お兄様と湿原の村。
遅くなりました、よろしくお願いします。
海辺でポルポス達との今後の養殖の打ち合わせをしたあと帰路に就く。
点在する集落とどこまでも続く穀倉地帯を抜け、ヴァレンティノ領で最も大きな街ヴァランスに入る。
この街は高低差がほとんど無く、建物が区画整理され碁盤の目に道が作られている。
これは俺が領主になってからの2年で得た、分かりやすい成果だと思っている。
今はまだ人口は5000に届かない程度だが、領内の作物の収穫量を考えればまだまだ増やす事が出来る。
しかし食料はヴァレンティノだけでなく、公爵領にも送る必要が出てきそうなので、いずれは何らかの方法で人口を調整する必要があるかも知れない。
馬車から流れていく街並みは、近くの採石場から切り出された濃灰色の石材で作られた建物が続いている。
これはおそらく溶岩が固まった岩石だと思われる。
さらに窓から塩気を含んだ磯の香りが入ってくる。
この街は海岸と接しており湾状の地形を活かした大きな港がある。
と言っても外との交易に使われているわけでは無い、近くの海から海産物を捕るだけだ。
本来であれば交易の要として使いたいのだが、いくつか問題がある。
まず森を切り拓く事が出来ないため、船を作るのに必要な木材の入手が困難である事。
次にごく近海ならば問題はないが、遠くへ行くと強大な海の魔物が生息しているため危険が大きい事。
そして、交易船を製造するほどの技術と航海術もない事。
そのため現在隣国へは山越えの陸路しかなく、港から得られる利益は限られている。
「屋敷に着きました」
ノートに呼びかけられて気が付く。
いつの間にか彼女は馬車から降りて、外からこちらを見ていた。
「少し考え込んでいた」
「いつも通りですね」
ノートが悪戯っぽく笑って言う。
そんなにいつも考え込んでいるだろうか?
取りあえず肩をすくめて誤魔化す。
現在のヴァレンティノ領主の屋敷はとても小さい。
応接室、執務室、寝室が2つ、それだけだ。
その隣の官吏達が使っている建物の方が遙かに大きい。
公爵の館とは比べるべくもないが、俺が領主になる前からある建物で、元は砦として使われていたため石造りの頑強な設計になっている。
最初は俺もあちらで寝泊まりしていたが、広いだけでノート達ダークエルフにとっては何ら障害にならないと知ってからは新しく小さい家・・・屋敷を作らせこちらで生活している。
そのため大きい方は現在、兵士と官吏達の訓練施設や食堂、寮などに使われている。
ゆくゆくは役所の様な施設になる予定だ・・・今はまだ教育段階なので官吏学校と言ったところだが。
ヴァレンティノでは軍事はもちろん、農業、水産、外交などを任せる官吏達を育てている。
領内はさほど大きく無いので俺1人の裁量で統治できないことは無い。
現に王国の貴族達は官吏などの部門担当者を作らないことが多い。
これは支配地域が狭いというのもあるが、貴族の権威を落とさない為というのが主な理由だろう。
官吏や役人は貴族から権力を委譲される事で、貴族の判断を仰がずに物事を進める裁量権を持つ。
これは政を加速させる効果がある反面、貴族の力を分け与える事でもある。
「・・・ノート様・・・」
いつの間にかダークエルフの一人が近くに居て、ノートに語り掛けていた。
ダークエルフの隠語は分からない、かろうじて固有名詞を聞き取れる程度だ。
彼女達ダークエルフは俺の部下という訳では無い。
あくまでも彼女たちの指導者はノートであり、ノートが指示をするから俺に協力しているだけだ。
だから彼女たちが報告するのも俺ではなくノートなのだ。
それでも、目の前で報告するのは珍しい。
いつもは知らない所で報告を受けてそれをノートが俺に教える形をとる。
ノートが俺に気を遣っているのか、知られたくない何かがあるのかまでは分からないが、こうやって近くで報告をする時はたいてい緊急性の高い内容だ。
