異色だった。
レオに好意を持って近づいてくる女性は大抵、レオが少し甘い声をかければ皆色っぽい顔でしなだれかかってくるものなのだが、トモカの場合は違う。ちゃんとレオを異性として好意的に意識している様子なのに、レオが甘い声でいくら囁いても真っ赤になって怒るか黙るかだし、「可愛くおねだり」してみろと言えば、予想に反して何故か真っ向から拝み倒して来た。
面白すぎる。
また、恋愛ごとには非常に理屈っぽく保守的な考えを持っている一方で、それ以外の物事に対しては好奇心が強く、突然放り込まれたこの世界の物事を精一杯理解して受け入れようとしているのが分かる。ちょっと目を離すと、興味あるものにフラフラと引かれてどこかに行ってしまいそうなのが少々困りものだが、レオにとってはそういった一面も新鮮で飽きない。
レオがトモカの指で遊んでいると、トモカがその繋いだ指をじっと見つめていることに気づいた。
あまりにもこっちを見ようとしないので、いっそその指を舐めてみせようかと不埒なことを考えた途端、食堂のテラス席の方からガシャン!と大きな音が聞こえた。
そして続く怒声や殴り合う音。
レオはすぐに警戒モードに切り替え、トモカを守る体勢に入った。トモカも突然の大きな音に身を固くしている
(くっそ、いい雰囲気だったのに邪魔されたな)
少しイライラしながらテラス席の様子を伺う。
どうやら酔っぱらい同士のケンカのようだ。
どちらかの男の家族と思われる女性が、必死に2人を宥めている。
(そういえば門の近くでもケンカがあったって言ってたな)
ここ暫くは魔獣は出ていないらしいが、何かの別の理由で皆気が立っているのだろうか。
店員が奥から出てきて、ケンカしている男たちを追い出しにかかっている。
2人の女性が店員に必死に謝りながら支払いをしているのが見て取れた。
テラスから追い出された男たちは、店内を通らず直接外に出てきた。まだ言い足りないようで、口論しつつレオたちが立っている場所に近づいてくる。
二人とも見た目は中年くらいで、犬の獣人のようだ。
「オレのせいじゃねぇっつってんだろ!」
「お前んとこの牛の次に俺んとこだ。お前がなんか変な病気持ってきやがったんだろ!」
「うちだって困ってんだぞ、知るかよぉ!」
「うちなんか全滅したせいで今月の収入ゼロだぞ、ゼロ!ふっざけんなよ!」
その時、腕の中のトモカがピクっと動いた。
怒鳴り声が怖かったのか?と思ったが、目は真っ直ぐ男たちを見ている。
どうも少し違うようだ。
「あ、あの!」
トモカが突然男たちに声をかけ、レオはギョッとした。
できれば騒ぎに巻き込まれるのは勘弁願いたい。
「畜産農家の方ですか?」
トモカが酔っぱらいの男たちに問いかける。
「なんだぁ嬢ちゃん、変わった格好してんな? 肉牛に興味あんのか? 残念だったな、うちで飼ってんのは乳牛だ。ヒバーズ種って知ってっかぁ?」
「酪農家の方なんですね。あの、私、獣医師です」
「ジューイシ? なんだぁ? 嬢ちゃんの名前か?珍しい名前だな」
トモカは「うわ、どうしよう通じない。この世界、もしかして獣医っていないのかな……」などとブツブツ呟いている。
「ええと、名前じゃなくて、動物専門の医者なんです」
「医者ぁ?嬢ちゃんが?」
「医者ってアレだろ、怪しげな呪いとかする奴だろ。俺知ってるぞ」
「そうそう!たっかい金取るくせに、全然効かねーんだよな。確かに怪我はすぐ治してくれるけど、そんなん時間が経ちゃほっといても治るしな!」
「この村の医者も聖魔法持ってるっていうけど、どーだかね」
どんどん飛び出す医者の悪口に、トモカは複雑な顔をしていた。
レオも医者という職業の存在は知っているが、やはり男たちと同じで、大して効かない呪いに法外な金額を要求する怪しげな職業だという認識がある。
それにしても、トモカが医者だとは初耳だ。
(ガイアの地で医者だったってことか?)
