33.ドムチャ村
ドムチャ村への門は予想以上にしっかりしたものだった。
レオからドムチャ村は辺境の小さな村と聞いていたので、せいぜいが木材を組んだような低い簡単な門があるだけだとトモカは想像していたのだが、実際にその門を目前にするとその立派さに圧倒された。
その門は、高さ15mほどの分厚く大きな黒っぽい石の壁に縦長の長方形の穴をくり抜いたような形状をしており、その長方形の穴の両側にはそれぞれ四角い木製の小さな警備室が1棟ずつ、いずれも壁を貫通するように建てられていた。左右どちらの建物にも村の外側、村の内側、門の内側の3面にそれぞれ窓口が設けられていて、あらゆる角度から監視や対応ができるようになっている。
向かって右側の建物の中には先程レオと親しげに話していた兵士の姿も見えた。
壁の上部には大きく頑丈そうな金属製の柵が、門の高さの中ほどまで吊り上げられており、閉じる際にはおそらくあれを下ろすのだろう。
ほぼ装飾のない直線的で無骨な建物ではあるが、門としての役割は充分であると言える。
レオの建てたあの小屋を除けば、この世界に来て初めてトモカが目にする人工建造物であった。
(なんか……思ってたより物々しいんだけど。私、入って大丈夫なのかな)
トモカはレオに手を引かれ、門の手前へ向かう。門の前後は白っぽい石畳の道が続いているが、門の真下だけは赤っぽい石が細く直線状に敷かれていた。
レオがその赤い直線の前でピタリと止まり、一旦トモカを振り返る。
「さぁ、ここが国境。さっき説明したみたいに、あの線の向こう側に行きたいって思いながら通るんだよ」
「わ、分かった」
トモカは頷いて左腕で抱え上げているウーを抱きしめた。
「ウーさん大丈夫?」
(ボクは大丈夫ダヨー)
トモカの脳内に呑気な声が帰ってくる。どうやら緊張しているのはトモカだけのようだ。
(あっちに行きたい、あっちに行きたい、あっちに行きたい……)
強く願わなくても大丈夫とは言われたが、ここで失敗すると迷惑がかかりそうなので、トモカは一生懸命頭で念じる。
「じゃあ行くよ」
レオはトモカの右手をしっかりと握り、赤い線を跨ぐ。トモカも手を引かれてレオのすぐ後を追いかけるように線を踏み越える。その時。
耳元でシャランという何か薄いガラスの破片をばら撒くような音が聞こえた。
何かが頭上で壊れたような錯覚に陥り、トモカはビクッと身体を震わせる。
同時にレオの手が強くトモカの手を握り、トモカは現実に引き戻された。
「よし、全員無事に通れたね」
レオの声に周囲を確認すると、レオやトモカだけでなく、腕の中のウーも、トモカの背後を着いて来ていたジーニーもちゃんとくぐり終えている。
「ねぇ、あの、なんか今、音が聞こえなかった?」
「通る時に聞こえたシャラシャラっていう音のことなら、あれが防御結界を通る時の音だよ。聞こえない人も多いけど、耳が良いと聞こえるんだよね。トモカも耳が良いんだ」
「結界通る時の音なんだ! ってことはレオも聞こえるのね」
「そりゃオレは人一倍繊細な男だからね」
「……」
なんでそこで無言なんだよとレオが文句を言っているが、トモカにはその声はもう聞こえていなかった。周りの光景にすっかり目を奪われていたのだ。
村の中は、門の物々しい無骨さとは違い、とてものどかで穏やかな景色だった。
門を出るとすぐに石畳は途切れ、土の道に変わる。
道沿いには民家や商店らしき石壁の建物がいくつも建っているが、密集して建っているところは少なく、それぞれの建物の間はゆったりした庭や草むらや林になっていた。
そして道行く人々は男女ともに皆模様の少ない質素な服を着てはいるが、どの人も尻尾が生えていたり、大きな毛の生えた耳を持っていたり、翼が生えていたりしている。
ほとんど獣人だ。
トモカはこんなにたくさん、しかも色々な種類の獣人がいるのを初めて目にし、強烈な非現実感に襲われた。
