26.聖女か否か
パチパチと炎が火の粉を散らす。
集めた枯れ木にレオが炎魔法で火をつけると、2人と2頭は自然とその周りに円を描くように座った。
少し肌寒かったせいだろうか。焚き火の熱が心地よい。
ウーとジーニーは体格も外見も随分違うが、不思議とウマが合ったらしく、ピッタリとくっついて座っている。しかし、ウーが少し震えている所を見ると寒いだけかもしれない。
トモカと名乗った少女は真剣な顔で焚き木をくべている。
そのトモカの隣に座り、レオは焚き火に照らされたその姿をさり気なく観察した。
年齢は10代後半くらいか。
性別は、見た目からしてメス、と思われる。
全体的に華奢で、手足も肩も細く、身長もあまり高くはない。
痩せているため胸も尻も丸さが目立たないが、声は一応女性らしい声をしている。
頭には細く白い毛の生えた耳。右耳の先端に少しだけ黒い斑がある。
肩より少し長いくらいの髪は濃いめの茶色で、くせっ毛なのか全体が緩くウエーブしているようだ。
目は大きめで丸みのあるアーモンド型の二重。
瞳の色は……赤い焚き火の炎が反射しているため判りにくいが、少し暗めのグリーンだろうか。
目の冴えるような美人という訳ではないが、比較的整った愛嬌のある面立ちだ。
服の後ろから出ている細長い尻尾は真っ白で常にふよふよと蠢いている。
おそらく猫型の獣人だろう。
やや太めの眉と意思の強そうな目をしているが、先程素直に謝罪してきた所を見ると、そう意地っぱりな性格というわけでもないようだ。
色々と事情を聞かねばならないため、話しやすそうなのは助かる。
(というか、この服ってオレのだよな?)
トモカはブカブカと大きい男物の衣類を腕まくりして着ているが、服に付属した紐をキツめに縛り、サイズが合っていないのをなんとか着られるようにしたようだ。
この上下には見覚えがある。
レオがかつてこの作業小屋を使っていた時に常備しておいた安物の着替えだ。
住むところがないと言っていたため、着るものもなく、この小屋に置いてあった物を着ているのだろう。
大きめの服を腰の辺りで無理やり縛っているだけなので、襟ぐりがかなり大きく、焚き木をくべるために屈むと中が見えそうになる。
レオはもう少し詳しく見たい気持ちを抑えて、サッと視線を逸らした。
胸や尻の大きさはやや物足りないものの、それ以外は割と好みの見た目なので、普段のレオであればすぐにでも口説きにかかるのだが、万が一失敗した場合、事情を聞く前から警戒されても困るのだ。
(とりあえず先に仕事するか)
レオは両手から篭手と革手袋を外す。
右手の中指に填めた指輪を確認した。魔導具士ケミックに作ってもらった聖魔法を感知する指輪だ。
少し期待していたのだが、指輪は何の光も放っていない。先刻、魔獣と戦っている最中も振動した様子はなかった。
(どうも外れっぽいな)
歴史書には、聖女はそのほとんどが聖魔法を使えるという記載があった。
天才少年ケミックの作ったこの装置を信用するならば、現在レオの近くには聖魔法の使い手はいないという事だ。
ちょうど5日くらい前からここに住み始めたという事だし、そもそも西の森の南東エリアなど家出少女が1人でふらっと来るような場所でもない。状況的にはこの少女が聖女である可能性が高そうだと思ったのだが。
しかし、南東エリアに入って一番最初に出会った少女が聖女なんて、さすがにそんな都合の良いことはないか。
しかし一応事情を聞いてみる価値はあるだろう。
「それで?トモカちゃんだっけ? 住むところが無いって言ってたけど、どこから来たの?」
レオは篭手と革手袋を鞄に入れながら訊ねた。
トモカが不安そうな目をレオに向ける。
「それが……いつの間にか森にいて」
「家出とかじゃなく?」
「多分。どうやって森に来たかは分かりません」
「記憶がないってこと?」
トモカは少し言葉を迷うような素振りを見せたが、結局頭を縦に振った。
「……そう言っても良いと思います」
レオはその逡巡を見逃さなかった。
「"森へ来た方法"以外の記憶ならあるってことかな?」
「……はい」
「どういう記憶?」
レオは表情の変化を見逃さないよう、じっとトモカの顔を見据えながら聞き返した。トモカはその強い視線に緊張したようにパッと目を逸らすと、焚き火の炎を見つめながら口を開く。
「……言っても信じて貰えるか分からないんですが、私、多分この世界の住人じゃないんです」
「というと?」
「私は一度死んだんだと思います。死ぬ前はこことは全く違う世界で生きていました。仕事をしている途中で意識がなくなって、気づいたら森の中に」
レオは考え込んだ。
(もしかして、この子、ガイアの地からの転生者なんじゃねーの?)
