15.聖女の波動
ンゴゴッッ。
同室の客の鼾が少し大きくなり、その後に止まった。
すぐにゴソゴソと寝返りを打つような気配があって、静かになり、やがて微かな寝息に変わる。
自分の鼾の音で起きたのか。
仕切りがあるので姿は見えないが、太った男なのかもしれない。
レオは一旦目を閉じて瞼を軽く揉んだあと、本を片手に持ったまま軽く伸びをした。
薄暗い燭台の灯りの下で、難解な言葉を頭の中で平易な言葉に置き換えつつ、また回りくどい言い回しは適度に要約しつつ読んでいるせいか、時間がかかるし目が疲れる。
(なんで歳食ったおエラいさんっつーのはこういう分かりにくい文章を書きたがるんだろうな)
歴史書には著者名の記載がないため、この著者が「歳食ったおエラいさん」かどうかは全く分からないのだが、レオはそう決めつけてぼやく。
(さて続きを読みますかね)
燭台の油はまだある。
レオは閉じた歴史書を開き直した。
脳内での翻訳・要約作業の再開だ。
第2章。
章ごとの題名はないが、最初の数行を読む限りでは、この書の書かれた経緯と、聖女とは何か、という基本的なところが書かれているようだ。
"クレムポルタ王国だけでなく、このテナン大陸の歴史には聖女なる存在が度々登場し、各国に大きく影響を与えている。
しかし、かつては聖女の力を巡って大陸中の各国が争い、これが戦争の原因となることもあった。
聖女に関する詳しい情報については、かつては古からの記録などが多数残っていたという。
しかしテナン暦1600年代半ばに南方の竜人国エルフライアとの間で聖女の所有権を巡る戦争が起こり、聖女の記録が他国の手に渡ることを恐れた当時の王の命令によって、全て焼き捨てられた。
そのため聖女については、現在でもハッキリしたことは世にはあまり知られておらず、情報は記録の内容の一部を覚えていた神官から代々連綿と伝えられた口承のみである。"
なるほど。だから本も少ないのか。
"しかし口承では人から人へ伝えられる毎に整合性を欠き、誤った情報を伝えられる可能性も高い。
したがって、国王ディエロ陛下の御下命により、亡くなられた聖女アメリア様の記録と共に聖女にまつわる伝承の数々をこの書に残すこととなった。"
聖女アメリアが命を落とした後に、当時のディエロ王の命令で書かれた本だったようだ。
王は聖女アメリアを深く愛していたのだろう。自分のために、また残された子どもたちのために、アメリアの生きた証を永く残したいと希ったのかもしれない。
"聖女とは、このテナン大陸に稀に誕生する、特殊な波動を持つ女性である。
同時に2人以上は存在し得ないと言わている。
生まれながらにして多くの神々や精霊に愛される存在であり、その波動は精霊を従え、魔獣の力を抑制し、災害を防ぎ、天候を安定させ、植物の結実する力を促進する。また、聖女はそのほとんどが聖魔法の属性を持つ。
波動は天を介し大陸中に拡散されるが、聖女の力は神の力より下位となるため、国の防御結界でその多くが遮断されてしまう。
よって、聖女の属する国または地域にのみ、最も強い恩恵が与えられることとなる。"
「国の防御結界」とは多くの者が知っている言葉だ。当然レオも知っている。
大陸には大小いくつかの国があるが、建国時や領土を拡げる際には、王となる人物がその土地を支配し守る事を神々へ誓い、それが聞き入れられると神の力によって国の領土を覆う防御結界が作られる。
これは天から降りた、目に見えない薄いカーテンのようなものであり、「防御結界」と呼ばれてはいるものの、実は防御力自体はあまり高くない。
ヒネズミなど、ごく低級の弱い魔獣の侵入なら防げる、という程度のものだ。
しかしこの防御結界は通る者の意思を読み取り、通りたいと願わなければ通ることができず、速やかに元の場所に戻される。
散歩をしていたらいつの間にか国の外に出ていた、あるいは知らないうちに他国に侵入していた、ということは絶対に起こらないようになっているのだ。
これにより偶然の侵入事故による不要な争いを回避し、国民は護られる。
レオのような冒険者が依頼のために国の国境付近で仕事をする時には、特にその国境線を強く意識する。国境の向こうに行きたいと願いながらでないと通れないからだ。
しかし、聖女の波動はその防御結界でほとんど遮断されてしまうため、聖女の力は一国の中でしか発揮されない。
(だから聖女を巡って戦争が起こるんだな)
聖女が自分の国にいてくれさえすれば、国が安定し、豊かになる。
それならばと、どの国もこぞって自国に聖女を招こうとするだろう。
万が一他国に行ってしまった場合、もしくは他国で誕生した場合には……無理にでも奪おうとする国もあるかもしれない。
"聖女の波動は、今から100年以上前に王都で活躍した技師エジルにより解析され、それを感知する機構が作られた。
しかしその技術は秘匿され、技師エジルが死去した後は現在まで再現することはできていない。
エジルが作成した機構は、その友人であった天才彫刻家トーヤの手により聖女ユーヒメの神像に埋め込まれ、現在も当教会に保管されている。"
(セントラル教会の裏庭にあったアレだな)
ピーターに見せられた裏庭のたおやかな神像を思い出す。
"ユーヒメ像の右手に掲げられる玉は、聖女の波動を感知すると光を発する。また波動の強さによってその光の色も変化する。
聖女が国内にいれば波動を強く感知するため緑色に輝き、国外のどの国にも属さない場所にいればごく弱い波動を感知するため紅色に輝く。