・・・なんとなく良くない予感がするな。
ノートが片手を上げると、話しかけていたダークエルフは軽く頭を下げて彼女の影に溶ける様に消える。
彼女たちの特殊な魔法による効果だ。
「村が一つ襲われました。作物は奪われ村人は全て居なくなったそうです」
ノートは俺に向き直り淡々と告げる。
思わず顔を覆ってしまう。
・・・よくない予感とは当たるモノだ。
しかし、村が全滅とはさすがに予想外だ。
「・・・どこの村だ?」
俺は隣の官吏学校へ歩き始めながらノートに確認する。
家は目と鼻の先だが、帰る前にすべき事が出来た。
というよりしばらく帰れないだろう。
ヴァレンティノ内には大小10の集落が存在している。
(マッジョレの村等は秘匿しているため、この数には含めていない)
「山の方の村です」
ノートは俺の後ろを歩きながら答える。
「まさか、アルタッラか?」
思わず足を止め振り返る。
「いえ、小さい方です」
ヴァレンティノ領で一番外れに位置する街はアルタッラと言う。
山脈の麓に作られた街で、陸路による山越えの交易を始めるための拠点として切り拓いた。
そこから続く山脈は隣国へと続いているが、大変険しく天候も変わり安い。
さらに魔物まで出るため非常に危険だ。
だからそこ多数の宿場とそれに伴う施設を充実させ、周囲を堀と壁で囲み魔物の侵入を阻む要塞・・・となるよう都市計画を進めている。
しかし今のところは壁はある程度出来たが、堀までは作れていない。
それでもその先行投資はヴァランスに次いで多く、滅ぼされたりしたら冷静では居られない。
「ポンティノか・・・山からの侵入で間違いはないか?」
ポンティノは山から進むとアルタッラの次にある村だ。
広い湿原の中にある村で、浮稲と呼ばれる作物を栽培している。
元々は村など無いただの湿原だったが、アルタッラとヴァランスを繋ぐため点在する沼に石橋を作り湿原の街道整備をした。
その維持管理に人を配置し、次いで湿原を利用した稲作を始めるために村を作った。
今季が最初の収穫だったというのに・・・。
「今探らせていますが、位置的にもおそらくはそうでしょう」
現在のヴァレンティノ領内は魔物が非常に少ない地域になっている。
これは各村をダークエルフ達が定期的に見回り、危険と思われる生物は狩ってくれているからだ。
その為、村を1つ滅ぼすほどの襲撃があったなら外からの侵入と考える方が妥当だ。
「しかし、アルタッラの警備をかいくぐり侵入するとは・・・」
アルタッラは山から見ても目立つところに拓かれており、狙うとしたら・・・。
「それは魔物を侮りすぎですね。相手の様子を観察する知能が有れば、あの街が強固であることはすぐにわかるでしょう。それに人間は夜目が利きませんから」
そうなのか、そうだよな。
この世界の魔物の定義は明確では無い。
人間にとっては悪意のある獣(人外)が魔物という認識らしい。(ダークエルフ達もそれに含まれるそうだ)
ところが、ダークエルフ達にすれば自分たちより劣った獣を魔物と称する。(これには森の動物は含まれない)
俺からすれば魔物とは人の手に負えず交渉できない相手だ。
・・・話がそれたが、夜目が効く魔物がアルタッラを回避しようと思えば簡単だ。
アルタッラの警備にダークエルフを配置するのが最も安全な方法だが、彼女達に大きく依存した諜報活動を展開しているため自由に動かせる(俺が動かせるわけでは無いが)人数には限りが有る。
それに、彼女達は護ることが余り得意では無いらしい。
いつ来るとも知れない敵を待つことは無理だそうだ。
「・・・今後の課題だな。山の安全は確保したいが、ドラゴンの尾を踏みに行く様な愚かな事はしたくないしな」
森ではダークエルフを、海ではポルポスとムンレナを怒らせた経緯がある。
たまたま良い方に転んだが、山に住むと言われるドラゴンとまで交渉できるとは思えない、まさに魔物だ。
