20.魔獣の異変
ピィロロー。ピィーローー。
静かな森の中に、鳥の声だけが響く。
木々の隙間から見える青い空は澄み渡り、雲ひとつない。
ザクザクザクザク。
道無き森の中を、レオは迷いのない足取りで枯葉を踏みしめながら進む。
順調だ。
しかし、レオは明らかな異変に気づいていた。
「おっかしいなぁ」
魔獣が出ない。全く出ない。
確かにまだ魔獣の特に多い南東エリアに入った訳では無い。まだ入口から少し奥に進んだ辺り。
しかし、そもそもこの森全体が言わば"魔獣の密集地帯"なのだ。
どこにいても、しばらく歩けば、いや歩いていなかったとしても魔獣の方から勝手に襲いかかってくるのが普通だった。
しかし今日は何もいない。
魔獣ではない普通の動物や鳥はいるようだが、高い魔力、知能、そして凶暴性を持ち、他の魔力を持つ存在を積極的に"エサ"として食べに来る、魔獣と呼ばれる存在はいない。
これなら確かに襲撃の報告がなくなったというのも頷ける。
魔獣がそもそもいないのだから襲撃される訳がない。
それともどこかに隠れているのだろうか。
ただ、魔獣がいないのはレオにとって好都合であった。
まず、余計な戦闘で足止めされることがない。
それにもし、聖女がこの現象を引き起こしたのだとしたら、聖女自身も魔獣に遭遇しておらず生き残っている確率が高いからだ。
「しかし、アレはどうするかなぁ。放っておいてもいいんだけど」
レオは独りごちた。
(一応目的だけでも聞いておくか)
レオは立ち止まり、空を仰ぐ。
踏みしめる枯葉の音が消えた。
そして次の瞬間、レオは身を翻した。
目にはほとんど見えない程のスピードで周囲の木々の幹を次々と蹴って跳躍し、瞬く間についさっきまでレオが歩いていた場所まで戻る。
ザッ。
素早く剣を抜き、ある1本の太い木に剣を突きつけた。
「どういう事かな?入口からずっと付いてきてるけど、オレに何か用事でもあんの?」
太い木の幹の後ろから、小さな弱々しい声が響く。
「す、すみませっ……あのっ悪気はなくて、その……」
「謝んなくていいからとりあえず出てきなさいよ。何もしなきゃこっちもいきなり切ったりしねーからさ。他の子達も」
レオはその木に剣を突きつけつつ、周囲にも声をかける。
ゴクッと唾を飲む音が聞こえ、暫しの沈黙の後、木の影から1人の若い青年、むしろ少年と言っても良いくらいの若者が両手を上げて恐る恐る出てくる。
他の木の影からもそろりそろりと他のメンバーが出てきた。
全員見覚えのある顔だ。
揃いも揃って、今にも死にそうな程真っ青な顔をしている。
ドムチャ村の出口の所で先頭に並んでいた冒険者風の若い男女4人組だった。
17、8歳くらいだろうか。
「さっき門の所にいただろ?なんか用?」
「……」
緊張のせいか、恐怖のせいか、誰も声を出さず皆地面を見つめている。
レオはため息をついた。
「誰でもいいから喋ってくんない?そっちも冒険者なんだろ?リーダーいねぇの?」
「……は、はいっ」
一人の少女が手を上げた。どうやら黒兎の獣人らしく、ピンと伸びた黒く長い耳を帽子に開けた穴から出している。
顔は倒れそうなほどに青いままだが、覚悟を決めたらしい。
1歩前に出てくる。他のメンバーが心配そうにその姿を見つめた。
「わ、私、リーダーのサリと言います。勝手に尾けてしまって、すっすみませんでしたっ」
真っ青な顔のまま、勢いよく頭を下げる。
レオは何だか弱い者イジメをしているような気持ちになってきた。
「いや、謝んなくていーって。それより、何か用事があったんじゃないの?オレに」
「そ、それがドムチャ村の出口の門の兵士さんに、初めて西の森に行くなら慣れた人と一緒に行った方がいいと言われまして……」
「ああ、そういえば」
確かに、ベテラン兵士の方が何か声をかけていたのはレオからも見えた。
そしてその言葉は間違ってはいない。むしろ大原則だ。
西の森は他の自由区よりも出てくる魔獣のレベルが高く、数も多く、慣れない冒険者が準備も前知識も無しに足を踏み入れると、結構な確率で命を落とすことが多いのだ。
