10.セントラル教会
セントラル教会の朝は早い。
日が昇る少し前から、大勢の神官たちは静かに、しかし素早く動き始める。
まだ薄暗い中で、燭台に火を入れ、全ての窓を拭き、床を掃き、礼拝堂の机や長椅子を清め、ヒカリフクロウの羽で作った聖なるハタキで教会中の沢山の神像の埃を落とす。
そして朝日が昇ると同時に大きく扉を開き、朝早くから礼拝にやって来る信者たちを迎え入れるのだ。
「ベルゴさん、おはようございます」
「おはようさん。ワシの息子が昨日から東の草原に狩りに行っててね。無事に帰って来れるように祈りたいんだが」
「なるほどそれはご心配ですね。まずは狩りの神ピルネ様の房へご案内いたします。次に旅の神ドーグ様へ。お帰りの前にクレウス様とミザリア様にもお祈りして御加護をいただくと良いでしょう」
「わかった。ありがとうよ」
信者たちはひっきりなしに訪れ、思い思いに祈りを捧げ、時には加護が込められたお守りを購入し、それぞれ満足そうな面持ちで帰路に着く。
クレムポルタ王国王都ローレリアのセントラル教会には主な神像が3つある。
ひとつは、主礼拝堂の祭壇最奥に厳かに祀られる巨大な大地の神の像。ガイア教の祖であり、最も古く、平和と豊穣を齎すクレウス神。
もうひとつは、教会入口を守護するように正面ホール中央に設置された女神像、クレムポルタの初代女王であり、神へと昇華したミザリア神。武術と魔術を司る神。
もうひとつは、教会の裏庭の泉のそばにひっそりと祀られているたおやかな女神像。歴史上最初の聖女と言われ、万人に美と癒しを与える女神ユーヒメ神の像である。
ただし、今は裏庭自体が閉鎖されているため、教会内部の者でなければ目にすることはできない。
主な神像はこの3つだが、ガイア教は多神教であり、これら以外にも多数の神が信仰されている。
実際にセントラル教会内の主礼拝堂の地下には洞穴のような小さな礼拝室がいくつも造られ、それぞれに沢山の小さな神像が祀られている。
信者は希望があれば全ての房を順番に巡り祈ることもできるし、祈りの内容を神官に相談すると、それに適した神の房へ案内されることもある。
地方の小さな教会の場合は、クレウス神か土着の神のみを祀ってあることが多く、他の神にも祈りを捧げたい時はこの王都のセントラル教会に来るしかない。
そのため、朝早くから礼拝に訪れる信者が絶えないのであった。
教会の最高責任者である司祭ピーターは、そんな中、ひとり裏庭に佇むユーヒメ神の像に祈りを捧げていた。
「新しき聖女様は何処におわすか……。」
全身を蕩けるような乳白色の石で彫られたユーヒメ神の像は、威厳のあるクレウス神やミザリア神の像とは異なり、柔らかく優しい空気に溢れていた。
泉に向かって立ち、右手で艶やかな球状の玉を頭上に掲げ、左手で柄付きの水差しから泉に水を注ぎ込むような造りになっている。
水差しの中には埋め込まれた魔石によって水魔法がかけられており、そこから絶えず泉に向かって澄んだ水が流れる。
それはいつもと同じ光景。
ひとつを除いては。
ユーヒメ神の像にはある重大な仕掛けが施されていた。
それは、聖女の生誕に関わるものだ。
この像は250年ほど前の天才彫刻家が造った像だが、聖女に関して特殊な加工がしてある。
すなわち、聖女が国内に存在する場合は右手に持つ玉が緑色に輝き、国外であれば紅色に、聖女が死亡したり存在が消滅した場合は光は消え、元の乳白色の玉に戻るというのだ。
その技術は秘匿されたまま絶えたようで、どんな腕の良い職人もこれを再現することはできないでいた。
なぜなら聖女が実在しないため、聖女がどのような波長を出すのか誰も分からないからだ。
実際にもうじき76歳になるピーターは、教会に勤め始めて50年以上になるが、これまで1度も光ったところを見たことがなかった。
それが今。
ユーヒメ像の右手に掲げられた石は紅く強い光を発している。
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その石が紅く輝き出したのは一昨日の早朝のこと。