レオは明確な転生者には司祭ピーターにしか会ったことはないが、ピーターから聞いた話や歴史書で読んだ転生人の様子に状況は似ていた。
前の世界の記憶があり、死んだ事を自覚している。
(もう少し確認してみるか)
「あのさー、クレムポルテ王国って知ってる? オレそこから来たんだけど」
「え……? いいえ?」
突然話題が変わり、トモカは焚き火の方を向いたまま、キョトンとしている。
やはり分からないようだ。
レオは構わず言葉を続ける。
「じゃあさ、"アイルランド"って場所、知ってる?」
「アイルランド?行ったことはないですけど……イギリスの隣の国ですよね?」
「やっぱり知ってるのか!」
レオが大きな声を出し、トモカがそれに驚いてビクッと震えた。トモカの背後で白い尻尾がブワッと膨らむ。
この"アイルランド"はピーターが祖国だと話していた地名だ。
もうひとつの"イギリス"という地名は初めて聞いたが、隣の国というからには、"アイルランド"と"イギリス"は隣り合った国なのだろう。
一方でクレムポルテ王国の名前は知らないという。
クレムポルテ王国はこのテナン大陸で最も大きな国だ。どこの国で育ったとしても、この国名を知らないというのは考えにくい。
「え、もしかしてここ、アイルランドなんですか?」
「ああ、いやいや違うよ、混乱させてゴメンね。ここは"アイルランド"って国じゃない。多分なんだけど、キミがこことは違う世界から来たっていうのは本当だと思う」
「信じていただけるんですか?」
トモカが顔を上げてレオの方を振り向いた。大きなグリーンの瞳で見上げられ、レオは少しドギマギする。
(結構可愛いんだよな。かなり若そうな割になんか妙な色気あるし)
昨日の朝に出会った若い冒険者のサリ達と同じ年頃のはずだ。
レオより10歳は下だ。
サリに対しても、同じパーティのもう1人の少女に対しても特に何も思わなかったが、トモカを見ていると危うく理性が飛びそうになる。
夜だからだろうか。それとも襟ぐりの大きい男物の服のせいだろうか。
レオは、トモカの細く白い首すじを見つめ、知らぬ間に口に溜まっていた唾液をごくりと飲み込んだ。
「おそらくキミは、オレたちが"ガイアの地"って呼んでる世界から生まれ変わって来たんだと思う」
「ガイアの地?」
「そう。稀にそういう人がいるんだ。ガイアの地で死んだ後、何かの原因でこっちに魂が飛ばされて来ちゃうらしいよ。オレもその仕組みは詳しく知らないんだけどさ、その"アイルランド"から来たっていう人を1人知ってる」
レオの言葉を聞き、トモカの縦長の瞳孔が大きくなった。
「他にも私みたいな人がいるってことですか!?」
「オレが知ってるのは1人だけ。でもその人によると他にも何人かいるらしいよ。ちなみにトモカちゃんはなんていう国から来たか覚えてる?」
「住んでいた国は、日本です」
「ニッポン?」
「はい。海に浮かぶ島国なんです。こんな形で」
トモカは地面に枯葉を並べて細長い魚のような形を作った。ニッポンという国の形のつもりらしい。
(あっ、それ以上屈むと……)
レオは期待……いや心配したが、ちょうどトモカ自身の頭の影が胸元に落ちて真っ暗になったため、レオの位置からは結局何も見えなかった。
トモカはパッと顔を上げる。
「でも生まれ変わりってことは赤ちゃんからやり直しなんじゃないですか?私この世界で生まれてからこの大きさになるまでの記憶とか一切ないんですけど」
「お、オレも転生者について詳しくないからよく分からないんだけど、ピーターさんが詳しいはずだから聞いてみたらいいんじゃないかな」
「ピーターさん?」
