31.冒険者という道
かなり素早く走ることを「飛ぶように走る」と良く言うが、ジーニーはスピードも然ることながら、まさに文字通り「飛ぶように走って」いた。
地面から突然飛び出す木の根などがある森の中を、木々の幹を避けながら滑らかに、滑空するように走っていく。もちろんトモカたちの周りはレオが張った風魔法による結界で空気の乱れはないようにもなっていたが、それでもほとんど揺れがないのは流石としか言い様がなかった。
トモカはレオにしがみつき、流れていく景色を見ながら考えていた。
(おねだりって何!?どうやったらいいの?さっき私『教えて欲しいです』って直球で言ったつもりだったんだけど、あれじゃダメってこと!?)
トモカはこちらの世界に来て、これまで未知であった魔法を学ぶことに強く興味を惹かれている。
雷魔法についてはウーが直々に色々教えてくれているが、結界については聞いたことがなかった。レオが同じ風魔法を持っており、教えてくれると聞いてトモカは喜んだ。
しかし、やはりレオはレオだった。
(やっぱりレオさん意地悪だわ)
もちろんレオにはトモカに無償で魔法を教える義理などどこにもないのだ。素直に教えてくれと思う方が甘いのは分かっている。なので、教えを請えば何か要求されるかもしれないとは思っていた。
お金はないので、トモカが現時点で対価として渡せるとすれば、先日捕った赤いネズミの肉か皮か赤い砂。もしくは労働、知識、身体。
正直なところ身体以外なら何を要求されても差し出せる気でいたのだが、レオが要求してきたのは予想外の事柄だった。
それが「可愛くおねだり」である。
(何それ。おねだりって。何をどうしたらおねだりになるの)
トモカは大学を卒業するまでほとんどずっと勉強と実験漬けで生きてきたし、卒業後は卒業後で仕事漬けの毎日だった。周囲も同じような人種が多かった。つまり何か頼み事があれば「~してください」「~してもらえませんか?」とビジネスライクに頼むのが普通だったのだ。
誰かに「可愛くおねだり」など、した記憶もされた記憶もない。
(いや、1度だけされたことがあるような?)
トモカは必死で思い出す。確か大学2年の頃。
同じ学科の友人が、東京で行われる好きなアーティストのライブに行きたいと言って、丸2日間の代返を頼んで来たことがあった。
さすがに2日間全部の代返はできないとトモカは1度は断ったが、どうしてもと手を変え品を変えお願いされて、結局情に絆され引き受ける羽目になったのだ。
あれがいわゆる「可愛くおねだり」だったのではないだろうか。
トモカは朧気にしか覚えていないその光景を必死に思い出そうとした。
彼女はトモカに何をしてきた?それを順番に再現すればいいのではないか。
(とりあえず思い出した順にやってみるか)
「れ、レオさま神様仏様!是非私のお願いを聞いてください!結界魔法を教えてくださいませ!」
本当は両手を合わせて拝みたかったのだが、片手はウーを抱えているし、もう片手は落ちないようにレオの肩にしがみついている。仕方ないので頭だけを深く下げてレオに拝んだ。
「ブフッ!ゲホッゲホッ」
レオは突然噎せて咳き込み始めた。苦しそうだ。
トモカはレオの肩に置いていた手を撫でるように動かす。
「だ、大丈夫?」
「はぁトモカ……『可愛くおねだり』の意味、しっかり考えようね?」
「えっとじゃあ今のは」
「ダメ。全然だめ。でもちょこっと面白かったから15点」
レオは含み笑いのような複雑な表情でトモカを見下ろす。
「じゅ、15点?何点満点なの!?」
「100点」
「えっ。合格点は?」
「んーどうしようかな、100点って言いたいところだけど、トモカにはハードル高そうだからね。特別におまけして70点で合格にしてあげるよ」
「70点!今のが15点だったのに!?」
レオは楽しそうに上を向いて笑った。
「ハハッ、トモカ必死だ」
「当たり前でしょ!魔法教えてもらいたいもの!」
「期待せずに待ってるよ。何をしてくれるか楽しみだなー」
「それ、絶対合格にする気ないでしょ!?」
トモカはレオの肩をバシバシと手の平で叩いて抗議した。