いつも通り像の周りを掃除しようとしていた神官が発見し、大慌てで司祭ピーターに報告を行ったのだ。
ピーターは急ぎ裏庭を閉鎖して上級神官以外の立ち入りを禁じ、異変についての箝口令を敷いた。
文献でしか見たことはなかったが、ユーヒメ像から発せられる紅い光。
どうやら国の外で聖女が誕生したらしい。
速やかに王城へ国王陛下への謁見依頼を出す。
ガルド王は忙しいが、おそらく午後には謁見許可が出るだろう。
そして、昼頃になり、祈りを捧げていたピーターに、突然啓示が降りた。
啓示を与えたのはクレムポルタ王国の初代女王であり、現在はガイア教の神の1柱として、また国を興した祖として、クレムポルタでは最も敬愛されるミザリア神。
ミザリア神は、神として崇められており、もちろん神としての力を有しクレムポルタ王国を守護しているが、実は魂の本体は異世界にて今も転生を繰り返し、生きている。
ピーターはそれを知っていた。
もちろん、徳が高い司祭であり、こうしてたびたび神からの啓示を受ける立場であるのもその理由のひとつだが……。
(……ピーター、ピーター、聞こえるかしら)
(おぉ、これは、ミザリア様。聞こえております)
ミザリアの威厳のある声が、礼拝を行うピーターの脳内に話しかける。
(今朝、聖女が生まれたでしょう?)
(……ご存知でしたか)
(病院から魂を門に送ったのは私なのだけど、あの子を聖女にするつもりはなかったの。ただ、私の命を救ったせいかしら、珍しく門を護る神々から強い祝福を与えられたみたいだわ)
どうやらこの件にはミザリアが絡んでいるようだ。
(そうでしたか。国の外に誕生したようですが……聖女様の行方はご存知ですか?)
(いいえ。転生したのは確かだけれど、私に分かるのはそれだけよ)
ピーターは落胆した。手がかりとはならない。
(あの子は優しい子だったの。心から私と私の家族の幸せを願ってくれていた。そして消えゆく魂を私に少し分けてくれたの。だからピーター、助けてあげてね)
(しかし行方が分からぬことには)
(ごめんなさい、今はあまりお話できる魔力が残っていないみたい。こちらからそちらへ転生した者も、もうだいぶ数が減っているでしょう。ピーターが一番その大変さを分かっていると思うわ。うまく導いてあげて。……よろしくね)
(……私の力の及ぶ限り)
そしてミザリアの声は虚空に消えていった。
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ユーヒメ像に祈りを捧げていたピーターは、一昨日のミザリアとのやり取りを思い返す。
何か手がかりとなる言葉はないのだろうか。
(病院から?ミザリア様の命を救った?医療関係者だろうか。ナース?しかし、消えゆく魂を分け与えた……ということはただの患者か?)
ダメだ、分からない。
その時、上級神官の1人がそっと近づき、ピーターに耳打ちした。
「司祭様、一昨日の依頼の件で冒険者が1名、資料室の閲覧に来ております」
「そうか。最初にしっかり資料を探しに来るとは、Aランクはさすがに有能だの。名前は聞いておるか」
神官は何故か言い淀む。
「それが……Sランクの……そのぅ、レオ……様と」
「ほぅ」
ピーターは目を見開いた。そしてニヤリと微笑む。
「なんと。"疾風の大牙"か。久々に出てきたのぉ。それで見つかるならば、こちらにとっても手間が省ける。私も少し会いに行こう」
「はい」
ピーターはユーヒメ像に一礼し、資料室に向かう。
誰もいなくなった裏庭では、ユーヒメ像の紅い光が、泉に反射して静かに揺らめいていた。
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ガランとした広い書庫。
セントラル教会の敷地内に、別棟としてひっそりと建てられた資料室である。
飾り気は全くなく、室内を天井まで埋め尽くす大量の書棚と隅にこぢんまりと置かれた4人分の閲覧用の机。
まさに資料を読むためだけの部屋だ。