「その"アイルランド"から来たっていう教会の爺さんだよ。昔からの知り合いなんだ。キミはオレが捜してた人とは違うみたいだけど、ここで会ったのも何かの縁だし、森から出るつもりがあるならピーターさんにも紹介してあげるよ」
聖女捜しは後回しになってしまうが、何も知らない転生者をここに放置していくのも良くはないだろう。保護してピーターの所にトモカを預けに行き、その後でもう一度森に捜しに来ればいい。
決してトモカの見た目が好みだからとかそういう事では……。
トモカは嬉しそうな顔をするが、その直後に何かに気づいたのか青い顔に変わる。
「ほんとですか!?可能なら是非お会いしたいです!……あ、でも私英語カタコトしか喋れない。どうしよう」
「エイゴ?」
「アイルランドの方ってことは言葉は英語ですよね?私日本語しか喋れなくて」
トモカが何に困っているのかさっぱり分からない。
「言葉の話? テナン語でいいんじゃないの? ピーターさんも普通にテナン語喋ってるよ」
「て、テナン語とは……」
「トモカちゃんも今オレと普通に喋ってるじゃん。それがテナン語」
「えっ?……ええっ!?」
トモカは頭を抱え、てっきり日本語だと思ってたー、とブツブツ呟いている。
どうやら言葉が通じないと思っていたらしい。
(そういえば昔ピーターさんにも転生したときの話を色々聞いたけど、言葉で困ったとかは聞いたことないな)
トモカの母国語らしいニホン語とピーターの母国語らしいエイ語は異なる言語のようだが、どちらも自然なテナン語を喋っている。
どういう仕組みか分からないが、転生する時にこちらの言葉を話せるようになるのかもしれない。
「もし用事がないなら今から朝までちょっと寝て、明るくなったら王都に出発しようか」
「用事はありません。大丈夫です」
「そっか良かった。オレも小屋で寝ていい?」
「もちろんです!持ち主さんですし……というかむしろ私が外で寝るべきですよね」
「女の子を外で寝かせられないよ!あ、もしかしてオレと同じ部屋で寝るのイヤ?」
トモカは顔を引き攣らせて首を振る。
「い、いえそんなことはないです。部屋の反対側なら」
「そっか反対側か。残念だな。オレの腕の中で寝てくれるかと思ったのに。ま、寝るどころじゃなくなるだろうけど」
レオはニヤっとトモカに微笑みかける。
意味を察したトモカが顔を真っ赤にして後ずさった。
「む、無理です!わわわ私のことは一切気にせず、ごゆっくりおやすみください」
「あーあ振られちゃったか」
無理か。
冗談めかしてはいたが半ば本気でもあったため、レオは露骨に肩を落とした。
トモカは焦って慰めるように言い訳をする。
「振ら……っ、ち、違います!私みたいな素性の分からない薄汚れたのを相手にしても、レオさんが楽しくないだろうと思いましてっ!」
「そんなこと全然気にしないのにー。というかトモカちゃん結構好みなんだよね、オレ。ねぇ、トモカちゃんはオレみたいなの、嫌い?」
レオは、もう一押しとばかりにぐっと接近し、縋るような声でトモカの頭上の白い猫耳に囁いた。
顔だけでなく首まで真っ赤に染めたトモカは、ついに返答に困ったようで、立ち上がり、くるっと身を翻して小屋の方に駆け出す。
「────あ、あのっ、さっき散らかしちゃったんで、小屋の中片付けてきます!」
(あーあ、逃げられちゃった。上手くすれば流されてくれるかと思ったけど、 まだ会ったばかりだしさすがに早いかぁ)
好みの女の子とはすぐにでも仲良くなりたいレオとしては残念だが、反応を見る限り真面目なだけで脈が全く無いわけでもなさそうだ。
こういうのは時間をかけるのも楽しいものだ。
小屋の扉に飛び込むトモカの白い尻尾を眺めながら、レオはすっかり聖女捜しのことを頭から追い出していた。