しかしレオは防具を着ているため、叩くとトモカの手の平の方が痛い。
「レオさんひどい」
「ほら、また呼び名戻ってる」
「……! レ・オ!」
トモカは手の平の痛みで涙目になりながら、レオを睨みつけて叫んだ。
「お? いいねぇ。25点」
レオの呑気な声を聞き、トモカは目を見開く。
「い、今のが!? さっきの神様仏様より点が高いの?点が上がる基準が全然分かんない!」
「まぁゆっくり考えてよ。オレは逃げも隠れもしないからさ」
レオは明るく笑うと、空を見上げた。
空は白い雲が半分ほど覆っており、その隙間から顔を出す太陽はてっぺんより少し低くなってきていた。
「それより、昼過ぎだしそろそろ休憩しようか。ジーニー、この辺で休めそうな場所あったら止まって」
ジーニーはゆっくりと速度を落とすと、森の中のやや開けた場所に止まった。
レオが結界を解除したのか、周りから吹く風を感じるようになる。
トモカはレオに抱えられて地面に降り立った。
「さすがジーニー。いい所だ。ありがとね。少し近くで休んでおいで」
首にかけられた荷物も降ろされ、ジーニーはグルルと嬉しそうに小さく喉を鳴らしている。
トモカも腕の中にいるウーの頭をフワフワと撫でてから手を離した。
ウーは地面にぴょんと飛び降り、手足を1本ずつ伸ばしている。
「ウーさん狭い所で我慢させてゴメンね。ちょっと身体伸ばしてくる?」
(ウン!ジーニーと遊びに行っテル!出かける時は呼んデ!)
「えっジーニーと?」
(ウン、じゃあまた後でネ!)
ウーは森の奥に消えるジーニーの後を追いかけて、さっさと行ってしまった。
いつの間に一緒に遊びに行く仲になったのか。トモカは唖然として見送る。
「ジーニーとウーさん、知らない間にすごく仲良しになってるみたい」
「らしいね。ジーニーは普段あんまり他の召喚獣と馴れ合わないんだけど、"森の妖精"のことはえらく気に入ったみたいだね。……よし、これでいいかな」
レオはそう言いながら、トモカが立つ地面の周りに大きく三角形を作るように小さな黒い石のようなものを置いては、それに触れる作業を行っていた。
レオの指が3つめの石に触れた途端、周囲の景色が微かに歪んだ気がした。
「それは?」
「これも結界の一種だよ。さっきオレがやったのは空気の流れを遮断する結界だったけど、これは外敵からの目くらまし。この森の中は昨夜みたいな魔獣が出ることが多いからね。そこに置いたのは、魔力を送ると時空魔法の効果を顕す魔導具」
「へぇ。時空魔法っていうのもあるんだ」
「そう。オレは時空魔法なんて使えないけど、魔導具を使えばこんな感じで使えるようになる」
「すごい」
トモカは目を見開いてそこに置かれた黒い石のような物を見つめた。
(どういう仕組みになってるんだろ?)
「トモカ、興味ありそうだけど今はその石、動かさないようにね。後で触らせてあげるから。せっかくジーニーたちが気を遣って二人っきりにしてくれたのに、無駄になっちゃう」
「えっ?ふた……っていうか気を遣ってって何!?」
「あれ?気づいてなかった?」
レオはニッと微笑んでトモカを見下ろす。
本当なのか冗談なのか今ひとつよく分からない人だ。
「それよりさ、長いこと同じ体勢でいたからしんどいよね?ちょっと座って休もう」
「うん」
「……よし。ここおいで」
レオが長方形の野営シートを敷いてその一方に座り、隣をポンポンと叩く。
トモカは少し考えて、パンプスを脱ぎその上に座った。
その間に鞄の中をゴソゴソ探っていたレオが、干し肉の紙袋と携行食を取り出す。
「あんまり良いものは持ってないけど、食べない?」
「えっ、これ……」
「こっちの肉は昨日の朝買ったんだ。こっちの乾いたのはオレが家に常備してるヤツ」
「ありがとう、1枚いただきます。……あ!そういえば私も干し肉持ってる。せっかくだし交換しますか?」
「えっ干し肉持ってるの?なんで?」
「昨日、ウーさんとネズミ捕りに行ってて。ネズミって聞いて警戒したんだけど思ってたより美味しかったから、保存用に干し肉作っちゃった」