そう、ポルポス達が船を壊していたのはムンレナを刺激する事への警告だったらしい。
「・・・そういえば、いま時季は山にも実りが多いのだろ?何故わざわざ村を襲ったのだ?」
「さぁ?山の事情まではわかりませんが・・・天候不順で不作が続いたのは平地だけではないのでは?」
・・・たしかに。
作物が育ちにくい環境だったと分かっていながら、なぜ山の食糧の事まで思い至らなかったのか。
山の食糧が減れば飢えた魔物たちが現れるのは当然だ。
己の不明を恥じるばかりだな。
「お!アニィ!おかえり!」
声の方を見ると建物の手前の広場で、俺と同じぐらいの子供が勢い良く手を振っていた。
その足元には完全武装した兵士たちが数十人転がっている。
「ヨルズ、兵士を訓練してくれるのは嬉しいが手加減してくれ、こうも毎回寝込む者が居ては対応しきれないと救護班などから苦情がきていてな」
俺は周囲を見回しながらため息交じりにお願いする。
転がった兵士たちの鎧はいびつに歪んでいる。
また鍛冶組合から文句を言われそうだ。
「母様お帰りなさい!」
「ただいまヨルズ」
・・・毎度の事だがこちらのお願いなんて聞いちゃいない。
このヨルズはノートの子供だ。
褐色の肌に短い白銀の髪、緑の瞳をしている。
身長は俺と大差ない。
「じゃあやろ、アニィ」
そして、ダークエルフの例に漏れず非常に好戦的だ。
ちなみに父親は知らない。
なぜか俺をアニィと呼び、戦いたがる。
2年前に紹介された時は俺より小さかったし軽く遊んでやったんだが、それが良くなかったのかも知れない。
「やらない。それよりディナルドを呼んできてくれ、動かせる兵と馬のよう・・・」
バシッという大きな音で話を遮られる。
「帰ってきたらやるって言ったじゃん!」
ヨルズが拳で俺に殴りかかり、ノートが横からその手首を掴んで止めていた。
「ヨルズ行きなさい」
「はい、母様」
ヨルズはノートに頭を下げた後、俺の方を向いて頬を膨らませる。
けどそれも一瞬ですぐに踵を返して建物へ駆け出す。
「・・・助かった」
俺が冷や汗を拭う仕草をすると。
「あの程度、ご自分で避けて下さい。それより兵を動かすのですか?我々で対処致しましょうか?」
ノートはやれやれと言った感じで難しいことを言う。
「いや、それには及ばない。もし魔王などという存在が居るのであれば、いずれ争いは避けられまい。今のうちに兵を育てなくてはな」
以前ならば受け入れていた提案だ。
だが妹のルクレツィアのお陰で調べるべき事柄や懸念材料が一気に増えた。
もし未来に戦争が待つというのなら、少しでも準備を進めるべきだ。
「そうですか」
ノートはいつもの調子で返事をするだけだった。
馬が速歩で街道を進む。
その数150程で、その後ろに幌馬車が続く。
幌馬車には俺とノート、ヨルズが乗っている。
この馬車には予備武器を少しと食糧が積んである。
兵の数が少ないのは機動力を優先させたからだ。
3日前の昼には村の住民達を見かけたらしいので、アルタッラを抜けたことを考えれば二日前の夜もしくは前日の夜中に襲撃したはずである。
騎馬ならば山へ逃げ込む前に追い付ける可能性がある。
相手が何者か分からないが自分達の縄張りで戦う方が有利なのは間違いないはず。
だからその前に討ち取りたい。
「セサル様、湿原に入ります」
部隊を率いるディナルドから声をかけられる。
彼は20代と若いが面倒見が良く兵達の信頼が厚い。
しかし、どちらかというと攻めるよりも味方を鼓舞しながら拠点を守るときにこそ能力を発揮する。
そんな彼を起用したのは、様々な経験を積ませるためだ。
彼にはいずれ一方面を任せる事も考えている。
「わかった。まだ周囲に潜ん・・・いや、君に一任する。ポンティノまでの指揮は任せる」
俺は幌馬車から顔を出して指示をする。
