14.聖女アメリアと血の鎖
外の酒盛りの声が次第に疎らになっていく。
深夜に差し掛かってきたようだ。
レオは枕元の燭台のぼんやりとした灯りの下で、歴史書を手に取った。
その歴史書は正しくは「聖女アメリアの生涯と聖女の歴史」。
著者名は書かれていないが、背表紙の下の方にガイア教の青い紋があることから、おそらくガイア教の関係者と思われる。
紙は若干古めかしいが破れなどはなく、100年前の本にしては装丁も紙もやや新しいように見える。
教会で大切に保管されていたからなのか、それとも複製なのだろうか。
(まぁ普通は複製じゃなかったら持ち出しなんかさせないよな)
レオなら必ず返すと信用されているだけなのかもしれないが。
ピーターが簡単に持ち出して良いと許可を出したのだから、良いものは良いのだろう。
多少嫌な予感もしたが、気にせず表紙を開く。
(にしても、アメリアか……どっかで聞いたことあんなー)
どこだったか。
レオは以前、ガイア教の神官から聖女に関して多少教わったこともあったような気もするが、レオにとっては実在するかしないかも分からないような女のことなど全く興味がないため、すっかり頭の外に出ていた。
女なら現実の女がいい、がレオの持論だ。
70をとうに超えている司祭ピーターが今まで実際に見たことがなかったというのだから、おそらくこの100年前の聖女アメリアが前回現れた聖女なのだろう。
書は4つの章から成っていた。
目次などもないため、レオはそれぞれの章の最初の数行にざっと目を通し、構成を把握する。
第1章は、およそ100年と少し前、テナン暦1900年前後に存在した聖女アメリアに関する歴史。
第2章は、そもそも聖女とは何か、という聖女についての解説と推察。
第3章は、それまで口述で伝わっていた歴代の聖女についての簡単な記録。
第4章は、聖女にまつわる光と闇についてと、その対策。
「最初から読むか」
教会で読んだ時は何か手がかりはないかとざっくり流し読みしただけなので、ちゃんとした内容は読めていない。
それに宗教家などに向けた文章なのか、少し古めかしい難解な言葉遣いで書かれているため、そもそもが非常に読みにくいのだ。
レオは頭の中で日常の言葉への翻訳と要約を繰り返しつつ、ゆっくり読み進めていく。
まずは第1章。
"テナン暦1895年。
クレムポルタ国の王都ローレリアの王城広場に、突如発生した白い光と共に、茶の巻き毛を持つ犬型の獣人の少女が現れた。
見た目は12、3歳ほどのその美しい少女は、周囲の問いにアメリアと名乗る。
昼間であったため、その瞬間を多くの街の住民が見ており、すぐさま教会に保護された。
教会ではユーヒメ像の反応が同時に起きたため、確信を持ってアメリアを聖女として迎え入れる。"
(まぁ教会の目の前に出てきてくれたら1番ラクだよな)
前回の聖女は、どうやら探すという手間はなかったらしい。
これでは参考にもならない。
"アメリア自身の口から、彼女がガイアの地「イタリー」からの転生者であること、元々は42歳の職業軍人の女性であったことが判明した。
専門家による鑑定術を行ったところ、アメリアの肉体年齢は13歳、利用できる魔法属性は聖属性のみであり、魔力量も通常よりやや多い程度であった。
報告を受けた偉大なる国王ディエロ=クレムポルタは、アメリアを王城に呼び、王城内に部屋を与え、更に当王国に関する教育や魔法等の修練を行わせる。
聖女アメリアは聖魔法以外の魔法は使えなかったが、類まれなる肉体能力と戦略に関する膨大な知識を兼ね備え、純粋な戦闘力は我が王国軍の最も優秀な兵士と比較しても全く引けを取らない程だった。"
(あ、あれ?なんか……思ってた感じの聖女と違う気が)
レオは一応表紙を確認した。
聖女アメリアの生涯と聖女の歴史。
間違いない。
聖女アメリア、大変勇ましそうな女性である。
"テナン暦1900年。
成長した聖女アメリアはその卓越した武力を国王ディエロに認められ、18歳という異例の若さで王国軍第2部隊の部隊長に任命される。"
「マジかよ、すげぇな聖女」
思わず口に出してしまう。
(あ、やべ。静かにしないと)
寝ている人がいるのだ。うるさいと追い出されても困る。
"テナン暦1902年秋。
東のテューン砂漠および西の森にて、魔獣の異常発生が生じる。
国内の周辺都市は次々と強力な魔獣の襲撃を受けた。
第1部隊が王都の守備に当たり、聖女アメリア率いる第2部隊は、周辺都市への魔獣討伐に向かった。"
(おいおい、聖女のいる方を前線に送っちゃうのかよ。まぁそれだけ強かったんだろうが)
レオは少し呆れるが、国内最強の聖女が軍を率いるというのは、士気を高めるのにはなかなか良い物なのかもしれない。
"聖女アメリアはその戦闘能力を以て、鬼神のごとく次々と魔獣を屠る。
しかし国内に入り込んだ魔獣の数はあまりにも多く、第2部隊の兵士は負傷者を多数抱え、やや後方の地域までの撤退を余儀なくされた。
アメリアはそこで聖魔法を駆使し、重症だった兵士たち5名を癒すが、やがて魔力が尽き、完全なる深い眠りに陥る。"
(5名分か。聖女の力だと、こう……もっとドーンと1部隊分くらい治せるかと思ったが。そういやアメリアは魔力が普通よりちょっと多いくらいってさっき書いてあったな)
"兵士たちのうちアメリアに助けられた者数名が、眠ってしまったアメリアを交代で王都まで運ぶことに決め、残りの兵士たちがそれ以上の魔獣の侵入を食い止める戦いのために残った。
アメリアの身体は兵士たちの手によってセントラル教会へ運び込まれた。
教会から報告を受けた国王ディエロの立会の元、聖女へ目覚めの儀式を行う。"
(お、ここはこないだ読んだな)
この辺りは教会で斜め読みした部分だ。
"すると聖女は、身体から強い緑の聖なる光を放射した。
聖女の光は建物の壁を越え、国中を覆い、国の中に侵入した全ての邪悪なる魔獣の魔力を失わせ、眠らせた。
魔力を失った魔獣は、前線に残っていた兵士により全て討伐され、こうして魔獣の大襲撃は終結を迎えた。 "
問題は次だ。
"そして聖女アメリアは莫大な魔力を獲得し、覚醒が完了した。
過剰な魔力は聖女の身体を蝕み、精霊が聖女の意志を離れ荒ぶる神となってしまう。
神官は精霊の怒りをおさめるため、鎮魂の儀式を行おうとする。しかし、ガイアの地より来た聖女の大量の魔力を支えるためには、この国とガイアの地を結びつける強い血の鎖が必要であった。"
(ここだ、『血の鎖』。...…最初に読んだ時は聖女の魔力を維持するのに生贄の血が必要なのかと思ってたけど、流れで読むとなんかニュアンスが違うな。魔力を維持するというよりは暴走する魔力を安定させる感じか?)
