16.それぞれの朝
(トモカ、朝だヨ!)
ウーが長い尻尾をピコピコと揺らし、前足でトモカの顔をつついた。
「ん?……んー、おはよ。ウーさん……早起きだね」
トモカは横になったまま、ぐーっと伸びをして目を開く。
窓を見るとまだ外はうっすらと明るくなった程度。
まだ日の出の直前、朝になったばかりのようだ。
「ふぁぁぁ……ふ」
トモカは生欠伸を噛み殺してむっくりと起き上がった。
昨日の魔法の特訓で、MPはともかくHPがだいぶ削られたらしく、まだ少し気だるさがある。
(トモカ!出かけるヨ!)
ウーが扉の前に立ち、トモカの方を見ながらピョンピョン飛び跳ねた。
何故かとても張り切っている。
「えっと……どっか出かけることにしてたっけ?」
(トモカ今日やることないッテ言ってたデショ?ボクのオススメの狩場があるから教えてあげルヨ!)
「……狩場って何が捕れるの?」
(赤いネズミ!)
ウーが好物だと言っていた赤いものシリーズのひとつか。
どうせやることは決めていなかったのだし、一緒に行くのは問題ないのだが。
トモカは思わず渋い顔になる。
長年患畜としてネズミやハムスターを診ていたことはあるが、残念ながら食べたことは、ない。
(やっぱり捕ったら食べないといけない、よね)
ネズミを食べるのは、元日本人としてはやや心理的に抵抗がある。
昨日の魚のように、焼けば何とかいけるだろうか。
調味料や香辛料がないのが地味に痛い。
しかし、妙にワクワクしているウーの目を見ると、無下に断る気にはならない。
「分かった、行くよ。ただ、先に洗濯とか着替えとかやっちゃいたいから、ちょっと外で遊んでてくれる?」
(イイヨ!終わったら呼ンデ!)
小屋の扉を開けてやると、ウーは駆け足で外に飛び出して行った。
1人で遊ぶのは楽しいらしい。
子猫のようにジャンプしながら枯葉にジャレついている。
(そういえばウーさんって何歳なんだろう。今度聞いてみようかな)
トモカは床に敷いていた枯葉をかき集めて外に出す。
まだ日は昇りきっていないが、空には雲ひとつない。
今日も良い天気だ。
ここはあまり雨が降らない地域なのだろうか、こちらの世界に来てからもう4日目だが、その間時々曇ることはあっても、雨を見ていない。
湖が目の前にあるので水には困らないのだが。
トモカはバケツを手に湖へ向かった。
湖で水を飲み、顔を洗い、バケツに水を汲んで小屋へ運ぶ。
中に入ると、小屋の扉を閉め、トモカは着ていた服を脱ぐ。
少しだけ考えてキョロキョロと周りを見渡し、下着も全て脱いだ。
そして、洗った布をバケツに浸して軽く絞っては、全身を丁寧に拭いていく。
(気持ちいー)
水は冷たいが、拭いた部分から順に生まれ変わるような気分になる。
お風呂に入れないためこうやって身体を拭くしかないのだが、ウーがいるためなかなか1人になれずにいた。
相手がただの動物なら裸を見られても気にはしないのだが、ウーとは普通に会話ができるため、何となく裸を見られるのは気恥ずかしい。
(ウーさんオスだし)
治療の時に全身を見ているが、睾丸らしきものがあったため、オスには違いないだろう。
全身を拭き終わったトモカは、戸棚の引き出しから新しい服の上下を出す。
全部で同じ物が3セットあるので、着回しはできそうだ。
元々着ていたワンピースは、その一つ下の段に仕舞ってある。
下着は替えがないので、今回は服を素肌に直接着る。
生地がゴワゴワしているため着心地は良くないが、こんな森の中で着替えができるだけでもありがたい。
服が落ちないよう、ズボンの腰や足の裾についた紐を、今までよりも少しだけきつく縛った。
着替え後、湖で服や下着や身体を拭いた布などを全て洗い、木に張ったロープに干す。下着だけは飛んでいっても嫌なので、室内の作業台に広げて陰干しにした。
家でやることは一通り終わった。
後は狩場に行く準備をしなくては。
獲物はネズミと言っていたが。
大きさが分からないのでナイフはあった方が良いだろう。
水もあった方が良いかもしれない。
戸棚にあるガラス瓶の空いている方に、湖から水を汲み、水筒代わりにする。
蓋は酒が入っている方の瓶からゴム栓を借りる。
引き出しに何に使うか分からないツルッとしたクルミくらいの石の球があったので、揮発防止にそれを酒の方の瓶の口に乗せておいた。
(獲物を入れるのはバケツでいいかな。それから布も1枚)
ベルト付きの鞘に入ったナイフを腰に装着し、布は日除けのバンダナ代わりに頭に巻き、空のバケツの中に水筒代わりの瓶を突っ込むと、トモカは外に出る。
てっきり小屋のすぐ外で遊んでいるものかと思ったが、ウーの姿が見えない。
どこに行ったのだろうか。
「おーい、ウーさぁん。準備できたよー。おーい。」
場所が分からず、漠然と森の方に向かって声をかける。
と、その時。
トモカの目の前、足元より少し高いくらいの位置に、丸い陽炎のような奇妙な揺らめきができた。
その揺らめきはバスケットボールくらいの大きさの球体で、背後の景色をマーブル模様に歪ませている。
(ん?何これ?)