「はっ、日が沈む前にアルタッラに入りたいと思いますので、このまま進みたいと考えています」
ディナルドに頷いて返すと、彼は馬の腹を蹴って隊列の前へ行く。
「よろしいのですか?」
ノートが短く尋ねる。
この状況で一任したことについてだろう。
「湿原は・・・沼地と言った方が正解か、まぁどちらにせよ騎馬には不利な地形だ。あれこれ言わずとも警戒はするだろ?」
「だといいのですが」
「ん?なんだ?何かあるのか?」
ノートにしては珍しく含みのある言い方をしたので聞き返す。
「あの隊を任された者、ポンティノに妹が嫁いだそうです」
「・・・それは知ら・・・」
そこまで言いかけると馬車が動き出す。
・・・ってきり警戒のために十騎ほどで偵察の斥候を放つと思っていたのだがすぐに出発するようだ。
「肉親の情に流され判断を誤る・・・か?だがヤツは兵達に信頼されている、指揮権を与えたのに横からアレコレ口出ししては双方の不信が増すだろ」
それでは指揮官の意味が無いし、ディナルドのメンツも潰れ彼を慕う兵からも良く思われない。
悪いことだらけだ。
「そうですか」
「・・・それに急ぐという判断は必ずしも間違ったモノでは無いからな」
ノートは肩をすくめるだけで、それ以上は言わなかった。
この辺りの湿原は泥濘んだ地面と、大人が簡単に全身隠れてしまうほど深い沼があちこちにあり、固い地面など無いに等しい。
そのため街道以外の移動は非常に難しい。
街道の石橋は馬車がなんとかすれ違える程度の幅しかないので、如何しても縦てに長い列となってしまう。
すると、横からの奇襲には非常によわ・・・。
「・・・ノート様」
「あ、イズーナ!」
それまで予備武器を入れた箱を漁るようにして武器で遊んでいたいたヨルズが、ばっと顔を上げ嬉しそうに叫ぶ。
すると馬車の荷台の床から黒い影が盛り上がるようにして1人のダークエルフが現れる。
屋敷の前で見たのとは別のダークエルフだ。
彼女はヨルズに少し微笑み黙礼したあとノートと話し始める。
「村の中で複数の蹄の足跡を発見しました。おそらく襲撃犯は豚人かそれに類する何者かでしょう。蹄の足跡は山へ戻る者と周囲へ散開した者、山へ戻る足跡には荷車の車輪と複数の人間の足跡も含まれています。意味不明な足跡も確認していますので偽装工作の可能性もあります」
ノートが偵察していたダークエルフの報告を教えてくれる。
「・・・数は分かるか?」
「虚偽の痕跡もあるため正確な数はわかりませんが、山へ戻る方が本隊で60ほど、荷車が5台、人間がおよそ80。散開したのは別働隊だと思われますがこちらは40ぐらいです」
「ならば、山へ向かった者達を追跡してくれ」
俺がそう言うとノートはイズーナと呼ばれたダークエルフに視線で指示を出す。
すると彼女はまた影の中へ溶けるように消えていく。
「いってらっしゃい」
ヨルズだけが彼女に手を振り、消え際に影も応えた気がした。
「たしかポンティノの人口は87名だったな。ディナルドにも教える必要が・・・」
積み上げられた食糧の脇を抜けて御者台の方へ移動するために立ち上がる。
「母様?」
すると2人の耳がほぼ同時にピクンと動き、ヨルズがノートを見る。
「そうね、いま魔力に流れが生じました。魔法を扱う何者かの襲撃、もしくは霊的な存在が近くに居るようです」
幌の外を見てみれば先程まで腫れていたのに急激に霧が視界を覆い始める。
すでに後続に居たはずの騎馬が見えなくなり、石橋を叩く蹄の音までもが遠くなった気がする。
「不味いな、何とか出来ないか?」
王国では大規模な天候操作は禁忌とされる。
しかし、そんなモノは人の都合であって相手もそうだとは限らない。
「手を貸してもよろしいので?」
ノートがわざとらしく驚いた顔をする。
「流石に魔法的な襲撃まではまだ対処できないだろう。頼む」
ダークエルフ達が魔法を広めたと言っても火を起こしたり、身体能力を少し強化したりと生活の助けになる程度の魔法。