他国にいる場合は聖女の波動が2重に防御結界を通過することになるため、感知する波動はほとんどなく、輝くことはない。"
レオが見た時は紅く光っていた。
つまり、聖女はクレムポルタ王国の国外にいて、なおかつ他国の領土には入っていないということだ。
"この探知機構が作られる以前は、聖魔法を使える者を全て一人一人鑑定術にかけ、聖女であるかどうかを確認していたようだ。しかし、聖魔法が使えたとしても実際に聖女であることはほとんどなく、発見は運によるところが大きかった。"
(そうか。聖魔法使えても聖女とは限らないか。聖魔法が使えるから聖女だってんなら、ピーターさんも聖女だもんな。男だけど)
どうやら聖魔法と聖女の波動は違うもののようだ。
しかし聖女のほとんどが聖魔法が使えると言うのなら、判定基準のひとつにはなるだろう。
聖魔法を使える者はそこまで稀でもないが、他の属性に比べると遥かに少ない。
レオは右手の中指に嵌めた聖魔力感知の青い指輪を燭台の灯りで透かして眺めた。
(早いうちに見つかると良いんだが)
"クレムポルタ王国で保護された聖女はこれまでの歴史でも複数記録されていたが、ガイアの地から転生した者が非常に多い。
彼の地からの転生自体が稀なことではあるが、それでも転生者に聖女が出やすいということは、ガイアの地が持つ力と聖女の力に何らかの繋がりがあると考えられる。"
(転生者か。さっき読んだ聖女アメリアも転生者だったな)
転生者というのも聖女の手がかりにはなるかもしれないが……。
"聖女は一度覚醒すると莫大な魔力を有するようになる。
すると一人では身体がその魔力に耐えきれず、聖女の守護についている精霊を従えることが出来なくなり、荒ぶる精霊が周囲に災いを齎す。"
「一度覚醒すると」ということは、聖女アメリアは戦地で眠りに落ちるまでは、聖女として完全には覚醒していなかったということだろう。
(覚醒していなくても聖女は聖女だし、聖女の波動も持つが、魔力は普通。ただ、いざ覚醒すると更に莫大な魔力を持つようになるってことか)
"それを安定させるためには血の鎖が必要となる。
もし聖女がガイアの地からの転生者であればこの国の長に連なる血を、もし聖女がこの国の者であればガイアの地からの転生者の血を、聖女の血の鎖として用いる。
こちらとあちらの世界を血で繋ぐことで、聖女の魔力は安定し、永く恵みが与えられる。"
(なるほど、それで王様が自ら血の鎖になった訳ね)
"もし聖女がこの国の者であれば、転生者の血が必要となる。
転生者はそのほとんどが前世の記憶を持ったまま生まれ、転生者としての自覚を持つ。またほぼ例外なく特殊技能を持つため、判断は比較的容易い。"
(確かに特殊技能持ってるな)
レオは、1人だけガイアの地からの転生者を知っている。
それが、ガイア教の司祭ピーターだ。
ピーターはガイアの地の「アイルランド」という場所で70年前に亡くなり、その後こちら側に転生し、神官見習いとして教会に入ったと聞いている。
ピーターによると、王都ローレリアの中に他にも何人か転生者がいるそうだが、レオは会ったことがない。
ピーターは、神々の声を直接聞ける"神託"の技能を持っている。
他の神官も時々神託を受けることがあるが、あくまでも神から漠然としたイメージを夢で伝えられるのみであるため、人々に伝える際は解釈の難しい曖昧な文言でお茶を濁すしかない。
しかし、ピーターの受ける神託は違う。
あらゆる神々と直接会話をできるため、これから起こることや、神々がやって欲しいことなどを、非常に分かりやすく伝えられる。
そして必ず正確にその通りのことが起こるのだ。
最初は胡散臭いと怪しまれたそうだが、若き神官見習いピーターの伝える神々の言葉通りのことが起こるので、「灰色の預言者」と呼ばれて重宝されたようだ。
次第にガイア教の中では半ば神と同じように敬われるようになり、その能力は畏れられ、あれよという間に出世し、最終的に司祭の座を用意されたそうだ。
身分が高い方が神々の声を人々に受け入れてもらいやすいため、特に抵抗せず今の地位に就いたらしい。
礼拝中や説教中などは堅苦しい言葉で威厳があるように見せているが、実は冗談の好きな茶目っ気たっぷりの好々爺である。
"聖女が転生者の場合は、誕生直後はまだ覚醒しておらず、魔法も一切使えないことが多い。
ガイアの地には魔法がないため、通常その概念を理解するまでに時を要する。そのため、保護した後はまずしっかりとした魔法教育が必要である。"
(アメリアさんも教育受けてたみたいだもんなぁ)
聖女についての記述はまだまだ続いていたが、事実と口承で伝えられた内容はこの辺りまでで、残りは著者の完全な推測に則ったもののようだった。
主観が多すぎてあまり参考にはならない。
レオは薄暗い中で読むのに疲れ、本を閉じた。
聖女についてはだいたい分かった。
(続きはまた次の夜にでも読めばいいか)
ベッドからそっと立ち上がって裸足で床を歩く。
大部屋の窓の前に立ち、窓越しにドムチャ村の空を眺めた。
深い藍色の空はまだ暗いが、東の方が僅かに白んで来たようだ。
振り返ると大部屋のベッド8床のうち、同じ列の1番手前のベッドに誰かが寝ているようで、大きな足の先が見えている。
(ちょっと疲れてきたな。明るくなるまで仮眠でも取ろう)
レオは再びベッドまで戻ると、燭台の灯りを消し、横になって目を閉じた。
起きたら村を出て、いよいよ聖女探しだ。
スゥっと意識が遠くなる。
もう不気味な聖女の悪夢は見なかった。