トモカがそう思ったと同時に、その揺らめきから見慣れた毛玉がぴょんとジャンプして飛び出してきた!
(トモカ、タダイマ!)
ウーはブルブルっと身震いすると、キチンと座ってトモカを見上げる。
ウーの後ろで球体の揺らめきはだんだん薄くなり、数秒ほどで完全に消えた。
トモカは驚いて一瞬声を失ったが、ウーと目を合わせると慌てて訊ねた。
「え、何これ、ワープ!?ウーさんワープも使えるの?」
(ボクのチカラじゃないヨ!ちょっと遠くまで行って遊んでたんだケド、トモカに喚んでくれたカラ通路ができたんダヨ。ボクも初めて使ったヨ。便利だネ、コレ!)
「待って待って、それじゃ、今のが召喚の効果ってこと?」
(そうダヨ、離れてる時ハ、召喚主が名前を呼ぶトこの通路ができるんダッテ。トモダチが言ってた!)
「へぇぇぇ。すごい!」
ウーは初めての召喚で興奮しているのか、ソワソワしている。
(距離が近いと発動しないみたいだから、後でどれくらい離れたらさっきの通路ができるか確かめておいた方がイイネ!)
「そうだよね、いつ必要になるか分からないし」
未だにウー以外の動物には出会っていないが、森の中だからいずれ危険な肉食獣などに出会うこともあるかもしれない。そういうモノと戦う時にはウーの魔法も使えた方が良さそうだ。
(じゃあ赤いネズミの住処に行くヨ!)
「おっけー、準備はできてます、ウー先生」
トモカは左手でバケツを握りしめ、右手で大袈裟に敬礼をする。
覚悟はできた。
こうして1人と1匹は、朝日に浮かぶ湖畔から深い深い森の中へと入っていった。
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クレムポルテ王国辺境の地、ドムチャ村の夜が明けた。
まだ薄暗いが、農夫の多いドムチャ村では皆早起きなのか、既に外では人々の話す声が聞こえる。
レオは目を覚ますと直ぐに荷物をまとめ、あっという間に身支度を整えた。マントと革帽子も被り、革手袋と篭手は鞄に入れる。
同室の男はまだ寝ているようだったので、起こさないようにそっと歩き、大部屋を出た。
「一晩助かった、ありがとう」
宿のカウンターの奥の椅子に座っている老婆に声をかける。
老婆は座ったまま、何かの硬そうな実をすり鉢に入れて擦っていた。何の実なのだろう。
聞こえてはいるようで、チラリと一度だけレオを見たが、返事もせずまた元の作業に戻る。
「じゃあまた来るね!」
レオも特に気にせず、ヒラヒラと手を振って宿を後にした。
外は少し肌寒い。それにだいぶ空腹を感じる。
(どっかで温かい朝メシと……水を汲めないかな)
来る時に持ってきた水筒の水は、夜中に半分くらい飲んでしまった。
レオは村の中でも比較的商店が多い辺りに向かう。
店と店が離れているので商店街というほどではないが、こんな辺境の村だからこそ、一通りの店は揃っているのだ。
雑貨店と思われる小さな店の前で、忙しなく開店準備をしていた50代くらいの中年女性に声をかける。
「お姉さんおはよう。この辺に朝食出してる店はない?」
女性は急に声をかけられ、びっくりしたように振り返る。
「あらおはよう、お兄さん冒険者?カッコいいわねー!朝ごはんなら、隣の隣にあるお肉屋さんが最近食堂も始めたから、そこで食べられるわ。結構美味しくて冒険者の人にも人気なのよ」
「そりゃ楽しみだな!お姉さんありがとね!」
「いーえー、どういたしまして」
(隣の隣……ここか)
レオは道を進み、肉屋の看板を出している建物を見つけた。
確かに中から良い匂いがする。
レオは店の扉を開いた。
店内は入口から見るよりもかなり奥行があり、細長かった。
比較的新しい建物なのか、床も壁も綺麗で清潔感がある。
入口の左手に注文カウンターがあり、その隣が肉の貯蔵室になっているようだ。
大きな金属製の扉がついており、カウンターの内側に出られるようになっている。
「お?いらっしゃい、肉?メシ?」
貯蔵庫の扉が開き、店主と思われるイカつい熊の獣人が出てきた。
「朝メシある?」
「あるぜ。朝のメニューは1種類しかないけどな。それでもいいか?」
「もちろん。助かるよ」