今までも明らかに地球とは違う生き物が生きていたり、魔法が使えたり、自分に尻尾が生えていたりしたため、違う世界に来たことは頭では理解していたのだが、こうして沢山の獣人を目の当たりにすると、改めて異世界に来てしまったんだと実感する。
「す、すごい」
トモカが興味の赴くままにキョロキョロして歩きだそうとすると、レオがその手を引っ張った。
「ごめんトモカ待って。村を見て回りたいなら明日行こう。先に宿を取ってきていいかな?」
「あ、うん、そうよね。勝手に動いてごめんなさい」
トモカは慌てて謝る。
「オレ1人ならその辺の安宿に泊まるんだけどね、この村で1番しっかりした宿が向こうの道沿いにあるから、ちょっと距離あるけどそこに行くよ」
「そんなわざわざいいのに。私なら安宿でも大丈夫だよ?」
レオはくるっと振り返ると、トモカの両肩を掴んで真っ直ぐに目を見つめた。
「あのね、トモカ。オレの仕事にはトモカを無事に教会まで届けることも入ってるんだよ。トモカに万一のことがあったらオレも嫌だし、そもそも仕事が全部パァなの」
「う、うん」
「この村の安宿って男女別の大部屋しかないようなとこばっかりでさ。そういう大部屋よりちゃんとした個室の方が守りやすいんだ。それに大きい宿ならジーニーを預ける場所も一緒に借りられる。だから遠慮せず付いてきて」
「は……はい」
懇々と諭され、トモカは頷いた。
素直に手を引かれて歩く。
トモカは何となく気づいていた。
レオは軽い言動が多いけれど、仕事に関しては用意も完璧で、手を抜くことは一切ない。
昨日の夜、トモカを口説き始めたのはトモカの事情を全部聴き終わった後だったし、鞄の中だってそうだ。冒険者の標準装備だと言って袋を貸してくれたが、その時に鞄を覗くとそれ以外にも沢山の道具が細々ときっちり整理されて入っていた。きっとそれもレオにとっては標準装備なのだろうが、本当にいい加減な人物なのなら、そもそもそんな用意はしない気がする。
昼間に森の中で休憩を取った時も、突然膝枕をしてくれと言われたが、変なことをされるんじゃないかと警戒していたトモカが拍子抜けするほどレオはあっさり熟睡してしまった。風結界を発動させ続けると疲れるから寝ておきたい、というのは方便でもなかったのだろう。
おそらく、根っこのところはとても真面目な人なのだと思う。
もしかしたら、その軽い言動も、出会ったばかりのトモカを気軽に口説いてくるのも、トモカが王都に着くまでに緊張しないようにわざと気持ちを和らげようとしてくれているのかもしれない。きっと王都に着けばそれまでの関係なのだ。
ならば、レオを信用し、レオの邪魔になるようなこともしないでおこう。そして、……必要以上に深入りしないように。
そう心に決め、トモカは黙ってレオの後を歩いていく。
しばらくすると、周りの平屋ばかりの建物とは少し違う、3階建ての白い大きな建物の前にやってきた。1階の半分は飲食店になっているようで、カチャカチャという食器がぶつかる音や賑やかな男女の話し声が聞こえてくる。
「ここが宿だよ」
レオはそう言って、ジーニーを外で待たせ、トモカの手を引いたまま飲食店とは反対にある入り口に入る。入る直前に手の繋ぎ方を変え、指同士を絡ませるようにわざわざ繋ぎ直された。
入口の正面に大きなカウンターがあり、絹のような艶のある服を身に着けた灰色の丸い耳を持つ中年男性が立っていた。宿の主人なのだろうか。
「いらっしゃいませ。おや冒険者様ですか。ご苦労様です」
「ああ。部屋空いてるかな」
レオが訊ねると、宿の主人らしき男性はちらりとレオとトモカの繋いだ手に目をやり、すぐに答えた。
「3階の端のお部屋が空いております」
「良かった。あと、大型の召喚獣がいるんだ。置ける場所を貸して欲しいんだけどそっちも空いてる?」