尤も今日はその魔獣自体が見当たらないのだが。
「それで、入口の所でどうするか話し合ってたんですけど、その間に後ろにいた人達がどんどん先に行っちゃって……」
「なるほど、それで話し合いが終わってから最初に来たのがオレって訳ね」
「は、はいぃー。すみませんでした」
サリと名乗った少女はもう一度大きく頭を下げる。
レオは悩んだ。
確かに誰かについて行った方が安全なのは確かだが、よりによって南東エリアに進む予定のレオを選んでしまうとは。
このままこの4人組を放置していくのは容易いが、明らかに森に慣れていないこの4人がここではぐれてしまえば、命を落とす危険性がある。それはさすがに後味が悪い。
しかし、レオの聖女捜索に同行させるにしても、今から行くのは森の中で最も危険なエリアだ。Sランクのレオとはいえ、4人を守りながら進むのは大変だし、何日かかるか分からないのにこの少年たちを拘束するわけにも行かないだろう。
(仕方がないな)
レオは抜いた剣を鞘に納め、サリに訊ねる。
「依頼書の内容は?」
「えっ」
「依頼受けて来たんだろ?何しに来たんだ?」
「は、ハイ、シチャの実の採取です」
なるほど。西の森にのみ生えているシチャの木の実か。
この森の固有種ではあるが西の森全域に生えているので、見つけるのはそう困難ではない。
シチャの実は良質の油分が多く含まれ、香りも良いため、手や顔に塗る保湿剤の材料に使われる。
よくあるFランクの依頼だ。
「分かった、一緒に探してやるから、見つけたらさっさとドムチャ村に戻れ。いいな?」
「いいい一緒に行ってくださるんですか」
「キミらが死んだらオレの夢見が悪いからね」
レオは森の入口方向に足を向け歩き出した。
それを見た少年が焦ってレオに聞く。
「えっそっちに戻るんですか?」
「……キミら、シチャの実の特徴ちゃんと調べてきた?」
「はい!冒険者ギルドに置いてあった図鑑でしっかり。木の幹の色と、葉の形と、実の形は覚えてきました!」
少年はさっきの怯えは何処へやら、胸を張っている。
「それなら、ここに来るまでにシチャの木が何本かあったの分かっただろ。わざわざ危険な奥に行かなくてもそこで採れば良いんじゃないのかい」
「えっ、あったんですか!?」
リーダーのサリが素っ頓狂な声を出した。
(この顔は本当に全然気づいてなかったな)
どうやらレオを尾行するのに一生懸命で、目的の木の実を探すことを忘れていたらしい。
本末転倒も良いところだ。
「まぁ図鑑で見るのと実物見るのとじゃイメージも違うしね。ついでだからこの辺に生えてる依頼が出やすい薬草とか教えてといてあげるよ」
サリたちの表情がパッと輝く。
「ホントですか!?ありがとうございます!」
「「「ありがとうございます!」」」
全員が一斉に頭を下げた。
思っていたより、素直で、知識に貪欲で、柔軟性のある子達だ。
レオは自分の少年時代を思い出し、彼らの様子を感慨深く眺めた。
レオは今27歳だが、冒険者をはじめたのは13年前、14歳になったばかりの頃である。
クレムポルテ王国では14歳で準成人と看做され、その歳から仕事に就く者も多く、冒険者ギルドの登録も保護者の同意無しで行えるようになる。
もちろん安全な仕事ではないため、14歳になってすぐに登録する者はそう多くはないが、珍しい事でもない。留守番や畑の草取りなど、子供でもこなせるような仕事もたくさんあるからだ。
レオはその頃、まだ他に仕事はしていなかったため、ほとんど毎日家を抜け出しては冒険者ギルドに通っていた。
子供の頃から人懐っこかったレオは、いつもギルドで周りの冒険者達から雑談のついでに依頼達成のコツや失敗談などを聞いていた。
また、いつも単独で依頼を受けることの多かったレオを心配して、パーティに入れて冒険者に必要な物事を叩き込んでくれた「師匠」もいる。