大規模な魔法への対策や戦術的な使用法についてはまだまだ研究段階だ。
「ヨルズ、遊んできていいわよ」
「はい!」
ヨルズは元気よく返事をすると荷台から飛び出し、白い闇の中に溶け込む。
「待て!ヨルズ!霧を晴らすだけで良い!」
慌てて霧の中へ叫ぶがヨルズの楽しげな笑い声しか返ってこない。
どうやらこの霧には音を阻む効果もあるようだ。
「あら、そうなのですか?」
「相手の出方を観たいと思っていた。殺してしまっては村の者達の現状や山の食糧事情を知ることが出来ない」
「まぁ、そうですね」
ノートは荷台で立ち上がり尻の埃を軽く払ってから、パァーンっと拍手を1つ打つ。
するとその手元から突風が吹き出す。
あまりの風圧に手をかざし目を覆ってしまうが、風が吹き抜けたのは一瞬ですぐに何事も無かったかのように静かに・・・いや、濃霧で遠ざかっていた音が戻ってくる。
外はかなり混乱しているようだ。
俺は急いで満載の食糧の脇を抜け、荷台の前方に回り込み御者台へ出る。
ヨルズの様に荷台の後方から出なかったのは、少しでも高い位置から状況を確認したいからだ。
外は霧が嘘のように消えている。
晴れた視界に飛び込んできたのは混乱から立ち直りつつある騎馬隊(落馬した者や沼に落ちた者も少なくないが)と、沼の中から上半身を出して弓を構える豚人達。
「ディナルド!今のうちに隊を立て直せ!!」
こちらの兵は50名以上が落馬し中には石橋から落ちて水面でもがいている者もいる。
対して襲撃者達は確認できる者で30数名ほどだろう。
全員が強靭な弓を持ち、我々の右側から待ち伏せしていた様だ。
相手の指揮官は非常に頭が回る。
霧が晴れた事で撤退の為に弓を構えたまま離れようとしている事もそうだが、騎兵の盾の持ち手、沼地への侵入が困難な事なども全て織り込み済みなのだろう。
「逃がしてもよいのですか?」
「情報を聞き出すためにも捕えたいが・・・」
その時、豚人達が一斉に振り返る。
何事かと思えば、一番離れた場所にいた豚人の首の皮を引きずってヨルズが水面を歩いてくる。
その豚人は他の弓を構えた戦士風の豚人達とは違い、何かの毛皮や角をつなぎ合わせたようなローブと羽根飾りを身にまとい、ねじれた木の棒を持っている。
どことなく神秘的な雰囲気の出で立ちから、たぶんアレが指揮官か霧を発生させた術者だろう。
もっとも首の後ろの皮を掴まれ水面で手足をばたつかせ暴れる様は同情すら覚えるが、ヨルズは意に介した風も無く歩みを止めることもない。
周囲の豚人は弓を引き絞りヨルズに狙いを定める。
するとヨルズは暴れる豚人を盾にするように前に掲げる。
やっと水面から顔を出せた豚人は魚の様に口をパクパクと動かす。
首が絞まり呼吸が出来ていないのだろう。
その証拠に震える手で首をかくような仕草をしている。
「豚人達よ!我が言葉を解するならば矛を収めよ!さすれば貴殿達に危害を加えないと約束する」
俺は立ち上がり宣言する。
その傍らにノートが立つ。
しかし、御者台に立っているため視線はこちらの方が高い。
「ヨルズ、放してやれ」
掲げられている豚人が意識を失う前に解放する必要がある。
ヨルズは一瞬頬を膨らませたがすぐに捕まえていた豚人を投げ捨てる。
しかし、意外とその場所は深かったのか豚人がドンドン沈んでいく。
マズイっと思ったが、すぐに1人の豚人が泳ぎ寄り、彼を支えながら足の着く場所に連れて行く。
暴れる様子などがないので、意識が朦朧としているのかも知れない。
豚人達はお互いに視線を交わし合い何か意思をやり取りしているようだ。
その時、横から馬のいななきと水に飛び込んだような音が聞こえる。
顔を向ければ、馬が1頭石橋から落ちた様だ。
倒れたままの馬も居る。
正直、数頭でも馬を失ったのは痛いな・・・。
そう思っているとパァンと乾いた音が鳴る。
射られた!?
