29.聖女トモカ
トモカは必死だった。
そもそも自分が変な所に下着を置いていたからいけなかったのだ。
レオもウーも悪くない。
レオは単に久々に帰ってきた自分の家の引き出しを開けて中身を確認しただけだし、ウーは不用意に叫び声を上げたトモカを助けようとしてくれただけだ。
自分がちゃんと落ち着いて考えて行動できていれば、レオが怪我をすることはなかった。
(レオさん、ウーさん、ごめんなさい)
トモカは激しい自己嫌悪に陥る。
早くなんとかしなければ、という気持ちが強く半ば強引にレオを引っ張り出した。
獣に噛まれた時は、怪我を治すことよりも洗浄が一番大切だ。
人間を含め、どんなキレイな動物でも、口の中は歯垢や細菌でいっぱいなのだ。
この世界にどんな種類の細菌がいるのかは分からないが、生態系が成り立っている以上、細菌が全くいないとは考えにくい。
深い噛み傷の中に歯垢などの異物が入った状態で傷口が塞がってしまうと、見た目は治ったように見えても、内部では入り込んだ異物を核にして細菌が増殖し、急速に化膿が進行する。万が一処置が遅れれば周りの組織が大きく壊死してしまうことすらある。
なので、できるだけ早く、しっかりと水で洗い流さなくてはいけない。
トモカはレオの返事も聞かず、無理矢理湖の畔まで連れ出し、夢中で傷口を洗った。腕を掴まれ傷口をジャバジャバと容赦なく洗われれば、かなり痛みもあるはずなのだが、レオは抵抗することもなくただ黙ってじっとトモカの処置を眺めるだけだった。
(もう大丈夫かな)
かなり長い間洗浄していたが、おそらく4ヶ所の傷の中には何も異物は残っていないだろうという段階でトモカは洗うのをやめ、濡れたままの指先を傷口のひとつに当てた。
それまでただ穏やかにトモカがやる事を見守っていたレオが、少し怪訝な表情をする。
(そりゃいきなり傷口触られたらびっくりするよね)
説明しようかとも思ったが、実際に見てもらう方が早い。
自分の身体には散々使ったので、おそらく問題はないだろう。
トモカは右の人差し指に聖魔力を溜め、いつものぬるりとした液体状の緑の光を放出して傷口に塗り込む。レオがその様子を見て目を見開いているのが分かった。
緑の光は傷口にアメーバのように浸透し、みるみるうちに塞がっていく。
完全に塞がったかなという段階で指を離すと、同時にどこからかブーンという音がした。
(何の音?)
「あっ」
レオが怪我をしていない方の右腕を慌てて上げた。
右手の中指に太めの指輪があり、それが青く光っている。どうやらブーンという音もその指輪から発されているようだ。
(なんだかスマホのバイブ音みたいね。なんだろ?)
トモカが音と光につられ、指輪を覗き込むように顔を寄せる。すると、トモカの頬をレオが両手でガシッと掴んで自分の顔の方へ近づけ、仰向かせた。
すぐ目の前にあるレオの深く澄んだカーキ色の瞳が、今は異様にギラギラしている。
(えっ、何!?)
「ねぇトモカちゃん、もしかして聖魔法使えるの!?」
「は、はい。一応……?」
「うーわー。大当たりじゃん!指輪に頼らずに先に本人に聞けば良かった!」
「あ、当たり?」
(何のこと?)