「中庭に召喚獣用の広場がございますよ」
「ありがとう。全部でいくらになるかな?」
「朝食込みの部屋代、中庭の利用料、合計で銀貨1枚と銅貨3枚です」
「分かった。じゃあこれ」
レオは金の入った巾着から銀貨と銅貨を取り出して渡す。
「確かにいただきました。こちらが鍵です。中庭は右手の廊下をお進みください。お部屋は中庭の扉の向かいに階段がありますので、そこを3階まで昇った先を左手に。突き当たりが入口となります」
「ありがとう」
鍵と言って差し出されたものは、腕輪のような形に加工された白い石だった。トモカは目を丸くする。
レオは腕輪を受け取るとそのまま右の廊下を進み、中庭に続く扉を開けた。
そこは建物に四方を囲まれ、数本の木が植えられた明るい草むらだった。まずまずの広さがある。
「ジーニー!」
レオはトモカを連れて中庭に入り、ジーニーの名を呼んだ。レオの目の前の空間が歪み、すぐにジーニーが現れる。
ジーニーの首に提げた荷物を外すと、レオはその頭を撫でながら話しかけた。
「ジーニー、すまないけど今日一晩はここの中庭で遊んでおいて」
ジーニーはグルルと短く鳴いて中庭の隅まで歩き、優雅に座る。
トモカはハッと気づいて腕の中のウーに話しかけた。
「ウーさんも一緒にいたら寂しくないかな? ウーさん、今日はジーニーと一緒に中庭でもいい?」
(大丈夫ダヨ!)
ウーはピョンピョンと飛び跳ねてジーニーの後を追いかけて行った。
「よし、じゃあ部屋に行こうか」
「はい」
レオはジーニーから下ろしたトモカの荷物を片手でひょいと担ぎ、中庭の扉から出ていく。
トモカはレオを慌てて追いかける。
階段を昇り部屋の扉の前に立つと、レオは先程受け取った輪状の白い石を腕に填め、扉の取っ手を握った。白い石が一瞬赤く光り、扉がカチャンと鳴る。どうやら魔力で鍵が開くようになっているらしい。そのまま扉を押し開け、中に入った。
「うわぁ」
トモカは小さく声を上げた。
その部屋は明るい色をした木の壁と床に囲まれた部屋だった。清潔感があり、小さな村の宿とは思えない立派な部屋だ。
正面が窓になっていて、その窓の下に横長のソファとテーブルが置かれている。
その部屋には左手に2つ、右手に1つ扉がある。
左の1つは床に穴の開いた小さな部屋。おそらくトイレだろう。
もう1つは比較的広い部屋だが、浴室だろうか。部屋の床は白っぽくてツルツルとした平たい石が敷き詰められており、手前に木製の棚と大きめの籠が置いてある。そして部屋の奥にドンと設置された床より更に真っ白な大きな石。その上部は大きく丸く凹んでいた。
「これ、お風呂?」
「そうだね。そのデカい石自体が水魔法と炎魔法組み合わせた装置になってて、魔力を送れば温かい湯が底から出る。魔力を吸うと汚れた湯ごと回収される。使い方は簡単だから、後で使ってみるといいよ」
「う、うん!」
こちらの世界に来てから、身体を拭く以外には風呂に入れなかったため、浴槽に浸かれるのは嬉しいとトモカは喜んだ。
「なんなら一緒に入って詳しく使い方教えてあげるよ?」
「え、遠慮します」
レオがトモカの背中にスルッと手を回し、妙に爽やかな笑顔で提案するが、トモカは即座に断って元来た部屋の方へ逃げる。
反対側の右手の壁の扉の向こうは寝室だった。小ぢんまりとした部屋の中央にやや大きめの白いベッドが、1つ。他にはちょっとした棚やタンスなどがあるが、ベッドはそれだけだ。そしてそれ以外に部屋があるような様子もない。
「ベッド1つしかないんだけど……?」
嫌な予感がしてレオに訊ねる。
レオは当然とばかりに答えた。
「そりゃあね。ここ恋人同士とか夫婦が泊まるための部屋だしね。ケンカとかしてなければ離れて寝たりしないよ」
「えっ」
「さっき受付で手を繋いでたから恋人同士と思われたんだろ」
「まさか、入口で手の繋ぎ方変えたのってこのため!?」