トモカは地面に置かれた荷物から、布きれに包んだ干し肉を取り出した。
「ネズミ?」
「うん!怒ると火が出るネズミ」
「火が出る?ヒネズミか!しかも結構数があるね」
「地下の巣穴に行ったの。魔法練習にって連れていかれて」
「なるほどね。ヒネズミは地下に巣穴があるのか。どうりで」
レオは少し考え込んだが、すぐに手を伸ばす。
「ヒネズミは食べたことがなかったな。もらっていい?」
「どうぞ。こっちのは薄いから何枚か取ってね。」
「ありがとう。……へぇ、確かに美味しいな」
レオはモグモグと噛みしめて驚きの声を発した。
トモカも1枚同じものを口にする。ウーの大好物の赤いネズミは、干し肉にしても変わらず美味しかった。それどころか旨みが凝縮され更に味が濃くなっている。
「巣穴で、大量のヒネズミ相手に戦えるって、そこらのFランク冒険者よりはよっぽど優秀みたいだね、トモカは」
「そうなの?」
「ヒネズミは魔力も弱いし向こうから襲ってくることは無いから、厳密に言うと魔獣とは違うんだけど、火を吹いて危険だという理由で一般的には魔獣に分類されてるんだ。ヒネズミ数匹をただ退治するだけならFランク程度の依頼なんだけど、時々大量に湧くことがあってね。それを殲滅するのは危険性も高くて大変だからEランクかDランクの依頼になる」
数によっても色々とランクが変わってくるらしい。
トモカはレオにもらった方の干し肉をモグモグと噛みしめながら、昨日の大奮闘を思い出した。こちらもまた違った味わいで美味しい。
「た、確かに大変だったかも」
「魔力も高いみたいだし国にずっと住むつもりなら、案外冒険者にもなれるんじゃない、トモカ。興味ない?冒険者」
「冒険者?レオみたいに依頼を受けて仕事をするってことよね。でも私ってよそ者だけど、冒険者になれるの?」
「なるだけならすぐにでも問題ない。登録さえすれば誰でもなれるよ。高ランクを目指そうとすると身元を保証してくれる人が必要だけどね」
トモカはなるほど、と呟きかけて首を傾げた。
冒険者ということは、レオのように国の外を駆け回るということだろうか。
「私って国から出ちゃいけないんだよね?」
「もちろんトモカは聖女として王国に行くから、国から出るのは制限がかかるだろうけど、国から出ない依頼もたくさんあるんだ。むしろ国の領土内に入り込んでしまった魔獣退治の依頼件数が1番多いくらいさ。皆の生活に直結するからね」
「そっかー」
トモカは考えた。
今からレオと向かう国ではどうやら聖女として保護されるようだが、国の中では自由に生活できるだろうという。ならばそれなりの仕事をしないと生きていけない。
自分のできそうな依頼を受けて報酬をもらうというのも良いかもしれない。
「考えてみる!」
「そうだね。ま、決めるのは王国内をゆっくり色々と見てからでもいいと思うよ。オレも聖女についてはあまり知らないから、実際どういう扱いを受けるのかは確信が持てないんだよね。ピーターさんの主導で保護するみたいだから、そう堅苦しいことにはならないと思うけど」
「えっ。ピーターさんって私と同じ転生者っていう……」
「そう。実は今回の聖女保護の依頼を出してるのもピーターさんなんだ。教会の偉い人なんだけど、結構優しくて柔軟な人だから心配しなくて大丈夫」
元々会いに行く予定だった転生者の人が自分を探していたと聞いて、トモカは少し安堵した。
「そっか、良かったぁ」
安心したトモカが干し肉を齧りながらニコニコしていると、頭の少し高い所から視線を感じる。
ふとそちらを見ると既に食べ終わったレオが、柔らかい微笑みを浮かべてトモカをじっと見つめていた。
目が合い、数秒間時が止まる。しかし、ハッと気づいてトモカは慌てて目をそらす。
「な、なんでこっち見てるの!干し肉の残りならこっちです!」
「いや、一生懸命干し肉を齧ってるトモカもかわいいなぁって見てた」
「へ、変な褒め方しないで貰えますか!」
トモカはヒネズミの干し肉が入った布の包みを、レオに乱暴な仕草で押しつける。
なぜか干し肉を押し付けられたレオの楽しそうな笑い声だけが、三角に張られた結界の中で響いた。