トモカには全く何の話だか分からない。
それより顔が近すぎるし、がっしり掴まれているため少し痛い。
レオはトモカの頬を掴む手の力を少し緩め、トモカの瞳を至近距離で見つめたまま、スルッと親指でトモカの頬を慈しむように優しく撫でた。トパーズのような強く美しい瞳に見つめられ、トモカは魅入られたように視線を奪われる。頬を撫でられる度にぞくりと背中に微かな刺激が走った。
「そうか、やっぱりキミが聖女だったんだな……」
「せいじょ……?」
レオはしばらくトモカと見つめあったまま、両の親指で頬を撫で続けていたが、やがて名残惜しむようにそっと両手を離し、ポンポンと頭を撫でた。
柔らかく微笑む。
「まず礼を言うよ、傷を治してくれてありがとう」
「……こちらこそ、怪我をさせてしまってごめんなさい」
トモカは頭を下げた。
「いや、いいんだ。結果としてキミが聖女だって確信が持てたからいい。転生者かつ聖魔法の使い手なら条件はバッチリ揃ってる。後はオレの勘だけど」
「条件?」
「オレね、冒険者だって言ったでしょ?今回はどこかに生まれたかもしれない聖女を探しに来てたんだよ。ただ手がかりが少なくてね。聖女はほとんど聖魔法を使えるってのと、転生者であることが多いって事だけ。種族も見た目も年齢も場所も分からない。あとは消去法とオレのヤマカンでここに来たんだ」
「あの……"聖女"ってもしかしてステータスに書いてあるやつですか」
「えっ! 書いてあるの!?」
レオはギョッとしてトモカを見下ろす。
「はい。ステータス出したらレオさんにも見られますか?」
「いや、ステータスは自分にしか見えない。鑑定すれば分かるだろうけど、オレは人間の鑑定はできないんだ。でもすでにオレと王都に行くことにしてるトモカちゃんが、今ここでわざわざそんな嘘をつく理由はないからね。信じるよ。確信どころか確定だ」
レオはトモカの横に座りなおした。
そうかーステータスに書いてあるものなのかーとブツブツ呟いている。
「本当はキミを王都に届けたらもう一度ここに戻って来て、聖女探しの続きをしようと思ってたんだけどね。おかげでキミを王都まで届けたらオレの仕事は完了だな」
「聖女を探してたってことは、私は王都で何かすることがあるんですか?」
「いや、多分何もないよ。オレが依頼されたのは聖女の保護だけ。聖女の波動は国に祝福を与える力があるらしいけど、それは国の中にいるだけでいいみたいなんだ」
「いるだけ?」
「そ。だからよっぽどのことがない限り、国の中なら自由にできると思うよ。それとも森の生活の方がいい?」
レオは小屋の方を指さす。
「い、いえ。気づいたらここにいて行く宛がなかっただけなので、もし国の方々に受け入れていただけるなら、森から出たいです」
森での生活も慣れては来たが、やはり原始時代のような生活を長く続けるのは辛い。多少なりとも人が住んでいる所の方が良いだろう。
「オーケー。オレもトモカちゃんがうまく国に馴染めるようにできるだけ協力するよ。ただ、王都に行ったらまず最初に鑑定されるかもしれないけどね。構わないかな?」
「鑑定って……痛かったりしますか?」
トモカは不安な顔をする。あまり痛いのは好きではない。
するとレオがクスッと笑った。
「いやいや大丈夫。痛くはない。ただステータスは全部見られるよ。普通ステータスは個人情報だからね、普通の人は隠しておく。ギルドなんかに登録する時は必要な所だけ読み取る機械があるんだけど、鑑定だと全部バレちゃうんだ」
「隠しておいた方がいいものなんですか?」
「どうだろうね、オレも定期的に鑑定される立場だから、隠した方がいいのかはわかんねーや」
「レオさんも?」
レオは肩を竦めて答えた。
「オレね、冒険者の中でも一応ランクが高い方なのね? で、冒険者ってのはランクが上がれば上がるほど自由に行動できる。俺なんかは身分証ひとつで他の国にも入れちゃう。国をまたいだ依頼なんかもあるからさ」
「へぇ」
「だからその代わりに高ランク冒険者のステータスはギルドに管理されてる。いざとなれば国に報告ができるようにね。万が一その冒険者が国の敵になっても、ステータスが分かってれば対処のしようもあるだろ?」
「どこかと戦争してるんですか?」
「いや、クレムポルテ王国はもう100年くらい戦争なんて起きてないよ。万が一って話。それに戦争にはなってなくても他国の情報を探ろうとする奴はいるからね」
なるほど。