「あの、事情だけでも少し伺って良いですか? 全滅って仰ってたのが気になってしまって。そちらも誰かにイライラを話すだけでも少し楽になるでしょうし」
食い下がるトモカに、男たちは毒気を抜かれたように顔を見合わせている。
そしてレオの方を見た。
「おい、兄ちゃん、コレあんたの連れだよな? なんか変な格好してっし、オツムがおかしいのか? 」
酔っ払い男の片方が自分の頭を指差し、クルクル回して見せる。
レオはそれを見て一瞬だけ殺気を出したが、すぐに納め、ニッコリと愛想の良い笑顔を作る。
「いや、至って正常だよこの子は。この服装はちょっと事情があるんだ。なあどうだい兄さん達、そこの店追い出されたんだろ?俺たちと別の店で飲み直さないか?」
トモカがバッと振り返ってレオを見つめる。
(あ、やっとこっち向いてくれたな)
「あそこにいるの、兄さん達の奥さん? 飲み会は人数多い方が楽しいだろ。全員分の酒1杯ずつくらいなら奢ってやるぜ?それ以上は自腹で頼んでほしいが」
「お、なんだ太っ腹だな兄ちゃん! ありがたい、こっちはまだ飲み足りなかったんだ。おい、カァちゃん!来てくれよ!」
男たちがそれぞれの妻を呼び、事情を話している。
トモカがその隙にレオに謝ってきた。
「レオ、勝手なことをしてしまってごめんなさい!でも……助けてくれてありがとう。どうしても気になったの。農家さんで牛が全滅するって、本当に辛いことだから」
「いや、いいよ。トモカのことは信じてるからね。しかし医者だったとは初耳なんだけど?」
「医者じゃないよ、獣医師。動物専門なの」
「動物とそれ以外とでなんか違うのか?」
「うーん、何って言われると……法律? 後は診られる範囲かな」
「範囲?」
トモカは悩みながら説明する。
「私が元いた世界では、医師っていうのは人間を専門に診察して治療する人のことを指すの。私みたいな獣医師っていうのは、それ以外の動物を治す人」
「その医師ってのは人間しか治せねーのか?」
「人間しか治療できないってことはないんだろうけど、人間の治療に特化してるから、人間についてはすごく詳しくて、みんなからも尊敬される職業なの」
尊敬される医者。しかも人間しか診ない医者。
多種多様な獣人がほとんどという国に住むレオには想像がつかない。
「こっちの医者と違って、調子が悪いのをちゃんと治せるってことか?」
「そりゃあもう。こっちのお医者さんがどんなのかは分からないけど。元いた世界では優秀なお医者さんが世界中にたくさんいたし、莫大な研究費を使って常に最先端の治療を研究してたもの」
「へぇ」
レオの考える「医者」の像とはだいぶ違うようだ。
「でも私たちみたいな獣医師は、研究する人数も人間のお医者さん程は多くなくて、しかも幅広い種類を治療しないといけないから、その分まだまだ未知の分野も多くてね。そのせいか地位はそんなにね」
「そうなのか?」
トモカは肩を竦めて自虐的に話す。
「昔は馬医者なんて呼ばれて、卑しい人がなる職業だったこともあるくらい。最近は動物医療の分野も研究がかなり進んだから、昔ほど軽蔑される仕事でもなくなって、地位も一応上がってきたけど。だからさっきこっちの世界のお医者さんがたくさん悪口言われてるの聞いて、なんか同情しちゃった」
「なるほどね」
レオはなんとなくトモカの気持ちを理解した。
理想郷とされるガイアの地にも、こちらの世界に似た複雑な事情が色々あるらしい。
「で、トモカはあのおっちゃんたちの話聞いてどうするんだ?」
「ここは農家さんが多い村なんでしょう?さっきの話を聞いてると、感染力の強い伝染病の可能性もある。その場合は本当に緊急事態なの。一刻も早く防ぐ必要がある。だから、話を聞いて何か対策が取れないかなって」
「緊急事態?」
そんな大袈裟な、とレオは思ったが、トモカの表情は驚くほど真剣だった。
「そう。もし本当に感染力の高い伝染病で、万一ここで食い止められなかったら、村全体の牛が全滅してしまうこともあるの。そうなったら村が丸ごと困窮してしまう。私は牛専門の医者ではなかったから、どこまでできるか分からないけど、多少の知識はある。何かできることがあるならしてあげたい」
「そうか。そういうことならオレも協力しよう」
この村が滅んでもらっては困る。
このドムチャ村は国境を守るという意味でも重要地であり、またクレムポルテ王国の人々の食生活を支える食料庫とも呼べる地域なのだ。
そしてそれはレオにも他人事ではない話だった。
「ありがとう、レオ!」
トモカはパァっと嬉しそうにレオに微笑みかける。
レオは「ま、惚れた弱みだよね」とおどけるように、トモカの頭をぐしゃっとかき混ぜた。