慌てて身構えたが、ノートが横から出した手で矢を摘まんでいた。
そして次の瞬間。
ヨルズが上半身だけ水面に出ていた豚人の頭を蹴り飛ばし、沼に赤い花が咲く。
「ヨルズ!!」
「マッマッデ!イッいや、待ってくれ」
俺の言葉にかぶせる様に、先ほど解放した豚人が叫ぶ。
「こっこれ以上攻撃はしない!だから・・・」
・・・慌ててヨルズを止めようと思ったが、予想外に相手を委縮させることが出来た様だ。
「私はお前達、豚人の行動が理知的なモノだと判断した。先ほどの提案もそれ故だ」
解放された豚人は隣の豚人に何か話しかけている。
「よし。弓などをこちらに投げ、武装を解除し、ゆっくりと沼から上がってこい」
「分かった。だが我々のあんぜ・・・」
「心配せずとも我が民を傷付けなければ危害は加えない」
回りくどい言い方になったのは、村人達が無事では無かったときのことを考えてだ。
「我が民?・・・同胞達よ。言われたとおりにしよう」
豚人達は視線を交わし合い頷いた後に投降した。
・・・何か策でもあるのかも知れない。
彼等を縛るようなことはせず、先ずは村を目指した。
理由はもし相手に援軍が来た場合不利な地形なため。
それに豚人達の指揮官はよほど信頼されているらしく、彼を抑えておけば他の豚人は従うと判断したからだ。
「ヨルズ、よくやったな」
「ん?あー、何かアニィが攻撃されたらイラッとしたんだよね」
「そっそうか」
いつも殴りかかってくるのはお前だけどな。
それにイラッとしたぐらいで頭を吹っ飛ばすとかどうなんだっとは思ったが、助かったのは事実なので口には出さない。
「ノートも助かった」
「・・・あの程度、ご自分で避けて下さい」
「そっそうだな。すまない」
ノートは相変わらず手厳しい。
ポンティノに着くと、確かに村はもぬけの空だった。
村の周囲は湿地に囲まれ堀のようになっている。
さらに狭い石橋という限られた侵入経路しかなく天然の要害だと高を括っていたのが災いした。
人間ならば長時間湿原を移動する事は体温と体力を大いに奪い非常に困難だ。
しかし豚人たちは全身を覆う剛毛と厚い脂肪で体温の低下を防ぎ、人間たちよりも優れた体力で難無く湿原を走破した。
アルタッラから援軍を呼ぶどころか一晩で占領したそうだ。
そして栽培していた浮稲は本来なら収穫の時期で稲架で干されているはずだが、全て荷車に積んで持ち出した。
高床式の民家は入り口が壊されている。
豚人達は皆大きく高さは3メートルほど横幅は人間の倍近い。
壊さなければ入れなかったのだろう。
「セサル様、先ほどはもうしわ・・・」
「気にするな、誰しも失敗はある。それに村人を早く助けたいというお前の気持ちもわかる。もし次があるなら斥候を出す等、安全の確保を優先すべきかも知れないがな」
村に入り兵に指示を出した後、ディナルドがこちらに来て謝罪しようとしたので、最後まで言わせず手で制する。
「・・・はい」
肩を落とし眉間に皺を寄せるディナルド。
拳は強く握りすぎて白くなっている。
思ったより自責の念が強い様なので、これ以上は言う必要はないと判断する。
あとは自分で考えるだろう。
「まぁ、そんな落ち込むな。現状では魔法を使われては対処は難しい。それより、兵と馬をゆっくり休ませよ。明日は今日よりも強行軍になるかも知れん」
黙って頭を下げるディナルド。
だが頭を上げ振り返る一瞬、その瞳に良くない輝き・・・いや、ギラつきを見た気がした。
・・・だがこれ以上は言っても逆効果だろう。
しばしディナルドの背中を見送った後、俺のやるべき事を思い出す。
少し離れた場所で控えていたノートを伴い豚人に与えた建物へ歩いて行く。
ちなみにヨルズは村の中を探検するそうだ。
読んで頂きありがとうございます。