レオは女好きで軽そうだけれど、意外と身元のしっかりした人のようだ。トモカは安心した。
「さてそろそろ出発するかい?」
「あの、それなんですけど、国に行くってことはもうここには帰って来れないんですよね?」
「あぁー、そうなっちゃうかな」
国の中にいるなら、という条件付きで自由が与えられるのだとしたら、それは国から出てはいけないということなのだろう。
「いずれ帰って来れるなら直ぐにでも出るつもりだったんですけど、もう帰って来れないならできればちゃんと荷物まとめてから行きたいなって……」
「荷物?いいよ、待ってる。その服もあと2着あるでしょ?全部持ってってね」
「いいんですか?」
「もちろん。オレが着替え用に買ったやつだけど安かったし、結局誰も使わなかったから。むしろ着てほしい。というか俺の前だけでも是非着てください」
レオはやけに熱心に勧めてくる。トモカとしては他に着替えを持っていないのでありがたいことではあるのだが。
「鞄とかも持ってないよね?オレの持ってる予備の袋使って」
レオは立ち上がり、小屋に向かって歩き始めた。トモカは慌ててその背中を追いかける。
何から何まで親切だ。
小屋に入ると、白黒のフカフカした毛玉が壁際でいじけていた。
トモカはハッと焦り、駆け寄る。
「ウーさん、放ったらかしてゴメン!」
(ウウン、ボクもカン違いしてゴメンナサイ。あの人にも噛んじゃってゴメンって言ってオイテ)
「分かった。あの、レオさん、ウーさんが噛んでごめんなさいって言ってます」
「キュイ……」
神妙に項垂れるウーの姿にレオは目を丸くした。
しゃがみ込んでウーの頭を撫でる。
「いや、お前はトモカちゃんを守っただけだろ、エラいぞ。あの時点でオレが怪しい奴だったのは確かだから、行動としちゃ間違いない」
「キュイッ」
頭を撫でられたウーは目を細め、少し嬉しそうにしている。
最初は初対面のレオのことを警戒していたが、トモカが警戒を解いていることを察してウーも認めたらしい。
レオはウーが元気になったのを確認すると、立ち上がった。作業台の上の鞄から折りたたんだ麻袋のようなゴワゴワした袋と薄手の布袋を取り出し、トモカに渡す。
「これ使ってね。足りなかったら言って」
「ありがとうございます。……なんでこんなにたくさん袋を持ってるんですか」
鞄の中を覗くとまだ他にも似たような袋が大小複数あるようだ。
「仕事の特性上、薬草とか動物の死体とか色々採取することが多いからね。冒険者の標準装備だよ、袋は。魔獣討伐の依頼でも、結局はどこか身体の一部を採取して帰らないと認めて貰えないから、大抵の冒険者は色々なサイズの袋を常備してる」
「へぇ」
「好みにもよるけどね。袋じゃなくて布で包んで持ち運ぶ人もいるし、時空魔法を使う人もいる。布はここにも置いてあったろ?」
「あ、あの布って!」
トモカが使い道も分からないままに、掃除に使ったり包帯にしたり日除けに使ったりしいてたあの白い布のことだろう。
「ここで一緒に冒険してたヤツがね、ただの布の方がサイズも調整できるし、色々使えて便利だってここに置いてたんだ」
「すみません、私も何枚か使わせてもらってしまいました」
「いいよいいよ、ソイツは今はもう冒険者やってないし、ここにも来ることは二度とない。要るならついでに持って行きなよ」
「……そうなんですか。ありがとうございます!」
トモカは深々と頭を下げた。
レオはポリポリと頭をかく。
「あのさ、オレあんまり堅っ苦しいの好きじゃなくてさ、できたらもうちょっと普通に喋ってくれる? あの"森の妖精"に話す時みたいな感じで」
「でもレオさんは恩人ですし」
「さん付けも禁止。トモカちゃん、外は若いけど、中身はオレより上なんだろ?」
「じゃあレオくん?」
レオがガクッとコケる。
「それはそれで萌えるけど、できれば呼び捨てがいいな。オレもトモカちゃんのこと呼び捨てにしたい」
「いいですけど……」
「言葉遣いが直ってないよ。ほら、名前も呼んで」
「あ、ありがとう、レオ……?」
「おーいいね、最高」
レオはトモカを軽く抱きしめ、頭の上の猫耳に小声で囁いた。
「これからもよろしくね、トモカ」
「……!!」
ゾクッとするような、艶のある低音。
トモカはバッと赤くなり離れる。
(なっなんでわざわざ耳元で)
「トモカ、耳弱いよね。気をつけないとね」
レオがニヤニヤしている。
絶対わざとだ。
「し、知らない!」
トモカは真っ赤になりながら、荷造りのため小屋の中からレオを追い出した。