そうした周りの大人の知識を吸収し、経験を重ねるうちに、レオはSランクになれるほど冒険者としての実力を蓄えていったのだ。
この子達も、ちゃんと「聞く耳」を持っている。大事な事だ。
あとはしっかりとした経験さえ積み重ねれば、強くなるに違いない。
「よし、じゃあ入口に向かって戻るぞ。ただこの辺りからは本来ちょっと強めの魔獣が出てくることが多いんだ。今日は不思議と見当たらないけど。もし魔獣っぽいのを見つけたらすぐに言ってくれ」
「はい!」
と、まさにその時、右手から大きな犬のような銀の毛を持つ生き物がサッと目の前を横切った。
しかし、その生き物はレオたちに視線をくれることもなく、落ち着いた足取りでのんびりとそのまま左手に走り去っていく。
「うわぁぁぁっ出たぁっストームウルフだ!」
「落ち着け、通り過ぎただけだ。似てるが違う種類の普通の犬だろう」
「そ、そうですか……すみません」
「魔獣ならこっちの魔力に反応して、遠くからでも襲ってくる。ああいった普通の動物はこっちから危害を加えない限り襲っては来ない。だから放っておいても大丈夫だ。ただ、もし襲いかかってくるようなら全力で戦え。ストームウルフだとしても基本に忠実にやれば簡単に倒せる。あっちの方が足速いから、どうせ逃げても逃げられないしね」
少年たちが騒ぎ出すが、レオは安心させるように説明する。
しかし、レオはそう言いながらも内心首を傾げていた。
(でも今の、見た目はストームウルフにかなり似てたよな?何で襲ってこなかったんだ?)
ストームウルフはEランク級の魔獣で、特に強いという訳ではない。
ただし、魔獣の中でも特に凶暴性が高い種族だ。通常どんな状況でも積極的に襲いかかってくる。
嵐を起こすことで相手を攪乱し、時には集団で群れを作り、村を襲撃することもある厄介な魔獣である。
出会ったら最後、必ず襲ってくるので、最初の一撃で退治する以外に戦闘を回避する方法はない、と言われている。
(たまたま似てただけか?)
もちろん攻撃してこないのであれば、ストームウルフであったとしても特に問題はない。
ただ誰かの召喚獣となった場合以外で、攻撃性のないストームウルフの個体など今まで見たことがなかったため、レオは考え込んだ。
しかし、更に不思議な現象は続く。
シチャの実を探し、木々の上の方を見ながら歩いていたサリが、レオのマントをチョイチョイと引っ張った。
「あのぅ、すみません。襲ってこないという事は、アレも魔獣ではないんですよね?」
「ん?」
少女が指さした方を見上げると、赤と黄色の特徴的な縞模様を持った蛇が、太めの枝の上から巻いたとぐろを垂らして寝ていた。
時々尾が動いている所を見ると、ただ寝ているだけのようだ。
「アレは……!」
(間違いない、アレはショットボアか)
あの特徴的な色は間違えようがない。
レオは驚いた。
Dランク級の魔獣であるショットボア。
これもストームウルフと負けず劣らず攻撃的な種族で、魔力のある者が近くを通れば即座に炎を吹き襲いかかる。はずなのだが。
ショットボアと思われるヘビはほぼ真下にレオ達がいるにも関わらず、呑気にとぐろを巻いて寝ていた。
(気づいてないのか?)
と、その時、見上げている冒険者5人の気配を察知したのであろう、ショットボアが目を開けた。
レオは身構える。いざ炎を放出された場合は、この対魔力効果を持つマントで後ろの4人を守らねばならない。
しかし、目を開けたショットボアは少しだけレオたちの方に首を伸ばし、舌をチョロチョロと出してこちらの様子を伺っていたが、そのうちまたとぐろを巻き直して寝てしまった。
どうやら気づいてはいるが、攻撃する気は全く無いらしい。
これもまた、まずないことだ。
もしかすると先ほどの生き物も、本当にストームウルフだったのかもしれない。
しかし、どちらも弱っているようには見えなかった。
(これも聖女の影響なのか?)
まだ見ぬ聖女。まるで普通の動物のように振る舞う魔獣。
レオは深まる謎に思考を奪われ、しばし立ち尽くした。