「奥に席があるから座って待ってな」
店主は顎をしゃくり、店の奥にあるテーブル席にレオを促した。
貯蔵庫横の狭い通路を通り過ぎると、その奥は少し広い部屋になっており、そこが食堂のようだった。
1番奥には大きな掃き出し窓があり、その手前に3つの2人がけテーブルが置いてある。
窓が大きいため、かなり明るい。
レオは1番右の席を選び、マントと帽子を脱いで椅子の背もたれに引っかけた。剣と鞄は床に置いておく。
椅子に座ると、店の奥から何かを焼く音が聞こえてきた。
レオは、待つ間にこれからの予定を考える。
昨夜読んだ歴史書では、聖女はガイアの地からの転生人であることが多いと書かれていた。
その場合、懸念がひとつある。
今から聖女を探すのは西の森だ。
比較的強い魔獣が大量に出る場所である。
魔獣討伐に失敗した冒険者や、護衛をろくに雇えなかった無謀な商人などの死体転がっていることも少なくはない。
聖女が本当に西の森にいたとして、異世界人であるが故に魔法も使えない状態だったとしたら……。
まだ生きているのだろうか。
もう一度セントラル教会に行ってユーヒメ像を見れば聖女が生きているかどうかは分かるが、まさかあの重そうなユーヒメ像を抱えて捜索をするわけにいかない。
どうやって感知機構を埋め込んでいるのかは分からないが、あの像は天才彫刻家トーヤの手によって、大きなひとつの石から切り出されたものだという記述もあった。
つまり右手の玉の部分だけ外して持って来ることもできない。
ということは、万が一聖女が死んでしまっていた場合、死体を見つけたとしてもそれが聖女であるかどうかなどレオには判断のしようが無いのだ。
(死んだら聖魔法も使えないだろうしな)
それならば高いお金を払ってケミックに作って貰ったこの指輪も、あまり意味がない。
(仕方がない、それっぽい死体を見つけたらその都度髪か何かを切り取って、持って帰ろう。上手くすれば鑑定術が使えるだろ)
鑑定術とは自分以外の物などのステータスを読み取れる能力だが、生物や生物の一部に対する鑑定術は、使える人間が限られる。
鑑定術というのは、魔法ではなく、スキルなのだ。
魔法は先天的な能力で、生まれながらに使える属性が決まっており、その属性の魔法しか使えない代わりに、幼い頃からでもある程度使えるものだ。
一方、スキルは経験によって後天的に修得していくものであり、最初から使える者はほとんどいないが、一定の修行を積めば誰でも使えるようにはなる。
しかし、その習熟レベルによってスキルの能力は大きく異なり、例えば鑑定術であれば鑑定できる範囲が変わる。
レベルが低い場合は「剣専門」「靴専門」「宝石専門」など決まった物しか鑑定できないが、高レベルになればなるほど様々な物を鑑定することができるようになるのだ。
鑑定スキルは他のスキルに比べても非常にレベルが上がりにくいため、通常は武器商人などが仕事のついでに専門分野だけを修得する場合が多く、万物を鑑定できるほどレベルを上げる人は多くない。
王都ローレリアにいる有能な鑑定術士というと、3月通りにある昔ながらのよろず鑑定屋の老人1人と、王城にも専属の鑑定術士が1人いたはずだ。
(もしそれっぽい死体があったら、3月通りの爺さんの所に行ってみるか)
ちょうどその時、店主が食事の載ったトレーを運んできた。
レオの前にトレーごとドンと置いて豪快に笑う。
「ハッハッ、兄ちゃん、朝から難しい顔してんな!カノジョにでも振られたかー?うちの旨いメシ食ったら悩みなんか吹っ飛ぶぞ!」
「えー、オレそんな顔してた?参ったね。悩みがないのが自慢だったんだけどね!おぉ、しかしこりゃ旨そうだ、早速いただくよ!」
「おうよ、食え食え。朝食のお代わりは無料だから、要るときゃ声をかけてくれ。じゃあな」
「ありがとう」
カウンターの方へ去っていく店主に礼を言うと、レオはトレーの上の朝食を眺める。
湯気が立っていて本当に美味しそうだ。空腹が更に刺激される。
(とりあえず腹を満たして、考えるのはそれからだな)
いそいそとフォークを手に取り、目の前の美味しいご飯に集中することにした。