レオは首を傾げる。
突然精霊の話が出てきたのもよく分からない部分である。
何かの例えなのだろうか。
この辺りは国家的にデリケートな話なのか、急に抽象的な表現が多い。
"国王ディエロは自ら血の鎖となり、拘繋の儀を行う。
無事聖女アメリアはこの地に繋がれ、その魔力は安定した。"
血の鎖に関しては、この章ではもうこの部分くらいしか書かれていない。
(えっこれだけ?アメリアが倒れるまでは割と細かく書いてあったのに、それ以降内容が少なくないか。それに何でいきなり国王が進んで生贄みたいなことやってんの。そもそも儀式ってどんなんだよ)
抽象的すぎて何の話だか分からない。
目覚めの祈り、鎮魂の儀式、拘繋の儀と教会でいくつかの儀式が行われた、または試みられた様子なのに、その方法や詳細についてはどれもほとんど触れられていない。
教会として歴史書を発行するのであれば、この儀式こそ後世に残さねばならない知識なのではないだろうか。
何故、ここから不自然に記述が減ったのか。
考えられることとしては、1.機密で情報を残せない、2.書き手が詳細を知らない、3.書いていて面倒くさくなったので省いた、あたりか。
というか、国王がなっても大丈夫なものなのだろうか、血の鎖。
"テナン暦1905年、ローグ=クレムポルタ王子誕生。
テナン暦1906年、アイシャ=クレムポルタ姫誕生。期待されたがしかし、聖女としての能力は発動しなかった。
テナン暦1920年、聖女アメリアは王宮の庭で剣の訓練を行っていたが、突如謎の熱病に倒れ、神官によって聖魔法を行ったが効くことはなく、一生涯を終えた。享年38歳。"
(突然王子とか姫とか出てきたぞ。しかももう聖女死んじゃったのかよ。しかも剣の稽古中に)
章の最後の方は相当駆け足だ。
おそらくこの感じからするに、先ほどの答えは3.面倒くさくなって省略、なのかもしれない。
(なんで王子や姫の記述がある?姫の方は聖女の能力が発動することを期待されていたようだし……二人とも聖女の子なのか?)
しかし、聖女は王城に部屋が与えられたとは言っても、王家の血を引いている訳では無い。
子供を産んだからって王子や姫と呼ばれるだろうか。
(あれ……?「王家の血」?)
レオはふと浮かんだ言葉に引っかかる。
王家の血。血の鎖で繋ぐ。
もしかして。
(ずっと生贄のことだと思ってたけど、もしかして、"この国とガイアの地を結びつける強い血の鎖"ってのは、この国の王家の血統と、ガイアの地からやってきた聖女の血統を結びつけるってことなんじゃないか。そう考えると……なるほど、いきなり記述が簡素になったのはそのせいかもしれないな)
血の鎖とは生贄ではないのかもしれない。
もしこの仮定が合っているのなら、当然この著者としては詳細を書く訳にはいかないだろう。
何故なら、国王と聖女アメリアとの間で男女の契りがあったという事だ。
そして、ふたつの世界の血を併せ持つ王子と姫が生まれた、と。
(国王の寝室での"儀式の詳細"なんて後世に残されちゃたまんねーもんな)
ある意味、国家機密とも言える。
その前後の記述も適当なのは、その不自然さを誤魔化すためか、本題を書き終わり、残りを書くのが本当に面倒くさくなったかのどちらかなのだろう。
(そうか、思い出した、アメリア。ディエロ王の最後の側室だ)
子供の頃に習った、王家の家系図にそんな名前を見たことがある。
第1章はここで終わっている。
レオは一旦歴史書をベッドの上に置いて大部屋の窓の外を覗いた。
暗い。曇っているのか星も見えない。
まだ夜が明ける感じはないようだ。
どうするか、としばし悩み、レオは置いた書を再度手に取る。
眠くはないし、もう1章くらいは読めるだろう。
ホゥ。
レオと同じく夜更かしなフクロウが、窓の外で一声鳴いた。