「恋人同士ってことにでもしないと色々詮索されるじゃん、この状況」
「う……た、確かに」
20代後半の男と10代半ばの女の二人連れ。男はちゃんとした冒険者の格好をしているが、女の方はどう見てもサイズの合っていないダボダボの男物の服を1枚着ているだけ。
何か事件かと思われるかもしれない。
「とりあえず、明日までは恋人同士のフリしてて。今日はもう下の食堂で食事取って休むだけだし。明日になったら目立たないトモカの服を買いに行こう」
「私、そういえば最初に着てた服持ってる」
そう言って床に下ろされた荷物の中から紺色のワンピースを引っ張り出し、自分の身体に当てて見せる。
「これなら怪しまれない?」
「ああそれ、そういう服なのか。可愛いけど、こっちじゃそういうの着てる人いないからなぁ。却って目立つような。あーでも男物の服を着てるよりはマシかな」
確かに道行く女性達の中にこういったウエストを絞った細身のワンピースを着ている女性はいなかった。凹凸のないダボッとした膝下丈のスモッグのような服の上に、薄くて長い上着を何枚か重ね着するのが女性服の標準のようだ。
しかしデザインが変わっているというだけなら、確かに目立つが変わった服装を好む女だな、という程度で済むだろう。明らかに他人の服を着ているような現状よりはマシかもしれない。
「じゃあ向こうで着替えてくるね」
「よろしく。ああオレ、そっちの居間にいるから、この寝室で着替えなよ」
「ありがとう」
トモカは荷物を持って出ていこうとしたが、レオが先に出ていってしまった。何かといえばトモカに接触を図ろうとするが、こういうところは紳士なので調子が狂う。
トモカが急いで着替えて居間に出ると、レオも防具を全て外し、白い質の良さそうなシャツと黒っぽい下衣というシンプルな格好になっていた。
レオは目を細める。
「いいね。そういう服、初めて見たけど可愛いな」
「どうも」
お気に入りの服なので、褒められると嬉しい。それにやはりパンプスにはこちらの方がしっくりくる。
「じゃあ食堂に行こうか。あ、でもやっぱり結構目立つし、詮索されると面倒だから恋人設定はそのままね」
「は、はい」
レオはトモカと再び指を絡ませ、部屋を出た。
階段を降り一旦建物の外に出て、外から食堂の入口に入る。
大衆食堂のような雰囲気だが、地元の人々に人気の店なのか満席で、少し外で順番を待つ必要があるようだ。
食堂は外にもテラス席があり、そこでも賑やかな男女が思い思いに食事をし、酒を飲んでいた。
外は日が落ちかけ、だいぶ薄暗くなってきている。
なんとなく時間を持て余し、トモカは絡み合った指先をじっと見つめる。
(な、なんかデートみたい)
トモカはこちらの世界に来てから数日間、ずっと森の中で生活していたし、元の世界でも仕事が忙しく、男性と2人で出かけることなど数える程しかなかったため、男性と二人っきりで食事に行くという状況に気づいて急に緊張する。
レオの方は慣れているようで、異様に甘ったるく指を絡め、時々トモカの指を撫でたりさすったりしつつも特に緊張感などは感じない。
(レオって女好きっぽいし、彼女もたくさんいるんだろうな)
なぜか少しモヤッとしたものが胸に込み上げる。
そんな自分の感情を不思議に思っていたその時。
ガシャン!
テラス席の方から何かが激しく割れる音が聞こえた。
それまで甘い雰囲気を全力で醸し出していたレオの雰囲気が、一気に引き締まる。
指を離し、その腕でトモカを守るようにがっしりと肩を抱いた。
「おい、ふざけんじゃねぇぞ!!」
「きゃああ!!ねぇ、やめてよ!」
テラス席からは野太い男の怒鳴り声が聞こえる。続いて殴り合うような鈍い音。甲高い女性客の悲鳴。
何か騒ぎがあったようだ。
大丈夫だろうか。
村に夕闇が広がる中、トモカは不安を抱えて店の方向を見守った。