ほとんどはガイア教の神々にまつわる神話や各地の逸話を集めた書物であるが、中には大変古く価値の高い国宝級の貴重な資料もあるため、特別な閲覧許可がなければ一般人は入れないようになっている。
「ええと、聖女聖女……」
レオはフンフーン♪と鼻歌を歌いそうになるのを必死に我慢して、資料の背表紙を探っていた。
鼻歌はケミックくんに怒られたばかりだ。自重しなければ。
受け付けてくれた中年の神官に、聖女の資料はこの辺りです、と丁寧に案内されたのはいいが、今のところその辺りで見つけたのはたったの2冊。
ひとつはおよそ100年前に書かれた聖女に関する歴史書。
ひとつはその頃の物と思われる聖女の世話係の手書きの日記だ。
レオは机には行かず、その場にしゃがみ胡座をかいて資料を読み始めた。
「聖魔法、は依頼書にあった通りだな」
更に読み進める。
(神聖なるガイアの地?100年前の聖女はガイアの地からやって来たのか)
ガイアの地とは、ガイア教が理想郷として崇める異世界のことである。
その世界では人々が叡智の限りを尽くして文明を興し、魔力の全く無い者でも文明・知識・技術を活かして皆が便利に豊かに暮らすことのできる世界と言われている。
生活を豊かにするためには魔法が必須であり、いざ魔力が枯渇すれば起き上がることすらできないこちらの住人にとっては、魔法がなくとも豊かに暮らせる世界など夢のような話だ。
したがってガイア教は、魔力が枯渇した状態でも魔法と同等の機能が使える魔石の開発に熱心で、その技術者に対しては手厚い援助をしている。
その後の記述は聖女が行った儀式についてだ。
儀式の方法は書かれていないが、悪意を持つ魔獣が大量に発生した際に、聖なる緑の光が国全体を包み、侵入していた魔獣が全て力を失ったとある。
"────しかし聖女の大量の魔力を支えるためには、この国とガイアの地を結びつける強い血の鎖が必要"?
(なんだ強い血の鎖って。物騒だな)
レオは陰鬱な光景を思い浮かべて、顔を顰める。
生贄、だろうか。
聖女とは言っても、実は若い娘の生き血を啜って若さを保つ魔女みたいなやつなんじゃ……。
血を口から滴らせた不気味な女を想像し、ちょっと聖女を探すのが怖くなってきた頃、資料室に入ってくる静かな足音が聞こえた。
レオの胸ポケットに突っ込んだ紙袋が震える。ちゃんと作動するらしい。
足音は迷わずレオが座り込んでいる書棚まで来ると、落ち着いた声で挨拶をした。
「おはようございます、"疾風の大牙"どの」
「……やぁピーターさん。お久しぶり。おはようね」
ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべたピーターがそこに立っていた。
レオは下衣についた埃を払って立ち上がると、ちょっと嫌そうに礼をする。
「ピーターさんにその名前で呼ばれると変な感じ」
「おや、本名の方がよろしいですかな?」
「いや、今日は冒険者の仕事だからそれでいいよ。ピーターさんの依頼だったからさ、どうせ近いうちに会うと思ってたし」
昔馴染みのように、気安い感じで話をする。
「もしかして他の人にもバレちゃった?」
「案内を担当した神官は薄々気づいているようですが、当教会の上級神官は皆口が堅い。ご安心召され」
「まあオレとしちゃ、あのヒト1人にバレなきゃ良いだけだから」
「ほっほっほっ」
気まずそうなレオの言葉に、ピーターが楽しそうに笑う。
ピーターはこの青年を大層気に入っていた。
女好き、悪戯好きで、言動は軽いところもあるが、その本質は真面目に仕事に取り組む熱い男だ。
「お目当ての資料は見つかりましたかな」
「いや、この2冊を今読み始めたとこ。他に良いのある?」
「残念ながら、手に入る資料それだけですな。私自身も聖女とされる人物にはこれまでお会いしたことがないのです」
「ピーターさんでも見たことないのか。本当に聖女なんて生まれたの?」
「いるのは確かですぞ。証拠をお見せしましょう。……ああ、その2冊は必要なら持って行って頂いて構いませんよ。最終的にちゃんとここに戻していただけるなら」
ピーターはレオを促して裏庭へと向かった。